Spem In Alium Thomas Tallis

吉川 卓志

僕は吐き気を覚えた

 家に荷物が届いたのは午後3時頃で、呼び鈴の音に起こされた僕は応対しようかどうか迷った。しかし服のまま寝ていたから、まあいいだろうと布団から出、階段を下り、玄関を開けたらそこにいたのは20代だろうか、小柄で笑顔が美しい女性だった。

細い縦縞の制服。無駄なくきっぱりとした動作。本当に笑っている奥まで澄んだ目の色。白く細い手の指。


 彼女は、無精ひげを伸ばし、しわくちゃのチノパンにプリントTシャツを着たの30半ば過ぎのこの僕の姿を見てどう感じただろうか?

僕は自分で応対した事に後悔した。不在表でも置いて行ってもらえば良かった。その姿を二階の窓から見ていればよかった。


 注文した荷物はプラモデルだ。最近通い始めたサークルで知り合った人が模型作りに凝っている。彼はとても真剣にこういう物を作っていて、熱心にその話をしてくれる。それで僕も真似をして、一つだけ買った。


僕は包装を開け、そのプラモデルの箱の上に書いてある、二機編隊で空を飛ぶ戦闘機の水彩画をじっと見た。


「第二次大戦の兵器はいいよ。何というか、何がこれをこの形にさせているのかが分かりやすくって。飛燕はね、水冷エンジンで、機首が細いでしょ? 先端がゼロ戦みたいなのは空冷。こういうのは水冷ね。

これはね、爆撃に来たやつを、凄い高い所を飛んでいるのね。それをこう、急上昇して撃ち落とす為に作られた機体でね。ビューン、ダダダダっと・・・ でも実際は爆撃機に体当たりしたんだよね」


それはいわゆる特攻ですか?


「いやこの時のパイロットはぶつける直前にパラシュートで脱出したのね。下は地面だから逃げ場が有るの」


 何がなんだかよく分からない。本物の人間同士が戦い合い殺し合っていたなんて。

 でも、自分が楽しんでいるコンピューターゲームも殺し合いを模倣した物だ。そんな事を改めて思う自分を、そのこと自体冷めた目で見る自分もまたいる。なんていう物を楽しんでいたのだろうとも思うけど、ゲームは実際楽しいし、兵器の模型を作りながら殺しを想像するのも楽しいだろうと思った。

 そう、想像の中なら何をしてもいいんだ。



 僕は荷物を机に置き、シャワーを浴びて、それからさっき荷物を届けてくれた人、仮にA子さんとする彼女と一緒に散歩に行く事にした。A子さんは実在の人物から想像された空想の人物だけど、一緒に散歩する自分はこの現実の世界を歩く現実。

想像上のA子さんは現実の僕の事を快く受け入れてくれると想像する。

想像上の僕はニコッと笑う。(現実の僕は笑っていない)

どこに行こうか?

どこに行く?



 小高い丘の住宅地のてっぺんに有った小さな公園は僕が子供の頃から有ったお気に入りの場所だった。でも最近、公園は解体されて跡地が保育園になってしまった。

 僕らがそこを通りかかった時には、ちょうど帰りの時間なのか若いお母さんたちが数名電動自転車で子供を迎えに来ていた。子供たちの声が聴こえる。


 僕らに子供が出来たらさ、ここに預けるのかな? 僕は仕事をしていないから、一日中子供と遊んでいても良いんだけどね、子供がここに来たがるかな? 君はどう思う?

そういう話を想像しながらそこを通り過ぎ、坂道を下り始めた。


 ふと、振り返ると自分たちのすぐ後ろにその車は迫っていた。園児たちを乗せたミニバンだ。運転手と目が合った。憎らしげにこちらを見ている。

車は、道幅は十分広いのにもかかわらず僕らをほんの僅かに避けただけの横をすり抜け、そのまますぐ先の左カーブに差し掛かって横転した。


 僕はしばらくあっけに取られていた。目の前で展開した様子は、事故であるにもかかわらずのんびり牧歌的で、滑稽でさえあった。実にシンプルに横転した車は今、底面をこちらに見せている。


 僕はA子さんをそこに残して、車の方に歩いて行った。車の中では保母さんがすでに立ちあがって、子供たちのシートベルトを外し椅子から降ろしていた。

その人は、横転したミニバンの中で立ち上がれるくらい小柄な人だった。

上に面したスライドドアは内側から開けられたようだけど、坂の関係でだんだん閉まってしまう。僕は車に登り、ドアを押さえた。


 保母さんは僕に向かって子供を差し出した。声は頼もしくしっかりしている。顔を見ると若かった。若いというより、まだ学生のお姉さんと言った雰囲気だ。そして細い。上から下まで細くて真っ直ぐな木の棒みたいだ。でも胸だけがバランスを欠いて大きかった。


運転手が見えた。呆然としていて何故か両手を万歳するように伸ばしていた。


僕は子供を受け取って地面に下ろした。

通りかかった知り合いのお母さんらしい人が、すぐ近くまで着て子供を受け取ってくれた。

もう一人、差し出されたので、同じように受け取って下ろした。もう一人そうした。


これで子供は全員だと言われたその時、運転手と目が合った。彼は体の状態はそのまま動かしもせず、何も言わず、ただ憎しみをたたえた目でこちらを見ていた。


成り行きで、保母さんが車を出るのも手伝う。その時彼女の体が僕に触れた。

彼女からは母乳の匂いがした。


僕は吐き気を覚えた。

こいつらは生きている。生き物だ。

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Spem In Alium Thomas Tallis 吉川 卓志 @Lolomo

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