第8話 優介の力

 ピピピ……


 朝7時、雑居ビルの一室で目覚まし時計が鳴り響いていた。

ベッドで寝ていた速見は、枕元に置いてあるその目覚まし時計に手をのばしてアラームを止めた。


「うーん」


 速見は、眠い目をこすりながらベッドからおりて、服を着替えると、部屋を出てリビングの方に向かった。


「優ちゃんおはよう」


 優介に声をかけたのは、祖母の速見静子(62歳)であった。


 静子は、奥の台所で朝食の用意をしていた。


「おはよう、おばあちゃん」


 優介は、椅子にすわり、テーブルの上においてあった新聞を広げた。新聞の社会面には、小倉容疑者が逮捕された記事が載っていた。


「昨日逮捕された小倉っていう人、優ちゃんが見つけたのかい?」


 静子は、テーブルに茶碗を並べながらいった。


「うん、まあね」


 新聞には、小倉容疑者が整形する前と後の顔の写真が載せられていた。


「いやはや顔つきが全く違うねえ、これじゃ指名手配しても見つからないわけだよ」


 速見優介はどうやって小倉をみつけたのか? そもそも顔の全く違う人間をなぜ小倉と断定することができたのか? その秘密は優介が持つある特別な力が関係している。


 驚くべきことに優介は、人のもつ考えや記憶などといったあらゆる情報を、その人に気付かれることなく探り知ることができる。


 優介が何らかのキーワードを頭の中で設定すると、そのキーワードに関する情報が相手の脳から瞬時に引き出されて閲覧することができる。インターネットの検索エンジンのようなものと考えれば分かり易いかもしれない。


 ただしこの能力は、優介との会話が成立している相手、そしてその会話の間しか使うことができない。


 昨日、小倉捜索の仕事を引き受けると言った瞬間から、実は優介はその能力を鈴木警部に対して使っていた。


 キーワードを「小倉隆弘」として検索すると、女性の顔と名前の映像が浮かび上がった。さらに、鈴木が小倉を取り押さえようとしている映像が日付と共に映し出された。


 女性の名前は「和田かすみ」といって、年齢が二十歳前後くらいの若い女性だった。また、鈴木が小倉を取り逃がした時の映像から、小倉が右手の甲と左肘に怪我を負ったことを知った。


 鈴木が小西に呼び出されて会話が途切れたため、鈴木から得られた情報はここまでだった。しかし優介は、鈴木から借りた手帳の中に、「和田かすみ」の名前に併記された「喫茶ジェネラル」という、おそらく彼女が働いているであろう店の名前を見つけ、その店の場所をスマホで探し出したのである。


 喫茶ジェネラルは、大淀警察署からおよそ7~8キロくらい離れた場所にあった。


 優介は自転車をとばしてその喫茶店に向かうと、15分ほどで着くことができた。自転車を店の裏手に停めて、ヘッドギアをサドルに固定した後、少しだけ息を整えて入店した。


 3つあるテーブル席の一つは二人連れの女性客が座っており、カウンター席は全て空いていた。優介が入り口で立っていると、一人の女性が声をかけてきた。和田だった。


「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」


 優介がカウンター席に座ると、和田がおしぼりとお冷やを持ってきた。和田は、そのお店でウエイトレスとして働いていた。


 能力によってより多くの情報を和田から得るには、彼女との会話をできるだけ長引かせなくてはならない。そこで優介は、地方から出張でやって来てたまたまその店に入ったというサラリーマンを装って和田に話かけ、この店のお勧めのメニューは何かとか、この辺りにメガバンクはあるかとか、もちろん小倉のこととは全く関係のないことをいろいろと聞いた。


