両思い
湖のほとりにある、こじんまりとしたカフェ。
街中だと埋もれてしまうようなこのカフェも、自然に囲まれるロケーションがカフェの魅力を乙なものにしていた。
この店に来る客のほとんどは大きな撮影機材を背負ってやってくる。
彼らの目的は、湖の深い青と深緑の山々とが織りなす、素晴らしい自然のコントラストをカメラのファインダーに収めようとしている。
わけではない。
この湖には、古くから恐竜伝説があった。誰も見たことがなく、誰も信じない伝説だ。
ある日、カフェの女店主が恐竜の写真を撮ったと話題になった。
ピントの合っていない不鮮明な写真だが、確かにそこには首の長い恐竜のシルエットが写っていた。
そんなミステリアスな雰囲気に感化されて、カメラマンたちはこぞって湖へ訪れ撮影に励んだ。
賑わう店内を見渡して、店主のヤマシタはため息をつきたくなる。
ヤマシタは以前の静かな店内が好きだった。
たまに来るお客さんと自然の美しさについて談笑していると、ふと聞こえてくる鳥の囀りが好きだった。
けれど、静かな店内、という状況は営業としては良くない。そんな自分の好みと利益との矛盾がヤマシタを悩ませた。
賑わう店内を見て落ち込む店主、という倒錯した自分の感情におかしくなる。
「お待たせしました。サンドイッチです。」
機材の準備をしている男にサンドイッチを持っていく。彼はヤマシタに一瞥もくれずにカメラ片手にサンドイッチを頬張った。
そんな態度にまたため息をつきたくなるが、ここにくるカメラマンはみんなこうなので、いちいち律儀にため息なんてついていられない。
彼らはヤマシタが丹精込めて作った料理をまるでファストフードのように掻き込むのだ。
求めるのは手軽さ。だから大抵の客はサンドイッチを頼む。
メニューには様々な料理が載っているが、最近では作り方を忘れていないかと心配になる。
客と談笑なんてできないし、したくもなかった。口を開けば恐竜の話を聞いてくる彼らとは気が合いそうにない。
この素晴らしい自然には目もくれず、彼らは湖を撮り続ける。
昼過ぎになるとカメラマンたちはみなでかけ、店内は空いてくる。2時ごろ。ヤマシタは時計を見つめていた。
そろそろかな、と待っていると一人の男が店に入ってきた。
「こんにちはー。」
「いらっしゃい、ホテイさん。」ヤマシタは明るく迎え入れた。
「コーヒーを、ブラックで。あとグラタン。」
「はーい。いつものですね。」
彼はこの店に来てから必ずブッラクコーヒーとグラタンを頼む。
2時に来ることがわかっているので彼が来る前に準備はできるが、それをしないのは作っている時間に彼と話すためだった。
ホテイも恐竜を撮影しようとするカメラマンの一人だが、他と違うのは彼がこの湖の自然を愛していることだった。
それに彼はヤマシタの料理を気に入ってくれる。彼だけが、おいしい、と言ってくれて、ごちそうさま、と言ってくれる。
そんなことがヤマシタはとても嬉しく、そしてホテイに惹かれていっった。
「じゃあ、行ってくるよー。今日こそは撮りたいなあ。」
「気をつけて。頑張ってくださいね。」
笑顔を向けて出て行くホテイとは対照的にヤマシタの顔は暗かった。
恐竜の写真はヤマシタがパソコンで作った偽物なのだ。
幼い頃から、湖のほとりでカフェを開くのがヤマシタの夢だった。
一念発起で経営を始めたカフェだったが、観光の名所でもない湖に来る客は少なく、経営は苦しかった。
そんな中で湖の恐竜伝説を知り、軽い気持ちで写真を作ると思わぬブームになってしまった。
嘘でした、なんて言い出せる雰囲気ではなくなったが、それでもいいとヤマシタは思っていた。生きて行くために仕方がないことだと。
しかし、ホテイに惹かれていくうちに、彼に嘘をついていることに心が痛んだ。
自分のついた嘘を信じて、ホテイは毎日湖に出かけ、恐竜を撮ろうと頑張っている。
初めは打ち明けようとも思ったが、彼に嫌われるのではという不安がそれを拒んだ。
いまは彼が恐竜を撮れるようにと願うことしかできない。
この湖の恐竜伝説が本当なら、本当に恐竜が現れてくれれば、ホテイが自分の嘘に翻弄されることはなくなり、彼の努力は報われる。
彼に自分の思いを伝える資格なんてないのだ。ヤマシタはそう思い、今日も湖に向かって祈る。
「どうか現れますように。」
ホテイは今日も湖を訪れた。
いつきてもこの湖は素晴らしい。何か目を引くような自然の産物があるわけではない。
言ってしまえば、ただの湖とただの森なのだが、そのありのままの自然が心地よく自分を包み込んでくれる。
初めは恐竜目的で訪れていたが、だんだんと目的は湖へと変わっていった。
しかし、目的はまたも変わろうとしていた。ホテイは湖のカフェを経営する店主に恋をした。
湖の自然を愛する彼女との話は楽しく、またその話をするときの彼女の笑顔が好きだった。
今にも彼女に思いを伝えたかったが、ただの常連客でしかない自分に告白されても迷惑だろうと考えていた。
まだ時間をかけて彼女と仲良くならなければいけない。のだが時間はなさそうだった。
彼女はこの前悲しそうな顔をしていっていた。
「このブームが終わったら、お店をやめようかなって。」
理由を聞くと、冗談よ。といってヤマシタは笑った。
あの悲しそうな顔からして、とても冗談だとは思えない。ホテイは確信していた。
自分には言えない悩みがあるんだと。
それを聞き出すまでは、ブームが終わってしまう訳にはいかない。
だから今日もホテイは願う。
「どうか現れませんように。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます