何度目かのバレンタイン

釧路太郎

第1話 何度目かのバレンタイン

 バレンタインデーになると毎年決まって非通知で着信がある。

 仕事の関係上、非通知拒否をすることも出来ないし、番号を変えて顧客全てに報告することもほぼ不可能だと思う。俺のそんな事情を知ってか知らずか、毎年決まってバレンタインデーの夜に非通知で着信があるのだ。

 非通知だからと言って出ないわけにもいかないので出てみると、相手の息遣いだけが聞こえてくる。何とも不気味ではあるのだけれど、こんなことが五年も続いた時から不思議と慣れてしまっていた。

 電話の向こうの相手は何も話してこないのだ。俺は相手が何か言うのではないかと期待して待っているのだけれど、無言電話は一分くらいで終了していた。


 今年のバレンタインデーも無言電話なんだろうなと思っていたのだけれど、今年はバレンタインデーの前日に非通知で着信があったのだ。俺は担当している顧客かもしれないと思って電話に出てみると、七年目にして初めてバレンタインデーに無言電話をしてくる相手の声を聞くことになった。


「本当にごめんなさい」

「何を謝っているのかわからないけれど、君が毎年この時期に無言電話をしていた人で良いのかな?」

「ごめんなさい。去年もその前もずっとずっと喋ろうとはしていたんですけど、どうしても言葉が出てきませんでした。ごめんなさい」

 声の感じからすると、それほど若くはないが年も取っていないように思えた。この電話の女が俺に毎年無言電話をしていたとしたらそうだろうとは思ったけれど、俺は心のどこかで違う人の声を想像していたのかもしれない。

「あの、私の事はわかりますか?」

「いや、全然わからないね。君が誰なのか、どこに住んでいるのか、何をしている人なのか、さっぱりわからないよ」

「そうですよね。直接お話したことも無いですし、ずっと気になっていたんですよ」

「俺と話をしたことが無いけど気になっていたの?」

「はい、1つ質問なんですけどいいですか?」

「いや、良くないね。まずは君の事を俺は何も知らないってことを理解してもらえるかな。そんな何も知らない相手の質問なんて答えられないと思うんだけど、君はいったい誰なんだ?」

「私の名前は新垣結衣です。芸能人をやっています」

「君は正直に答えるつもりは無いのかな?」

「ごめんなさい。今は名乗ることが出来ないんです。でも、明日のバレンタインには直接お会いできると思うのですが」

「君は自分が何を言っているのかわかっているのかな。俺が君に会う理由なんて何もないと思うんだけど」

「それなら理由はちゃんとあると思いますよ。だって、これを聞いたらあなたは私に会いたくなると思うんですけど、それでも言っていいですか?」

「俺が名前も顔も知らない相手に会いたいと思うわけがないだろう。君はいったい何を言いたいのか俺には理解できないよ」

「あなたの元奥さんの話なんですけど、聞きたいと思わないですか?」

「俺の妻がどうしたって言うんだ。一体何を知っているというんだ?」

「あなたの元奥さんなんですけど、ひき逃げ事故にあったらしいですね」

「俺の妻がお前と何の関係があるというんだ」

「私、あなたの元奥さんがひかれた場所の近くにいたんですよ。それをずっと言い出せなくてごめんなさい。本当はもっと早くに言えたらよかったんですけど、どうしても言葉が出なかったんですよね。あなたのつらい気持ちはわかりますけど、私もつらかったんですよ。でもね、今日はちゃんとあなたに言おうと思ってました」

「なんで今日言おうと思ったんだ?」

「今日であの事件が発生してちょうど七年目ですよね。私は警察という人種がどうも好きになれなかったので、捜査にも協力出来なかったんですよ。本来なら目撃者である私がちゃんと証言していれば未解決事件になって迷宮入りすることも無かったと思うんですが、その点は私も反省しています。ですが、事件も時効で捜査も打ち切りになるみたいですし、事件も一区切りついたわけですから、元奥さんの事は忘れて私とお食事でもどうですか?」

「いや、君が誰かわからないのに会いに行くほど俺は若くないんでね。君が俺の妻とどういった関係なのかもわからないし、何を目撃したのかも全く想像がつかないからね」

「あんまり電話で言う内容でもないと思うんですが、ちょっとだけ教えますね。続きが聞きたくなったら私に会ってくださいね。あの日はちょうどバレンタインデーだったと思うんですが、あなたの元奥さんがひかた現場の近くにいて、逃走する車を見てしまったんです。それだけですよ」

