「いやあ、ハルト君も何もなくてよかったよ」

 翌朝、地区巡回部部室にはサカイをはじめ、イツキとカナタ、アサヒとハルトが集まり朝のミーティングを行っていた。

「さすがですよ、相手の銃を立体に閉じ込めるなんてやったことがない」

 アサヒはそう言ってハルトの頭に手を乗せ叩くように触る。

「ちょっと、やめてください……」

 ハルトは顔を顰め乱れた髪をなおす。

 ミーティングはまず、前日の担当案件についての報告から始まる。ミーティングといっても、巡回部は人数が少ないためあまり畏まったものではない。他の管理部はそれぞれ八十~三百名近くが所属しているため、部署によってはグループに分かれて行っていたり、グループリーダーが集まっての話し合いなども行っていたりする。

「そっちはどうだったんだ? やっぱりおなじみの二人?」

 アサヒはイツキ、カナタに問いかける。先に口を開いたのはイツキだった。

「クレイ君もなかなかしつこくて。何度やったって結果は変わんないのに。ねーカナタ」

「ああやっぱりその二人だったんだね」

 サカイは報告内容を記録しつつ言う。

「あの、そのクレイって言うのは?」

 ハルトは軽く手を挙げて言う。

 それに答えたのはカナタだった。

「ハルトは知らないか。クレイとヒビキっていうリードがいるんだ。で、なぜか俺たちを……というよりクレイがイツキを指名してくる」

「指名?」

「ああ。いつも決まった区域、B地区内の区域のことだが、そこに現れる。他の管理史が行くとイツキがどうのこうの言うらしくてな。だからあの区域にリードが現れたら俺たちにB地区から要請が来るようになってる」

「本当に手間がかかるよねえ。こっちの管理体制変えてくるなんてさあ。それに毎回クレイ君たちならまだしも、全然違うこともあるのに」

 イツキは頭の後ろで手を組みながら言う。

「だから、行かせなかったんですか……」

 ハルトはカナタを見る。

「まあそれも理由の一つだが……」

「違うよハルト。カナタはただ単に自分の仕事取られたくなかっただけだよ」

「イツキ煩い」

 イツキはそれに対し、はーいと気の抜けた返事をする。

「特筆すべき点はなかったかな?」

 サカイは軌道修正するように問いかける。

「特には……。いや、一つだけ。強くなっていると思います。最近の他部署の様子を見ても、全体的にリードの能力は高くなっているのかもしれません」

「確かに、他部署からもそういう意見は出てるみたいだしね。ありがとうカナタ君。それじゃあ他の皆も大丈夫かな? なければ解散で。ああ、カナタ君とイツキ君は今日非番だね。ゆっくり休むように」


「じゃあ俺は二度寝してこようかなあ」

 イツキは欠伸をしそう言うと扉へと向かう。

「待てイツキ。演習場に行くぞ」

「えっ、嘘でしょカナタ。そんな体動かしたい気分?」

「そうじゃない。ナツキと約束をしてる。ナヅナも来る」

「いつの間に。けどそっか、ナヅナも来るんだ。それじゃあ行かないとだね」

 イツキが足を止めたのを確認すると、カナタは振り返りハルトに声を掛けた。

「ハルトも行こう」

 ハルトは突然に投げられた言葉に戸惑う。整理しようとしていたファイルを持ったままで返事をする。

「俺は業務が……」

「いいですよね。アサヒさん、サカイ部長」

 カナタはそう問いかけると、二人もすぐに返事をする。

「俺はいいよ。要請があったらすぐ呼ぶからちゃんと端末持って行ってね」

「演習で疲れて業務に支障が出ないようにね。それだけ気をつけてくれれば」

 カナタはそれを聞き返事を促すようにハルトを見る。

「……それなら、ご一緒させていただきます」


 三人は部屋を出るとN棟地下へ向かう。演習場はそれぞれの棟の地下に設置されていて、どの演習場も自由に使えるが、基本的に自分たちの所属している管理部のある棟を利用する者が多かった。

