第3章 はじめてのクエスト ①

 再び冒険者ギルドを訪れたのは、もう日が傾き始めた頃だった。茜色に染まりつつある空の下、街を歩く人々に冒険者風の姿の人が散見できた。仕事の帰りか、あるいはこれから仕事に出るのか。


 ギルドの飲食スペースはガラガラだった昼間と違い、冒険者たちで賑わっていた。中にはセシリアの顔見知りもいたりするのだろうが、セシリアはそちらに目を向けず、俺と共に依頼が張り出された掲示板に一直線に向かう。


「……ナルミ様、本当にすぐ仕事を請けるんですか? 姉さんの手ほどきを受けたばかりですし、明日からでも」


 掲示板の手配書に目を向けつつ、心配そうにセシリア。


「思い立ったが吉日って言うし」


「そう仰るなら……とは言っても、今からとりかかれそうなものは見当たりませんね……私たちブロンズに回ってくる夜回りや夜間警備の仕事はあらかじめ期間が決められていて、毎日依頼が出るというわけでもありませんし、出ても昼間の内にさばけてしまうことが多くて」


 人差し指を口元に当て、掲示板を眺めるセシリア。可愛い。


 ――と、


「おー、セシリア姉じゃないっすか! お久しぶりっす!」


 背後から元気のいい声が聞こえてきた。振り返ると、そこにいたのは栗色のショートカットがよく似合う女の子だった。革の鎧に身を包み、腰には剣を佩いている。小柄だが一目で冒険者とわかる風体だ。


 その子を確認すると、セシリアが口を開く。


「こんにちは、クララ」


「こんにちはっす! ……おや、その方は初めましてっすね? 自分、クララ・ラムレットっていうっす!」


 クララと呼ばれた少女は、俺に向けてそう言ってにこっと笑った。柔和で母性的なセシリアのそれと違い、日焼けと絆創膏が似合いそうな感じのそれだ。


 俺は差し出された手を握り返し、


「俺はナルミ――八千代ナルミ。よろしく」


「ナルミさんっすね、よろしくっす!」


「クララは子供の頃から知り合いなんです。ラムレット孤児院の子で、私がいたロンハート孤児院とは交流があって年に何度か顔を合わせる機会があったのです」


「セシリア姉には自分が今よりもっとチビだった頃いたくさん遊んでもらったっす!」


 二人が旧友に会ったかのように笑い合う。


「で、ナルミさんはセシリア姉のいい人なんすか?」


「ちょっと、クララ!」


 セシリアが慌てるが、俺はここに来る途中、セシリアと話した決め事を口にした。


「俺はちょっとした訳ありで、聖堂に世話になってるんだ。で、この街で生きてくために冒険者になろうと思ってね。それでセシリアに案内してもらってたんだ」


 誰彼構わず知り合う人全員に「アトラの使徒」などと紹介されては敵わない――そう考えての提案だったのだが、セシリアは思いのほか素直に従ってくれた。彼女のことだから悪気は無くとも人を欺くことに抵抗があると思ったのだが、どうやらアトラの使徒の俺を公然の存在にするのは後々問題があるかもと考えてくれたらしい。そんな立派なものじゃないのだが、俺としては助かる結論だ。


 それにこの件を説明しようとすれば、その度セシリアは胸のロザリオで証明しようとするだろう。話を聞く限りこのロザリオは神器級のアイテムということだ、そんなものいちいちひけらかしては悪い奴に狙われてセシリアに危険が及ぶかもしれない。それを避けるためにも、俺の素性を誤魔化すのは悪手じゃないはずだ。


「なるほど、ナルミさんは初心者なんすか?」


「俺以上の初心者はいないってくらいの初心者さ。今日ギルドに登録したばかりだからな。良かったらいろいろ教えてくれな、クララさん」


「かしこまりっす! あと自分のことはクララでいいっす! 自分、目上の知り合いが多くて――クララさん、なんて呼ばれるとむずがゆいっす」


 にこにこと、クララ。感じのいい子だ。


「見たとこ防具は着けてないみたいっすけど、剣を佩いてるっすね。ジョブは剣士っすか?」


「うん。防具はまあ、おいおいね……」


「なるほどっす。初心者さんなら、自分にも教えてあげられることがあるかもっす。自分には滅多にない機会なんで張り切っちゃうっすよー」


「クララ、ナルミ様はね、アシェリー姉さんに見込みがあるって言われたんですよ」


 先輩風を吹かせようとするクララに、セシリア。


「うお、まじっすか! 自分調子乗ってたっす。許して欲しいっす」


「許すもなにも全然怒ってないけど。なに、アシェリーさんて有名人なの?」


 急に出たアシェリーさんの言葉に姿勢を正すクララ。尋ねてみると、緊張気味な声で彼女は答えてくれた。


「有名というよりは知る人ぞ知るって感じっすかね。なんせあの若さでミスリルクラスの冒険者ですから。自分たち孤児院出身の冒険者にとっては憧れの人っす。自分はセシリア姉繋がりで稽古つけてもらったことあるっすけど、気長にブロンズクラスで地力つけろって言われたっす。アシェリーさんに認められるなんて、ナルミさんすげーっす」


