第1.5話(未読推奨)

 世界人口の8割が手にした「アトラクター」というフルダイブ機器によって、世界は一変した。


 あらゆるものが変わったのだ。


 たとえば、仕事から肉体労働が消えた。

 たとえば、意志の疎通に不都合がなくなった。

 たとえば、学習に優劣がなくなった。


 人間社会には未だ不条理が残っているものの、戦争の形が変わり、犯罪の形が変われば、法律だって変わっていく。


 何よりも大きいのは、この世界から「生きるための労働」がなくなったことだ。


 衣食住に関わるすべてが機械化した。

 もちろん、人や物の輸送も全自動だ。


 食物のほぼすべてが水と炭素から精製できるようになり、進んだ栄養学は1日の栄養をカプセル1つにまとめた。


そう。世界のあらゆるものが「娯楽」に変わった。 食事も、仕事も、何もかもが「生きるため」ではなくなった。


 それが、今の世界だ。 すべてが「どれだけ楽しく生きられるか」に集約された。


 その根幹を支えるのは、恒星からエネルギーを回収する「ダイソン球」という技術だ。


 だが、そのダイソン球を広大な宇宙空間で作り上げたのは、間違いなくアトラクターというフルダイブ機器のおかげである。


 まるでゲームをプレイするような感覚で操作される宇宙作業用ロボットがなければ、今の世界は存在しなかっただろう。


 だからこそ、世界は変わった。


 学習の制約、技術の制約、言語の制約、資金の制約、距離の制約、肉体の制約。


 人類はこれらの制約から解き放たれ、すべてとは言えないまでも、過去とは比べものにならない自由を手に入れた。


 しかし、その世界は――


 自殺者を爆発的に増加させた。 特に、自分に自信を持ちづらい人や、他者からの承認を得づらい人々の自殺が増えた。


 さらに、仕事に意味を見いだしづらくなった世界で、「働くことが存在理由」と意識的・無意識的に考えていた人々が圧倒的に多く、自ら死を選んだ。


「やることがない。」

「自分に生きている意味はあるのか。」


たったそれだけ。たったそれだけのことが、人から命を奪ったのだ。


 だからこそ、「ゲーム」が生まれた。


 アトラクターとダイソン球という破壊的技術が誕生し、労働の価値が大きく変わり、世界人口がマイナス成長を続ける混乱を止めたのは、「ゲーム」だった。


 生きるための労働が必要なくなった世界。

 それでも、目的がなければ人は死にゆく。

 ゲームは人々にその目的を与えたのだ。


 各地でゲーム大会が開催されるようになった。ただし、1位になっても金銭は得られず、周囲からの称賛を糧に、次回の優勝を目指す。

それはスポーツでも、芸術でも、同じだ。


 中には、すでに国という後ろ盾を失った紙幣にすがりつき、賭博に走るマフィアのような連中もいる。


 フルダイブゲームへのハッキングやクラッキングを試みる者も、数は少ないながら絶えない。


 だが、世界の潮流は、もう逆行しないところまで来ている。


 通貨の量や、それに付随する既得権益に人を縛る力はなくなった。


 であれば、これからは2つの道がある。


 ゲームの作り手になるか、ゲームのプレイヤーになるか。


 そして、彼女はどちらも選んだ。


 小林はるか。


 中学生の時に父に凌辱され、そのことで母から「売女」と罵られ、学校の仲間からも蔑まれ、いじめられ、馬鹿にされ、貶められた彼女は、手首を切った経験がある。


 だが、彼女にはただ一つ、ゲームが好きだった。


 リストカットの後、祖父母の家に預けられた小林はるかは、アトラクターに没頭した。


 フルダイブゲーム。

 仮想世界で思い通りのアバターになり、現実世界に実在するゲームから、仮想世界ならではのファンタジックなゲームまで、あらゆるゲームを遊び尽くした。


 やがて製作にも興味を持ち、アトラクター1つで自作ゲームを何本も作った。その中の1つが、世界最高峰のゲーム製作集団「ソニテン」の目に留まり、今の地位を得るまでに信用を築いてきた。


 だから彼女は言い放つ。


「ゲームは世界だ」


 世界にはまだ不条理がある。

 でも、小林はるかはそれを知りながらも諦めない。


 自分がいるべき場所がどこにあるのか、わかっているからのだから。


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