 店内にはお客がまだ少なかったということもあってか、和田は優介からのどの質問にも丁寧に答えてくれた。


 和田との会話の間に優介が彼女から引き出した情報は以下のようなものである。


 ・キーワード:「小倉隆弘」又は「小倉」又は「隆弘」


 ・映像:メガネをかけた二十代後半ぐらいの男性の顔


 ・字幕:今の隆弘兄ちゃんの顔は昔と全然違う。一月ほど前に私の携帯に突然連絡が入り、会いに行って驚いた。初めは信じられなかったけど、お兄ちゃんは顔を整形していた。私に迷惑をかけたくないからって、今まで連絡をくれなかったそうだ。私はずっと待っていたのに。


(よかった。ついてるぞ。この和田という女性は小倉隆弘のことを知ってる。それにしても、顔を整形? この男が今の小倉だというのか? ポスターの人物の顔とは全く違う。まるで別人だ。それに小倉が彼女のお兄さん? この二人は兄妹なのか?)


 ・キーワード:「小倉隆弘」及び「兄妹」


 ・映像及び字幕:該当なし


(該当なし? それなら、彼女の家族についてはどうだろう?)


 ・キーワード:家族


 ・映像:車の中の後部座席から見た映像。三十代ぐらいの男女がそれぞれ運転席と助手席に座り、何やら楽しそうに会話をしている。すると、反対車線を走っていたトラックが突然センターラインをはみ出し、その車の前方に現れた。


 ・字幕:六歳のとき、車で家族旅行をしているとき、カーブでトラックが急に飛び出してきて正面衝突した。運転席と助手席のそれぞれに座っていた父と母は即死。後部座席に座っていた私だけが助かった。トラック運転手の居眠り運転が原因だった。


(気の毒に。交通事故で両親をなくしていたのか)


 ・キーワード:「6歳」又は「六つ」


 ・映像:たくさんの子供たちが大きな部屋でいっしょに食事をしている。となりの席には、ポスターの小倉と顔つきが少し似ている男の子が座っている。


 ・字幕:6歳のときに事故で両親をなくして他に身寄りがなかった私は、児童養護施設で育てられた。となりに座っている隆弘お兄ちゃんは、親から虐待を受けて保護されたらしい。私の本当のおにいさんじゃないけど、とても優しくしてくれた。


(なるほど、二人は同じ児童養護施設で育ったのか。警察が彼女をマークしている理由がこれで分かった)


 ・キーワード:「お兄ちゃん」及び「住所」


 ・映像:古びた二階建てのアパート


 ・字幕:お兄ちゃんは今、東区にあるコーポ青葉というアパートの501号室に住んでいる。もう少ししたらまた引っ越しをすると言っていた。


(捕まるのを恐れてか、小倉はいろいろと住所を変えているようだな)


 ・キーワード:「お兄ちゃん」及び「仕事」又は「働」又は「勤務」

 ・映像:パチンコ店らしき店の入り口の映像


 ・字幕:お兄ちゃんは今、寿町にある〈WELLMAX〉というパチンコ店でフロアスタッフとして働いている。仕事は結構大変みたい。


(寿町か、ここからそんなに遠くない。よしっ!)


 こうして速見は、現住所や仕事のことなど、小倉に関する様々な情報を和田の記憶から引き出した。


 速見は彼女にお礼を言うと、注文したアイスコーヒーを一気に飲み干した。こめかみがキンキンするのを感じながら、お勘定を済ませてその店を出た。店の裏手に停めておいた自転車に乗り、小倉が働いているというパチンコ店に向かった。


 速見がパチンコ店の近くまで来たとき、両袖をまくり上げた白いYシャツに紺色のネクタイを締め、黒のスラックスをはいている一人の男性が、ちょうど店から出てくるところであった。プラスチック製の大きなゴミ箱を両手で抱えているその男性は、さきほど和田を検索したときに出現した小倉隆宏の顔とよく似ていた。


 速見は、自転車を停めると、すかさず上着のポケットから黒縁のメガネを取り出してかけた。そのメガネには、超小型カメラが設けられており、ぱっとみただけではそれがカメラだとは誰にも気付かれない。そのメガネをかけた人間の瞬きの数と速度を認識する高精度センサーも内蔵されており、瞬きの仕方によって、メガネのフレーム内に収まっている風景映像の倍率を変更したり、もちろん無音でシャッターを切ることもできる。


