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 寒い冬だ、雪の多い冬だ、と、何度聞いたことだろう。その冬の私は狐先輩と二人、この島で一番人口密度の低いあたり(一平方キロメートルあたり二人程度だそうだ)にある里山を巡りながら、放浪していた。狐先輩は、正確な年齢は何度訊いても教えてくれないものの、おそらく二百年近くは生きている狐で、今は棒きれみたいに細長い人間の男の姿をしている。いや、実際には男ではないのかもしれないが、少なくとも今の外見上は、垂れ目でちょっと虚弱そうな印象のあるノッポの男に見えた。そのくせ時折黄金色の毛並みやピンと突き立つひげ、挙動不審にひくひく突き立つ両耳が、だぶって見えたりもするのだ。私はといえば、自分が死んだことにも気づかないままに大学構内をふらふらしていたところ、狐先輩に拾われた身だ。拾われた、というと語弊があるかもしれないが、あの日狐先輩に出会わなければ、私は永遠に近い時の中を、ただぼんやりとあの大学敷地内でふらふらしていたに違いない。

 狐先輩が言うには、私は殺されたらしい。部屋のドアノブで首を吊っていて、捜査の結果事件性はなく、自殺、ということで話はついた、とのことだ。普通は殺されて現世に残った霊は、その理由を追い求めるものだそうだ。けれどあの日狐先輩にそう教わった私は、そんなことには一向に興味が湧かなかった。私はむしろ、狐先輩自身に興味が湧いた。

 狐先輩のことはもともと知っていた。一浪して入った大学で私はとにかくギターを弾きたくて、音楽をやりたくて、そのくせ高校時代のいざこざのせいで素直に軽音楽サークルに入る気にはなれず、何かの糧になればいいやと大してジャズに興味もないのにジャズ研究会に入った。そこで狐先輩は有名人だった。

「去年自殺したピアノの先輩がいる」

 それが狐先輩を知った最初だった。

 入部してしばらくして、別の先輩の家で、初めての一ノ蔵を飲みながら前の年のライブ動画を見た。みんなからイルカさん、と呼ばれていたその先輩はアルトサクソニストで、前の年には狐先輩とバンドを組んでいた。狐先輩が画面に写った瞬間、その先輩が気まずそうな表情をしたのを見た。私は動画を止められてしまわないように、あえてパソコンの正面に陣取った。それほどまでに、狐先輩の音は独特だった。

 一般に、ピアノというのは和声表現の幅はすべての楽器の中で随一と言えるほど幅広い反面、音そのもの、「一音」の表現力においては管楽器には遠く及ばない、そんな楽器だ。それでいて私は、そのとき聴いたIn walked budのテーマ、アルトサックスのメロディーに対するピアノのカウンターライン、その一音目からして、惹きつけられた。調律が狂っているわけでもないのに、それはひどくいびつな響きに聴こえた。和音の使い方なのか、はたまた独特なグルーブ感のせいか、はたまたパーカッシブに極端な強弱の付け方のせいか、とにかくそれは、非ピアノ的で、妙に私の体液を揺らした。ピアノソロは更に壮絶にいびつで、うまいのか下手なのかすらよくわからなかった。ただ、ひたすらに、好きだな、と思えた。イルカさんが、言い訳みたいに呟く。

「まあ、変わったやつだったよ。ピアノでアイラーをやってやるんだ、なんて言ってさあ」

 その変わったやつと一緒に冬山を巡っている私は何なんだろう。

 その日私は垂れ目でちょっと虚弱そうな印象のあるノッポの男と一緒に、この国の北の島北部、一番人口密度の低いあたりにある、南浅羽山に登っていた。不思議なことに、幽霊には幽霊なりのルールがあるらしく、ないものを手に入れることはできないし、深雪では普通に足を取られた。そういう異界や冬山のルールも全部狐先輩が教えてくれて、異界の住人御用達の山道具屋で、冬山用のスキーやら靴やらウェアやらを揃えてくれた。オンボロのジムニーを幌加内トンネル脇の駐車帯に止め、スキーにシールを貼り、登る。どうしてそんなことをしているのかと言われても、うまく答えられなかった。

 狐先輩に、私は殺された、と知らされた日。それまでのことを、断片的に思い出した。私はどうしてそこにいるのかもわからないままに、来春には取り壊される予定の第二食堂で安っぽいカレーの匂いにぼんやりと包まれていただけだった。その強烈な無為を唐突に自覚した。家族のことは、そのときは全く思い出せなかった。誰が私を殺したのかも、同様に思い出せなかった。あるいは思い出したくなかったのかもしれない。ただサークルのYouTubeチャンネルの中でしか見たことのなかった狐先輩が目の前でいること、そちらの方がよほど、現実だった。

「ピアノ」

 私は言ったと思う。狐先輩は、今と変わらない、少し戸惑ったような仕草で首を傾げたと思う。

「ん?」

「ピアノ、弾かないんですか?」

 狐先輩は困ったような顔をした。

「……たまには弾くけど、今は他にしたいことがあるから」

「他って?」

 狐先輩は考え込んだ。狐先輩は自分のことを話すとき、ぐちゃぐちゃのなにかをできるだけぐちゃぐちゃぐちゃのまませめて少しでも伝わりやすく整えるかのように、少し時間をかける。

「山とか道が気になっていて……」

「山?」

「山といっても、K2とかデナリとかでなくて。そばにあるのに、言語化されていないもの。昔のヒトや獣が、自分の目や鼻や足で感じたことをそのまま感じてみたいというか……ヒトの生活に飽きちゃったのかもしれない。都市や道や車や鉄道は、あまりに自動的すぎて。もっとこの土地そのものの普遍的なものを感じたくなって」

 それからぽつりと、付け足す。

「もちろん音楽も、昔のヒトや獣も同じ響きからそれぞれの心の動かされ方をしていた、ていう意味では、普遍的だけどね」

 狐先輩の言うことはいまひとつよくわからなかった。それで私は、狐先輩について行ってみようと思った。

 南浅羽山は国土地理院発行二万五千分の一地形図の上では名前の記載のない、551.7mのピークだ。この島にしては珍しい和名の山だが、明治期このあたりに入植し馬を育てていた浅羽氏の名前が由来らしい。南、と付けられているものの、鷹泊周辺の住民からは古くからこちらの方が浅羽山として知られていたようだ。国土地理院的な意味での浅羽山であるところの二等三角点「浅羽山」はより北方、冬路山と併せて三角形の頂点を作るような位置関係にある358.3mのピークだ。こちらは比較的地味な山容で、登山記録もほとんどない。いつかはそちらも歩いてみたい、と狐先輩は言いながら、手際よくスキーを履いていく。オンボロのパジェロミニに鍵をかけ、幌加内トンネル脇の斜面を登っていく。朝早いせいもあって、先行のトレースはない。ラジオの天気予報を信じるならば氷点下15℃程度のはずだが、おそらくそれより気温は下回っているだろう。砂漠の砂粒のような粉雪はスキーなしでは踏みしめることもできず、足を乗せると水のように沈むだろう。スキーという船に体重をかけ、私たちは歩き始めた。

 知り合ってから、狐先輩のことを色々聞いた。大体はオンボロのパジェロミニの中か、夕暮れのテントの中だった。隔絶された空間では、つい言葉を流したくなるものなのかもしれない。狐先輩は長く生きてきた、気づけば死ねなくなっていた、と語った。一つ所に長くいると、どうしても不審に思われてしまう。とはいえ、完全にヒトと交わらないで過ごすには、ちょっと寂しがりになりすぎたね、と述べた。それで、若干の妖術とともにヒトの集まりに紛れ、時とともに様々な理由で離れる、そういったことを繰り返していた、という。

