第1話 彼女の日常
彼女はゲームが好きだ。
アクションゲームが好きだ。シューティングゲームが好きだ。シュミレーションゲームが好きだ。レーシングゲームが好きだ。アドベンチャーゲームが好きだ。ロールプレイングゲームが好きだ。パズルゲームが好きだ。音楽ゲームが好きだ。トレーディングカードゲームが好きだ。
アクションゲームで複雑なコマンドをスマートに決めるのが好きで、シューティングゲームで画面を覆い尽くさんばかりの弾幕を潜り抜けるのが好きで、シュミレーションゲームの仮想現実を縦横無尽に駆け抜けるのが好きで、レーシングゲームで負けそうなときショートカットを華麗に飛び越え一位をかっさらうのなんて興奮を禁じ得ない。
アドベンチャーゲームが好きだ。己の経験と知識で最善の選択を勝ち取ったときが好きだ。ロールプレイングゲームのチマチマしたレベル上げをしているときが好きだ。パズルゲームで前人未聞の大連鎖をさせるための準備が好きだ。音楽ゲームの超高難易度ステージをパーフェクトクリアするのが好きだ。トレーディングカードゲームのネットワーク大会で前回覇者の長く伸びた鼻っ柱を叩き折る瞬間なんて絶頂すら感じる。
彼女は知っている。
ゲームは人が生み出した最大最高の叡知であると。
彼女は知っている。
ゲームは世界に変革をもたらすトリガーであると。
故に彼女は知っている。
ゲームを征したものは世界を征すると。
だから、彼女は出し惜しむことがない。
ゲームを征することに血反吐を吐いても研鑽に研鑽を重ね、情報を網羅し、知識を増やして、反復行動を止めなかった。このくそったれな世界を生き抜くために手にいれ続けるのだ。ゲームという魔法の技術を。
学歴じゃあない。
コミュニケーション能力でもない。
誰かが言う社会貢献などであってたまるものか。
己が己として生きていくためのテリトリー。
いずれは、蔓延る争いを駆逐し、終わらない独裁を消滅させて、愛と平和を世界に届けるといえば青臭いけれど。
世界は、ゲームで良くなると、彼女は考える。
人間の一人一人が肉体的優劣を飛び越え、精神的平等性が保たれる世界への第一歩になると。
彼女はそう考えて、その世界の架け橋となるべく邁進した。
世界最高峰ゲーム製作集団──ソニテン。
彼女はそこの
彼女は嘯く。
「ゲームは世界だ」
人生の全てをゲームに捧げてきた。生き様。
圧倒的信念を持ち、世界改良にこそゲームというデバイスが必要だと確固たる確信を軸に生きてきた。
その為に必要なものは全て手に入れてきたし、その為に不必要なものは全て切り捨ててきた。ラマルクを引き合いに出すまでもなく、それが正しいと、確信犯的に猛追してきたのである。
と、言っても──。
そんな唯我独尊風人生を歩んでいる彼女も、会社を出て昼食を取ることはある。ごく稀ではあるものの、ソニテンの同部署の社員と一緒に近くのカフェテラスへ、と。
「暖かくなって来ましたね」、と社員。
彼女達は他愛ない話をしながら歩道に程近い席についた。
「そ、そうですね。あたたかい、ですね」
「小林さん、またどもってますよ。そんなに緊張しないでください。わたしのほうが後輩なんですから」
「い、いいえ! あたしは外の人間ですので! 正規の社員さんと比べるなんて、お、おこがましいです、はい……」
彼女はキュッと身体を縮めて小さく言った。その様子に社員さんは苦く笑う。
「ダメですよ、小林さん。小林さんはわたしより優秀で、ゲームに関する知識も、プレイスキルも、何より開発に対する情熱も、ひといちばい持ってる人なんです! 企画当初から外部顧問として引き入れられてるのも、みんなが認めているからなんですよ? なにより高等技術者資格を持つノーコードデバッガーなんですから、自信持ってください!」
社員さんは彼女より三つ年下だったが、自分の意見をはっきり口にできるヒトだった。声も身体も小さい彼女から見ると、ずいぶん立派に映ってしまう。
──しかもあたしよりおっぱい大きいし……。
彼女自身も分かってる。目の前の社員さんを己より上位種だと位置づけている自分がいることを。人前で意見を言える社員さんを、リア充認定している豆腐メンタルなのが自分であるということを!