「前から思ってたんだけどさ」

 イツキはカナタとハルトの少し後ろを歩きながら、どちらにともなく声を掛ける。それに返事をしたのはカナタだった。顔を少し後ろに向けながらイツキに応える。

「なんだ?」

「端末って意味あるのかな?」

「どういうことです?」

 ハルトも首を軽く動かし答える。

「だって、クリップの中って通信届かないじゃん」

「それはそうじゃないですか。クリップはあくまで架空のもの、外部とは関われないって……」

「それは知ってるよ。そこに不満があるんじゃなくてさ、つまり端末なんて持たなくていいじゃんって言う話だよ」

「ハルト、イツキの話にまともに答えなくていい。ただ持ち歩かなくていい理由を探してるだけだ」

「ちょっとカナタ。後輩の前でそんな言い方やめてよ」

 ハルトは二人の顔をそっと見る。違和感。というのだろうか。そういえば、こんなふうに二人と話すのは初めてかもしれないと思ったのだ。いつもと何かが違う気がする。その正体は何だろうか。

「あの、どうして急に」

 ハルトはカナタに問う。

「端末の話?」

 ハルトはイツキのその返答に首を振る。

「いえ、それではなくて。どうして誘ってくださったのかと」

 それを聞きイツキは口を閉じる。少しの間があって、カナタが口を開いた。

「休みが合わないだろ。巡回部は二ペアしかいないし、どっちかはいないといけない。だから演習訓練を一緒にするのも今日が初めてだ」

「あまり理由になっていない気がしますが」

「たまには気分転換になるかと思ってな。それに、地区巡回部は各地区へ応援に行く。他部署の奴に顔を知られておくのも損はない。顔を広くしとくのも業務の一環だ」

「まあ、それなら納得できますが」

 イツキはその二人の会話を一歩下がって聞いていた。カナタがこうして誰かを演習に誘うのを珍しいと思っていた。何か心境の変化があったのだろうかと、イツキはカナタの背中をじっと見た。

