「それじゃあ今日もよろしくね」

 朝の巡回部でのミーティングが終わり、それぞれが業務につく。

「俺ちょっとC棟に行って来るんで。ハルト、応援入ったら呼んでね」

 アサヒは端末を持った手をひらひらと振り部屋を出ていく。

 ハルトはそれに軽く会釈し、再び資料へと目を落とす。

 しばらく、紙を捲る音とキーボードをたたく音、時計の針の音が響く。

 ハルトは棚の前に立ち資料を探すカナタの後姿をじっと見た。昨晩のナツキの言葉が脳裏に蘇る。自分のせいだと言ったナツキをカナタはどう思っているのだろう。きっとナツキのせいだとも、ましてやナツキに対して怒っているわけもないのだろうと、ハルトは思う。

「じっと見てどうしたの」

「うわっ! 何ですか……」

 突然耳元でささやかれた言葉に、ハルトは椅子ごとその相手と距離をとる。

「そんなに驚かなくてもいいのにー。ほら部長も怪しんでるよ」

 ハルトはサカイへ視線をやると目が合った。ばつの悪そうに会釈をするとサカイは軽く手を挙げてそれに答えた。その後にカナタを見たが、こちらを気にする様子もなく淡々と業務をこなしているようだった。

「何なんですかイツキさん」

 ハルトは声を潜める。

 イツキは近くの椅子を引っ張ってくるとそこへ座りハルトと肩がつくくらい近付く。

「カナタ見てたでしょ。どうしたのかなあって」

「別に何もないですよ」

「見てたことは否定しないんだあ」

 イツキの言葉に顔を顰めると、ハルトはわざとイツキの肩を押し机へ向き直る。しかしイツキはそれを気にすることはなく続ける。

「カナタって、考えてることがいまいち分かんないよね」

 冷ややかなその声に、ハルトは顔を上げると、イツキと目が合い、その視線に囚われたように動けなくなる。

 イツキの長い前髪が右目を隠す。ハルトはその言葉を聞き返そうとしたが、その声は電話の音にかき消された。

 サカイは受話器を耳に当て、話しながら目だけを動かした。受話器をおいて口を開く。

「A地区から応援要請なんだけど、カナタ君たち、行ける?」

 カナタが返事をする前にイツキが声をあげた。

「行けますよー」

 そう言って立ち上がったイツキはいつもの顔に戻っていて、ハルトはどこかほっとした自分に気付いた。

「サカイ部長、俺とハルトで行かせてください」

「ハルト君と?」

 サカイはイツキを見て、すぐにカナタへと視線を戻す。

「分かった。それじゃあカナタ君、ハルト君、行ってくれ」

「行くぞ、ハルト」

「……はい!」

 ハルトは戸惑いつつも、部屋を出ていくカナタを追った。

 A棟に向かうとき、ハルトはカナタの隣を歩けなかった。今、どんな顔をしているのだろうと、想像はできなかった。それと同時に、イツキの表情を見なかったことを後悔し始めていた。


「コウさん。お久しぶりです」

 カナタはA棟へつくと正門へは向かわずA部の事務室へ向かった。

「カナタ君! いやあアサヒさんに続いてカナタ君にも会えるなんて。……あれ?」

 コウはカナタの隣に立つ人物に視線をやり、首を傾けた。ハルトは何も言わず軽く頭を下げる。

「……まあ、今度ゆっくり聞かせてもらおうかな。それじゃあ開けるよ」

 コウは壁を叩く。そこに亀裂を入り、そこは扉となった。

「ありがとうございます」

「いってらっしゃい。ハルト君も、気を付けてね」

「はい……」


 下界へ降り、ハルトはすぐに辺りを見渡す。いち早くリードを見つけるため、それはもう体に染み込んでいる動作だった。

「ハルト、クリップはどうする?」

 動かしていた視線をカナタへと向ける。

「それは……」

 ハルトは昨日の演習でのことを思い出し、言葉を詰まらせる。

「何だ? この前はあんなに威勢が良かったのに。怖気づいたか?」

 ハルトはすぐに言い返そうとしたがその顔は俯く。感情を抑えつけるように声を発した。

「勝算のある方を、選ぶべきだと思います」

 カナタは表情を曇らせるハルトをじっと見た。カナタ自身、悩んでいるのは同じだった。ハルトが自分でやると言えば、そのまま承諾するつもりでいた。けれどどこか予感していたように、ハルトは自分がするとは言わなかった。

