まるみの小説は、まるみらしく
私の本名は、ここでは公表していないが、私のここでの名前は、「まるみ」である。
なぜ、まるみかというと、丸いフォルムをしているからである。
私の祖母が、名付けの際になぜ、玉という字を使いたいと思ったか…。
そんなの本人しか分からないだろうが、私は思う、丸くて玉のような赤ちゃんだったからではないかと…。
それはさておき、私は現に小説だと思う物を書いて、小説投稿サイトに投稿している。
私が登録しているサイトは、一つではないが、それだけ人に読んで知ってもらえたらと思っていたからだ、しかし、私が書いている作品は、昔もそうだったのだが、あまり他の人に読んでもらえないのだ。
感想すら書かれない事なんてしょっちゅうである。
私は悩んだし、人気作品や、流行りものが書けるようになりたいと思った。
しかし、ここ最近、私の思考が動いた。
それは、このサイトに登録してから、ようやく気付いた。
私はずっと、夫から「どこに需要あるの?」と言われた。
このアイデアどう?と聞いて返ってきた答えがそれだった。
その言葉を言われても、最近まで「とある事」に気付かなかったのは、自分でも「素晴らしい才能の持ち主で、きっとすごいと思ってもらえる」と、信じていたからだった。
早く気付けば迷う事も無かっただろう、しかし私は真実に気付いた。
「私って、需要ある作品を作れない」
そう、そうなのだ、だから私は諦めた。
そして私は今、これで良いんだ、自分が書きたい物を書いてるのに、迷いが生じ、このままじゃダメだと勝手に思い込んでいた。
そうでは無い、裏側を見なくてはいけなかったのだ。
つねに「私は私」という信念を曲げないなら、そのまま突き進む、それが「私の正解」だと思えたのである。
それが自分で、それしか表現できないからだ。
自分の思考は「需要」という物が、言葉では理解できても、どこか理解できない部分があるらしい。
ならば、それでいいのだ。
だって、私らしく生きたい人間が、自由を求める人間が、「どこに需要があるの?」と、いつも聞かれる人間が、まともな物を作り出せるわけないじゃないか。
どこかで私は矛盾していた。
私だって自分の作品を読んでもらいたかった。
もちろん、誰からも読まれてないわけではない、別サイトで二つも感想がつき、面白いという感想だった。
そうやって、面白いと思ってくれた、読んでくれた人がいる。
ただ、大勢に注目を浴びる事が無かっただけだ。
私は私らしく、それで良いのだと気付いた、そして今は気持ちが楽になった。
書きたい物を私は書いている。
私はそれしか出来ないからだ。
それが、私の最大の個性であると、勝手に思っている。
私が表現したい世界は、常に私の中にある。
そう思える。
夫はつねに私を励ましてくれている。
「やれることを、してくれればいい、無理にやらなくて良い」
普段から夫はそう、私に言ってくれる、とてもありがたい言葉だが、私が書く小説でも、もしかしたらその言葉がヒントなのかも知れないと思えた。
「私が出来る範囲の事をする」
「出来ないことを無理にやらない」
私の小説も、つまりそう言う事なのだろう。
なので私は、どこに需要があるのか、分からない物を書き続けるのだろう。
そういう人生を生きる為に私はいる。
たぶん。
他人とは違う。
似ている所があっても、やっぱり違う。
なぜ?どうして?と他人と比べてしまう事は、どうしてもしてしまうので、比べた所で私を崩さず「まるみ」で生きていくしかない。
終わり。
自己紹介「まるみ」について まるみ @marumi-tama
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