「本当はね、この山も昔登ったんだ。近くの小学生と一緒に」

「小学生していたんですか?」

 この垂れ目でちょっと虚弱そうな印象のあるノッポの男の小学生姿は、ちょっと想像がつかない。けれど、会ってみたかったな、と思う。狐先輩が苦笑する気配が、ウェアの背中越しに伝わる。

「違う違う。そのときは狐の姿だったよ。たまには、そういうこともあるんだ」

「ふうん」

 そう言うわりには、私には一度も狐の姿を見せてくれたことがない。曰く、「恥ずかしい」のだという。ずるい。

 いつもそうだが、登山は最初の三十分が一番しんどいと思う。登り始めはまだ身体が温まっていないせいか、単純に稜線に出るまで比較的急登であることが多いせいか。南浅羽山の場合も登り始めはそれなりの急登だ。木々の間を縫って山を登る。慣れないうちは、細かい方向転換でスキーをあちこちに引っ掛けて大変だった。けれど、狐先輩との旅もずいぶん長くなり、私はそんな歩き方に、少し寂しくなるくらい慣れてしまった。次第に身体が汗ばみそうになってくる。休憩がてら、ザックを下ろし、フリースを一枚脱ぐ。飲んだアクエリアスが吸収されていくのがわかる。狐先輩を見ると、所在なげに木々の枝葉に積もった雪をみていた。狐先輩は休むときに座るのを嫌う。「なんだか落ち着かない」と言う。狐先輩に落ち着きがないのはどうやら昔からのようで、ジャズ研のYoutube動画でも画面の端でよく立ったり座ったりウロウロしている狐先輩を見た。特になにか理由があるわけでもなく、そういう性分のようだった。私を初めて見つけたときも先輩はそうだった。私は学食の隅に座っていた。北国特有の弱々しい日差しの中でその時の私が何を考えていたかはもう覚えていない。ただ安っぽいカレーの匂いにぼんやりと包まれていた。垂れ目でちょっと虚弱そうな印象のあるノッポの男が、ちょっと挙動不審にあたりを見渡しながら、それでも少しずつ、私のもとに近づいてきた。

「君を殺したやつを探そうと思って」

 そんな事を言いながら狐先輩は学食の私の目の前の席に座った。閑散とした学食だった。コップに入れた水を目の前にしていた私はびっくりしてしまった。狐先輩はなにかの鍵を大きな手のひらと、細長く節くれだった指の中でもてあそびながら「なんか、覚えてる?」と重ねて尋ねる。「狐先輩は自殺した」という噂はその時の私も覚えていた。狐先輩は黄金色の毛並みをふるふるさせて、いつも笑顔で、自殺した、という話を初めて聴いたのは、同じサークルのドラムの先輩から聞いたのだったと思う。私はなんだかどぎまぎしてしまって、狐先輩の鼈甲飴みたいな瞳を見ていられなくて、すすきみたいに揺れるしっぽばかりを見ていた。

「すみません、俺、わかりません」

「ふうん」

 さして気にした様子もなく、狐先輩は呟く。私は、狐先輩は何を待っているのだろう、その鍵は何なんだろう、狐先輩は何も食べないのだろうか、もしかして注文したあとで、出来上がるのを待っているのだろうか、早く呼ばれたらいいのに、なんて考える。

「あ、ちょっとごめん」

 先輩は急にそんなことを言い捨てると、あっという間に学食の隅の、目的のわからない衝立の影に隠れた。反対側を見ると、同じサークルの先輩のイルカさんが歩いてきていた。後輩は私と目を合わせることもなく、カウンターでおにぎりをいくつか買って、お茶を汲み、去っていった。きっと部室で食べるのだろう。それがイルカさんのいつものルーティンだ。私は恐る恐る、目的のわからない衝立に目的のわからない声掛けをする。