「ハルトが創ってくれ」

 その返答が意外だったのか、ハルトは声もださずにただ驚いた表情をしてカナタを見返した。

「聞こえなかったか? クリップはハルトが創る。ぼさっとしてる暇はないぞ」

「どうして……」

 煮え切らない態度がハルトらしくない。

「勝算のある方を選んだだけだが?」

「分かりました」

 ハルトはカナタの視線が少しだけ動いたのを見逃さなかった。すぐに後ろを振り返ると〝二人〟を視界に捉える。

 カナタは瞬時にクリップを広げる。白に包まれ、様々なオブジェの並ぶ空間が現れた。

「あれ? この間の生意気な子じゃん」

 前に立つリードの一人が言う。ハルトもそのリードのことは覚えている。アサヒと共に戦った相手だ。ハルトはその時のことを思い出し、表情を硬くした。視線を、手に向ける。震えている。ハルトはそれを何とか収めようと手に力を入れた。

「前にやった相手か?」

 カナタはハルトに問いかける。帰ってきた声は重い響きを持って返ってくる。

「……はい」

 カナタはオブジェがひずんでいることに気付く。それがハルトの精神状態とリンクしているからだ。カナタが声を掛けようとすると同時に、リードの声が被さる。

「俺、そっちの人と戦いたいな。もう一方は、弱かったから」

 さっきのリードが銃を向ける。銃口はカナタへと向けられていた。

「俺だ……」

カナタは自分に向けられたと思ったその声が、自分ではなくリードに向けられたものだと一瞬で理解した。

ひずみが無くなっている。それに気付いたその瞬間にハルトが動きだした。

「だからさあ、君じゃないんだって。俺は強いほうとやりたいんだよ」

「だったら尚更」

 ハルトは二丁のリムーブをネオファイルに向けて放つ。リードは軽くそれを交わすと銃口をハルトに定めた。

 放たれた銃弾を、今度はハルトが交わした。カナタはそれを確認するともう一人のリードに向き合った。

「何だ? アサヒじゃないんだな」

 そのリードは手にはなにも持たず、攻撃姿勢ではない。カナタもリムーブをまだホルダーに仕舞っている。

「今日は俺が相手をする」

「前の奴はなかなか楽しませてもらったが、お前はどうかな?」

「残念だが楽しめないだろうな。そんなことを思う前に終わらせる」

「へえ。そりゃ楽しみだ……」

 カナタは振り返りながら足を蹴り上げる。

 相手のリードは一瞬でカナタの後ろへと回ったがカナタはそれを確実に捉えていた。リードは体を逸らしてそれを交わすとカナタの足を掴み自分の方へと引きよせた。

 もう一方の脚はその反動で地面から外れカナタの体が宙に浮く。リードは片手にナイフを握りカナタに覆いかぶさるようにそれを振るった。

 カナタはそれを半身で交わそうとしたが腕にナイフが掠る。そのまま地面に叩きつけられると間髪を入れずに今度はカナタの手をリードが足で踏む。

「おいおい。ちょっと弱すぎるんじゃねえのか?」

 カナタはリードのその言葉には何も言い返さず、頭ではイツキの顔が浮かんだ。勝手なことをして、しかも怪我をしたともなればあいつはどんな顔をするだろうか……。

「あんたさあ、やる気あんの……っと」

 突然リードの足元だけが崩れる。リードは咄嗟に飛び後ろの球体のオブジェへと移った。カナタはゆっくりと上体を起こし立ち上がる。

 踏まれた手をもう一方の手で払う。

 カナタはハルトの方を見やると、ハルトはこっちのことなどお構いなしといったように、相手と戦っている。

「おいおい、もしかして今のはもう一人の方がやったのか? こっちのことなんか見てなかっただろ」

「さあ、どうだろうな。俺にも分からない、が助かったな」

「掴めないやつだ。ああそうだ、名前は? 俺はトウマだ」

「カナタだ」

 カナタはゆっくりとリムーブを抜いた。

 

「今日は相方が別みたいだけど。足手まといだから捨てられちゃったのかな」

「相変わらずよくしゃべる」

 ハルトは相手の動きを封じる方法を考えていた。視界に捉えたはずなのに、気付けば後ろにいるという状況を何度も繰り返す。そのたびに消耗する体力があまりに大きかった。前回と同じ動きでは勝てないことは勿論分かっている。けれどじゃあどうすればいいかまでの策は未だ浮かんでいない。そして、カナタが自分にクリップを任せたことにそのヒントがあるのではないかと、その考えが頭をしつこく回る。

 横目でカナタを見る。さっきは何とかフォローをいれることができたが、次に同じ状況になったときに同じ動きが出来るとは限らない。

(そもそも、カナタさんがあんなに追い込まれるなんてことあるか?)