 自転車に乗ったまま、速見はその男の全身、顔、そして両腕の写真を撮った。


(和田の記憶映像では、あの男が小倉隆宏なんだけど……やはり、ポスターの顔とは全然違う)


 速見は、写真の電子データをスマホに転送し、写り具合をチェックした。


(よし、とりあえず本人の写真は撮れた。和田から得た情報を合わせれば、もうこれで調査を終了することもできるけど……)


 速見は、小倉の顔のことがどうしても気になっていた。


(やっぱり、一応確認しておくか)


 速見は、パチンコ店の前に自転車を停めて鍵をかけると、バックパックを背負ったままで店の中に入って行った。お店の中は、想像していたよりも明るく静かで整然としていた。換気が行き届いているせいか、煙草の臭いなどもほとんどなく、むしろ清潔な感じだった。平日の午前中ということもあってか、お客の姿はまばらだったが、静かでおしゃれな感じのBGMがなんとなくはまっていた。


(へえー)


 勿論、店によっても違うのだろうが、その店の雰囲気は、パチンコ店に対して優介がそれまで抱いていたものと全然違うものだった。


 優介は、これまでパチンコというものをほとんどしたことがない。テレビのニュースや新聞でたまに目にする情報には、ギャンブル依存症だとか、小さな子供が車内に置き去りにされて熱中症になりかけただとか、そういった負の印象を起こさせるものが多い気がして、そこに居るほとんどの人が、吸い殻で一杯の灰皿を脇にしてパチンコ台の釘と玉をにらみつけている、そんな近寄り難い辟易的な場所としてのイメージしかなかった。


 しかし、今の優介は、逆にそのパチンコ店の雰囲気に取り込まれそうな状態になっており、通路の真ん中でしばらくぼーっとしていた。


「お客様、大変申し訳ありません。他のお客様が通れませんので……」


 はっとして優介が振り向くと、さきほど外で見た店員、即ち「小倉」が立っていた。店員の胸の名札には「浜崎」という名前が記されていた。


「あっ、すみません」


 優介は、すぐさま通路の脇の方に身を寄せた。


「ありがとうございます」


 そう言って頭を下げつつ小倉が優介の前を通り過ぎようとしたとき、優介は小倉を呼び止めた。


「あのー、ちょっとすみません」


「はい、何でしょう?」


「私、今までパチンコをしたことがないのです。どうすればいいか教えてもらえませんか?」


「え? お客様、全く初めてですか?」


「ええ、ちょっと恥ずかしい話なんですが」


「いえいえ、とんでもございません。そうですか、えーと、それではまずですね……」


 小倉はとりあえず、すぐそばにあるパチンコ台の椅子に速見を座らせると、パチンコ台の基本的な仕組みと操作の仕方、台の選び方などを説明し始めた。


 小倉の語り口はとても穏やかなもので、感じの良い青年を想わせた。


 先ほどの和田と同様で、必要な情報が得られるまでは会話をつづけなくてはならない。そのため優介は、例えばその店に置いてある機種のことなど、事細かな質問を小倉に浴びせ続けたのだが、小倉は嫌な顔一つせず、速見のどの質問にも丁寧に答えてくれた。


(この人が、強盗殺人犯?)


 それが、優介の小倉に対する正直な印象だった。速見は再び能力を使って小倉の記憶を検索した。


 ・キーワード:「私の名前」又は「俺の名前」又は「僕の名前」


 ・字幕:浜崎信吾、これが今の俺の名前だ。だが、これは偽名で本当の名前は小倉隆弘。本当の俺は、強盗殺人犯として指名手配されている。


(どうやら、この男性が小倉隆弘であることは間違いないようだ。しかし、こんな真面目で優しそうな人間が、本当に強盗殺人を犯したのか?)


