自己紹介「まるみ」について
まるみ
まるみのプロフィールと学生の頃の自分
1984年(昭和59年)3月13日15時54分
福島県喜多方市の病院にて3550gの女の子の赤ちゃんとして産まれ、私の人生は始まった。
この時から、父、母、兄、私の四人家族となった。
名前は父方の祖母が名付けてくれた。
本名は「まるみ」ではないが、「まるみ」といったニュアンスの名前を付けられそうになったが、母が拒否したため、二文字の名前になった。
(ちなみに、玉という漢字が付けられそうになった、例えば「玉子」などのような名前である。ひらがなや違う漢字だったのならまだ良いのかも知れないが…)
名前に関しては、特に由来はないようだが、私はその本名である名前を、とても気に入っている。
私が産まれた場所は、母が里帰り出産を望んだ為、福島県であるが、両親と兄弟が住む家は神奈川県である。
父が母と兄と私を迎えに来てくれ、家族と帰宅した私は、神奈川県小田原市近隣の市で過ごし、私が26歳の時その土地を離れた。
私は、両親に溺愛され生きてきた。
兄とは途中から仲が悪くなってしまったが、兄は兄で私をちゃんと可愛がってくれていたらしい、赤ちゃんから幼稚園生頃まで、私は兄と一緒に写真に写る事が多かった。
家族間は問題が多少、生じる事はあっても、ごく普通の家庭だったと思う。
私の幼少期から大人になるまでは「大人しい子」という人生だった。
母に甘える事が多く、幼稚園や学校に通う事を苦痛と感じていた。
登校拒否をしたこともあった。
何を聞き間違えたのか、母親が「まるみのように、学校行かない事を『登校拒否』って言うんだってさ」と言われ、「登校拒否」が「東京珈琲」に聞こえ、”東京にはそんな名前の美味しいコーヒーがあるか”と考えていたが。
…私は、聞き間違いをよくするタイプである、それで間違えただけである。
その当時は初めて男の先生で戸惑い、そして相性が悪かったのかもしれない、その当時はただ、先生が嫌いなだけだったが、それはハッキリと親に言えなかった。
しかし、私が拒否したという事は、何か相性が悪いという事に関し、感が働いていたのかも知れない。
小学校三年生の出来事だったので、よく分からないまま、否定していた。
中学の時も、イタ電が来たが、小学校三年生の時、母親に「休んで良い」と言われ、よし、テレビ見るぞ!と思っていた矢先、働きに行った母親が、働きに行かず、先生とクラスの子が家に来て、私に説得し始めた事があった。
それが怖くて、トラウマになった結果、登校拒否を止めた。
そんな事が頭にあり、またあの時みたいに、お母さん怒らせたら、ああなる…と思った私は、イタ電の内容は「学校来るな」だったが、翌日、保健室登校で、登校時間をずらすといった形で行く事になった。
イタ電が来て直ぐ、私は家族に伝え、迷いと恐怖の中、トラウマを思い出し、「明日、学校へ行く」と言い、母が学校に連絡した結果、学校側が「保健室などの処置」を取ってくれたり、仲が悪かった兄からも「気にすんな」と言われた。
その瞬間、泣きそうになった、いや、その時ようやく泣けたのかも知れない。
泣き虫だった自分は、そんなイタ電を受けても、それまで泣かなかった。
普段、ケンカばかりの兄からの優しさに、嬉しかった思いもあった気がする。
家族からは本当に支えてもらえて良かったと思っている。
ちなみにそのイタ電が来た瞬間は犯人が誰だか分からなかったが、犯人が何食わぬ顔で保健室に現れて、私をバカにする事を言った為、こいつが犯人だと気付いた。
そいつは家庭環境が悪く、そしてデブスで性格が悪く、皆から嫌われていて、女と表現したくないようなブス豚だった。
まぁ、だからそんな事をしていたのだろう。
あいつの仲間は年下の意地悪そうな顔のブスだった。
同じ学年の子からは、嫌われていたから、下っ端に一学年下の奴を選んだのだろうか?今ならなんか、そんな気がする。
そんなイタ電から心を痛めた私は、自分の教室へ戻るのに、一週間かかった。
徐々に慣らす感じで…と言われていた為、そうしていたが、私は給食の「ソフト麺」が大好きで、その日はどうしてもソフト麺が食べたいと思った。勇気を振り絞り、先生に一生懸命「今日は、給食までいます」と伝えた。
普段、先生に対して自分の意見を言えなかった子だったのにだ、ただ「ソフト麺が食べたい」という一心だけで、勇気が出せたのだ。
そして、給食を食べて帰宅した日以来、保健室にいても暇だったので、戻る事にした。
今思えば、あまり痛手を負わなかったのかもしれない。
傷ついたがその瞬間や、翌日は怖かったが、犯人に気付いて(あぁ、こいつか)と、気付いた瞬間、恐怖は無くなった気がする。
私はそいつより、お母さんと登校拒否のトラウマの方が怖いのである。
両親や兄弟に守られていたからとも思える。
そして、私は、欲望に左右されがちなだけだ。
給食のソフト麺をどうしても食べたいという気持ちは、私には是が非でも叶えたい思いだったのだ。
そんなこんなで、色々あったが、新しい仲間と出会ったりして、ちょびっとだけ学校が好きになった。
高校生の時は、中学の恩師に進められるまま、進学したが、ここでは小学校や中学校の時より、穏やかではあったが、人間関係は上手く行かなかった。
学校はちゃんと通っていたが、専門学校だったのが良かったのかも知れない。
恩師の言葉として、「女の子だから手に職を付けた方が良いと思いまして…」と言われて進んだ道だったが、手に職は付かなかった。
それでもちゃんと卒業は出来たので、良かったのではないかと思う。
続く
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