32 怒れる領主と馬糞のルガー

 屋敷の執務室で、領主アーバムは怒り狂っていた。

 まるで誰かがこちらの意図を見透かした上で邪魔をしているかのようだ。

 そしてその怒りの矛先は、ドドイドとルガーに向けられていた。


「これでは領民どもから金を取れんだろうが! 何もかもドドイド、お前のせいじゃないのか!」


「こっちだって何がどうなってんだか分かんねえんだ! 作戦どおり村の周辺で待機している時に、どこかの誰かがモンスターを殲滅するなんて、普通考えられるはずないだろう!」


「分かりません、想定できませんでしたで済むなら、お前を雇ってはいないんだぞ! ギルドの奴らから特別税を徴収しないことには、俺もお前に払う金はないんだ!」


 モンスターの存在は、領民から追加で税を取るための口実だった。

 それが完全に消えてしまえば、税を下げるしかない。

 実際、領地内の商人ギルドや農場主が税を下げるよう交渉に来ており、アーバムは苦しい立場に置かれているのだった。


「この領地を俺が必死で経営しているからこそ、奴らの居場所があるというのに……!! どこまでも不愉快なものだな、領民という奴らは……!! おいルガー! どこまで調べた」


 話の矛先はルガーへと移った。

 ルガーに与えられた役割は犯人探しだ。

 普通であれば領主が密偵を放って犯人を特定するところだが、アーバムは常に雇っている密偵はいない。小さいな領地では、そもそも密偵など不要だったのだ。


「ぜんぜん、分かりませんでした……」

「馬鹿もの! あんなことをするのは、この村の奴ら以外いないだろうが! 探してこい!」

「でも、村の奴らは何も言わないのです……!」

「それはお前の努力が足りないからだろうが!」


 アーバムはルガーを殴りつけた。


「うう……」

「何だ、その目は!」

「何でもありません……探してきます…………」


 ルガーは父親の前ではただひたすらに従順だった。

 父親は最低だが、ルガーにはこの領地を引き継ぐという未来しかない。

 それが嫌ならこの家を出て行くしかないのだが、ルガーにはあいにく何の才能もない。農地を耕すか、傭兵にでもなって戦場で死ぬか、野垂れ死にするしかない。


 だから従順になるしかなく、それがアルヴィへの劣等感に繋がっているのだった。

 そしてルガーは、アーバムに黙っていたことがあった。

 ルガーは、村人の立ち話を聞いてしまったのだ。


『どこの誰か知らないが、領主が雇ったのとは違う奴が魔物を一掃した。悪徳領主が雇ったギルドの実力も怪しいものだな』


 だがそれをアーバムに言えば、暴力が余計に増えるだけだ。

 だからルガーは黙るしかなかった。


「とにかくお前は、どこのどいつがやったのかを探して来い! あの魔法貴族、アルヴィはどうなんだ! あいつがやったんじゃないのか!」


「あいつ、ですか……?」


「まさか思いつかなかったと言うんじゃないだろうな!」


「だって奴は、本当に魔法が使えない無能です。魔物を倒せるはずがない。どうやら本当に家から追放されているみたいです」


「この愚か者が! だったら他をあたれ!」


 ルガーは記憶を失っている。

 アルヴィと対決をした時に魔銃の弾丸を食らっていた。その時のことを覚えていれば、犯人はすぐに分かったはずなのだ。

 だがあの対決の時、ルガーはクロエに記憶を消された。魔石で動く農機具や魔銃のことを、ルガーは覚えていないのだ。


 村の中ではアルヴィがやったということは公然の秘密となっていたが、村の人々は誰一人としてその事実を漏らさなかった。

 領主のアーバムには人望がなかった。

 もちろんルガーにも、全く人望がなかった。


「それからドドイド! お前はもう一度、モンスターを集めてこい! 必ずどこかにいるはずだ。そうでなければ、お前に払う金はないと思え!」


「つまりもう一度村にモンスターをけしかけるって話だな?」


「そうだ。やはり領民という愚かな奴らは、恐怖を刻みつけなければ理解できないからな。領主に税を払うことで、自分達は守られているということを、身に染みて理解させなければならない。……おいルガー。何をぼさっと突っ立っているんだ。早く行け!!!」


