まるみ 成人してからの自分

学生の頃の事を、ある程度引きずる所は、誰でもあると思う。

普段は忘れていても、ふと、思い出す事もある。

楽しかった事、嫌だった事など、実に様々で、内容も一つではない。

私だっていろんな事を思い出す。

嫌なエピソードばかりだが、それが自分の人生だったので、しょうがない事であると思う。

私はまだ子供だった時、分からない事だらけだった。

しかし、大人になった今、自分の中で変わった所が沢山ある気がする。

基本は変わらないのだが…。

まず、高校卒業後の自分は、ようやく自由を手に入れた気がした。

学校へ行く事が無いのが、とても嬉しかった。

お金を稼ぎ、私は自由に生きれるのだと思い始めたら、殻を破る事にした。

元々、人は苦手で、というか人が嫌いで、学校の同級生はほぼ敵だった。

だから、仲良くしたくなかった。

それでも学校は「仲良く」を押し付けてきた。

だから嫌いだった。

後は自分の声が嫌いで、喋りたくなかった。

しかし、自分は変わった。

学校へ行く事が無くなり、自分の声の事も気にしなくなった。

自分から動く事をしようと考え始めた。

コミュニケーションは苦手だが、とにかく少しでも明るく、普通の子のようになろうと思った。

もうクラスの子から、色々と言われることは無いからだ。

恐れが無くなった。

他人の目が気になっていたが、どうでも良くなった。

大人になったら、親にいちいち説明して了承を得なくても良くなったのが、自分の中でとても良い事だった。

「未成年」が終わったのは、大きかった。

私は、元々、漫画が好きだったが、絵を描くのは好きなのだが、上手く書けなかった。

それで、苦手だった小説へと目を向け、小説家になる事にした。

そこから小説を、自分が読みやすいと思う物から読み始めた。

私は働きながら、小説家になると目標を決めた。

本当は中学三年生の時、恩師に自分の意見を言いたかったが、母からも恩師からも「否定される」と思い、言えなかった。

それが今でも後悔として残っている。

優しい先生だった、親身になって考えてくれる先生だった為、ダメもとで先生には言っても良かったかも知れないが…。

先生は国語教師だった。国語は勉強が出来ない自分の中で、一番好きな教科だった。もう一度、あの先生から国語を習ったら、今度こそ真面目に出来たかも知れないのに…。

私が卒業した後、先生は中学の先生ではなく、小学校の先生になった。

私の心の中に、もしかして私のせいかな?と思う所もある。

中三の時の担任の先生は、私の中では恩師レベルの先生なのに…。

まぁ、そんなこと今更…とも思うが、話が進まないのでこの辺にしておこう。

とにかく、私はずっと、夢を抱き続けている。

二十代初期の頃、小説を書いていたが、どれもダメだった。

諦める事にした。

私はその後、東京に行って芸能人と結婚しようと思った。

いつの間にか自分は23歳になっていた。

東京に行って、でも、お母さんが許してくれないかも知れないという葛藤が生まれた。

しかし私は「そうだ、東京に行く事実を作れば良いのだ、専門学校へ行こう」と考えた。

結果、合格して東京の専門学校へ通う事となった。

お母さんも合格通知を見て、「まるみの好きなようにしなさい」と言ってくれたのである。

お金は自分で何とかすると言った為、働きながら通う事となった。

その学校は三ヵ月で辞めた為、お金だけが無駄になった。

しかし、自分の妹でもおかしくないような年齢の子と友達になれた。

お母さんも説得出来たことは、大きかった。

私はまた、一つ山を乗り越えたのだ。

芸能人とは結婚出来なかった。

出会う事すら無理だったが、今から考えると、それで良かったのだと思う。

結局、26歳で親元を離れ、今現在結婚し、のほほんと専業主婦をしているが、私は重要な情報を書き込んでいない。

それは…高校卒業した後まで遡る。

私は、箱根や小田原辺りで、ホテルの清掃員をしていたが、実は長く続かず、辞めては一年くらい無職期間を設けたりしていた。

つまり、仕事は上手く行かない人間である。

転々と会社を変えたが、業種は相変わらずホテルの清掃員だった。

工場の仕事はもっと無理だった。

その業種が、私が働くには丁度良かったのだ。

最後は工場の派遣アルバイトだったが、とにかく私は、面接も上手く行かず、働く場所が無かった。

もちろん能力もなく、つねに一緒に働くおばちゃんに迷惑ばかりかけて、それが嫌だった。

仕事が出来ない自分もストレスだった。

とにかくストレスだらけだった。

占いが好きで、本を買ったり、ネットが使えるようになってから、ネットから「占い」を検索して占った。

いつも結果は「一般企業で働くには向いてない、技術職などが良い」と書いてある。

その結果に私は「諦め」を見出した。

そう、働かない精神である。

過呼吸とは判断されていないが、そのような症状では?と言われることが多々あった。

とくに25歳から27歳までは、その症状が、仕事中に頻繁に起こり、仕事どころではなかった。

それも嫌だったのだ。

結果、私が26歳から、お付き合いしている男性に、生活面で援助してもらう事になり、27歳の頃、同棲することになった。

そして私は働くのを辞めた。

批判を受けそうだが、私は私の心の為にそうする事にした。

「仕事は今はお休み」と勝手に思い込んでいる。

理解ある人と巡り合えた事が、私の人生の転機…いや、全ては夫と出会う為に私は地元を離れたのだと思う、それ以外の理由もあるのだが、今思えば、そういう事だったのだろうと思う。

そして、その26歳が私の本当の転機だったのだ。

夫は「やれることをやってくれればいい、働きたかったら働いても良い」と言ってくれている。

私はもう、無理して働こうとは思わない。

私は自分に甘く、辛い事は嫌だからだ。

もう、そんな経験はしたくない。

占いは当たるも八卦、当たらぬも八卦という言葉があるが、当たらないと思う事は多々ある。

しかし、ここまで一般企業で働けないのだとしたら、それは占いが当たっているからだろう。

私は、技術は持っていない。

高校の頃、専門学校に行っても手に職は付かなかったと説明したが、そのまま、私は技術者にはならずに生きている。

興味が無い。

そういう理由もあるのだが、頭が良くないというのもある。

成績は下の位置にいる人間だからである。

そして、私は頑固らしい、自分では良く分からないが…。

欲望のままに生きる所が、多少なりとあるらしい、他人から何か言われたら、傷ついて終わりである。

嫌だなーと思うだけである、傷ついて立ち直れない性格なら、私は中学の時、「ソフト麺が食べたい」だけで給食まで残らず、さっさと帰るだろう。

「ソフト麺を食べてから帰る」は、私の欲望そのままだからな。

そんなこんなで、のんびりと私は私らしく生きている。

私は自我が強いのかも知れない。

他人に流される所もあるだろうが、嫌いな人に何かを言われても、嫌な気分になって、傷ついたとしても、私はたぶん、私を崩さない気がする。

というより、嫌いな人の思い通りに私が動かなきゃいけないのは、嫌だから私は言う事を聞かないだけである。

自分大好きだからな。

続く






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