第2章 冒険者 ⑥
「ここでちっと待ってろ」
そう言ってアシェリーさんが入っていった建物は、一見して酒場にしか見えない店だったが――
「姉さんはここの二階に部屋を借りて住んでいるんですよ」
セシリアが解説してくれる。
「ああ、酒場併設してる宿屋さんとかなのかな」
「というより、下宿ですね、ここは。姉さんの稼ぎなら自分の家も持てそうなのですが、収入の多くを孤児院に寄付しているんです。自分が小さな頃には食べるにも困る事があったからって……小さな弟や妹たちにひもじい思いはさせたくない、と」
「……すげえ人なんだな」
俺やセシリアより年上に見えるが、それでもそういくつも離れていないだろうアシェリーさんのことをしみじみと話すセシリア。素直にそう述べると、セシリアはまるで自分が褒められたかのように嬉しそうに微笑んだ。
「自慢の姉です。私もお手伝いしたくて冒険者をしているのですが、新米の私ではなかなか姉さんの力になれずに……」
「いや、きっとセシリアに感謝してるよ、アシェリーさん」
「そうだといいのですが」
話していると、自室で鎧を脱いで来たのか、平服のアシェリーさんが出入り口から姿を現わす。かったるそうに二振りの剣を担いだアシェリーさんは、
「おー、通りじゃ店の客や通行人に迷惑かかるから裏に行くぞ」
そう言って着いてこいと手招きする。彼女に続いて店の脇に入り、先に進むと少し拓けた場所に出た。踏み固められた土の地面と井戸――それに洗濯物が吊されたロープが張られている。
「ナルミ――あんた丸腰だけど、得物は?」
「いや、まだ用意できてなくて」
「それでコツを教えろとはな」
「姉さんに、ナルミ様に合う剣を見繕って欲しかったのです」
苦笑するアシェリーさんに、セシリア。アシェリーさんは担いでいた二振りのうち、一つを俺に投げてよこした。慌てて受け取る――同時に、ずしりとした重みを感じた。
……これが、刃物の重みか。
「それ、やるよ」
「え? いいんですか?」
思いがけない言葉に尋ねると、アシェリーさんは首を縦に振る。
「どうせアタシは使わねーからな。ほれ、抜いてみろよ」
「ありがとうございます。じゃあ早速……」
礼を告げて、受け取った剣を鞘から抜いてみる。ゲームやアニメでみるようないかにも剣でございますといった……長剣の部類だろうか。形にこれと言った特徴は見受けられない。一般的な両刃の剣に見える。ただし、刀身はぬらりとした赤がね色。
「ド素人に合う合わねーとかねーよ。得物の方に合わせろ。まあ強いて言えば業物持ってたって使いこなせないってことかな。そいつは普通も普通、なんの変哲もないブロンズソードだ。どっちかっつーと刃物より鈍器に近い。腕次第じゃ斬れないこともないがな」
「ブロンズソード……」
いわゆる銅の剣というやつか。ゲームじゃ定番の初期装備だ。ある種の感動とともに手の中のそれを見る。形やサイズ的に片手で扱うものだろう。取りあえず鞘を地面に置き、その剣を片手で持ってみる。
「どうせ素人が適当に振ったんじゃ斬れるもんも斬れない。そいつならそこそこ重量あるし、それで殴られたら効く。ブロンズクラスの間はそれでいいだろうよ。剣の使い方を覚える頃には自分の好みもわかるだろ。そしたら好きなもんを稼ぎで買えばいい」
「ありがとう、姉さん」
俺に続き、セシリアが礼を言う。
「ま、大した値段のもんじゃない。気にしなくていいよ」
アシェリーさんはセシリアにそう言って、自分も担いでいた剣を下ろし鞘から刀身を引き抜いた。鈍色の剣が陽光にきらりと輝く。
「よし、じゃあナルミ、アタシに斬りかかるつもりで構えてみなよ」
「あ、はい……こんな感じですか?」
俺はなんとなく剣を持った右手側を前に半身に構えた。切っ先は剣道のイメージで相手の喉元にむけ、動き出しやすいようにやや腰を落とす。
「……ふぅん。まあそんなもんなんじゃないの」
「え? 型とかそういうのってないんですか?」
適当にも聞こえるアシェリーさんの言葉に尋ねると、
「騎士様連中は型だの礼節だのなんつって色々固っ苦しいことするし、実際それで強えんだからそれも正解なんだろうけど、冒険者は型や礼節と戦うわけじゃねえからなー。自分が攻めやすくて守りやすいんならそれが一番さ」
そんな実践的なお言葉をいただく。
「腰が高いとか脇が甘いとか、そういうのは」
「あんたが楽ならそれでいいんじゃないの?」
「……そういうものですか」
「むしろそれ以外ないだろー。少なくともアタシはそれで今日まで生きてるぞ」
あ、駄目だ。この人多分天才だ。人に教えるのに向いてないタイプ。
「剣士は剣一本で攻めて、守る。剣を自分の手足のように使えなきゃ話にならねー。練習方法は人によるんじゃねーかなー。アタシは暇な時はいつでも剣いじってたよ。そうやって時間が許す限り触って、自分の体と同じ感覚で自在に操れるようになるってのが理想だなー」
「……なるほど」
「よし、じゃあちょっと打ち込んでこい。殺すつもりでいいぜ」
「展開早くないですか!?」
