Ⅳ
「僕って、ずっとD地区なのかな」
歩くたびにふんわりと揺れる髪が、窓から差し込む陽の光に透ける。隣を歩く青年は、その髪を上から掴むように手を置き乱す。猫ッ毛がさらに柔らかさを増す。
「そんな深刻な顔してどうすんだよ。それに、何で〝僕〟だけ? ハヤトと俺がペアなんだから、残るなら俺も一緒だろ」
ハヤトと呼ばれた青年は髪を抑えつつ下を向いたまま口を開く。
「ペア組んでるからって、必ずしもずっと一緒ではないじゃん。そんな規則ないんだし。それにユウマはもっと実力があるんだから」
だんだんと小さくなっていく声と、その背が曲がり縮こまっていくのを見て、ユウマは内心溜息をついた。どうにも自身を持てないでいる相方が、ずっと心配だった。いっそ昇進したいなんて気持ちを持たなければこうして悩むこともないのにとユウマは思う。
隣を歩くハヤトを見ると、いつの間にか背は真っ直ぐに伸びていた。その視線は一点に集中している。
「ハヤト?」
「……ユウマ、ホンジョウ先生に電話!」
突然そう言ったハヤトは当惑するユウマを置いて走り出した。
状況が分からなかったのはほんの数秒だった。ハヤトの向かった先に二人、管理史が倒れていた。
自分のシャツに赤色が滲んでいく。気付けばカナタに覆いかぶさるように倒れている。
(戻れたのか……?)
朦朧として視界もぼやける。早く医務室へ行かないと。ああ違う、それよりもアサヒさんに連絡した方がいいだろうか。イツキさんは今どこにいる? 動かなければ、意識を保たなければ。カナタさんを助けなければいけないのだから。
「イツキさん……」
誰かが来るのが見えた。けれどその目は、ほんの少しそれを捉えただけで、ゆっくりと視界は落ちた。
「電話もでないな……。ったく、どこに行ったんだ?」
端末を片手に、アサヒはイツキをまだ見つけられないでいた。部屋も中庭も地下の練習場にもいない。屋上に行こうとエレベーターのボタンを押したとき、手に振動が走る。
「イツキからか?」
画面を見るとそこには、イツキの名前ではなく〝部長〟と表示されていた。出動命令だろうかと画面をスワイプし、エレベーターの表示を見つつ耳に当てる。
「もしもし? すみませんまだイツキ見つかってないんです。応援要請なら俺一人で……」
「今すぐホウジョウ先生のところへ行ってくれ。私もすぐに向かう」
その瞬間、嫌な感じが体中を走って心臓の音が聞こえるくらい脈を打ちだす。焦りを抑えるように声を発する。
「あの、何があったんです?」
「カナタ君とハルト君が運ばれた。詳しいことは私もまだ分からないんだ。イツキ君には私からも連絡をとってみる。君は先に二人のところへ向かってくれ」
「分かりました」
アサヒは通話をきると踵を返しホンジョウのいる医務室へ向かおうとした。けれどすぐにその足を止め、開いたエレベーターの中へ入る。
「イツキ、そこにいてくれよ」
自分の目の前にいる人物が、本当にその人なのか疑いたくなるような、これは夢で、目が覚めたときに〝ああ、夢だよなあこんなことは〟そう思いたくなるような、そんなことを考えずにいられない。
「ツバキさん」
「久しぶりだね。イツキ、元気にしてた?」
黒い髪が風に揺れて、目が見え隠れする。その、人を見透かすような目を、イツキは嫌という程知っていた。
「どうして……」
一歩、ツバキがこちらへ近付く。イツキは反射的に自分の体を引いたが、すぐに背に柵の冷たさを感じる。
「久しぶりに会いたくなって。この前巡回部に行ったのに、イツキいなかったから」
「巡回部に、来てたんですか」
「あれ? サカイ部長かアサヒさんに聞いてない? 結構大事な話をしたんだけど」
ツバキが巡回部に来た。それだけのことが、イツキを動揺させるのには十分すぎることだった。どうしてツバキが自分を探しに来たのか。どうしてそのことを部長やアサヒから聞かされていないのか。
