第4話

【Princes Dragon】のゲーム内時間は、現実世界の時間と比べて二十四倍早い。現実世界の一時間がゲーム内の一日。現実世界で一日経てば、ゲームで二十四日が経過する。


 ブレインリンク型フルダイブゲームはゲーム内時間がリアルタイムに感じられるようになっているから、一時間の遊戯で、体感として丸一日遊んでいられたという満足感をえられるのである(ブレインインプラント型や脊椎直結型でもゲーム内時間の加速は得られるが、加速させ過ぎると脳細胞や頸椎神経に障害が出るということが判明した)。


 既存のリアルタイムゲームであるなら、ゲームの外に出て、数分待ってから再びログインすれば求める時間が経過していたし、大昔にあったPCの前に座って遊ぶMMOならゲーム内時間自体が凄い早さで過ぎていった。


 だが、現在ゲームをプレイしている小林はるかもとい、ポッケという小柄な妖精族の女の子が遊んでいるのは、アトラクターを利用し、オートマチック・プロダクト・クエスト・システム【APQS】を起用した、ソロプレイ用のRPG。


 時間や日にちによって作られるクエストや遊べるイベントが変わるというのに、ログアウト中に24倍速で時間が経過したら、わざわざソロプレイにした意味がない。故に、ログアウト中はゲーム内で時間は進まないようになっている。


 と、いうわけで。


 いま、ポッケは暇をもて余していた。


 ──デバッグ用キャラクターなんだから、スキップ機能とか、どうしてつけないかなぁ……。


 いや、わかっている。細かなバグや不都合を見落としてしまわないように、デバッグキャラにスキップ機能を付けていないことは。


 それでも文句はまろびでる。溜め息だって。

 

 ──いやね、分かってますよ? 昔はどうだったか知らないけど、今は生きるための労働がなくなってるんだから。そりゃ、ゲームの在り方も変わってますよ。あたしだってゲームは大好きだけど……けどさっ!


 ポッケの目の前には鏡があった。

 ポッケが要るのは酒場のバックヤードだった。

 

 詳しく言えば、踊り子たちの控え室だった。


「スキエブーハ様の推薦で今日から一緒に働くことになったポッケよ。ダンスの経験はないらしいの。みんな、教えてあげてね♪」


 少し前、そう言ったのはこの酒場のママである漢女おとめ。身長2メートルのマッチョだ。


 それから五人の踊り子が衣装のことや、レッスンの時間などを教えてくれて、今日は解散となったのだが……。

 

 ──しっかし、似合わねぇ……!


 もう、妖精族の小柄な女の子から出てきたら余計に似合わない感想が飛び出した。


 ──妖精族で小柄を選択したあたしのミスだけど……いや、ここまで似合わないか。笑える。


 ポッケは極端に深いスリットが入ったスカートや、大きく胸元の空いた服を摘まんでみる。


 ──こーいうのって、スラッとしたお姉さん系じゃん。ゲームのイベントだからって画一的すぎないかな。女性キャラの容姿に合わせて衣装を変えるとか出来るじゃん。その為のアトラクターじゃん。……いや、現実の店舗だって制服は揃えるけどさ。スキップ機能、やっぱり欲しいって思っちゃう。こういう時に限ってはさ。


 ポッケはもう一度溜め息を吐いて、鏡から目を離した。そのタイミングで──。


「ポッケちゃん、そろそろお店閉めるから着替えちゃってね」


 巨体の漢女おとめが顔を覗かせた。

 漢女おとめはポッケの格好を認めると上から下まで舐めるように見る。


「うん、いいわ。すごく良い」

「……本気で言ってます?」


「あらやだ、本当よ! アタシは嘘はつかないもの」

「えぇ……」


「まあ、確かにお店の他の子と比べたらお色気が少し足りないけれど、ポッケちゃんにはポッケちゃんにしかないよさみがあるもの!」

「よさみ、ですか?」


「ええ、もちろんよ! 片田舎から出てきた垢抜けない娘が精一杯背伸びしてますっていう、自然と保護欲が刺激されちゃう天然さがポッケちゃんにはあるもの!!」

「あたしって天然田舎娘なんですね……」


 繰り返すが、このゲームはリンクされた脳から個人個人に反応してキャラクターが会話をするよう設計されている。個人の趣味嗜好は勿論、リアルタイムで脳内物質の質と量を計測して思考まで読み取っちゃう優れものだ。


 そんなキャラクターがNPC的無機質発言するはずがない。いや、キャラ特性として事実を隠す、嘘をつくといった個性を発揮する者も少なからず作られてはいるが、今この状況で店長たる漢女おとめがあの言葉を選ぶということは……。


 ──アトラクターがそういう判断をしたっていうことか……いや、分かってましたけどね? この場面も初見ではないわけですから。ええ、こう言われるんじゃないかなぁって思ってましたけどね! でも、キャラクターの台詞チョイスはランダムのはずで、前と全く同じ台詞が来るなんて! ……あたし、よっぽど田舎娘だって認識されてるのかぁ……。


 ポッケの溜め息が一段と重さを増した。鏡に映る自分の卑屈な眼差が見つめてくる。


「けど、ポッケちゃん」

「なんですか、店長……」

「キャシー。それかママって呼んでちょうだい」

「はぁ……分かりました。それで、どうかしました?」


 大きな漢女おとめは鏡の奥からほんのり心配そうな眼をポッケに向けた。


「領主さまの口利きでうちに来たけど、ほら、大丈夫?」

「あ、あぁ……」


 ポッケは納得した。物語を何度もプレイしているから、どの会話パターンが選ばれたのか察する。


「領主のあまり良くない噂は、聞いてます。女の子を、その……」


 悲しげな瞳を演出して、ストーリー分岐を『悪徳領主と戦うレジスタンス』から遠ざける。


 ──本来なら、村のあちこちで女の子に話しかけてからじゃないとこの反応はプレイヤーから引き出せない。けど……。


 知っていれば話は変わる。


「そう……まあ、そうよね。村の女の子たちの間で噂になってるものねぇ……でも、どうして? ポッケちゃんは村に越してきたわけでもないのに、領主さまの言うことなんて聞かなくて良いのよ?」

「そう、ですよね……。でも──」


 陰鬱とした空気がポッケと漢女おとめの間に広がった。


「領主さま、ですものねぇ……」

「はい……」


【Princes Dragon】において、領主は領民とかけ離れた力をもっている。『水の都』の隣国、ここ『ムーフォニユ王国』にとってそれは絶対的な序列に等しく、ひとつでも階級が上の相手にはというのが、国民の常識になっているほどだ。


 ──あたしたちの二つ前に実際あった主義だったのよね、これ。今からじゃ絶対に考えられないっていうか、逆に新鮮っていうか、逆に楽しめるっていうか! いや、その時の人たちの方が今の人たちより生き生きしてたとか、ゲームをしなくても生きる意味を得られていたとか言いたいわけではないけど……これって不思議な感覚よね。


 店長たる漢女おとめは鏡の中から世間の苦渋を舐めてきた一人の人間としての視線をポッケに向ける。


「なんでポッケちゃんみたいな子がうちの店なんかに入っちゃったのか分からないけど、もう領主さまに目をつけられちゃった後なんですもの。頑張らなくっちゃね。生きていれば、少しくらい良かったって……思えることも、ね?」


 そっと、ポッケの肩に長年の苦労が染みる大きな手が乗せられた。


「はい……」


 これはゲームだ。分かっている。

 なのに、何故だろう。


 プログラムが作り出し、アトラクターが生み出した手のひらの温度が、とても優しいのは。

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