第3話 大淀警察署にて

 午前8時45分、王京都大淀警察署付近。


「新聞がえーっと、ひい、ふう……四紙ですね。520円になります」


「そうかい、じゃこれで」


「えー……あっ、ちょうどですね。ありがとうございました。またおこし下さいませ」


 女性店員は、両手を前で交差させつつ短く丁寧なお辞儀をした。


 4つの朝刊を脇に抱えた、がに股の男が、足早に朝のコンビニを出た。男の名前は鈴木源次郎。大淀警察署の刑事部捜査第一課に所属する刑事である。


 鈴木は、通勤途中にあるコンビニに立ち寄り、とりあえず置いてあったすべての種類のスポーツ新聞を買うと、急いでそのコンビニを出て大淀警察署に向かった。


 大淀警察署に着いた鈴木は、コートも脱がずに、自分の席に座り、買ってきた全てのスポーツ新聞のある記事の部分を机の上に広げて読み始めた。


(北原祥子さんの長男見つかるか)


 鈴木は、六年前に起きた誘拐事件に関する記事を読んでいた。


「おはようございます!」


 鈴木が新聞を読んでいると、突然、鈴木のすぐ後ろで元気な声がした。記事に集中していた鈴木は、その声に少し驚いたがすぐに平静を取り戻して後ろを向いた。


 そこには身長はそれほど高くないが、がっしりとした体格の短髪頭の若者が笑顔を見せて立っていた。鈴木の部下の小西博之巡査であった。


「おう、小西か、おはようさん」


「源警部、今朝は馬鹿に早いすね。しかもこんなにたくさんの新聞買い込んで。一体どうしたんですか?」


「ああこれか? 北原祥子の長男が福田で見つかったのを知っているか?」


「ええ、それなら今朝のテレビで見たっす。確か六年前に起きた誘拐事件で、北原祥子の双子の姉が犯人だったとか」


「そう、その事件だ」


「その事件がどうかしたんすか?」


「その事件の所轄は、八つ橋署だった。当時俺は、その八つ橋署に所属していて、その誘拐事件の捜査主任を担当していたんだ」


「えっ、そうだったんですか? 今初めて聞きました」


「ああ、そのときは本庁からの刑事を含む何十人もの捜査員を導入して捜査したが、結局何の手かがりも見つけられなくてよ。捜査の打ち切りを告げたときの北原さんの泣き崩れた姿が今でも忘れられねえ」


 鈴木は、当時のことを思い出しながら再び新聞を読み始めた。


 福田県警は、六年前に発生した元女優北原祥子さんの長男で当時一歳三か月の和幸君が誘拐された事件で、北原祥子さんの双子の姉である杉浦和歌子容疑者を誘拐の容疑で逮捕した。杉浦容疑者は、北原祥子さんに付き添われて福田警察署に自首してきたという。


 警察の調べによると、事件が発生したその日、杉浦容疑者は、北原祥子さんと長男の和幸君が一緒に出演する予定だったある育児番組の収録の日に合わせて、その日の早朝に東京行きの新幹線に乗ってTV局に向かった。そして、TV局に到着した杉浦容疑者は、北原さんの楽屋の近くで待ち伏せし、北原さんがほんのわずかの間楽屋を離れた隙にその楽屋に忍び込み、ベビーベッドでぐっすり眠っていた和幸君を、持ってきたボストンバックの中に入れて、そのまま自宅のある福田へと連れ去った。


 犯行の動機について杉浦容疑者は、事件発生の日から約半年くらい前に夫を交通事故で亡くしており、さらに、事件発生の日の三日前に息子の隆之君(当時九カ月)を乳児突然死で亡くしていた。そして、亡くなった隆之君の遺体を抱えながら、北原さんと一緒にTVに出ている和幸君の姿をみて、誘拐を計画したという。


 その後、杉浦容疑者は、亡くなった隆之君の遺体を自宅の裏山に密かに葬り、その死の事実を隠したまま、北原祥子さんの息子の和幸君を自分の息子の隆之君として育てていた。

 鈴木は、全ての新聞を読み終えると、上着のポケットから煙草を取り出し、ゆっくりとふかし始めた。


「まったくやりきれねえ。杉浦は亡くなった自分の子供の身代りとして、和幸君を誘拐したっていうのか」


「当時の捜査では、杉浦をどうしたのですか?」


「もちろん杉浦にも事情聴取をしたよ。そのとき杉浦は、事件のあったその日は福田の家に子供と二人で居たと言っていたが、それを証明できる者はいなかった。つまり、彼女にアリバイはなかった。しかし、そもそも彼女にそんな動機があるとは思えなかったし、実際、子供の世話で忙しい彼女にできるはずがないとみて、その後の捜査対象からは外したんだ」


「普通は、そう判断するっすね」


「ああ、だから今朝のニュースを聞いた時は耳を疑ったよ。本当に驚いた」


「北原さんも、まさか自分の姉が犯人だったなんて、とても信じられなかったんじゃないすかね?」


「全くだ。杉浦も気の毒な女だと思うが、しかし、まさか甥っ子を誘拐するとはな」


「警部、一つ聞いてもいいすか?」


「なんだ?」


「北原さん、どうしてその子が自分の子供だと分ったんすかね? 別れた旦那さんに良く似ていたとかですか?」


「どの新聞にも、そのへんの詳しいことは書かれていないな。ただ、髪の毛のDNA鑑定が決め手だったみたいだが」


「でも、いきなりDNA鑑定っていうのも変な話ですよね?」


「まあな」


 鈴木は、できれば北原か杉浦に直接会って話を聞きたいと思っていた。テレビや新聞から得られる情報だけでは決して満足できるものではなかった。


(騒ぎがもう少し落ち着いたら八つ橋署に行ってみるか)


 一旦は大きく膨らんだ当時の記憶と想いを、か細い糸へと紡いでつなぐようにして、鈴木は机の上の新聞を片づけ始めた。

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