「どうしたイツキ」

「何でもないよ。早く行こう」


巡回部部室に残ったアサヒは、他部署からの共有報告書の整理や、応援要請の内容を地区ごとにまとめていた。

「アサヒ君。君要請が来たら一人で行くつもりだろう」

 サカイはお茶をすすりながら尋ねる。

「そんなことしませんよ。サカイ部長が一緒に行ってくれるでしょう」

 アサヒは書類から目を離すとサカイへ視線をやる。

「やっぱりそうか」

 サカイは溜息混じりに言う。だがその表情は少し笑っているようだった。

「銃の申し子の本気、見たいんですよ」

「もっと他の言い方はないのかねえそれ。まあでも、ハルト君を演習に行かせたのは正解だったと思うけどね」

「朝一でカナタから頼まれたんですよ。あいつも成長してますね。あ、サカイ部長お茶入れ直しますよ」

 アサヒはそう言うと二杯紅茶を入れテーブルに並べる。サカイはそれを見ると椅子から立ち上がりテーブル横のソファに座り直した。

 アサヒは向かいあうように反対のソファに座る。

「僕のところには相談なかったけどなあ」

 サカイは温度を確かめるようにそっとカップに口をつけて言う。

「サカイ部長は許してくれる前提だったんでしょう? 実際そうだったし」

「それは、信用されてるってことでいいのかなあ」

 困ったような表情を浮かべる。テーブルの中央に置かれた籠に手を伸ばすとチョコレートを一つつまんだ。

「そういうことですよ。まあとにかく、ハルトが少しは肩の力抜いてくれればいいんですけどね」

「大丈夫だろうよ。似てるからねえハルト君。昔のカナタ君と」

「イツキにも似てると思いますけどね」

「ああ、それもそうだね……そうか、似た者同士なんだな」

 サカイは思い出された過去のことを、またそっと閉じ込めるように、口に残ったチョコレートの甘さと一緒に紅茶で飲み込んだ。


「二対二でいいかな」

 イツキは四人の顔を見渡す。演習場につくとすでにナツコンビは来ていて、ハルトを紹介するとさっそく演習内容の話し合いになった。

「いいんじゃないか。ハルトとナツコンビのどっちかは別にしたいな。まだお互いの動きの癖とかも知らないし、そっちのほうが練習になる」

「じゃあ俺カナタ先輩と組みたいです!」

 すかさず声を上げたのはナツキだった。それに続きイツキも口を開く。

「じゃあ俺ハルトと組もうかなあ。ナヅナ、次は俺とな」

「はい! お願いします!」 

「じゃあ最初はそれでやろうか。内容はポピュラーなのでいいな」

 カナタのそれに他メンバーも異論はなく、準備を始める。演習場にあらかじめ用意してある、ネオファイルを模した四角形の箱を腰につける。

「あっ、ネクタイ持ってきてない。もお、カナタがいきなり言うからだあ」

「人のせいにするな。大体、いつもちゃんと着けておけばいいだろ」

「イツキさん、もしかしたらと思って……これ、使ってください」

 ナヅナはそう言うとイツキにネクタイを渡す。

「さすがナヅナ。よく分かってるねー。ありがとう」

 カナタはそれを見て溜息をつきつつ先ほどとは反対側、ベルトに蝶々結びにする。

 演習にはっきりとしたメニューがあるわけではないが、カナタの言う〝ポピュラー〟というのは、〝偽ネオファイル〟を撃つことで勝敗を決めるものだ。ネクタイは接近戦に特化したもので、取れば勝ちというもの。

 カナタ達は今回、その両方を同時にやる。

「制限時間はなし! 勝ったほうが勝ち! よーい……」

 イツキが声を上げると慌ててカナタはそれを止める。

「ちょっと待て。誰がクリップを創るんだ?」

「確かに……」

 ナツキは同意の声を上げる。

 他部署の管理史がいるからだろうか、ハルトも自分はやるとは言わなかった。

「俺、カナタ先輩の見たことない気がします」

 そう言ったのはナツキだった。いつもは自分やナヅナが創っているからと続ける。

「戦いながら創るっていう練習をさせてたからね」

 イツキは試案しているような表情を浮かべていう。カナタはその様子を見て、イツキの言わんとしていることを感じ取る。先手を打ってされるであろう提案を遮ろうとするも、イツキはそれよりも早かった。

