第二章
城下にて①
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
"自分が何者か"という問いに関しては何度か考えた事がある。しかし、"彼女達が何者か"という疑問に関しては、敢えて考えた事は無かった。
「――"Θαρηυο"」
本当に今更な疑問だ。
あまり深く物事を考えない自らへ苦笑しつつ、ホムラは忙しく立ち回る”彼女達”の小さな背中を見守っていた。
「"Κηζαμε ΣακαμκηNι"」
重苦しく垂れ込めた曇天の下、星光の蒼い光がヒラヒラと舞う。最初、無秩序に周囲をヒラヒラと踊っていたそれらは、やがて"術者"の意志に呼応して、"対象"の下に集まっていく。
「――ぁ……」
"対象"の男が、小さな声をあげた。
避難の途中、オーガ達の投石機から放たれた大岩から妻と子供を庇い、自らの右半身を失くした男だ。辛うじて頭は無事で、まだ息はしていたものの、既にその目は何も捉えていない。自らが守った、妻と子供が縋り付いて呼び止めようとする泣き声混じりの声ですら聞こえていない。
要するに既に死神に魅入られて、もう諦めるしかない死人だったのだ。そんな男は不意に"彼女"を認識し、そして確かに呟いた。
「……てん、し、さま……?」
「否定」
光が瞬く。
曇天の下にあっては鮮烈で、けれど目を灼くような猛々しさは無い、青銀の光。ホムラが星の光と呼ぶリオルの魔力光は、半死の男に柔らかく降り注ぎ、さながら時間を逆回しにするかのように、その傷を再生させていく。
「リオルは姉さまの意向に従っただけです。賛辞、感謝は姉さまに」
光の粒子が溶けるように消えれば、其処には半死の男は既に居なかった。代わりに、自らに降り注がれた奇跡の事を未だ理解出来ない様子で呆然としている、潰れた半身が元通りに再生して全くの健康体になった男が其処にいた。
「……ぇ……?」
「完了。次に向かいます」
本人どころか彼に縋り付いて泣いていた家族ですら狐に摘ままれたような顔をしているその最中、リオルだけが普段通りだ。すっくと立ち上がり、すぐ近くに倒れている怪我人の所までてってってっと軽やかに歩いていき、其処にストンと腰を下ろす。
「こんにちは。助けに来ました」
なんともまぁ、淡白な天使様も居たものだ。
再び星色の光翼を展開し、怪我人の治療を始めたリオルから視線を一旦切って、ホムラはもう一人の”天使”の様子を確かめる事にした。
「――”Τοππ ψο”」
リオルの声が星が瞬く夜空なら、彼女のそれは燦燦と太陽が輝く蒼空だ。
透き通るような清涼さと、元気な子犬が跳ね回る様な躍動感を併せ持ったその声は、今はいつもより少しだけ
「Σονο Τενοηιραωο Σ υοσι Δακε」
或いはそれは逃避なのかもしれない。
西門での一件の後、ホムラとリオル、そしてアネモネは、大人しく再び城に戻る筈であった。特に向かう当てはなく、ホムラも城の者に仕事を終えた報告――仕事は頼んできた者に報告するまでが一式だ!――をしたかった。そんな訳でリオルを先導に歩き出したのだが、都市の中心、大通りが交錯する大広場にて、黙りこくって歩いていたアネモネが足を不意に止めたのだ。
そこは戦場。
何処の治療所にも受け入れて貰えなかった、オーガ達の攻撃に巻き込まれて怪我を負った市民や兵士達。治療所の容量を大幅に超えて溢れ返った怪我人達が、取り合えず、なんとなく集まってきた臨時で半端な”野戦治療所”。その場に渦巻く悲痛な呼び掛けや泣き声に、アネモネは捕まったのだ。
後はお決まりの流れである。
アネモネの意思を察知したリオルが、並外れた”奇跡”の腕を以てして、集められた怪我人達を治療して回り。
そしてアネモネは、半壊した大広場を修繕して”野戦治療所”を少しでも機能的にしようとしている有志の者達を、その卓越した魔術の腕を以て助け始めた。
「――Арё!!」