「あの、先輩、イルカさん、行きましたけど」

「そう」

 狐先輩はしっぽを揺らしながらひょこひょこ出てくる。神妙な顔が、なんだかおかしかった。

「イルカさんと、仲悪いんでしたっけ」

「別にそうじゃないよ。僕は死んだんだから、死んだ人間がいちゃ、まずいだろう」

「はあ」

 私はよくわからないままによくわからない相づちを打つ。狐先輩は秋の日差しみたいに笑う。

「よくわからないって顔をしているね、へび」

 私はジャズ研では「へび」と呼ばれていた。狐先輩とは初対面のはずなのに、どうしてそれを知っているんだろう、と思う。その後の旅で何度か、その理由を尋ねたことがある。けれどいつもはぐらかされて、教えてもらえなかった。

「僕は死んだんだよ。誰かから、聞かなかったかい」

「いえ、他の先輩方が噂してました。自殺だって」

「そうだね。死にたかったから死んだ。気楽なもんだろう?」

「でも……いや……そうなのかも」

「そうだね」

 狐先輩はちょっとだけ不思議そうな顔で笑う。そのまま続ける。

「ヒトはいつ死ぬんだろうね」

「それはなにか、哲学的な意味で?」

「哲学的な意味の死と、そうでない死と、なにか違いがあるものかな」

 私は少し首を傾げ、少し考え、あえて少しだけの言葉で答える。

「まあ、そんなもんかもしれませんね」

「僕は今までも何回も死んできた。けれどいつだって自分で望んで死んできた。寿命のフリをしたこともあるし、事故のフリをしたこともある。長く生きているとどうしても変に思われるし、僕自身、長く続く人間関係が煩わしくなってしまうし。ところで、君はいつ死んだのかな?」

 狐先輩は、月のない真冬の夜空のような瞳で私をまっすぐに見つめる。私は狐先輩に金色の毛皮と、鋭い犬歯をみた気がする。狐先輩は淡々と続ける。

「君は部屋のドアノブで首を吊っていて、捜査の結果事件性はなく、自殺、ということで片付けられている。しかし私は本当はそうでないことを知っている。君は、いつ、誰に殺された?」

「あの」

 そして、私はあの、ピアノについての質問をする。

 話がそれている。山の話に戻ろう。

 稜線に出ると、時間とともに日が高くなってきているのも相俟って、急に強く光を感じる。南浅羽山はもともと馬を育てる土地として切り開かれたせいか、はたまた単に地形的な影響か、稜線に上がってしまえば木々はごく少なく、だだっ広く開けている。加えて、この地方は盆地で、雪のふるときはひたすらに降るし、かと思えば晴れの日はひたすら、宇宙まで見えそうなくらい突き抜けた空になる。その日も雲ひとつない晴れた寒い日で、これから昼にかけて、特に強い日差しになりそうだなと感じていた。先行トレースのない一面雪に覆われた稜線は、まるで白い海のようだ。山スキーを履いた私達はその上に浮かぶ二艘の船として、淡々と歩みを進めていく。雪面を光が乱反射して眩しい。狐先輩はサングラスをしている。私は、次は狐先輩にサングラスも用意してもらおう、なんて考える。

「へびはさ」

 狐先輩は歩みを止めないままに言う。

「山、どう?」

 たのしい、とか、でなく、どう、と聞くのが、狐先輩らしいなと思う。私は答える。

「わかりません」

「わかんないか」

「でも、惹かれます」

「惹かれるか」

「なんだろう、ここで起きることは本当のことなんだなって感じがするから」

「ほんとうのこと」

「ええと、なんだろうな……やっぱりわかりません。でも、こうして歩いていると山頂につく、そういうシンプルさは、やっぱり好きなんだと思います」

「へびも、ほんとはもっとロープワークとか危険予知とか自主的に勉強してほしいところなんだけどなあ」

「う……まあ、俺は今となっては死なないから、いいじゃないですか」

「でも一応、登山っていうものへの礼儀としてさ」

「そこはこだわるんですね」

「寿命のある存在と同じ振る舞いをするのは、大事なことだよ」

 狐先輩のひょろ長い後ろ姿を追いながら私は、たしかにそういうこともあるのだろう、と思う。しかし、はたして私は、正しく在りたいのだろうか、間違ったまま在りたいのだろうか、なんてことも同時に、考えてしまう。それとも、正しいとか間違っているとか、そもそもそういうことでもないのかもしれない。