 ・キーワード:「強盗」又は「殺人」


 ・映像と音声:いきなり、しかめっ面をした中年男性の顔が映し出された。

 その男性は、妙に下腹が出ている大柄な体型で、頭の毛の生え際がかなり後退していた。工場で着るような作業服の姿で椅子に座っており、背もたれをギシギシと言わせながらタバコをふかしていた。そこはどうやら事務室のような場所だった。


 中年の男は、吸っていたタバコを灰皿に押し付けると、重く睨みつけるような目つきで言った。

 「小倉、お前にちょっと話がある」


 「はい、工場長、なんでしょうか?」


 「実はな、昨日、森田が更衣室で財布をなくしたというんだ。お前、何か知らないか?」


 「は?」


 「正直に言え。今なら穏便に済ましてやる」


 「まさか私が盗んだとでもいうのですか?」


 「違うか?」


 「ち、違います! 私は森田さんの財布なんか盗んでいません」


 「嘘をつけ! 同僚の田中の話じゃ、昨日更衣室から最後に出てきたのはお前だったそうじゃないか」


 「確かにそうですけど、でも、私じゃありません」


 「いいかげんにしろ!」


 その中年の男は、いきなり席を立つと、小倉の胸ぐらをつかんですごんだ。


 「うちの工場にはな、人の財布を盗む奴なんざお前ぐらいしかいないんだよ!」


 「そ、そんな」


 「お前、ガキのころに親に虐待されて、それで養護施設で育てられていたっていうじゃねえか、親がろくな奴じゃなけりゃ、そのガキもきっとろくな奴じゃねえからな!」


 「な、なんだと!」


 この言葉に逆上した小倉は、工場長と呼ばれるその中年の男をおもいきり突き飛ばした。工場長はバランスを崩して後ろに倒れ、机の角で背中を強打した。


 「ぐあ!」


 立ち上がろうとした工場長は突然、苦しいと言って胸のあたりを右手で握り締めた。すると、そのまま前のめりに倒れて、動かなくなってしまった。


 「し、死んでる!」


 小倉は、どうしたらよいか分からず、パニック状態となり、とっさに机の上においてあった社員の給料と思われる金をつかめるだけつかんで、その場から逃げ出した。


 字幕:なんでだよ、なんでこうなるんだよ! 工場長を殺すつもりなんてなかったのに! 俺はいままで真面目にやってきた。それなのに、近所で盗みや火事があると、真っ先に俺が疑われる。チクショウ! チクショウ! 不公平だろ、こんなのって!


(ふーん、どうやらこの事件は突発的に起きたものだったようだ。なるほど、自分の境遇を侮辱されての犯行か。亡くなった工場長には申し訳ないけど、小倉がちょっと可哀想に思えてくるな。鈴木警部に逮捕されかけた件についてはどうだろう?)


 ・キーワード:「刑事」及び「逃走」


 ・映像と音声:小さな路地を走っている映像。後ろから鈴木警部らしき人物が追いかけてくる。


 「見つけたぞ! 小倉!」


 小倉はなおも走り続けるが、行き止まりとなる。


 「もう逃げられんぞ、観念しろ!」


 「ちくしょう!」


 小倉は鈴木の方を向くと、内ポケットからナイフを取り出し、大声をあげながら鈴木警部に突進した。


 「うわあああ!」


 鈴木は、ナイフを持った小倉の右手の手首をつかみ、そのまま二人で地面に倒れ込んだ。鈴木は、小倉の右手を何度も地面にたたきつけて、ナイフを捨てさせようとした。


 「うう!」


 小倉は、右手に走る激痛でうめき声をあげた。小倉の右手の甲は、ひどく擦り切れ、皮がめくれて血が滲み出ていた。鈴木は、小倉の右腕を自分の右脇に抱えるようにして抑え込んだ。


