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その夜、夢を見た。宇宙空間に、YAMAHAのグランドピアノが浮かんでいて、そこに狐先輩がゆらゆらと漂っていく。同じように漂っていたピアノ椅子に腰掛け、狐先輩はふらりと、演奏を始めた。
最初、なんの曲かわからなかった。パーカッシブで極端に強弱のつけられた独特のフレーズが、次第にメロディとして形を見せ始める。特徴的な、何度も弾いたコード進行が、浮かび上がってくる。Autumn leaves。テーマはいびつに変形されて、左手は岩でも削っているかのように重く尖った和音を刻む。とにかくそれは、あいも変わらず、非ピアノ的で、そのくせやっぱり、妙に私の体液を揺らした。サックス吹きのイルカさんからは「ピアノでアイラーをやってやるんだ」なんて言っていた、と聞いたけれど、それはアイラーともモンクともドルフィーとも違う、やっぱり狐先輩としか言いようのない世界の刻み方だ。狐先輩からみた私はたぶん、少し背が低く少し目付きの悪い、痩せっぽちで手足ばかり細長い男だ、と思う。あるいは取り立てて特徴のない丸顔で髪の短い女かもしれない。あるいはアルビノレッドの大蛇かもしれない。狐先輩のAutumn leavesはテーマを通り過ぎ、拍感覚どころか拍子感覚までがひどくいびつなアドリブを奏でている。それがとても心地よくて、同時にその世界に混じれない私がひどく寂しくなってくる。ギターがあればいいのに、と思う。私は私の手のひらを、ギターの弦を抑える左手を探したけれど、そこには空白しかなかった。やっぱり私は手足のない蛇なのかもしれない。ならばせめて、私の存在そのものが狐先輩とのセッションの一部になればいいと思う。たとえ世界のすべてが滅んでいるにしても、私だけが幽霊としてここに残されているのだとしても、今こうして宇宙空間にあるはずのない、垂れ目でちょっと虚弱そうな印象のあるノッポの男が奏でるいびつな振動に全身揺らされている感性に、せめて意味を持たせてやりたいと願う。
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