『音楽も、昔のヒトや獣も同じ響きからそれぞれの心の動かされ方をしていた、ていう意味では、普遍的だけどね』

 以前狐先輩が話していたことを思い出す。私は幽霊のくせに、いや、幽霊だからこそなのかもしれないが、普遍的、なんて、在り得るのだろうか、なんて考える。

 そのとき、あのカレー臭い第二食堂で、先輩は思い出したように言った。

「……ピアノや山のことは置いておいて。君は、誰が自分を殺したのか、気にならないの?」

「えっと……」

 気にならないと言うよりも、全てに実感がなかった。生きている実感もなかったが死んでいる実感もなかった。狐先輩に話しかけられて、断片的に、昔のことを思い出す。断片的に思い出されるもともとの生活からして、そもそもそうだった、ような気がした。実家の両親が押し付けてくる理想や常識や普通の生活には嫌気が差していたし、かといって充実した一人暮らしをするには信念がなさすぎる。そんなやつが行き着く大学生活は虚無に決まっているのだ。その果ての果てに実際死んでしまった(らしい)その死後の生の中で、死にたいとも生きたいとも、やっぱり思えなくても、当然のように思えた。生きようが死のうが、もとが虚無であればそれはただの虚無にしかなりようがないのだと、知った。

 私は困ってしまって少し笑ったと思う。

「どうでも良いような気がするんです。……きっとそれなりの理由があったと思うし、もし理由がなかったとしても、やっぱり別にいいかなって」

「そんなものかな」

「さあ、俺も死んだのは初めてですから」

「僕も、死んだことはないからわからないな。いつだって死なれてばっかだ」

 いつだって物事はなんとなくで進む。劇的な解決や劇的な終わりなんてものは物語の中にしかない。山頂に近づくとよくそんなことを思う。山頂直下の斜面を少しずつ進む。直登ではシールが滑ってしまうから、斜めの動きを織り交ぜ、ターンしつつ登る。少しずつ空が近くなる。左手にはえぐれたような白く輝く急斜面の谷が広がる。あそこを滑ったら気持ちいいだろうな、なんて思う。正面に目を移す。目標とするピークが少しずつ大きくなる。山頂に到着するのに、あるとき突然に、なんてものはない。結局すべては、足の運びに応じてしか動いていかない。最後まで、同じペースで足をすすめるしかない。

 最後の急登を乗り越えると、平らな尾根を少しだけ歩いて、ピークにたどり着く。本来登山道があるような山ではないため、山頂標識なんてものもない。この深く深く積もった雪を掘っていけば三等三角点があるはずだが、別にそんなことをするつもりもない。ただこの場所に立てただけで満足なのだと狐先輩は言うし、それについては私も同じ感性だ。同じ感性であることがちょっとうれしい。この近辺は木々が少なく、ひたすらに見晴らしが良い。あくまでも里山であるため、原野ばかり広がる、というわけではなく、眼下すこし視線を遠くにやると畑や、道路が見える。人里が広がる。そんな人里を、頭上遥か高みから見下ろしている。昔の日本人が山を神聖視したのもなにかわかるような気がする。この場所は、里と隣り合いながらも断絶している。里が異質に見える、ということなのだろうけれど、その感覚がしっくり来なくて、この「山」こそが異質なのだと錯覚しそうになる。あたりは光を乱反射する白に包まれている。宇宙まで見えそうなくらい突き抜けた空が頭上にある。空に落ちてしまいそうな感覚。風はなく、おそらく氷点下20度はあったろうが、なぜだか暖かく感じた。垂れ目でちょっと虚弱そうな印象のあるノッポの男はきっとこんなとき、目を閉じているのだろうな、と思う。狐先輩はしばしばそうする。理由を聞いたら「気持ちいいから」とシンプルな答えが帰ってきた。きっとそれで良いのだ、と思う。