「あの日は雪が凄かったと記憶しているんだけど、そんな状況で逃走車を目撃していたっていうのか?」

「ええ、私はちょうどそこを通りかかったのですが、雪もひどかったのでそのまま家に帰ろうとしている時に、あなたの元奥さんの悲鳴と衝突音を聞いたんですよね。雪が酷かったせいなのかわかりませんが、誰もあの辺の人は気付いていなかったみたいですね。発見されたのがそれから三時間後の雪がやや弱まって除雪が入った頃でしたもんね。私がちゃんと通報していれば元奥さんは冷たい雪の中に埋もれていなかったかもしれませんよね」

「本当に相手の車は見たのか?」

「雪が酷かったんでちゃんとは見てませんでしたが、大きな外車だったと思いますよ。四駆なのかわかりませんが、スリップもせずに猛スピードでいなくなってましたね。スリップしていたとしても、あの道路はすぐに除雪が入って痕跡も消えていたんでしょうがね。それにしても、偶然とは言えあんなに雪が強い日だったのは不幸な出来事ですよね。ニュースでは雪の影響で監視カメラにも駐車場の様子はほとんど映っていなかったみたいですし、付近のカメラを確認しても不審な車も見当たらなかったそうですからね」

「駐車場から出て言った車は外車で間違いないのかな?」

「さあ、私は車に詳しくないのでそう思っただけですし、大きい車だったから外車なのかなって思っただけですよ。そんなに拘るところですか?」

「今まで有力な目撃証言が何もなかったので確認したかっただけです。ただ、それだけの情報じゃやっぱり俺は君に会おうとは思わないな」

「次の日のニュースで事故の事を知って被害者の方が亡くなったって知ってショックだったんですよ。私があの時に聞いた悲鳴がそんな重大な事故だったって初めて知りましたからね。私がすぐに救助に行っていれば助かったかもしれないけど、あの雪の中では私も遭難してしまう恐れがありましたからね。そこは申し訳ないと思っているんですが、仕方ない話ですよ」

「一つ確認したいことがあるんだけど、君はその時どんな車に乗っていたのかな?」

「私は普通の国産車ですよ。よく見かける車だと思いますけど、それがどうかしたんですか?」

「いや、あの雪の中で遭難するかもしれないってことは軽自動車なのかなって思って聞いてみただけです」

「あの雪だったら軽でも軽じゃなくても危険だったと思いますよ。今にして思えば、ニュースを見てから私が悲鳴を聞いたと思い込んでいただけかもしれませんからね。でも、大きい車が走り去ったのは間違いないです」

「君の話が本当だとして、事故のすぐ後に君が助けてくれていたら助かったかもしれないとは思うけれど、当時の雪の状況を考えるとそんな風に言葉で簡単に言えるようなことでもないんだよね。でも、せめて匿名で通報してくれていれば今のような状況になっていなかったかもしれないと俺は考えてしまうよ」

「済んでしまったことは仕方ないですし、気持ちを切り替えて前向きに生きた方がいいと思いますよ。きっとあなたの元奥さんもひき逃げの時効と一緒に成仏してるんじゃないですかね」

「俺の妻が天国へ旅立ったかどうかはわからないけれど、気持ちを切り替えるなんて出来ないよ。君はそういった事も理解できないのかな?」

「今はそう思っているだけかもしれないですよ。あなたの元奥さんも事故も終わってしまったことになるんですし、生きているあなたは前向きに進むべきだと思います。いつまでも立ち止まっていないで、前向きに進みましょうよ」

「ごめん、これ以上君と話すことは何もないよ。君は何も知らないみたいだし、ちょっとでも期待した俺がバカだったみたいだ」

「そんなことないです。私はきっとあなたに相応しい人だと思いますし、怖い事なんて何も無いんですから会ってください。せめて、私の気持ちだけでも受け取っていただけないでしょうか?」