まだ全然覚悟とかできてない。抗議をしてみるが、
「ぶっつけで野盗やモンスターの相手してえってんなら、別にアタシは構わないけど? 安心しな、反撃はしねえから。あんたがどれだけやれそうか見るだけさ」
「あの、姉さん」
俺とアシェリーさんのやりとりを見守っていたセシリアが口を開く。
「ん? なんだいセシリア」
「姉さんが凄い剣士だっていうのはわかっています。だけど油断しないでね」
そう告げるセシリアに、アシェリーさんは肩を竦め、
「さすがにブロンズのド素人に遅れは取らないって」
「違うんです。ナルミ様は確かに今日ギルドに登録した新人冒険者ですが――その、あまり大声で言うことではないんだけど、ゴールドクラスの冒険者とケンカして勝ってしまわれて」
「――へえ。ただの素人じゃないってわけだ」
アシェリーさんの顔から面倒そうな雰囲気が消え――代わりにどこか楽しげなものになった。獲物を見つけた猛獣のように見えるのは気のせいだと思いたい。
「素人相手の退屈なレッスンかと思ったけど、ゴールドクラスと張り合うブロンズなんて面白いじゃん。いいぜ、ナルミ。来な。セシリアはちょっと下がってな」
そう言ってアシェリーさんは身構え――たりせず棒立ちのまま。剣を握った手をだらんと下げている。
「……あの、構えたりとかは」
尋ねると、アシェリーさんはにやりと笑った。
「言ったろー? 自分が攻めやすくて守りやすいのが一番だってさ。自然体がアタシの本気の構えだよ。来ないならこっちから行くけど?」
恐ろしいことを言い出すアシェリーさん。かかってこられては敵わないので、俺はやぶれかぶれでアシェリーさんに突撃した
セシリアの尊敬のお陰で《英雄体質》が働き、補強された俺の体は予想以上に軽かった。地面を一歩駆けただけで、四、五メートルはあった距離が一瞬で詰まる。
「――!」
アシェリーさんが目を剥いた気がしたが、それだけだ。剣先は地面に着いたまま――殺すつもりで来いと言われたが、本当に無防備な彼女にこのまま斬りかかっていいのだろうか。そう一瞬悩んだ瞬間、猛烈に嫌な予感がした。反射的に剣を振り下ろすと、アシェリーさんの剣が目にも留まらぬ早さで跳ね上がった。甲高い音を上げ、俺の剣を大きく弾く。
「遠慮しやがったな? まるで腰が入ってねえぞ?」
「ちょっと! 反撃しないって!」
たたらを踏みながら抗議の声を上げると、アシェリーさんはまるで悪びれずに――
「ああ、殺しちゃうほどの反撃はしないに訂正。ちょっとした怪我ならセシリアいるから平気平気」
にいっと口角を上げる彼女。
「ちょっとした怪我って! 今の剣筋全然見えなかったんですけど!?」
あんな勢いで斬られたら怪我じゃすまないぞ、おい!
「手抜いたあんたが悪い。手加減して欲しかったら本気でおいで」
「どうしてこんなことに……!」
嘆いてみるが、俺自身それでどうにかなるとは思っていない。あんな尋常ならざる一撃を受ける訳にはいかないので、全力で攻める覚悟を決める。
幸い先の一撃で俺とアシェリーさんには相当力の差があることが知れた。俺が本気で攻めても彼女に一撃を浴びせることはできないだろう。
下から斬り上げた勢いでそのまま剣を担いだアシェリーさんに、再び斬りかかる。正真正銘全力――突撃した勢いを乗せて、振りかぶった剣を振り下ろす。
しかしその一撃はあっさりと空を切った。まるで俺の方が当たらぬよう避けたみたいに、剣先がアシェリーさんの足下を抉る。
「今度は頑張り過ぎー。そこまで前のめりじゃ躱されたらどうしようもねえだろ?」
地面を打って痺れた手に呻く俺の脇腹に、アシェリーさんの無造作な蹴り足が飛んできた。痛めつけるような力のこもったものではなかったが、避けることもできずまともに食らって地面に転がされてしまう。そして直後、土を舐める俺の眼前に鈍色の閃光が降ってきた。切っ先が地面を穿つ。
「さっさと起きないと次は当てる」
スパルタ教官め! 慌てて飛び起きると、
「よぉし。さ、来い。転んでもすぐ起きないと追撃するからなー」
怖え。これはかかって行かないが正解だろうか。
「ああ、来ないならこっちから行くからな?」
「今行きます!」
心を読まれてしまっては仕方ない。三度斬りかかる。
一度目は反射で手打ち。これは圧倒的に切り返されたし、二度目の全力は躱されていいようにされた。つまり――
七割程度の力で剣を振り下ろす。一度目と同じく迎撃されたが、一度目ほど大きくは弾かれなかった。結果こっちの体勢もそれほど崩されず、その場に踏みとどまる。
「今のはいい感じじゃん。適当な手打ちも全力過ぎても駄目だぜ。ちょっと力抜くぐらいが丁度いい。その方が自然に体動いて鋭くなるしなー」
「わかりました!」
「ほら、どんどん来いよ。さぼったらアタシから行くぞー」
「うおおおおぉっ!」
恐怖に突き動かされ、握り直した剣を振り上げる――
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