「小林さん、どこを見ているんですか?」
「! な、なんでもないの。なにも見てない。心ここにあらずだったの!」
わたわたと両手を振って誤魔化す。気まずかった。きっと社員さんは気がついている。卑屈で矮小な
──考えてみれば今はノーコーダーなんてみんななれる技術者だし、デバッガーだって……はあ、あたしなんて……。
世界は快晴だった。風も穏やかで、陽射しは柔らかい。彼女の前に運ばれてくる食事は、レタスとトマトとゆで卵に、小さなパンが二つの軽食。サラダバケット。社員さんは、ほうれん草の和風パスタ。飲み物は二人ともカフェのオリジナルブレンドである(すべての食材は炭素を基本とした有機化合物であるが、再現度は電子顕微鏡がなければ分からないほど完成されている)。
わー、おいしそう! とは社員さんの言葉。
それからしばらく。
食事が始まって実のない会話の合間、社員さんは言う。
「そう言えば、小林さん。納期、間に合いそうですか? 来月ですよね」
「うん、まあ……。アイテム複製バグとか、アビリティエフェクトのズレとか、細かいのは注文し終わってる、かな。
「アビの消費APが『1』多いとか、ミーナの回復エフェにパンちらを追加しろとか、そーいう男どものことは気にしてたらキリがないので無視してますけど、ただ……変なんですよねぇ」
栗原と呼ばれた社員さんは、皿の中のほうれん草(偽)をフォークでブツブツ刺しながらなんと言って良いものか悩むように言い淀んだ。
「変、って?」
「いや、キャラクターの言葉がっていうか……ほら、今回のやつって、ソロプレイ用フルダイブRPGじゃないですか。だから、一般のMMOよりNPCの会話パターンが増えて、それこそダイブ中は会話相手を実際の人間と区別つかないクオリティーになってますよね」
「まあ、そうだね。……けど何十回、何百回って繰り返して話しかければバレる程度にしたはず」
「そうなんですよ、そのはずなんです。あまりにリアルとの差異を潰していきすぎると、人間の脳はゲームとの境界を見失っちゃうから」
「以前、MMOでの実験だと、一日三時間のダイブを一年間繰り返させただけで、性格が変化したしね。だから……ゲーム配信をしている会社も、一日に最低六時間、一週間に連続三十六時間の空白を設けるようになったしね」
「人の脳は順応性が高いって昔から言われていたことですから、それは良いんです……けど、今回の作品、リアリティーがバカにならないんです。常軌を逸してるっていうか……」
「……、……」
そう言われ、彼女は思い返す。そもそも彼女はデバッグ班だ。実際にプレイしてバグや不都合がないか確かめるのが彼女の仕事。だ、けれど。
──栗原さんが言うことは間違ってない。今回の『Princes Dragon』に出てくるNPCは違法ギリギリの会話パターン数を、AIを使って会話に沿うように引っ張ってくるから本当に人間と話してる気分にはなる。でも、これをやっている
常軌を逸している。こんな言葉が出てくるような事なんて、日常にいくつあるだろうか。
小林は栗原に尋ねる。
「ちなみに、どんなところでそう感じたのか、教えてくれると……う、嬉しいんだけど……」
「小林さん、またどもってますよ」
と、突っ込まれつつ。
「そうですね……さっき会話でって言いましたけど、それだけじゃなくて。例えば表情とか、ですかね。ストーリーそのものに影響があるようなところじゃないんですけど、細部に違和感があるんです。──笑顔の時のエフェに目尻のシワとかありましたっけ? 始まりの村の北の家の女の子って、花の冠とか作る設定にしました? なにより、聞いた話では白以外にスカートの中の設定って作ってないらしいんですけど、この前、踊り子設定のキャラクターが黒の下着履いてたんですよねぇ。しかも、レース付きやメッシュの勝負下着系。それも制限領域じゃなくて、メインストーリーの全年齢のワールドで。これじゃあ、十代前半のプレイヤーでも覗き放題です」
