椿の君

 何年ぶりかに君に会ったのは初夏のことだった。

 俺はうだるような暑さに額に滲む汗を手の甲で拭う。この調子であと数ヶ月は続く夏を越えられるのか。その見通しはまったくもって立たない。

 月のない夜だった。夏至も過ぎた午後七時。空は藍に染まっている。

 もうすっかり慣れてしまった一人の帰り道。知り合いのだれもいない高校を選んだのは何でだったか。たしか、振り回されたくなかったから。ただ、何もせず、面白いことも言わず、歩く。そんな時間が欲しかったからだったかもしれない。

 あと少しで部活の先輩方が引退する。それまでに少しでもたくさんのことを教えてもらいたい。でも、自分から話しかけるような踏ん切りもつかなくてうじうじしている。そんな自分に焦っている。

 あーあ。

 小さく声に出して、自分のヘタレさを嘆く。

 何かに本気で打ち込む勇気がなかった。半端な自分がもどかしかった。こんなの中学の先生方には言えないなあ。片方の口角を上げて、自嘲の笑みを浮かべる。ひゅっと俺の重い前髪が風に飛んだ。ぱっと視界がクリアになる。

 そこにいたのは懐かしい君の顔だった。小学校の頃に仲良くしていた三つ年下の。溌剌とした笑顔で、自転車を漕ぐ。こちらに向かってきていた。

 あっ。

 何を言う暇もなかった。

 涼しげなジャージーのTシャツをなびかせて、坂を下っていった。ペダルを踏み込むふくらはぎが健康的な筋肉の筋を露わにしていた。

 俺が呆気にとられて立ち尽くしているうちに、君は行ってしまった。振り返ってみても、ぐんぐん遠ざかる背中。

 俺は彼女に会って何が言いたかったのか。

 久しぶり? 元気だったか?

 どれもしっくりこない。

 そもそも俺と君はどうして仲がよかったんだっけ?

 ああ、わからない。

 ただ、一瞬の風のように見えなくなってしまった爽やかな笑顔が、僕に向けられていたらいいのに。そう思った。

 たぶん、僕はずっと、君に焦がれていた。

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