第3章 はじめてのクエスト ③

 小一時間も歩いただろうか。俺たちは王都から臨んだ地平の森に辿り着いていた。右手に森、左手に草原というロケーションを慎重に歩く。道から森は二十メートルくらいか? ともかく、一足の距離じゃあない。急に野犬が飛び出してきても、落ち着いて動けば対処できそうな距離に思えた。


 そのまま慎重に歩みを勧めていると、不意に先頭を歩くクララが足を止めた。


 そして、


「……臭うっすねー。おでましというかお迎えというか……とにかく、撒き餌の出番はなさそうっす。ナルミさん、抜いた方がいいっす」


 そう呟いて腰の剣を抜く。腰を落とし、森を睨んで迎撃の構え。


 慌てて俺も剣を抜く――が、敵の姿は見当たらない。


「姿は見えないが……いるのか?」


「いるっすね、獣臭がするっす」


 断言するクララ。疑うわけじゃないが、確認の意味も込めてセシリアの様子を覗った。俺と目が合うと、力強く頷く彼女。


「リラックスっすよ、ナルミさん。行けそうっすか?」


「おう」


 答える。緊張で喉はカラカラだし、心臓は肋骨を内側からへし折って飛び出してきそうなほど高鳴っている。しかし、頭は冷静だ。体も動く――剣を抜く時にもたついたりしなかったし、今も森に対して半身に構え、人間相手ではないのだから剣は下段に構えるべきか――そんなことを考える余裕さえある。


「セシリア姉は下がり気味でよろしくっす。余裕あればコーチング頼んでいいっすか」


「任せてください!」


「さあナルミさん、来るっすよー。一頭来たら奴らなだれ込んで来るっすからね。狙いたいのは顎、首、左前足の脇、一撃が無理そうなら足を落として機動力下げるのもありっす。いいっすね」


「わかった」


 息を吸い、吐く。犬は現代でも身近な動物――それを自らの手で屠ることに抵抗を感じないわけじゃないが、奴らはこの世界でははっきりとした人間の脅威だ。それは理解できたと思う。あとはやるべきことを実行するだけ。


 集中して、その時を待つ。木立の間は月明かりが届かず、墨を流したような暗闇だ。そこからいつ野犬が飛び出してくるか――


 おそらく数秒も経っていないだろうが、永遠のような時間の後――その時は来た。ガサリと草のこすれる音。木々から伸びる枝が揺れ、生い茂る葉が舞う。そして――姿の見えない敵。


 ばかな、今確かに何かが飛び出してきたのに――


「――! 上ですっ!」


 セシリアの叫びに弾かれるように空を見上げる。そこには月明かりを遮る獣の影があった。くそ、やられた――犬だと聞いて、地面近くに注意が向いていた。まさか木を登って枝から飛んでくるなんて――


 反応した時にはもう、すぐ間近に影が迫っていた――でかい! 俺とクララの間に着地したその犬は、ぱっと見ハスキー犬のように見えた――が、サイズが俺の知る成犬ハスキーより一回りも二回りもでかい! これが異世界の野犬かよ!


 ビビるな――セシリアが「野犬から身を守れる」と言ったんだ――武器を持った俺ができないわけないじゃないか!


 右手の剣――その切っ先を野犬に向ける――が、野犬はこちらを見ていなかった。その両目が狙うのはセシリア――獣のくせに、いや、獣だからこそか、奴から見て一番奥にいるセシリアをボスだと思ったのか、彼女に向けて犬歯をむき出し、うなり声を上げて身をかがめる。


 させるかよっ!


「おお――」


 夢中だった。そのせいかクララのアドバイスは頭から飛んでいた。奴がセシリアに飛びかかるその前に地面を蹴り、命中させやすそうな胴を狙って振りかぶった剣を振り下ろす。


 必中と思われたそれは、空を斬って地面を穿った。反動が剣を返して右手に伝わる。それに眉をしかめる暇もない――飛び退ったそいつが、好機とばかりに俺に飛びかかってくる。


 体を伸ばした野犬は俺の身長より大きかった。のしかかってくる自分より大きな獣を押し戻す力は俺にはない。組み敷かれてジエンド――のはずだったが、しかし咄嗟に剣を盾にして堪えることができた。《英雄補正》――セシリアの、そしておそらくクララの俺への尊敬の念が言葉通り俺を支える。


「グルルルルルッ」


 不意に聞かされたら腹の底からブルってしまいそうなうなり声。同時に野犬は俺の頭をかみ砕かんと大きく顎を開いた。さすがにこれに耐えるのは無理だろう。


 しかし――


「グァギャッ!」


 その野犬は口を開けたまま喀血し、動きを止める。俺と拮抗してる今が好機と判断したクララが、俺の脇から野犬の胸を貫いていた。長剣の半ばまでが野犬の胸元に埋まっている。


 そのまま崩れ落ちた野犬から剣を引き抜いたクララは、刀身を塗らす血を払うように剣を薙いで、


「ナイス反応っす、ナルミさん。さすがアシェリーさんに見込まれた男っす」


「助かった、ありがとう」


「礼を言うのは早いっすよ」


 言ってクララは剣を握り直し、再び森に向かって身構える。今度は今し方屠った野犬と似たような姿の獣が一、二……五匹、のそりのそりと姿を見せる。


「ちっ、行商人が……野犬とモンスターの区別もつかないっすか」


 初めて聞く彼女の不機嫌そうな声。並んで獣に対峙しつつ、尋ねる。


「野犬じゃないのか?」


「ナルミさんは新人さんですし初めてかもっすね……けど街と街を行き来する行商人にはちゃんと見分けて欲しいっすよ。これじゃ自分らブロンズはいくつ命があっても足らないっす」


 そう言うクララの顔は、月明かりの下でも真っ青に見えた。


「こいつら野犬なんかじゃないっす。こんなでかい犬コロはそういないっすよ……こいつらは森狼フォレストウルフ。れっきとしたモンスターっす」


 彼女の頬を汗が伝う。


「森と草原の凶悪なハンターっす。自分らブロンズじゃ手に負える相手じゃないっすね」

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