現に今は対等に相手のリードと戦っているように見える。

(試されてるのか……?)

 ハルトは考えを打ち消すようにし相手を見据える。

「なあーんか、考え事してるみたいだけど。どう? いい方法でも見つかった? 俺を倒すさ」

 リードは手に銃を持っているが、構える姿勢をとろうとはしていなかった。ハルトは一つ息を吐く。相手がこっちを舐めているならむしろ好都合だ。

 目を瞑る。自分の創る空間を感じる。音が聞こえる。カナタの足音。相手のリードの音とは別だ。ちゃんと聞き分けられる。自分と相手、カナタとの距離感、ちゃんと感じる。自分の創った空間なんだ。〝見えなくても〟ちゃんと分かる。

 目を開く。その瞬間、ハルトのクリップは轟音をたてて、崩れた。


「戻りましたーって、あれ? 部長だけですか」

 アサヒが巡回部に戻ると、そこにはサカイの姿だけだった。コーヒーの香りが漂う部屋で、サカイはソファに座りのんびりとした様子だった。

「おかえり。今は皆出払ってるよ」

 アサヒは机へと向けた脚を止めサカイへ向き直る。

「出払ってるって、カナタとイツキは任務ですか? ハルトは?」

「任務」

「えっ、誰と? まさか一人じゃないでしょう」

「もちろん一人じゃないよ。カナタ君とだよ」

「カナタと?」

 アサヒはそのままソファへサカイの向かいに腰を下ろす。何でもないように話すサカイをじっと見た。

「何かあったみたいですね」

 サカイはカップを置くとアサヒを見返す。

「Aから要請が来たんだけどね。カナタ君がハルト君を連れて行っちゃったんだよ。……あとは、何となくわかるでしょ」

「ああ……。なるほど、それじゃあ俺は、不貞腐れて出ていったイツキを探しに行けばいいんですね」

「よろしく頼むよ」


 アサヒはまずイツキの部屋へと向かった。そこにいるとも思えなかったが、どこか行きそうなところに心当たりがあるわけでもなく、最初に行くにはそこしかなかった。

 カナタがハルトを連れて行ったのは、きっとそれはハルトを気にかけての事だ。先日ナツキとナヅナと模擬演習を行っばかりで、そこでの成果を試したいという気持ちがあったんだろう。ハルトも何かを掴みまけている途中だろうから、実践に向かわせた意味も分かる。

 だけど……

「イツキが心配だな……」

 きっと、カナタはイツキのことまで考えが追いついていない。気にかけているのは分かる。だけど、最近は特にハルトの事ばかりになっているのはサカイだって気付いていただろう。

「ハルトとペアなのは俺なんだけどな。これは、俺もしっかりしないと」

 アサヒは気持ちを切り替えるように、前へ踏み出す一歩に力を込めた。


 中央棟の屋上。イツキはN管理棟に背を向けるように柵に寄りかかっていた。

『カナタって、考えてることがいまいち分かんないよね』

 自分の言葉が頭の中を何度も反芻する。カナタが今ハルトを気にかけているのは分かる。それは、ちゃんと分かる。じゃあ自分は? 自分のことはどう思ってるんだ? それが分からない。

「カナタには、俺は……」

「見つけた」

 その声にイツキは顔を上げる。

「……ツバキ……さん」

「久しぶり、イツキ」


 足場が、いや、クリップ全体が大きく揺れている。オブジェが崩れて、〝再生〟されていく。

 広い空間に様々なオブジェを創っていたハルトのクリップから、それが取り払われた。カナタやハルト本人、リードの足元はいつの間にかオブジェではなく長方形に広い地面になっていて、四人が同じ場所に足をつけている。カナタがそれを確認した瞬間、今度は柵が四人を囲む。

「随分シンプルになったもんだね」

 リードはハルトの前で不愉快そうな顔をして言う。ハルトは気に留めることもなく目の前のリードへ向かって真っすぐに駆け抜ける。

「いくら空間を変化させたって、同じ戦い方じゃ結果は変わんないよ」

 リードは向かってくるハルトに向かってナイフを投げる。それを交わすハルトの、今度は背後に回り込み銃を構える。

「鏡……!」

 背後を取ったと思った瞬間、銃を構えた先にいたのは自分自身だった。そして次に目に入ったのは鏡に映る自分の背後に現れたハルトだった。咄嗟に振り返るがそこにはハルトはおらず、また自分の姿があるだけだった。

「なっ……」

 再び現れた鏡に動揺した瞬間、今度は地面が揺れた。自分が立っている場所を中心にして山のように盛り上がる。狭くなった足場にバランスが崩れ、背を後ろに倒れそうになるのを体に力を込め踏ん張るが鏡の上にいつの間にか立っていたハルトを視界に捉えると、体の力を抜きわざと後ろへ落ちた。放たれたリムーブはネオファイルに当たる。リードはそのまま受け身の体制をとり下へと落ちる。

「よかったよ」

 リードはゆっくりと起き上がると口の端を吊り上げる。

「何がだ?」

「相手が君で。今日はちゃんと楽しめそうだ」

「俺はもうあんたには……」

 言い終える前に、リードは短刀を取り出した。

「フユキだ。君の名前も教えてよ」

「……ハルト」

「ハルト。俺はさ、正直ネオファイルがどうとか、どうでもいいんだよね。だから、俺的にはこっからが本番」

 その一瞬。確かに視界に捉えてたリード、フユキが目の前から消える。

「こっちだよ」

 声の方へリムーブを構え直し振り返る。

「つかまえた」

片方のリムーブの銃身を素手で握られる。急いでリムーブを放とうとしたが勢い良く引っ張られ体のバランスが崩れる。フユキのもう一方の手にナイフが握られているのが見える。

(くそっ、このままじゃ当たる!)

ハルトは自らリムーブを離し距離を取る。けれどすぐにフユキは銃を撃つ。

 嫌な汗が背中を流れる。

『守りたいものも、守れなくなる』

 あのときのカナタの言葉が、頭に響いた。


「牢獄だな」

 トウマは変化したクリップを見渡して言う。カナタも突然変化したクリップに驚いていた。何か心境の変化があったのだろうが、それがどういった変化か……。

「何時まで余所見してる。自分の仲間がしたことだろ」

 トウマは素早い動きで一気にカナタとの距離を詰める。カナタはギリギリまでトウマを引きつけ背中に手を回す。鞘から短刀を出しながらトウマに振り上げる。トウマはそれを避けたが間髪入れずに振り下ろされる脚は横腹に入り込んだ。体が飛ばされ背中が柵に当たる。トウマの口からはうめき声が漏れた。

 カナタは動きを止めずリムーブを構えるとネオファイルに向かって撃つ。避けられるであろうことを予想し次の動きの姿勢をとったが、トウマは動かない、いや、〝動けなかった〟というのが正しい。その事態に気付いたのは、ネオファイルが解放された後だった。

 柵が変形してトウマの腕に絡んでいる。

 カナタはハルトを見る。目に映ったのはハルトが背後に回った相手にリムーブを奪われた瞬間だった。動揺したのかハルトの反応が鈍くなっているのが分かった。そして、次の瞬間、相手の銃弾がもう一方のリムーブを弾いた。

(しまった……!)

 カナタは援護へ向かおうと足を踏み出したがその足元に弾が落ちる。

「俺のことを放っておいてどこへ行く気だよ」

 柵に捕まったはずのトウマは立ち上がり銃を構えている。空間が歪んでいる。

「あっちも楽しんでるみたいだし、俺達ももう少し遊んでいこうぜ」

「悪いが、また今度にしてくれないか」

 カナタはトウマに構わす走りだした。


「この前と反対だね」

 リムーブが手から離れる。急いで掴もうとしたがその手は空を切る。

(まずい! これじゃあ……)

「これじゃあクリップを解けないよね」

 フユキの手にはハルトのリムーブが二丁あった。心臓が痛いほど脈打つ。空間が歪みだしたのが分かる。けれど、それを止めることができない。冷静な判断ができない。体も動かない。