 ひとしきり山頂の気持ちよさを満喫したら、二人で少し足元を掘り、整地を行う。ほぼ無風とはいえ、前面が切り立った急斜面、あとの三方はほぼ木々がなく開けた尾根、というような頂であり、どうしてもある程度の風はある。ある程度風よけのできるくぼみを作ったら、ザックを尻に敷いて座る。二人して湯を沸かして、私はカップラーメンを、狐先輩は紅茶を入れる。狐先輩はおにぎりも食べる。死んでいるのになにか食べたくなる存在と、不老不死なのになにか食べたくなる存在、果たしてどちらのほうがより奇異なのだろう。

 腹を満たしたあとはシールを剥がす。ビンディングのかかと部をロックして、兼用靴の足首部も同様にロックし、全体を締め直す。

 私達はひとしきりパウダー斜面を滑り倒して遊んだ。深雪を幅広の板で滑るのは楽しい。ゲレンデのような圧雪斜面と違って、クリームの上を滑っていくような独特の感覚がある。雪の上に浮いて、飛んでいる。そんな非現実的な感覚。そんな経験ができるなんて、私は狐先輩に連れられ冬山に登るようになって初めて知った。

 二度ほど登り返して、ひとしきり滑って、私達は下山する。この山は基本的にはシンプルな地形で、下山は基本的に下り一辺倒なので、スキーだと圧倒的に早い。途中何人かの登山者とすれ違った。早い時間に登り始めて、この山の斜面をふたり占めできたのは幸運であったと思う。

 特に何事もなく、もとの駐車帯に到着した。

 いつもは人外向けの安宿(とは名ばかりで、実質的にはテントを貼る場所を提供してくれるだけの野宿に近い)で夜を越すことが多いが、その日は少し贅沢しようということになって、近隣地方都市のドミトリーに泊まることにした。もちろん私はいわゆる幽霊なので、眠らなくても実質支障はない。実際のところ、今思えばあのカレー臭い第二食堂でぼんやりと時を過ごしていた間は、真夜中、食堂が施錠されて、あたりが真っ暗になっても、それを奇異とも思わずにぼんやりと暗い食堂のテーブルについて虚空を見つめていたように思う。それが変わったのは、狐先輩に見つけてもらってからだ。狐先輩がいることで私は死んでいるのに生きはじめてしまった。それが良いことなのか悪いことなのかはまだわからない。ただ、こうして狐先輩と一緒に気まぐれな旅をしている今は、楽しい。楽しんでいたら、生きている人間と同じように寝たり、食べたりすることも、いつの間にかできるようになっていた。

 ドミトリーは、アジア系と欧州系の旅人が多かった。私はもちろん認識されないのだが、狐先輩のヒト払いの妖術で、二段ベットの上の段を予約済み扱いにして、空室にする。その空いたベッドを使わせていただく。

 ここに来るまでの間にすでに温泉にはゆっくりと浸かってきていた。なかなかにおしゃれなドミトリーで、一階はアイリッシュパブ風になっていて、酒や食事を注文できるようになっていた。私は冷蔵庫からパンクIPAを拝借して飲む。狐先輩は酒が苦手だとかで、コーヒーを頼んでいた。二人でフィッシュアンドチップスをつまむ。

 幸せだな、と思う。

 そうこうするうちに、夜は更け、私達は眠りにつく。

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