「気持ちを受け取るってどういうことなのかな?」

「あなたが今も以前と変わらない家に住んでいるんでしたら、明日の昼前にチョコレートが届くと思いますので受け取ってくださいね。私からの気持ちですから」


 翌日、俺は妻の命日ということもあって会社を休んでいたのだが、電話の女が言っていた通りにチョコレートが届いたようだ。

 配達員から荷物を受け取った俺は送り主の欄を確認すると、そこには亡き妻の名前と実家の住所が記載されていた。

 俺はその箱を開けずに警察に持ち込むと、お世話になっている刑事さんに事情を説明して箱を預けることにした。


 翌年、バレンタインデーに非通知の着信が入ることは無かった。

 俺に電話をかけてきていた女はひき逃げの罪ではなく殺人罪で起訴されていたのだった。

 逮捕された後の自供で明白な殺意が認定されての事だった。

 ちなみに、彼女は何かを勘違いしているようだったが、ひき逃げの時効も七年ではなく十五年となっているはずだった。


 事件のあらましはこうだ。

 あの日、雪が強くなっていたため俺の妻は職場から離れた場所にある駐車場まで向かうことも諦めてタクシーを捕まえようとしていたのだが、あいにくの悪天候のためかタクシーが捕まらず途方に暮れていたそうだ。

 雪が強くなることは天気予報で知っていたのだが、俺の妻はどうしても終わらせないといけない仕事があったため残業していたそうなのだ。この時点で他に残っていた同僚は誰もいなかったそうだ。この事は俺宛にメールが着ていたので間違いない事だと思う。

 その後、俺の妻はあの女が駐車場まで車で送ってくれることになったそうだが、女の話では車から降りた妻をそのままはねたそうだ。

 その理由はとても身勝手なもので、自分よりもスタイルも顔も劣る女が高給取りでイケメンの旦那を持っているという嫉妬からだったらしい。

 確かに、俺の妻はモデルのような見た目ではないけれど、それを補って余りあるくらいの愛嬌と料理センスがあるのだ。俺は今でも妻以上に素晴らしい女性を見たことがない。それは見た目だけ良くても中身が悪ければ何の魅力も無いというものだ。

 俺の妻は醜い獣に殺されてしまったのだ。


 俺は妻の遺影を抱えて裁判を傍聴することになった。

 初めて妻を殺した相手を直接見ることになったのだけれど、確かに見た目だけならかなう人は少ないのではないかと思った。ただ、見た目だけの話なのだが。

 俺の抱える遺影を見た女は舌打ちをしているように見えたのだけれど、俺と目が合うとその表情は笑顔に変わっていた。

 世間では美人過ぎる容疑者として話題になっているようだったが、それも仕方ないのだろうという見た目はしていると思う。でも、殺人犯にそんな形容詞は必要ないだろう。

 裁判が始まっても彼女は検察の言うことを何も否定しないし、弁護士もそれは変わらなかった。このまま殺人罪が適用されるのだろうと俺は思っていた。


「最後に、被告人は何か申し入れることはありませんか?」

「はい、もうこんな機会はないと思うので言わせていただきますが、私には心から好きになった相手が出来たことはありませんでした。私の事を見た目だけで判断するような男ばかりだったので、それはとても不快な事でした。弁護士の先生からワイドショーでの私の取り上げられ方を聞いていましたが、それも虫唾が走るようなことばかりでした。でも、毎年バレンタインデーに電話をしていた一郎さんだけは違いました。顔も見ていない私に最後まで付き合ってくれていました。私が電話を切るまでずっと相手をしてくれていました。私は何も伝えることは出来なかったのですが、その時間が増えれば増えるほど私の中に不思議な気持ちが、不思議な感情が芽生えていきました。これが本当の愛なのかなって思っているのですが、この気持ちは受け取ってもらえますか?」


 そう言って女は振り向くと、柵を超えて俺のもとへと来ようとしていた。

 すぐに警備員に取り押さえられていたので何ともなかったのだが、俺を見る目は完全におかしい人間の目だったと思う。

 俺はどういうわけか、その表情が頭にこびりついて離れなくなってしまっていた。目を閉じるとあの醜く歪んでいるのに綺麗な顔が浮かんで離れない。

 

 そして、俺は彼女に有罪が確定してから七回目のバレンタインデーを迎えることになった。

 もちろん、彼女が捕まってから一度も無言電話は来ていないのだけれど、その代わりに俺が彼女の面会に毎年行くようになっていた。もちろん、面会に行ったところで話すことが無いので時間いっぱい無言で過ごしている。


 彼女が出所してくるまであと三年。


 俺は良き旦那として彼女を迎え入れる準備をしておこうと思う。

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