 「よーし、大人しくしていろよ」


 鈴木が、上着のポケットから手錠をとりだそうとしたそのとき、小倉はその路地に転がっていたスプレー缶を左手でつかみ、鈴木の顔面に吹き付けた。


 「うわ!」


 小倉は、鈴木が一瞬ひるんだところを見逃さなかった。すぐさま立ち上がり、鈴木の鳩尾におもいきり蹴りを入れた。


 鈴木は、腹部を抱えてその場にうずくまり、そのすきに小倉はその路地のもときた入口に向かって走り出した。


 「くそ! 待て、小倉!」


 小倉が、路地の入口付近まできたとき、よほどあわてていたせいで気がつかなかったのか、その路地に面するビルの壁から突き出ていた金具のようなものに、左の肘を引っかけてしまった。小倉は、流血している左肘を右手で抑えながら、その路地を出て人ごみの中に姿を消した。


 字幕:友人のところに身を隠していたら、やっぱり刑事がやってきた。危うく捕まるところだったが何とか逃げた。だが明日には指名手配されてしまうかもしれない。くそ! 一体どうすればいいんだ!


(これは鈴木警部を検索したときと同じ内容の映像だ。やはり、二つの傷はこのときにできたものだった。次は、小倉の顔だ)


 ・キーワード:「顔」及び「整形」


 ・映像:鏡に整形した後の顔が映し出されている映像


 ・字幕:

    これが今の俺? 包帯を外され鏡に映った自分の顔をみて驚いた。全くの別人だ。刑事に捕まりかけた日の翌日、俺はバイクを盗んで逃走した。もうすぐ捕まるかもしれないという恐怖から俺はとにかく猛スピードでとばしまくった。頭の中が逃げることで一杯で、赤信号であることに気づかずにそのまま交差点に突っ込み、左から走って来た車にはねられた。その後のことは全く覚えていない。


    気が付くと、俺は病院に居た。医者の説明では、一週間ほど昏睡状態がつづいたが、なんとか一命をとりとめたとのことだ。だが、ヘルメットをかぶっていなかったせいで特に顔と頭に重傷を負い、緊急の手術が行われたらしい。特に顔の状態がひどく、もとの顔の状態がほとんど分からないほどだったという。


    目を覚まして医者に自分の名前を聞かれたとき、俺はとっさに記憶喪失を装った。幸いにも俺はそのとき自分の身元を証明するものを何も持っていなかったのだ。警察は何度も俺を尋ねてきたが、結局、俺が逃走中の小倉隆弘であることには気づかなかった。そして事故から約三カ月が過ぎようとしたころ、俺は鏡の前で全く新しい自分と出会うことになった。


    これは、神様が俺に与えてくれたチャンスだ。鏡に映った自分を見た瞬間にそう思った。強盗殺人犯の小倉隆弘はここにはもういない。顔を整形して俺は生まれ変わった。これから俺は全く別の人間として人生をやり直す! 生きる! 生き抜いてやる!


(なるほど、顔の整形はバイクの事故にあったときの緊急手術によるものだったのか。それにしてもこの小倉という男……運が良かったとかそんなレベルじゃない。自らの意志の力で、九死に一生ともいえる絶体絶命のピンチを、まさしく人生の転機に変えたんだ)


 しかしここで優介に一つの疑問が生じた。小倉がなぜ今頃になって急に和田に会おうとしたのか、その理由が分からなかった。いくら顔を変えたからといっても、警察がマークしている和田と接触すれば捕まる危険性が高くなる。なぜそんな危険を冒す必要があるのだろう?