 *


「んああああ! クソったれが!!!」


 家を出てすぐ、ルガーは目の前を横切った馬を蹴っ飛ばした。


「分かるわけないだろうがッッ!!!」


 父親に受けた暴力を馬にぶちまける。

 余りにも残酷で、悲しい暴力の連鎖であった。

 馬はヒヒーン! といなきながら村の外に逃げていった。


「ああ…………どうすりゃいいんだ」


 村の周囲にいたモンスターを突然全滅させた、謎の存在。

 それを特定してこいという父親からの無理難題。

 何も知らないルガーには、雲をつかむような話だった。


「ああ、くそ、くそ……」


 どこにも行き場のない怒りがこみ上げる。税が上がったら、またアルヴィの屋敷にいって金を取り立てて笑ってやろうと思ったのに。親父はどうして俺を殴るんだ。誰がモンスターを殺したんだ…………。

 頭の中には様々な感情が渦巻き、ルガーはほとんど錯乱していた。

 ルガーは頭をぶるぶると振った。


「こうしてばかりもいられない。もういちど、森を見てくるか……」


 村からかなり外れたところにある、暗い森。

 それはモンスターが皆殺しにされた場所だ。

 そこは今、戦場のようになっている。モンスターの屍体が積み重なり、死臭が漂っている。

 村の人々がだいぶ片付けたようだが、それでもまだまだ残っているという。


「気持ち悪いけど……そうも言ってられない…………ああ、くそっ、くそっ……!! いくしかないか…………」


 ルガーは薄暗い森を一人歩いた。

 そして森を歩いている途中、何かがひっかかった。

 どうにも頭の中で、何かが引っかかっている感覚があるのだ。


「くそ、くそっ……!」


 そして不思議なことに、頭の引っかかりは「その単語」を呟くごとに存在感を増してくる。


「くそ、くそっ………………!?」


 どうやら違和感の原因はその言葉にあるようだ。

 呟くごとに、何かを思いだしそうになっている。


「これは何だ? まるで俺の頭の中にくs…………おえっ」


 言いかけてルガーは口を閉じた。頭の中に「××」が詰まっているなど、想像するだけで気持悪い。だがその感覚は続いていた。

 何かがある。


「俺は、何かを忘れている? だめだ、思い出せない……」


 それはまさに、クロエが封印した記憶だった。

 アルヴィとの魔法対決。魔石を用いた魔銃。

 それらの記憶はクロエの魔法によって封じられている。

 しかし魔術は不完全だった。

 記憶魔術は、本来はもっと時間をかけて行なわれる。クロエは対決を止めさせるために、簡易的な魔法を発動したのだった。


「そうだ……農場……? 農場で俺は……」


 農場で記憶を消された時、ルガーはその場に倒れ込んだ。

 倒れた先にはまたも馬糞があった。

 恐ろしい程の悪運だ。

 しかしその不運が、ルガーにヒントをもたらしている。

 記憶を失う瞬間の強烈な悪臭がトリガーとなって、記憶が戻りかけているのだ。


  *


 ルガーは森の奥に辿り着いた。そこには地獄のような光景が広がっていた。


「ここか……確かにこれは……」


 オーク、ゴブリン、ミノタウルス……様々な種類の屈強なモンスターが山のように折り重なっていた。既に死んでいるとは言え、その光景はルガーの背筋を冷たくさせた。


「しかしどうなってんだ? どんな魔法が使われたんだ……? 傷跡もなければ、魔法によるダメージの跡もないぞ?」


 奇妙な死体だった。モンスターの体に穴が開いていたり、千切り取られたかのようになっている。

 もちろんアルヴィが放った銃弾によるものだが、当然ルガーには知りようのないことだ。


「一体、何が起こったんだ……これはなんだ」


 ルガーの足元に、銃弾が転がっていた。


「魔法の触媒、には思えない。何に使うんだ? というか、モンスターの死体と関係があるのか? ……うっ、また頭が。何だ、これは……」


 「くそ」という単語。そして銃弾。

 いずれもあの魔法対決の時にルガーが目にしていたものだ。

 その時の記憶が本格的に蘇ろうとしていた。


「俺は、あの時……ぐっ…………!!」


 頭に鋭い痛みが走った。ルガーは頭をかかえ、ふらふらとよろめく。

 その時だった。モンスターの死体に足を取られ、ルガーは地面に顔面から転んでしまった。

 転んだ先にはまたも馬糞があった。


「う、うああああああ………………!!」

 それは先程ルガーが蹴っとばした馬によるものだった。村を飛び出して、森の奥までやってきたのだった。

 ルガーはまたも馬糞に顔面から突っこんでしまう。

 恐ろしい悪臭が、ルガーの脳天を貫く。

 ついにルガーの記憶が復活する。

 アルヴィとの魔法対決で敗北した怒りとともに。


「お、ぶおええええ……!! あ、思いだした……おえええ!!! あ……アルヴィの野郎!!!! ぶええええ…………」

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