「ゴールドクラスの冒険者と素手でケンカして勝ってしまわれたこともあるんですよ」


「実質ゴールドクラスじゃないっすか! ナルミさんマジぱねーっす!」


 クララの目にきらきらと尊敬の色が浮かぶ。しまわれたこともあるっていうか、さっきの話だけどね。


 しかしこの世界の女の子はみんな物怖じしないなぁ……俺の目つき悪い悪人顔にも平気で話しかけてきてくれるもんな。それだけでもこの世界に来て良かったかも知れない。


「ところで、お二人はクエストをお探しっすか?」


「ああ、うん。聖堂に厄介になってる身だからね。生活基盤を整えるためにもお金が必要だし、初心者向きのいい仕事がないかなって」


「……無理をなされなくても、私を頼ってくださればいいんですよ?」


 そう甘い言葉を囁いてくるのはセシリアだ。しかし女の子に頼りっぱなしは男としていささか情けない。


「ありがとうな。どうしてもって時は頼らせてもらうよ」


「はい!」


 満面の笑顔でセシリア。そんな俺たちにクララが好奇の視線を投げてくる。


「おやおや? これは自分、お邪魔っすか?」


「もう、クララったら……ナルミ様にとって出会いはいいことです。いずれクララと一緒に仕事をする日がくるかもしれません。その時はナルミ様をよろしくお願いしますね?」


「勿論っす! こちらからお願いしたいっす! ……っていうか、実はまさに今そのお願いをしたいって感じなんすけど」


 言いながら、クララは手にしていた羊皮紙を俺とセシリアの前に突き出した。勿論俺は読めないのでセシリアの反応を伺う。


「野犬退治?」


「はいっす。手配書によると、昨日の晩に王都周辺街道で行商人が野犬の群れに襲われたらしいっす。積み荷にあった食料ばら撒いて一目散に逃げて被害は免れたらしいっす。それを商人ギルドに報告、んで冒険者ギルドに駆除の依頼が出たってわけっすね」


 セシリアが冒険者の仕事に野犬退治があるとは言っていたが、そうか、この世界には保健所なんてないだろうしな……飼い犬はまだしも、野生化した犬は危険か。


「自分、この依頼キープして臨時パーティ組んでくれる人探してたんすよ。神官のセシリア姉に、アシェリーさんに認められたナルミさんならパーティメンバーとして申し分ないっす。良かったらご一緒にどうっすか?」


「でもクララ、あなたなら一人でこなせる仕事じゃないですか?」


「うーん、多分そうなんすけど、相手が野犬っすからねー。ドジって噛まれたら毒が怖いじゃないっすか。群れの数も把握できてないみたいっすから、回復ヒール解毒デトックサフィケーションが使えるセシリア姉がいてくれたらめちゃ安心ですし、ナルミさんがいてくれたらこっちの手数が足りないってこともないっす。報酬は二十万っすから、セシリア姉が七万、自分とナルミさんが六万五千ってことでどうっすか」


「クララはそれでいいの? 報酬だいぶ目減りしちゃうけど」


「はいっす。冒険者は体が資本っす。安全に設けられるならそれに超したことはないっす!」


 セシリアの言葉に、クララはにかっと笑って頷く。


「……どういたしましょう、ナルミ様」


 俺を立てて、意見を聞いてくれるセシリア。尊重してくれることに感謝しつつ、クララに尋ねる。


「クララは俺でいいのか? 俺、さっき言ったように初仕事なんだけど」


「繰り返しになるっすけど、アシェリーさんに認められたんなら全然不安ないっすよー。むしろ自分の方がナルミさんの足ひっぱりそうで怖いっす」


 いや、そんなことはないだろうよ……少なくとも経験でまるで敵わない。きっと彼女と一緒に仕事をすれば学べることが多いはずだ。


 俺は意を決して頷く。


「それじゃあ、一緒にその依頼、請けようか。よろしくな、クララ」


「あざまっす! じゃあ自分、手配してくるっす!」


 言ってクララは羊皮紙を手に、窓口の方へ駆けていく。その背中を見守っていると、セシリアが隣で微笑んだ。


「元気のいい、優しい子です。下の子の面倒見も良くて、周りに笑顔を振りまくような素敵な子なんですよ」


「そっか。でも周りに顔を振りまくところと優しいってところはセシリアも負けてないと思うよ、俺」


「そんな風に言っていただけて嬉しいです。ナルミ様、初仕事、頑張りましょうね」


「おう」


 腰に下げた剣の柄頭を撫でる。野犬退治……生き物を殺すことに抵抗はあるが、ここは現代と違う。必要なことで、やらなければ別の誰かが襲われてしまうのだ。


 理解はできるし今ここで決意したつもりになっているが、はたして野犬を前に俺はちゃんと剣を振れるだろうか――そんな心配が頭をよぎった。


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