第6話 午前中

 午前11時45分、河合巡査は、午後の会議で使用される資料の整理をしていた。


「河合君、悪いけど、ここの資料を第一会議室に運んでおいてね」


「はい、係長、分かりました」


 河合は堀野に頼まれた資料を両手でもち、第一会議室に向かった。書類は五十センチほどに積み上げられていた。


(もうすぐお昼か、これを片づけたら午前中の仕事はおしまいね)


 河合が第一会議室の手前まで来たとき、突然ドアが開いて中から女性が出てきた。


「あら? 美緒じゃない」


「あ、留美先輩!」


 会議室から出てきたその女性は、少年課の宍戸留美巡査であった。


 大量の書類を抱えた河合の姿を見た宍戸は、再び第一会議室のドアを開けて中に入るとドアを開けたままにして、河合に中に入るように促した。


「あ、先輩、ありがとうございます」


「いえいえ、どういたしまして」


 河合は、会議室の中に入ると、持ってきた書類を机の上に置いた。


「これでよしっと。助かりました先輩、先輩も準備に来ていらしたのですか?」


「ええ、机と椅子が足りないから揃えてくれって言われたのよ。全くこんなか弱い乙女にあんな重いもの運ばせるなんてほんと信じられないわ」


「確かに、でも、先輩なら全然大丈夫ですよね」


「大丈夫って、ちょっとそれどういう意味よ!」


 宍戸の快活なオーラが、の全身を覆った。


 宍戸は河合よりも二つ上で、河合と同じ高校の陸上部の先輩であった。

 ちょっと男勝りのところがある宍戸は、練習のときは非常に厳しい先輩であったが、後輩から何か相談を持ちかけられると、どんな些細なことでも親身になって話を聞いてくれる面倒見の良い先輩でもあった。


 河合は宍戸のことを姉のように慕っていた。実は河合が警官になったのも、宍戸が進学せずに警官採用試験を受けて合格したことを陸上部の別の先輩に聞かされ、なぜか自分も警官になるしかないと思い込むようになっていたからで、結局、警察のことを良く知らないまま、本当にそうなってしまったのである。


 準備を終えた宍戸と河合は、一緒に会議室を出た。


「そういえば美緒、聞いたわよー」


「? 何ですか、先輩?」


「あなた、捜査協力を依頼する探偵事務所を間違えたんですって?」


「ええっ? 先輩、どうしてそのことをご存じなんですか?」


「ふふふ、ほら、地獄耳って奴よ。ま、ほんとは堀野係長が喫煙室でボヤいているのをちょこっと小耳にはさんだだけ。だってあの係長が珍しく興奮しててさ、そういうのって気になるじゃない。だから耳をすまして聞いてた。確か鈴木警部と探偵がものすごい喧嘩をしたんですって?」


「そういうことですか……ええ、その通りです。私が名前を聞き間違えたせいで、鈴木警部だけじゃなく、探偵の方にもご迷惑かけてしまって」


「ぷっ、ははは、あなたらしいわねー」


「先輩、私、今すっごく落ち込んでるんです。そんなに笑わないでくださいよ」


「ごめんごめん。でもまあ、そんなに気にすることないわよ。間違いは誰にだってあるし」


「それはそうですけど……」


「それじゃ、今日仕事終わったら気晴らしに二人で飲みに行く? 心配しないで、ちゃんとおごってあげるから」


「ほんとですか?」


「もちろんよ。ついでにあんたの彼氏のことなんかもいろいろ聞きたいしねえ」


「えー? 私彼氏なんていませんけど」


「またまたとぼけちゃって。いろいろと聞いているわよ。確か捜査課の桐矢さんじゃなかったっけ?」


「違う、違います。それは私が一方的に、その……」


「ふーん、まっ、詳しいことはお店でね」


 宍戸と河合が廊下で楽しく話をしているとき、宍戸は、河合の後ろの少し離れたところで、きょろきょろと辺りを見回しなが歩いてくる一人の男に目を止めた。


「誰かしら? さっきから何か探してるみたいだけど」


「どうしたんですか先輩?」


「ほら、あそこよ、待合室の前にいる黒いスーツを着た男の人」


 河合が後ろを振り向くと、待合室の前で窓越しに中をのぞきこんでいる速見の姿が見えた。


「あれ? 速見さんだ」


「速見? じゃあ、あの人が、あなたが間違えたっていう探偵さん?」


「ええ、そうです」


「へえー、どれどれ背は少し高めで、くせ毛のないナチュラルストレートヘアか、鼻筋は通ってるわね。ふーん、顔はまあまあだけど、お金とはあまり縁がなさそうねー」


「そんな先輩、失礼ですよ」


「ふふ、冗談よ、冗談!」


 先輩が言うとそんな風には聞こえないんだよねと思いつつ、河合は速見の方を見やった。


「それにしても速見さん、どうしたんだろ? 先輩、私ちょっと行って見てきます」


「そうした方がいいみたいね。じゃ、今日仕事が終わったらまたいつものお店で待ってるから」


「分かりました先輩、それでは失礼します」


 河合は、宍戸に軽くお辞儀をして、速見のところに行った。


「速見さん!」


「あっ、河合さん」


「どうされたんですか? 何か忘れ物でも?」


「いえ、あなたを探していたところなんです」


「私をですか?」


 速見は持っていた鞄の中からA4サイズの封筒と、鈴木警部の手帳を取り出して河合に差し出した。


「なんですか、これ?」


「調査報告書と、お借りしていた手帳です。鈴木警部に渡して下さい」


「調査報告書って、何のですか?」


「もちろん、今朝依頼された仕事の件ですよ。調査は一応終了しました」


 速見は、そう言って河合に封筒を手渡すと、もと来た廊下を引きかえそうとした。


「速見さん、ちょ、ちょっと待って下さい!」


 しかし速見は足を止めずに、ふりむきざまに河合に言った。

「中身を見れば分かりますから。後はあの人、鈴木警部次第です」


「速見さん! ちょっと、あー、もう!」


 河合が引き留めようとするのも聞かずに、速見は足早に警察署から出ていってしまった。


「係長にまた怒られちゃうな。それにしても調査は終わったって、一体どういうことかしら?」


 河合は首をかしげたが、とにかくその封筒をもって鈴木警部のいる捜査一課に向かった。

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