「じゃあカナタにしてもらおうよ。普段は俺が担当してるし、たまには創りたいよね」

 後輩の前で断るのも格好がつかないなんてことを思いつつ、その実イツキはきっと引かないだろうというのがカナタの本音だった。

「それじゃあ俺が創ろう。クリップの中に入ったら開始だ。すまない、ナヅナは終わるまで外で待っててくれるか? 俺のクリップは見学に向かない」

「えっと、はい、分かりました……」

 ナヅナが、カナタが言ったその言葉の意味を理解する前にクリップは発動した。

「これが、カナタ先輩の……」

 ナツキは初めて見るそれに息をのんだ。見入っているのはナツキだけではない、それはハルトも同じだった。

「ナツキ、見惚れてる場合じゃないぞ。もう始まってる」

 カナタはそう言ったのとほぼ同時、走った先は……

「さすがの動きだな」

 ハルトは放たれた銃弾を交わすとすぐに二丁のリムーブを抜いた。

「これじゃあナツコンビとハルトを別にした意味、ないよね……」

 イツキはそう小さく呟くと、そうするであろうことをどこかで分かっていた自分にも嘲笑する。

「俺が先にイツキ先輩とやるのは、ちょっとナヅナに申し訳ないですけど」

「あははっ。嫉妬されちゃうね」

 イツキとナツキはリムーブを構える。その指が動くのを見て、二人は同時に踏み込んだ。


 アサヒは巡回部部室に入ると、サカイと目を合わせる。アサヒがにこりと微笑むとサカイは溜息をついた。

「部下が任務から帰った来たのに。ため息つかないでくださいよ」

「あのねえ、本当に一人で行くとは……。最近のこともあるんだから、あんまり無茶をしないでくれよ」

「ちゃんと勝ってきたでしょ」

 アサヒは冷蔵庫から水を出すとそのまま自分の机へと向かう。

「さすが、特別任務室の管理史は違いますね」

 アサヒの後ろから聞こえた声、その声に振り返ると、入り口には一人の男が扉によりかかるように立っていた。

「珍しい人が来たね」

 サカイはその人物へ見定めるような視線を向ける。

「〝元〟特別任務室だけどね。それにしてもわざわざ雑用係に来るなんて。特別任務室〝現役〟管理史のツバキ君」

「お久しぶりですね。サカイ部長、それと、アサヒ〝先輩〟」


ハルトは入り組んだ建物の中で〝展示〟されている作品に身を隠しながら慎重に動いていた。

 カナタの創るクリップはさながら美術館のようだった。最初にいたのは大広間だったが、戦いが始まるとどんどん中へと進んでいき、今はハルトからイツキやナツキの姿は見当たらない。

 ハルトの状況は劣勢。ネクタイを取られれば勝負終了。すでにもう箱は撃たれている。けれどまだカナタからは何も奪えてはいなかった。

「こんな複雑な空間、どうやったら創れる……」

果てが見えないのだ。どれだけ移動しようが行き止まりになることもなければ同じ場所を通っているようでもない。内部をその都度その都度創りかえるというのもあまり現実的ではない。クリップ全体を常に引っ掻き回すなんて止まっていても体力を消耗されるものなのだ。そもそも特定の建造物を創るのだってどれくらいの力がいるのか、ハルトには見当もつかなかった。

「見つけた」

 その声がハルトの耳に届くとほぼ同時、ハルトが隠れていた彫像が重々しく横へと動く。

 カナタがこちらへと歩いてくるのが見えた。ハルトは彫像から飛び出すと左右の壁に飾られている額縁に向かってリムーブを打ち込んだ。

 壁から床へと滑り落ちる。足場の悪くなった通路にカナタは一瞬立ち止まったが、すぐにリムーブを構え撃ちながらハルトに向かい走る。

 ハルトも同じく今度はカナタへ向かって撃つ。距離が縮みカナタはリムーブを下ろすと腰を屈めハルトの足元へ飛び込もうとした。

(傷……?)

 屈んだカナタの首元に見えた傷。普段はネクタイで締まっている首元も今はシャツが緩んでいる。その襟元に切られたような傷が見えた。

「何をぼうっとしてる?」

ハルトはその声にハッとする。

床に落ちた額を足先で踏み力を入れて額縁を立たせた。同時に片手のリムーブをホルダーへ戻す。

「うおっ……」

 突然の障害にカナタは咄嗟に上体を後ろにやる。ハルトはその立たせた額をくぐるとそのままの低い体勢で片腕の側面を床につけ体を支え、片足を上げると踵をネクタイの輪っかに引っかけ膝を曲げた。

 その足を交わそうとカナタの体はさらに後ろへと下がる。

 ゆるくなったネクタイを今度は空いた手でしっかりと握り思い切り引っ張る。

(とった……!)

 ハルトはすぐに今度はリムーブで箱を撃とうとしたが、カナタが背中に手を回したのを見ると攻撃を止め咄嗟に後ろへ下がろうとした。だがそれは目の前ギリギリに迫る。

「よく避けれたな」

「どうも……」

 向かい合ったカナタの左手には短刀が握られていた。攻撃力に特化していないリムーブを使う管理史にとっての攻撃手段。リードから〝取り返す〟ことが目的の管理史にとって、それはあまり使用するものではない。だが、こちらの〝命〟をも奪おうとする相手と戦うには、不必要なものではないのだ。

