だからひとりでいたいのだ

 波の音ではなかった。

 僕の目が認識しているのは、真夜中のような黒でもなければ、透き通るエメラルドグリーンでも、爽やかな空を反射した青でもない。ただ陽の光を受けた緑。あおくさいような、土臭いような懐かしい匂いの色。

 上空で雲が流れるように、梢が大きな体を揺する。身を寄せ合う、衣が擦れ合うような音。

 スポットライトのような陽光から逃れるように、奥へと進む。もう帰り道は分からなくなってしまった。無論、最初から帰るつもりなんてなかったのだから、そんなことを考えることすらおかしかった。

 ひとりだった。

 他に人はいなかった。

 少なくとも、僕の存在は、他の誰にとっても存在を認識する対象として写っていない。僕にしたって同じだ。だから、この空間に他に誰かがいようとも、このとき、僕はひとりだった。

 だれにも知られない。だれにも見られない。だれにも求められない。

 心地よかった。

 なによりも美しく世界が回っていた。

 コペルニクス的転回。それがどんなものかなんて知らない。でも、今の心持ちはそんな言葉がふさわしい気がした。

 泉の水を手で掬う。

 一気に飲み込んだそれは炭酸水で、ばちばちと喉の奥で弾ける気泡が痛かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る