「まあいいや。俺も直接言いたかったし。ねえイツキ、また俺と……」
その言葉の先を予想しないようにすることがどれだけ難しいだろう。少しでも思考してしまえば、その答えはいとも簡単に出てしまう。
「イツキ!」
屋上の扉、そこにはアサヒが立っていた。アサヒはツバキを見て驚いた表情をしたのも一瞬で、こちらへ来るとイツキの腕を掴んだ。
腕を少しも動かせないほど、アサヒのその手には力が入っていて、そして震えている。
「アサヒさん?」
「移動しながら話す。とにかく来い」
引っ張られる体は脚がもつれバランスを崩しそうになる。
それでも意識はツバキに向いていて、体に力を込めその場に留まろうとする。
「ちょっと待ってください。何なんですか」
「いいから! カナタが運ばれた!」
たった一人のその名前で、イツキが動くことをアサヒは分かっている。案の定イツキの体からは先ほどの力は抜け、体はこちらを向く。
「また守れなかったんだ?」
そのツバキの声に振り返ろうとするイツキの腕を、アサヒは一層力を込めて握り駆け出した。
アサヒ自身、カナタとハルトの状態が分からない今少しの時間も無駄にしてはいけないと焦りばかりが先行する。
ただ無事であってくれと、それだけを思ってアサヒは走った。
何があったのか。カナタがどうしたのか。ハルトは一緒なのか。アサヒに聞きたいことはいくらでも出てくるのに、声を出すのが怖かった。早く自分の目でカナタを見なければいけない。任務から帰ってきたカナタに〝お疲れ様〟と言って、いつもの毎日が何も変わらないことを確信したい。
〝あのときの赤〟が脳内にへばりつく。その赤がカナタに重なって吐き気がしてくる。
アサヒの手はずっとイツキを握ったままで、その手のひらからアサヒの焦りも伝わってくるようだった。
D管理棟医務室。ホンジョウ室につくと、その人物はすぐに見つかった。病室から出てきたホンジョウは、アサヒとイツキを見るとその場に相応しくないような柔らかな笑みを浮かべた。
「おお、来たな。サカイ部長も後少しで来るみたいだよ……」
「あのっ」
「カナタは!」
アサヒの声を遮るように、イツキはホンジョウの前に立った。
「カナタは今どこですか!」
アサヒはそのイツキの勢いに自分の言葉を飲み込んだ。
「これは、ゆっくり説明できる状況じゃないね。今僕が出てきた部屋、カナタくんいるから。まだ寝てるから起こさないように」
イツキはそれを聞くと走ってカナタの元へ向かった。
「あの、ホンジョウ先生、ハルトは・・・・・・」
「ハルトくんはそっち。まあ簡単に言っておくと、カナタくんもハルトくんも、休めばちゃんと復帰できるよ。カナタくんはなかなかヒヤヒヤさせてもらったけどね」
「ありがとうございます……本当に」
「いいえ。それが俺の仕事だから。早く行ってあげて」
アサヒは深くお辞儀をすると、カナタの隣になるハルトの病室の扉を開いた。
ハルトは点滴に繋がれ横になっている。呼吸も落ち着いているようで、静かに眠っていた。
実際に顔を見てアサヒはゆっくりと息を吐いた。心臓の脈が収まっていくのが分かる。ひどい怪我もないようで、顔に少し切り傷があるのが見えただけだった。
「カナタが守ってくれたんだな」
アサヒは椅子をベッドの横に持ってくると、その呼吸の音に安心した。
額にかかった髪を指で掬うと、ハルトは小さく息を漏らした。
「ハルト?」
アサヒは腰を浮かせハルトの顔を除き見るような体制になる。
ハルトはゆっくりと瞬きを何度か繰り返し、瞳を漂わた。
「アサヒ、さん?」
「ああ、俺だ。分かるか?」
起き上がろうとするハルトを支えベッドの背を持ち上げる。その衰弱した様子にアサヒは締め付けられるようだった。
「俺、ちゃんと戻ってこれたんですか?」
「ああ、戻ってこれたよ。ホンジョウ先生が治療してくれた。しっかり休めば大丈夫だって。カナタも隣の病室で寝てるみたいだ」