「ハルトは二丁拳銃だったな。理由は……刀の扱いが上手くないから?」

 ハルトはその言葉に口を噤む。

「特技を伸ばすのに不得意を捨てるのもいい判断だと俺は思うが」

「バカにしてるようにしか聞こえませんが」

「そんなつもりはないが……」

「なっ……」

 散らばった額縁は柵のようにハルトを囲む。動きを封じ、カナタはハルトの後ろへ回ると、短刀を喉元へたてる。

 カナタはリムーブをホルダーへ戻すと、ハルトの背中を手で撫でる。

「次からはちゃんと持ち歩いておけ。守りたいものも、守れなくなる」

 カナタはそのまま手を腰へ伸ばし、ネクタイを取った。

「守りたいものなんて、ありませんよ」

「自分の命は惜しくないのか」

 カナタは短刀を下ろし背中の鞘に戻す。

 ハルトは返事をしないでいると、カナタは再び口を開く。

「俺は、お前の命を惜しいと思う」

「それはどういう……」

 振り返りカナタに問う。だがその答えを聞く前に、景色は二重三重にブレ、気付けばもとの演習場に戻っていた。

 演習場に戻ると、第一声に聞こえてきたのはナツキの声だった。

「あーー! 負けたあ!」

 そう叫んだナツキの腰には箱もネクタイもついていない。

「お前がイツキさんに勝てるわけないだろ」

 ナヅナは腕を組みそれが当たり前だというように得意気な顔をしている。

「お前相方を応援しろよな……」

 ナツキは諦め混じりにそう言いうなだれる。

「あははっ。それじゃあ困るなあ。俺を越えてもらわないと。それで、そっちはどうだったの?」

 イツキは二人の腰元に視線をやる。

「へえ、ハルトやるなあ。カナタから一本取ってる」

 イツキがそう言うと、ナツキとナヅナは驚いた顔をし、感嘆の声を上げる。

「ええ嘘! ハルト君カナタ先輩から一本取れんのかよ」

 ナツキがそう言うとそれに続くようにナヅナも声を上げる。

「もしかしたらお前より強いんじゃないの、ナツキ」

「じゃあハルト君、次俺とやろうぜ」

「いいですけど……」

 ナツキがそう言うとハルトは頷く。その様子をカナタは満足げに見ていた。

「次は俺とナヅナが対戦するからあ。……どうペアを組もうか?」

 イツキは手を口元に添え考えるそぶりを見せつつカナタに視線をやる。

「それじゃあ、また同じになるがイツキとハルトをペアにしよう。で、ナヅナがクリップ担当で」

「俺ですか?」

 カナタにそう言われ、少し動揺したようにも聞こえる声で、ナヅナは聞き返す。

「いいんじゃないの。見せてもらおうかな、ナツコンビのコンビネーション」


夜、ハルトは自室を出て中庭へ向かって歩いていた。夜の風が体を包むように抜けていき、木の葉を揺らす音が聞こえる。ハルトは目を瞑ってそれを感じる。

 中庭に出ているのはハルトだけではない。夜に出歩く人は珍しくはなく、他の管理史も幾人か見えた。

 ハルトは空いているベンチに座り、持ってきていたボトルに口をつける。

「守りたいもの……」

 カナタの言葉を、ハルトはずっと考えていた。あの言葉が頭から離れてくれない。管理史の役目は〝奪われたものを取り返す〟こと。それ以外に、ハルトは目的なんか考えたことはなかった。

「ハルト君?」

 その声にハルトは振り返ると、その人物を見て立ち上がる。

「お疲れ様です。ナツキさん」

「お疲れ。ああ立たなくていいよ。俺も隣に座らせてもらおうかな」

 ナツキはハルトの隣に腰掛ける。先に口を開いたのはハルトだった。

「今日はありがとうございました」

「こっちこそ。ハルト君強くて驚いた!」

「いえそんな、俺なんてまだ全然。あの、ナツキさんはずっとC管理部所属なんですか?」

「いや? 俺はD上がり。ナヅナは最初からCだけど。だからあいつ上からなんだよなあ」

 ナツキはそう言うと頭の後ろに手を組み、空を仰ぎ見る。

「けど、相性がいいように思いました。ナヅナさん、ナツキさんの動きも見て空間動かしてましたよね」

「よく見てるね。そうそう、あいつ器用だからさ。俺は空間創造は全然ダメなんだ。頭使うの苦手だし。だからいつもあいつに任せてる。ハルト君は今アサヒさんとだっけ? アサヒさんが担当?」