 ・キーワード「和田かすみ」及び「連絡」


 ・映像と音声:公衆電話らしきものが映り、お金を入れて電話をかける様子が映し出された。


 プルルル


 「もしもし、和田ですが」


 「……」


 「どちら様ですか?」


 「……」


 「いたずらならやめて下さい!」


 「……かすみ」


 「え!? その声は、まさか、おにいちゃん? 隆弘お兄ちゃんなの?」


 「久しぶりだな」


 「ほんとに? ほんとに隆弘お兄ちゃんなの?」


 「タイムカプセル見たよ。ありがとう」


 「やっぱりお兄ちゃんだ。よかった、無事だったのね! ずっと心配してたんだよ」


 「迷惑かけて、ほんとうにすまない」


 「ううん。そんなことより、おにいちゃん、今どこにいるの?」


 「……」


 「おにいちゃん、もう逃げるのはやめて。二人で警察に行こうよ、ね?」


 「自首しろと?」


 「お願い、お兄ちゃん!」


 「悪いが、俺はもう小倉隆弘として生きていくのをやめたんだ」


 「え? どういうこと?」


 「お前の知っている小倉隆弘はこの世にはもういないんだ」


 「何のことだかさっぱり分からないよ。お兄ちゃん、とにかく、私と一度会って!」


 「お前には借りがあるし、会ってきちんと話をすべきだと思っている」


 「それじゃ会ってくれるのね?」


 「今度の日曜の夜十時、あの樫の木のところでどうだ?」


 「ええ、いいわ」


 ・字幕:かすみには絶対に迷惑をかけたくなかった。だからあいつには連絡しなかった。だが、タイムカプセルを開けたとき、どうしてもあいつに会いたくなった。あいつは、こんな俺のことをずっと心配してくれていた。


(タイムカプセル? 一体何のことだろう)


 ・キーワード:タイムカプセル


 ・映像と音声:木の根元をスコップで掘っている映像。近くに和田と思われる中学生くらいの女の子がいる。


 「よし、できた。かすみ、それもってこいよ」


 「はい、おにいちゃん」


 和田は小さな箱を持っていた。そして、小倉は、今し方掘った三十センチくらいの深さの穴の中に、その箱を入れて土を被せて埋め戻した。


 「これでよしっと」


 「これから十年後かー、楽しみだね、お兄ちゃん」


 「そうだな」


 「その頃の私たちって、一体どうなっているのかなあ?」


 「さあな」


 「おにいちゃんは、システムエンジニアになる夢が叶うといいね」


 「ああ、がんばるよ。かすみは、なんか夢を見つけたのか?」


 「うん、ひとつだけ」


 「へーえ、かすみの夢って何?」


 「えへへ、それはまだ秘密だよ」


 「なにそれ、つまんねえ」


 ・字幕:中学を卒業した俺は、明日から東京に行く。働きながら定時制の高校に通うためだ。かすみともあまり会えなくなる。今日はかすみの提案で、俺たちだけのタイムカプセルを埋めた。埋めた場所は、施設から少し離れたところに立っている樫の木の根元だ。小さいころの俺とかすみはこの樫の木のそばで良く遊んでいた。タイムカプセルには、俺はかすみに、かすみは俺宛に書いた手紙を入れてある。十年後にまた二人でここにきて、タイムカプセルを開ける約束をした。


(タイムカプセルには10年後の彼らのそれぞれに宛てた手紙を入れていたのか。当時の小倉が15歳とすれば、約束の10年後は25歳、つまり事件を起こした翌年ということになる)


 続いて次の映像と字幕が映し出された。


 ・映像:薄暗い中、木の根元をスコップか何かで掘り返している。土の中からさっきのタイムカプセルと思われる箱がでてきた。箱を開けてみると、中には、手紙が二通入っていた。


 ・字幕:俺は生まれ変わった。これからは、小倉隆弘としてではなく、全くの別人として人生をやり直す。だが、小倉隆弘としての未練が全くないわけではない。それはかすみのことだ。東京に出て来てからは、仕事と勉強が忙しくなって、なかなか会う機会が作れなくて、かすみとは疎遠になっていた。かすみに会いたいとは思っていた。しかし、こうなってしまった以上、あいつには絶対に迷惑をかけたくない。そんなとき、昔二人で埋めたタイムカプセルのことをふと思い出した。あのときのタイムカプセルには、かすみが俺に宛てた手紙が入っているはずだ。その手紙の内容をどうしても知りたい。


