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二段ベッドの上段、夢うつつで、布団の中に潜り丸まり、狐先輩からみた私のことを考える。狐先輩からみた私はたぶん、少し背が低く少し目付きの悪い、痩せっぽちで手足ばかり細長い男だ、と思う。少なくとも私のイメージする私の姿はそれだ。少なくとも生前はそうだった、と思うが、実際のところはわからない。死んでから自分の姿を見ていない。幽霊は、鏡に映らないのだという。私は、風呂に浸かることはできても、水面に顔は映らない。鏡にも何も映らない。人外向けの鏡、というものも、存在しないらしい。それか、あっても狐先輩が隠しているか。私は今の私の姿を推し量ることができない。もしかしたら私は女かもしれない。狐先輩が私を呼ぶ名の通りに、蛇なのかもしれない。私が自分の手のひらで私自身に触れる、この姿も、私がそうあってほしいと無意識で願っているからこそ、そのような姿の感触が得られているだけなのかもしれない。世界は受け取り手によっていくらでも姿を変える。狐先輩の妖術を横で見ていてもそう思うし、生きていたときからしてすでに、両親の見ている世界と私の見ている世界は別のものだと知っていた。また、里から見ている山と、実際にその場に立って見る山は全く異質なものだし、過去に見ていた世界と今思い返す過去は全く異質な、それぞれの世界だということも知っている。道のない場所を歩く方法を知ってしまってからは、どこにだって行けてしまうのだ。
死んでから、私以外の幽霊に出会ったことはない。狐先輩以外の人外には、何人か出会った。生きている人間と意思の疎通ができたことはない。
時折思う。本当は私は生きていて、周りの世界すべてが幽霊なのではないか。なにかのきっかけで世界のすべてが滅んでしまって、今泊まっているドミトリーや、せわしなく行き交う街の人々、信号機、走る自動車やなんかはみんな「世界の幽霊」で、本当は私がただ一人の生き残りなんじゃないか。狐先輩は私を見つけてくれて、あちこちへ連れ回してくれる。「君を殺したやつを探そうと思って」という言葉の真意も、わからない。けれど、私にとっては本当にどうでも良かった。私にとっては狐先輩自身が、読んでもページが尽きない無限の書物のようなものだ。世界が終わっていようが、私が終わっていようが、やっぱり今考えても、どうでもいいかな、と思う。
山のことを考える。山は変わらない。特にこの島は、どこにでも杉を植えたがる和人が本格的に進出してきたのが遅かったこともあって、太古からの植生が残っているところが多い。私が狐先輩と一緒に山や森の道なき道を歩く時の風景は、きっと五百年前の人々が同じように歩いたそれと連続している。この島は百五十年ほど前までは文字文化を持たない民族の土地だったため、詳細のわからない歴史や異物も多い。たとえば昨夏登った浜益町の黄金山は、アイヌ語では「タイルベシ」と呼ばれるが、その意味は今では不明。記録にある限り明治の頃にはすでに山頂に風化して年代不明の祠があったらしいが、誰がどういう経緯で立てたかはやはり不明らしい。ただ、そういう「意味はわからないが昔からある」というものには余計に、過去との連続性を感じる。だからこそ、山を歩くのが好きなのかもしれない。足元の雪の感触、空の色、乾いた木々と水と氷の交じる匂い、日差しに汗ばむ背中、そういうあれこれは理由もなく過去から連続し、未来へと続く。肉体的、感覚的、直感的、精霊的だ。だからこそ狐先輩は山を巡っているのかもしれないな、と思う。幽霊の私、もしくはこの世界に唯一人生き残った私は、私がここに存在しているかもわからないのに、私の意識が空気や、土地や、雪の感触を受け取るということだけを寄る辺にして過去と未来をつなぐ存在になれたら良い、と思う。たとえ本当の世界は全て滅びていて、本当の私は地球が消えたあとの暗い空白をさまようだけの塵なのだとしても、その感覚、実感を、私だけが感じていれば、それで良いような気がした。
狐先輩は何を考えているんだろう。
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