と、思い出しながら栗原は言った。「まあ、下着に関しては男連中が遊んだんでしょうけど!」と、あきれたように笑いながらパスタを頬張る。
「それ、いつの話し?」
「……、んと。──前回の36時間空白のすぐあとですから、一昨日の午後、夕方の事ですね。ほら、スタートの水の都から三つ先の……一番小さいカジノがある……」
「モエイ村……」
「そう、そこの酒場にいる踊り子ちゃんですよ」
「そ、そう……」
そう返事をして、コーヒーを飲むと両手を暖めるようにカップを掴んだ。
この時、彼女は少し辟易していた。
──一昨日ってことは、あたしがクルピンキーの森のイタズラ妖精のバグを直した頃か……はぁ、目尻のシワも、女の子の花の冠作りも、きちんと設定されたもの。だけど、下着はおかしいよねぇ。色の事じゃないよ。ソロプレイ用フルダイブRPGの全年齢を想定した箇所で性を想起させる可能性のあるデザインをした下着は倫理的NGになってるって話し。
以前、ゲームの中のキャラクターに異常とされる性愛を抱いたプレイヤーが、実現できない恋に身を焦がして自殺するという事件が起きて以来、性を想起させるものが槍玉に上げられてよもや規制かというところまで発展したことがある。今では表現の自由としてデザインに規制は掛からないと認められてはいるが、昔流行った、自粛警察という慈善団体(偽善団体)の攻撃を避けるためゲーム業界、特にR20以下の作品には暗黙の了解としてそういったデザインは使われなくなった。
だと、いうのに──。
彼女は胸の内で盛大に溜め息を吐いて、栗原に言う。
「もし、それが見間違いじゃないなら……確かめる必要がある、かも。変な目は、いろんな所にあるから。万一……いや、ないとは思うけど、本当に違法な作品を作ってる可能性もあるし……」
それこそ、フルダイブを利用した洗脳ゲーム、とか。
──まあ、世界政府がそんなのは許さないけど……仮にあったら、作品発表が……。
栗原は食べ終わった皿をよけて、コーヒーを啜る。
「そうですねぇ。私も他になにか見つけたら報告します」
「お願い。うちの集団が最高峰でも、ううん、だからこそ……目立ってやろうって人は少なからずいるから……」
「はーい、了解です! そんな人がいるなら止めてもらわないと。──いろんな意味で」
栗原は暗く微笑んだ。
その顔を見てゾッとするのは何も彼女だけではないだろう。
閑話休題。
栗原との昼食を終え、AR機器が
「……ふー」
息をつく。音はない。与えられている部屋はみな個室。防音で、窓からの明かりは特殊なフェルターを通してあるから、紫外線や赤外線といった肌を焼くものは含まれない。
──直接行って確かめないと。言い逃れされちゃうかもしれないし……。
彼女は栗原の言葉を確かめるため、チェアデバイスから伸びるコードを首輪のような外部デバイスに接続させた。そして、首輪のようなデバイス──アトラクターを首に装着。すると直ちに大脳新皮質へと非接触型連動をさせることによるダイブが始まった。
──あぁ、もしこれで
眩い光の線。コンシューマーゲームによくある開始前のタイトル画面で[始めから]を選択。
──って、デバッグ用キャラクターで始めからとか言われても、ね。
ほんの少しの笑み。
そして『Princes Dragon』が始まる──。
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