(どうやらこの映像と字幕は、小倉が事件後にタイムカプセルを掘り起こしにきたときのものらしい)


 ・字幕:ちょうど今年はカプセルを埋めてから十年目の年だ。だが、約束した日付はとうに過ぎてしまっている。箱を開けてみると、手紙が二通入っていた。昔のままだと思っていたら、何か変だ、手紙のうちのひとつの封筒が何故か妙に新しい。よく見ると二通とも俺宛の手紙だ。新しい方の封筒をあけてみると、中には手紙と二十万もの現金が入っていた。


 ・手紙の映像:

 隆弘お兄ちゃんへ


 この手紙を読んでいるということは、お兄ちゃんは無事だということですね。今日は、二人で十年前に約束した日です。


 私はずっと待っていました。でも、とうとうお兄ちゃんは現れませんでした。お兄ちゃん、お願いです。無事ならどうか私に連絡(080-XXXX-ZZZZ)を下さい。


 私の気持ちは十年前と同じです。私は、今でもお兄ちゃんを愛しています。

                                                                     かすみより


 ・字幕:俺は、タイムカプセルのことなどすっかり忘れていた。そして、かすみもおそらくそんな昔のことなど覚えているはずはないと思っていた。だがそうではなかった。かすみは、約束をちゃんと覚えていた。そして約束の時間にここに来ていたのだ。目から涙があふれた。俺は、かすみの手紙をにぎりしめ、しばらくその場に座りこみ、今すぐかすみに会いたいと心からそう思った。


(なるほど、小倉がいくら自分の過去を忘れようとしても、和田のことまで忘れようとすることはできなかったんだ。おそらく小倉も和田のことを愛しているのだろう。小倉の和田に対する思いが、危険を冒してでも和田と会うことに向かわせたようだ)


 ここまでのことをまとめると、小倉と和田は児童養護施設時代の幼なじみで、小倉が事件を起こしてから二人は全く会っていなかった。しかし、十年前に約束したタイムカプセルをきっかけに一ヶ月ほど前に再会していた。警察が和田を事情聴取したのは、和田が小倉と再会する前だった。


 速見は最後に小倉の現在の住所と電話番号の検索をして、先ほど和田から得た情報に間違いがないことを確認した。


 検索を終えた速見は、浜崎と名乗る小倉に丁寧にお礼を言った。


「なるほど、とても良く分かりました」


「そうですか。まだ何か分からないことがありましたら遠慮なく聞いて下さい」


「ありがとう。長い時間付き合わせてしまってスミマセンでした」


「いえいえ、とんでもありません」


 小倉は笑顔でそう言うと、フロントの方に戻っていった。


 速見はとりあえず、教えてもらったとおりにパチンコ玉を購入して打ってみた。しかし、ものの五分もすると、千円で購入したパチンコ玉は全てむなしく最下段の穴の中に吸い込まれていった。


 あーあ、とばかりに速見は早々に切り上げて席を立ち、出口の方へ向かった。フロントで景品の整理をしていた小倉に、苦笑いを含む軽い会釈をした。


「あっ、もうお帰りですか?」


「ええ、どうも私には向いてなさそうです」


「まあ、そういうときもありますが、出るときは出ますので、またいつでもおこし下さい」


 速見は、小倉に向かって軽く右手を上げてパチンコ店を出ると、店の前に停めてあった自転車に乗ってコンビニを探した。少し行くと、店内に小さなカフェのある大手のコンビニがあった。そのコンビニに立ち寄ってスマホの写真をプリントアウトした後、カフェのカウンターのところに行って報告書を書き上げた。そのコンビニを出て再び自転車に乗ると、急いで大淀署に戻り、河合巡査に写真と報告書を手渡した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る