「ハルト! ぼさっとするな!」

 カナタがハルトを庇うように前に立つ。

「カナタ……さん。すみません、俺……」

「取り返せばいいだけだ」

 ハルトの声が震えている。まずはハルトを落ち着かせないと。状況は不利になるばかりだ。

「なんだ、トウマ。獲られてんじゃん」

 トウマも追いつき二人と対峙する形になった。

「それはお前もだろ」

「俺はいいんだよ。興味ないし。それより褒めてよ、これ奪ったんだからさ」

 フユキはリムーブを持った手を振る。

「だからどうした」

「何だよトウマ、知らないの?」

「あんたはよく知ってるみたいだな」

 カナタは遮るように言う。

「まあね」

 クリップを解く条件がある。それは空間に対してリムーブを放つこと。クリップを創るときと一緒だ。クリップとリムーブは繋がっている。だから、ハルトのクリップは歪みが生じやすい。精神面だけが理由ではない。リムーブが二丁だということはその分の負担が生じる。単純に言えばコントロールが難しいのだ。そして、そのリムーブが奪われている今、クリップの制御はさらに厳しいものになる。現に地面のひびや柵が変形しているのが見て分かる。

「ハルト。援護頼むぞ」

「えっ」

「援護だよ。フォローしてくれって言ってるんだ」

「一人で二人を倒すっていうんですか?」

「どうしてそうなる。俺と、お前で倒すんだよ。俺は俺のやり方でお前を守る。だから、お前はお前の、ハルトのやり方で俺を守ってくれ」

 ハルトは口を噤み、返事も、カナタを見ることもできず俯く。

 カナタは一息をつき口を開いた。

「イツキが煩いぞ。俺だろうがハルトだろうが、怪我したらイツキが煩い。俺は嫌だぞ、お前が怪我してイツキにどやされるのは。お前だって嫌だろ」

 〝イツキ〟と聞いて、朝のことを思い出す。

『カナタって、考えてることが分かんないよね』

本当に、分からない。ハルトはゆっくりと顔を上げる。そこにあったのはカナタの笑った顔だった。

「どやされるのは、俺も嫌です」

ハルトは自分を囲むようにガラスを張る。カナタはそれを見ると自身もリムーブを握り直した。

「何か作戦でも考えてた? けどもういいよね。そろそろ、始めようか……」

 フユキはリムーブをネオファイルに入れると銃を構えた。

「遅いな」

「なっ……!」

 カナタはフユキの後ろへ回り腹に蹴りを入れる。フユキは咄嗟に腕をクロスさせそれを受ける。体が飛ばされるのを脚を踏んばり柵の手前で止まる。そのままフユキへリムーブを打ち込もうとしたがすぐ後ろで何かが弾かれるように鈍い音が鳴った。振り返るとそこにはちょうどカナタが隠れるくらいの大きさの壁が現れていた。だがその壁はすぐに消え、向かいにいたのは銃を撃ったトウマだった。

「なるほど。武器がなくても戦えるって訳か」

「てっきり、どちらかはハルトを狙うと思ったが」

「武器を奪っておいて一方的に攻撃するなんて、そんな趣味はないね」

「それじゃあ、仮に俺を倒したとして、ハルトには攻撃はしないってことか」

「ああ、そうか。それは困るなあ。それじゃあ前言撤回だ。だけど、まずはあんたからだ」

 カナタは後ろから飛んできたナイフを短刀で振り落とし、身をかがめてトウマの銃弾を交わす。そのままの姿勢でトウマの脚を掴み自分のほうへ引き寄せる。トウマの倒れる体に覆いかぶさる体制になり短刀を持つ腕を振り上げる。

「なるほど。あんたは他の管理史と違うらしい」

 短刀を掴んだ手から流れる赤が、トウマの腕を伝う。

 カナタは短刀に込めた力を緩めない。トウマの表情が歪む。

「カナタさん!」

 ハルトの声が響く。カナタは短刀を離し後ろへ振るう。それと同時にもう一方の手に持ったリムーブの引き金を引いた。

背後から来たフユキは、振られた短刀を避けるのに高く跳躍し逆さまになったまま銃を撃った。

 カナタはとっさに避けようとしたが身体を寸でのところで止める。当たると思った銃弾はハルトのつくったシールドで防がれる。

 フユキはシールドを足場にし地面に着地する。

「あれ? トウマやられちゃった?」

「気絶してるだけだ」

 ふーんと、フユキは倒れたままのトウマを一瞥すると、それ以上は興味を示す素振りは見せなかった。カナタは立ち上がり短刀を払った。

「終わっちゃった」

 フユキはそう呟いた。

「どういう意味だ」

「そのまんまの意味だよ。あんた、さっきトウマに向かっていったときの殺気がもうなくなってる。せっかく面白くなると思ったのに。それに……」

 フユキはそこまで言うとナイフを複数、カナタへ向かって投げる。カナタはそれを短刀で弾く。その間にもフユキはハルトへと距離を詰める。

「先にこっちかな」

 フユキはカナタの上を飛ぶ。

「ハルト……!」

 狙いはハルトだ。そう理解した瞬間カナタはハルトへと走った。

 フユキの銃がハルトを狙う。ハルトの張ったガラスで防げればいい。だけど、今のハルトの力で確実に防げる保証はない。現にガラスは所々消えかけていた。

(あれじゃあ確実に……)

カナタはガラスに飛び込む。ガラスは割れることはなくカナタの体はなんなくすり抜ける。

「……カナタさん……?」

 ハルトに覆い被さったカナタは、そのままハルトに寄りかかった。支えるように背中に回したハルトの手は嫌な感触に濡れる。

「怪我、してないか。ハルト」

「してないです……」

「ならよかった。イツキに……どやされなくてすむ」

 カナタの声が細くなる。

 ハルトは何か声を掛けようと口を開くが、震えるばかりで言葉が出なかった。

「あははっ! そうそうそれ! さっきもさあ、あんた、そうやってトウマも庇ったんだ」

 フユキは愉快そうに笑って言う。ハルトは苛立ちと焦りが混じり顔を歪ませる。反論しようとハルトは懸命に声を出した。

「庇ったって……そんなことあるわけ……」

 確かにフユキが上から銃を撃ったとき、あれはトウマに当たることも構わないといった攻撃だった。それをカナタは避けなかった。けどそれはシールドが張ったからじゃないのか。あの瞬間、ハルトはそう思っていた。けど、フユキのそれを聞いて、確かにそうではなかったのかもしれないと、確信に近いその想像がよぎる。

(俺がシールドを張る保証なんてなかったはずだ。だったら、避けた方が確実に助かるのに……)

「カナタさん……何で……」

 カナタは身体に力を入れ寄りかかっていた体を起こす。

「カナタさん…!」

「ハルト、相手に惑わされるなよ」

 ハルトはそれを聞いて、自分の判断力がなくなっていることに気付く。

「動かないでください」

「俺は大丈夫だよ。まだ全然動ける」

「けど……」

 ハルトはカナタの顔を見れないでいる。地面に滴る赤が目に痛い。けれど、そこから目を逸らすことができない。

 カナタは腕をあげ両手でハルトの肩を掴んだ。

「顔上げろ。ハルト」

 ハルトは恐る恐る顔をあげる。カナタと目が合う。

「俺はお前を守ると言ったぞ。お前は、ハルトはどうなんだ?」

「俺は……」

 確かなその声、全身で感じるカナタのその存在感。

 恐怖心が薄れていくのが分かる。

(俺は、カナタさんを……)

 目を瞑る。ゆっくりと呼吸をし息を整える。開いた瞳は真っ直ぐにカナタと向き合った。

「必ず、守ります」

「頼んだぞ」

 カナタはハルトの言葉を聞いて満足そうに笑うと、ゆったりと立ち上がる。

「最後の挨拶はすんだ?」

「確かに、これ以上はもう話さなくていいみたいだ。もうすぐ終わるからな」

カナタはリムーブを握る手に力を入れる。

痛みはある。だけど、動けないほどではないとカナタは自分に言い聞かせた。

ハルトのクリップが壊れかけていることには変わりないが、かろうじて今の状態を留めている。正直、これ以上戦闘を長引かせるわけにはいかない。ハルトも、自分自身もこれ以上は本当に危険だ。助けが来れば心強いが、確実ではないそれは無いと思うぐらいで丁度いい。

「カナタさん。俺が、一気に相手までの距離を縮めます。……上手くいくかは、分からないですけど」

「方法があるなら全部やるぞ」

 ハルトはカナタの背中に滲んだ赤を見て、気を強く持つ。

「視界が開けたら、その瞬間にネオファイルを撃ってください」

「分かった」

 カナタは聞き返すこともなく頷いた。

 ハルトは胸が苦しくなるくらいゆっくりと呼吸する。

 イメージするんだ。フユキの周りに、箱型の、いや、形は何だって言い、とにかく相手にスキができるまでカナタさんを移動させ続ける。そのためのフェイクを創る。

 ハルトは頭で一度その場面を創るとそれをそのまま目の前に映し出すように想像する。

 次の瞬間にはフユキの周りにはいくつもの大小さまざまなオブジェが現れる。

「一人いないってことは、このどれかに入ってるってことかな」

 フユキは品定めする様に辺りを見回す。先ほどまでハルトの目の前にいたカナタの姿はすでになく、フユキの言う通り、カナタはあの中のどれかにいる。

「とりあえず、一つ一つ潰していったらいいのかな」

 フユキは銃を構えるとその発言通りオブジェへ向かって弾を放つ。ハルトはその銃弾を目で捉えながらカナタを移動させる。

 フユキがいくら打とうがカナタを撃つことはできない。きっとそのことに相手はすぐに気づくだろう。ハルトはそれを覚悟したうえで、一瞬の隙をつこうとしていた。

 ハルトもカナタも、攻撃できるとすればきっとこれが最後だ。相手を倒すより、とにかく早くこの空間から逃れなければならない。自分の創った空間にこうも簡単に囚われてしまうことに、ハルトは嫌悪感を抱かずにはいられなかった。

「これって、いくら打っても意味ないやつだよね」

 そう言ったフユキの顔には疲れが見えている。相手だって確実に体力が減ってきているのだ。

 ハルトはそのフユキの表情と動きを見る。動きが鈍る瞬間がどこかであるはずだ。

 銃弾の音も聞こえなくなるくらい、ハルトは目の前の敵に集中する。

 一瞬、それは反射的なもので、感覚に近かった。

 フユキの後ろ、カナタが姿を現した。視界が開けたカナタはすぐにフユキの姿を捉える。

「やっと出てきた」

 フユキもカナタの存在を瞬時に察し振り返る。それと同時に銃をカナタに向かって放った。

 確実に当たりはずだったそれはカナタをすり抜ける。

「残念だったな」

 そのカナタの声がフユキに届いたときにはカナタの放ったリムーブはネオファイルに当たっていた。

 フユキは弾の反動でトウマの側まで飛ばされる。

 ハルトはカナタの落下地点に緩衝材を創る。

 腰に取り付けたホルダーに重みが戻る。ハルトは手をやるとそこには二丁のリムーブが確かにあった。

 安堵感を抱いたのも一瞬で、ハルトはその体を引きずるようにカナタへ向かう。

「カナタさん……」

 声を出すのもやっとなことに気が付く。自分が今どんな状態なのか、その判断も上手くできない。

 ハルトはカナタの腕を掴み揺さぶる。その少しの反動で体が痛む。

「ハルト……大丈夫か?」

「カナタさんは……」

「大丈夫だ。ハルト、リムーブを……」

 そうだ、リムーブを解かなければ。手が震える、落ち着かなければと思う程緊張が体中を走って体が言うことを聞かない。

 手に力を込め、何とかホルダーからリムーブを抜く。

 引き金を引く直前、耳を劈くような音が響いた。ハルトのすぐ横に銃弾が落ちる。

「待った……」

 フユキは上手く動かないのか、腕に力を入れ上体を起こしている。

「まだ終わって……」

「フユキ」

 遮ったその声はフユキの後ろ。トウマだった。血の気が引く。意識が戻ったのだ。もし二人に攻撃されれば自分たちはどうなるだろうか。最悪の事態が頭をよぎる。

「フユキ、終わりだ」

 トウマから発された予想外のその言葉に驚いているのはハルトだけではない。それはフユキも同じだった。

「さっきまで気絶してたくせに。何だよ急に」

「自分でも分かってるだろ。お前ももう動ける状態じゃない」

「何言って……」

「管理史!」

 突然呼ばれたその呼称にハルトはトウマに視線を合わせた。

「早く空間を解け」

 はっきりと発されたその言葉。敵であるトウマがなぜそんなことを言っているのか分からない。けれどハルトにそのことを考える余裕はなかった。

「ハルト。前会ったとき、聞く前に消えただろ」

 フユキのその問いに上手く反応できず、ただ相手を見るばかりのハルトを気に掛けることなくフユキは続けた。

「今回はちゃんと聞いとけ。ツバキに、よろしく」

 引き金を引く。朦朧とした意識の中で、空間は崩れて消えていった。

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