「カナタさん……。あの、カナタさんは?」
身を乗りだしたハルトはすぐに体の痛みを感じたのか、小さく呻いて体を縮こませた。
「無理するな、まだ動ける状態じゃないだろう。カナタは無事だから、だから安静にしてろ。今はイツキが側にいてくれてる」
「イツキさん、来てるんですか? あの、イツキさんに会わせてください!」
ハルトは点滴スタンドを掴むと、体を引きずるようにしてベッドから降りようとする。
「ハルト! おい、ちょっと待て! イツキに会いたいなら俺が呼んで来るから。少し落ち着け!」
どうしてカナタがここまで取り乱すのか。イツキに何があるのか分からず、とにかく今はハルトを止めなければと押さえる。
「アサヒさん?」
扉が開いてそこにいたのはイツキだった。騒いでいたのが聞こえたのだろうか。こちらの様子に驚いている。
「ハルト君……」
「イツキ。ハルトが話したいみたいなんだ」
イツキはハルトに近づく。
「イツキさん」
イツキの腕がハルトへ伸びて、その腕は背中に回る。イツキの体が震えているのが分かる。
「ありがとう……。カナタを、守ってくれてありがとう」
「なんで、俺は全然守れてなんかないです。俺のせいで、カナタさんはあんな……」
ハルトのその言葉を聞いて、イツキはいっそう強く腕に力を込めた。
「ありがとう。ハルト……」
ハルトは堪えるように唇をかみ体を奮わせた。
アサヒはその様子を見て、そっと部屋を出た。
「アサヒ君!」
声の方をみると、ちょうどサカイがホンジョウとの話しを終えたところだった。
サカイはカナタとハルトの様子を一目見ると、上への報告をしなければならないからと病室を後にした。
イツキは、今日はカナタの側にいたいからと病室に残った。
「それじゃあハルト。俺も戻るよ。明日にはカナタも目を覚ますんじゃないかってホンジョウ先生も行ってたから。また来る」
「あの、アサヒさん」
「どうした?」
「ありがとうございました」
しっかりと目を見て発されたその言葉を取りこぼさないよう、アサヒもハルトを見返す。
「どういたしまして」
部屋を出るとアサヒは電話を掛けた。
「アサヒです。お久しぶりです。今からお伺いしてもよろしいですか? はい、少し、ツバキと話しをさせてください」
目を開けると、ぼんやりと天井の白が見える。視線の端に映る窓の外は暗い。
(病室?)
だんだんと意識がはっきりして来ると、右手に何かが触れる感覚を見つける。
体を横にしようとしたが思うように動かない。視線だけをそちらにやると、俯せになった人物が見える。その手は自分の手を握っている。
「イツキ……?」
カナタはその手を握り返す。
ずっと側に居てくれたのだろうか。服はスーツのままでその背には何も掛かっていない。
カナタは体を奮わせる。
「何か、イツキに掛けるもの」
視線を動かすと、イツキの座っているのとは反対側の椅子の上にブランケットが見えた。手を伸ばせば届きそうで、カナタは少し体をずらす。
「……ん」
小さく声が聞こえる。起こしてしまっただろうかとそちらを見ると、イツキはゆっくりと体を起こした。
「すまない。起こしたか?」
「カナタ?」
「まだあまり状況が分かってないんだが。ここはホウジョウ先生のところか? って、おい」
イツキはカナタの腕を掴んで胸に顔を埋める。
「あまり強く握るな。まだ痛いんだ」
「おかえり……」
カナタはイツキの頭に手をやろうとしたが腕は重くて上がらない。
顔を下げてイツキの髪に唇を当てる。
「ただいま」
リウムリウム 卯月草 @uzuki-sou
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。リウムリウムの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます