第7話 忙しい日
警察署の二階にある捜査一課には、その日、所属するほぼ全ての刑事が集められていた。
「よーし、いいか、今日は大捕り物だからな。気合入れろよ!」
鈴木がそう言うと、鈴木の周りに集まっていた十数人の刑事たちが、「はいっ!」と声をそろえた。
振り込み詐欺の情報提供からおよそ半月の間、その情報(ねた)を基に周到に準備を進めてきた刑事たちは、振り込み詐欺の犯行現場を押さえようと意気込んでいた。
「失礼しまーす」
河合は、捜査一課のドアをノックした後、ドアを開けて中に入り、鈴木を探した。部屋の中を見回すと、鈴木は部屋の奥にあるホワイトボードの前にいて、数人の刑事たちに取り囲まれるようにして立っていた。
河合は、刑事たちの間をかき分けるようにして、鈴木警部に近づいて声をかけた。
「あのー、鈴木警部」
「ん? 君は確か、堀野係長のところの……」
「河合です」
「そうそう、河合君だったね。どうした?」
「さっき速見さんがお見えになりました。」
「速見? 誰だ?」
「覚えていないのですか? 今朝、警部が強盗殺人犯の捜査を依頼された方ですよ」
「ああ、探偵の兄ちゃんか。奴がどうした?」
「これを警部に渡してほしいと言われて」
河合は、速見から受け取った封筒と手帳とを鈴木警部に差し出した。
「調査は終了したそうです」
「はあ? 終わった? 期限は今日いっぱいだ。まだ半日残っているじゃねえか」
「そうですよね」
「ふん、まあいいさ。時間の無駄ってことに気付いたただけましだよ」
鈴木は、手帳を内ポケットにしまうと、その封筒をそのまま机においた。
「鈴木警部、封筒の中身をご覧にならないのですか?」
「そんなもん見たってしょうがねえよ。結果なんか最初から分かってるしな。中身はどうせ請求書の類に決まってる。あいつめ、成功報酬しかもらわないとか言ってたくせに」
「それじゃこれどうされるんですか?」
「悪いがそっちで適当に処理しておいてくれ、俺たちはこれから出なきゃならん」
「そうですか、わかりました。ですが一応、中身の確認だけでもお願いします」
「君が確認してくれ」
「私が中を見てもいいのですか?」
「ああ、かまわんよ」
「それでは、ちょっとハサミをお借りしたいのですが」
「ハサミなら、ほら、むこうの机の上にある」
河合は、捜査課の部屋の隅にある机にまでいき、その上においてあったはさみで封筒を開けた。中を見てみると、数枚の写真と、調査報告書と書かれたA4サイズの紙が一枚入っていた。
写真には二十代後半くらいと思われる男性の姿が写っており、以下が調査報告書の内容である。
〈調査報告書〉
大淀警察署 捜査一課 鈴木 源次郎 殿
本日ご依頼のあった小倉隆弘の現在の住所などにつきまして以下の通りご報告申し上げます。
住所:東区3―10 コーポ青葉501
職場:パチンコWELLMAX寿町店
尚、小倉隆弘本人の写真を同封しておりますので、ご確認下さい。
上記内容に納得していただいた場合、以下の口座に20XX年4月30日までにご入金をよろしくお願いいたします。
また、調査結果についての質問等は一切受け付けておりませんので、ご了承下さい。
20XX年4月15日 私立探偵 速見優介
(……! !? ちょっ、ちょっとまさかこれって)
かなりシンプルな記載だったが、その内容は河合に大きな衝撃を与えた。河合は左手に報告書を持ったまま、机に置いてある写真と封筒を右手でかき集めると、すぐさま鈴木の元にそれらを持っていった。
「鈴木警部、大変です! これを見て下さい!」
「どうした?」
「封筒の中に、写真と調査報告書が入っていたんです!」
「それで?」
「報告書には小倉容疑者を見つけたと書いてあります。同封した写真の男が小倉容疑者だそうです!」
「なんだと!?」
鈴木警部は、河合から奪うようにその封筒を取ると、中の写真を自分の机の上に並べだした。それを見ていた刑事たちが、何事かと鈴木と河合の周りに集まってきた。刑事たちの中には小西もいた。
「警部、何すかこの写真?」
「探偵が小倉を見つけたんだとよ」
「小倉って、あの指名手配中の〈小倉隆弘〉ですか?」
小西は、写真を一枚手に取ると、顔をしかめた。
「この写真の男が小倉? ポスターとは顔つきが全く違うじゃないですか」
「そうだな」
「警部、この写真の男が小倉だっていう根拠は一体何ですか? 調査報告書と書かれたこの紙切れには何の説明もないし、この写真だけでこの男が小倉だなんてとても断定なんかできませんよ。その探偵、明らかに警部を馬鹿にしてるっすね」
河合も、指名手配のポスターに載っている小倉の顔と、写真の男の顔とを見比べてみたが、やっぱり別人のように見えた。
だが鈴木は、全ての写真を入念に見ていた。そして、突然何かに気付いたように二枚の写真を手に取ってそれらに食い入ると、鈴木の顔面が次第に紅潮し始めた。小西が鈴木の異変に気づいた。
「警部、どうかしましたか?」
「……奴だ」
「は?」
「この写真に写っている男は、小倉だって言ったんだよ!」
「まさか! どういうことです?」
「整形してるんだよ! それもかなり大胆にな!」
「なぜそんなことがわかるんすか?」
「この写真だ!」
鈴木は、さきほどの二枚の写真を指した。二枚の写真のそれぞれには、袖まくりをした男の右腕と左腕が写っていた。
「この写真がどうしたんです?」
「この男の右手の甲と左肘に何かの傷跡みたいなものが見えるだろ?」
「ええ、そうですね確かに。でもその傷跡が証拠だっていうのですか? 小倉にそんな特徴があったなんて私初耳ですよ」
「そうだよな」
小西は鈴木の言葉に首を傾げながら、すばやくパソコンで小倉に関する捜査記録を検索した。
「やっぱり。見て下さい警部、そんな傷のことなんてこれまでの記録に載っていませんよ」
しかし鈴木は、パソコンの画面に目を向けようとはせず、少し遠い視線を放ちながら、うなずくように顎をわずかに引いた。
「この二つの傷は、今から三年前、俺が奴を取り押さえようとしたときに負った傷だ」
「えっ? どういうことです?」
「三年前、つまり奴が全国に指名手配される前、俺は、浜竹市の友人宅に奴が潜んでいることを突き止めたんだ」
「ああ、その話なら聞いてます。でも残念ながら逃げられてしまったとか」
「そうだ。あのとき奴はかなり綿密な逃走経路をすでに考えてあったみたいで、一緒だった二人の刑事はまんまとまかれてしまったが、それでもなんとか俺一人で奴を路地裏まで追いつめたんだ。奴はナイフを持っていて、いきなり切りつけてきやがった。俺は、とっさに奴の右手を掴んで、そのまま二人とも地面に倒れこんでもみ合いになった。そのとき、とにかくナイフを捨てさせようとして、奴の右手を何度も地面に叩きつけたんだ」
「右手? まさかこの写真の男の右手甲の傷がそのときにできたものだというんですか?」
「おそらくな。そして、奴が急にぐったりしてやっと観念したかと思って手錠をかけようと一瞬だけ奴から目を逸らしたとき、不覚にもみぞおちを蹴られて、うずくまった隙に逃げられちまった」
「左腕の傷の方は?」
「その路地の壁から何か釘みたいなものが飛び出ていて、あいつが逃げるときその釘に左肘を引っかけたんだ。左腕から血がしたたり落ちるのが見えた」
鈴木は二枚の写真を持ちながら、当時の詳しい状況を必死に思い出そうとしていた。
「奴の右手の甲と左肘の傷のことはこの俺しか知らない。そしてこの写真の男はその特徴を二つとも持っている」
「じゃあ本当に、この男が?」
「分からん。とにかく、すぐに確かめる必要がある!」
鈴木は、捜査二課に電話をした。
「駒田部長か? 一課の鈴木だ。急で悪いが応援を頼みたい。刑事を二、三人こっちに回して欲しいんだが……そうか、ありがとよ!」
鈴木は受話器を置くと、小西に向かっていった。
「小西、振り込み詐欺のガサ入れは、お前が指揮を取ってくれ。俺は二課の連中と一緒にこの写真の男の元へ向かう」
「分かりました警部! 任せて下さいっす!」
「頼んだぞ!」
鈴木は、再び写真を手に取り、目を細めながらつぶやいた。
「それにしても、あの探偵の兄ちゃん、一体どうやって見つけやがったんだ?」
大淀署の刑事たちにとってその日は、いつも以上に慌ただしい一日となった。
小西らは、タレコミに書いてあったマンションの一室で振り込み詐欺の現場をおさえ、そこにいた詐欺グループのメンバー全員を現行犯逮捕した。
一方、鈴木たちは二班に分かれ、速見の報告書に書いてあった男の職場であるパチンコ店と住所であるアパートのそれぞれに赴いた。鈴木はパチンコ店の方に向かった。
鈴木らがパチンコ店に到着したとき、男はゴミ出しのためにちょうど外に出ていた。鈴木たちが即座に男を取り囲むと、男は、初めはかなり驚いた様子を見せたが、鈴木の顔を見るなり何かを悟ったように、力を無くした視線を下に落とした。
「小倉隆弘だな」
鈴木が詰問すると、男はゆっくりと頷いた。
その日、大淀署の管内で二つの事件が解決し、それに関する記者会見が開かれた。スピーカーには、大淀署の署長と副署長、そして鈴木警部が含まれていた。夕方のニュースでは、強盗殺人容疑で指名手配中の小倉隆宏と、振り込み詐欺グループを構成する主犯を含むほとんどのメンバーが逮捕されたことが大きく取り上げられていた。
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