「いえ、クリップは俺がやらせてもらってます」

「おおさすが!」

「だけど、自分だけで精一杯です。今日のナツキさんとナヅナさんを見て思いました……」

 ハルトは顔を伏せ、その手に持っているボトルを触る。

「……カナタ先輩はどうだった。強かったでしょあの人。って、同じ部署なんだから知ってるか」

「実際戦ってるのを見るのは今日が初めてでした。クリップも、その……凄くて、正直驚きました」

「だよな! クリップ! 俺も今日初めて見たんだけど超テンション上がった! さすがだよなあ」

 ナツキは勢いをつけ立ち上がりそう言うと、あっけにとられた表情をしたハルトを見て咳払いをし、また座り直す。

「あの、ナツキさんって、どうしてそこまでカナタさんのことを……」

「……ハルト君って、カナタ先輩とぶつかってる? なんかそんな風に見えた」

「えっと、はい……」

「そんなばつ悪そうにすんなよ。俺もそうだよ。部署の先輩にはよく噛みつくし。カナタ先輩にだって俺、最初はすっげー突っかかってたしさあ」 

 ハルトは顔を上げてナツキを見る。

「ナツキさんが、カナタさんに突っかかってたんですか?」

「そうだよ。知ってる? 傷」

 ナツキはそう言うと自分の首の後ろ辺りを指でトントンと叩く。

(首……?)

ハルトの頭にはふとあの場面が浮かんだ。

「カナタさんの、首の傷……ですか」

「そう、それ。何で傷ができたのか知ってる?」

「いえ、偶然見えただけなので理由までは」

 ナツキはゆっくりと一つ息を吐くと、はっきりとした声で言った。

「俺のせいなんだ」

 風が強く吹いて、ナツキの顔を前髪が隠す。そのせいで、ハルトにはナツキの表情が分からなかった。

「二年前になるけど。俺がC所属になって、ナヅナとペアになったばかりのときにさ、カナタ先輩とイツキ先輩がC地区に応援に来てくれたことがあったんだ。まだペア組んだばっかりだったし、あいつとは結構ぶつかることも多くてさ。だから、その日の任務で、危ない目にあった。まあようするに死にかけたんだよな。俺も、ナヅナも」

 もろく大切なものを、大事に手で包み込むように、その一言一言がしっかりとした重みを持っていた。

「ナヅナももう動けないくらいになって、クリップも壊れそうになったときに二人が来たんだ。カナタ先輩の首の傷は、本当は俺が負うはずだった傷だ。言ったんだ、あの人『俺が守るから、だからもう大丈夫だ』って」

「守る、ですか……」

「ただヘルプに来ただけなんだよ。それでそんなこと言うんだ。未だに分かんないよ。あの人の言う〝守る〟ってのは」

 分からない。その言葉は、ハルトが今日何度も思い浮かべた言葉だった。

 それが他の人の口から出たことが、ハルトにどこか安心感を与えた。

「ナツキさんは、守りたいものって、ありますか?」

 それはもう無意識に出た言葉で、ハルトはその答えを焦っている。

「カナタ先輩かな」

 なんの淀みもなく放たれた〝カナタ先輩〟に、ハルトはその言葉を上手くかみ砕くことができなかった。

「カナタさんですか」

「うん。正直カナタ先輩の言うみたいに守りたいとか俺にはよく分かんねえけど、ただカナタ先輩はかっこよかったから。あのとき、俺を助けてくれるんなら全力でそれに縋りたいと思った。だけど、次は俺があの人を守れるようになりたい。そのために、俺はカナタ先輩を越える」

 ナツキは言い切ると、ハルトの頭を掴みぐしゃぐしゃに手を動かした。

「わっ、何ですか!」

「お前が恥ずかしいこと言わせるからだろ! じゃ、俺戻るわ」

 ナツキはそう言って立ち上がるとC棟へ向かって歩いていく。

 ハルトはそれを見送ると、背中をベンチに預けそのまま体を滑らせた。足を投げ出し、見上げた先の月が、何処までも遠く見えた。

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