第2話 元女優

 一週間前の雫石市黒沢町。


「こんにちは、北原さん、郵便です」


 集配用の赤色のバイクに乗ってやってきた郵便局員が、庭の花壇の手入れをしていた女性に、垣根越しに一通の封筒を手渡した。


「ありがとう、ご苦労様」


 女性は、軽くお辞儀をしてその封筒を受け取り、裏面を見て差出人を確認すると、庭に面したテラスの方へ足早に移動し、丸いガラステーブルの上にその封筒を無造作に投げ置いた。冷めた視線を封筒に投げかけ、ふと我に帰ったように、花壇に戻って手入れのつづきをした。


 女性の名前は北原祥子という。現在四十二歳。彼女はかつて、数々のテレビドラマや映画にも出演する実力派女優として知られていた。


 彼女は、十年ほど前、所属する芸能プロダクションの社長の紹介で知り合った実業家と結婚した。そして結婚三年目に息子の和幸(かずゆき)をもうけ、家庭も仕事も順調で幸せな日々を送っていた。


 しかし、六年前のある日、一歳を迎えたばかりの和幸が何者かに連れ去られてから彼女の人生は一変した。


 その日、北原は和幸と一緒に、ある育児番組にゲスト出演する予定だった。

 収録まで少し時間があったので和幸をTV局の楽屋に寝かしつけたところ、急にディレクターに呼び出しを受けたため、北原は仕方なく和幸を一人残したまま楽屋を出た。そして十五分ほどの打ち合わせをして急いで楽屋に戻ったが、そこに和幸の姿はなかった。


「和幸! 和幸!」


 北原は、子供の名前を大声で叫びながら、TV局の中を探しまわった。現場は一時騒然となり、事情を聞きつけた番組のスタッフも全員で探したが、見つけることができなかった。


 誘拐事件として警察による大規模な捜査が行われたが、身代金などの要求はなく、結局、子供の行方は分からないまま捜査は打ち切られてしまった。


 その後、北原は子供を失ったショックから女優を辞めてしまった。さらにその事件があってから夫婦仲が拗れてしまい、事件からおよそ一年後に離婚した。現在は、週に一度のラジオ番組のパーソナリティをしながら、都心から車で一時間ほど離れたベッドタウンの雫石で一軒家を借りて一人で住んでいる。


 北原は、子供のことをどうしても諦めることができなかった。七年を経た今でも、きっとどこかで元気にしているに違いないと信じていた。


 警察の捜査が打ち切られてからは、仕事が休みになると全国各地の児童養護施設を回るなどして情報を集め、さらに興信所や探偵事務所に調査を依頼して和幸の行方を捜していた。


 さきほど受け取った封筒は、最近依頼したある探偵事務所からのものだった。


 ようやく庭の手入れが終わり、北原は一休みしようとテラスにある椅子に腰かけた。そして、さっきテーブルに置いた封筒を手に取り、大きな溜息をひとつついた。

 依頼した興信所や探偵事務所から事前に何の連絡も無く唐突に送られてきた封筒が、彼女に何かわずかでも希望や喜びをもたらしたことはこれまでに一度もなかった。


「今回も駄目だったようね。でも、調査内容と費用の確認はしておかないと……」


 北原は、その封筒を開けると、開封した口を少しだけ斜め下に向けて中の便箋を引き抜こうとした。


 カラン!


 その時、何かがテーブルの上に転がった。


 拾い上げて見ると、それは小さな筒状の透明なプラスチックケースで、初めは空だと思ったが、よく見ると髪の毛のようなものが中に入っていた。


 封筒の中には丁寧に三つ折りにされた便箋が一枚入っていた。とり出して広げてみると、冒頭に『調査結果報告書』と書かれていた。


 北原は、髪の毛のようなものが入れられたプラスチックケースと、報告書という妙な組み合わせに首をかしげながら、その報告書を読み始めた。


「……なっ!? そんな、まさか!?」


 思わず声を上げた北原は、その調査結果報告書を食い入るようにして何度も読み返した。そこには、ある意外な事実と共に、息子の和幸が見つかったことが記されていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る