ホムラを十人押し固めても足りぬであろう巨大な瓦礫が浮き上がる。それは腰が重いと言わんばかりにほんの少し間滞空した後、いきなりやる気を漲らせたかのように遥か上空へすっ飛んでいき、曇り空の向こう消えて見えなくなった。アネモネの言う事を信じるならば、あの瓦礫は城壁の外、誰もいない平野のオブジェとして、第二の人生を歩む事になるらしい。吹っ飛ばす岩の制御と、吹っ飛ばす先の魔力精査による安全確認。そんなに大した事でもないよ、とアネモネは力無く、けれど事も無げに笑って見せた。ホムラには逆立ちしたって出来ない事なのに、彼女はそれが当たり前のように出来るのだ。魔術師が人間ではなく兵器扱いされるというのも、少しは頷ける話である。
何にせよ、場所を取っていた瓦礫は消えた。いつしかアネモネの存在を当たり前のように受け入れていた者達が、大きく空いたそのスペースに新たな怪我人を運び入れる。やがてその場所にリオルがやって来て怪我人を癒し、その間にアネモネはまた別の場所で大広場の修繕に力を貸す。
ホムラにはせいぜい、そんな彼女達を見守るくらいしかやる事が無かった。
「頼もしい限りだな」
ふと、声が聞こえた。瀕死の怪我人に必死に呼び掛ける家族や友人達の叫び声、余裕なく指示を飛ばす半ば怒号のような怒鳴り声が渦巻く只中にあって、その声にホムラが反応したのは、特に大した理由は無い。
自分に向かって話しかけられたから、反応した。そんな当然の理由である。
「力を持っている。それを行使するだけの
ふわりと、灰の匂いが鼻腔を擽った。
広場の端、半壊した建物の壁にもたれ掛かってアネモネとリオルの様子を眺めていたホムラは、彼女達から視線を切らないまま、意識の半分だけを声の聞こえた方——ホムラから見て右隣だ――に向けて、聞こえている事を示す為に軽く首を傾げて見せる。
「——……そうだな。俺もあの子達には驚かされてばかりだ」
「アンタが教育したって訳でもないのか。ますます驚きだ」
白灰色の外套らしき衣服の裾が、視界の端ではためいた。声からして若い男のようだが、容姿の殆どはその外套がすっぽりと覆い隠している所為で、詳しい事は分からない。分かる事と言えば、相当な変わり者である事くらいか。こんな誰も彼もが忙しい状況下で、目立たないように大人しくしていたホムラにわざわざ話しかけて来るのだから、間違い無いだろう。
「アンタは?」
「アング。アンガー。アンゲスト。好きに呼べ」
好きに呼べ、という事は偽名だろう。そういう素っ気無い性格なのか、或いは信頼を勝ち取らねばならない程、深い関係を結ぶ気が初めから無いという事か。
ホムラは少し考えて、背中から外して――壁にもたれるには邪魔だったのだ——腕の中に抱え込むようにして持っていた大太刀を、槍のように地面に立て、その鍔に親指を掛けて見せた。子供騙しな”威嚇”だが、此方が向こうを信用していない事を伝えるには十分だ。何かあるなら何かしらの反応があると思ったのだが、果たして相手は特に反応を見せなかった。
「……何か用か?」
「西門に舞い降りた”神の奇跡”とやらに、興味が湧いたのさ」
若干バツの悪い思いを誤魔化すように、ホムラは再び大太刀を腕の中に抱え直す。そんなホムラの心中にはお構いなしに相手——暫定的にアングと呼ぶ事にしよう——は口を開いたが、丁度その時そんなホムラ達の目の前を怪我人を搬送する一団が通り過ぎた。アングは必死な空気に押されるような形で口を閉じ、何となく二人揃って一団がリオルの下へ向かうのを見届けてから、今度はホムラの方から口火を切った。
「”神の奇跡”だ?」
「生き残った兵士がそう言ってたぞ。オークの軍勢をたった一人で鏖殺してのけた神威の戦士だってな。半死半生の怪我人の言う事だが、あまりの剣幕に皆も無視出来ない様だ。少しずつ噂が広がっているぞ」
「……誤解だ」
「おや、謙虚なんだな。いかにも民衆好みな英雄像だ」
クツクツと笑う静かな声は、野戦病院さながらの騒がしさの中でも不思議とよく響いた。別にホムラの事を褒めている訳ではなく、皮肉で言っているのは聞けば分かる。反応に困ってホムラが何も言わないでいると、アングは昏さを湛えた愉快さを隠そうとしないまま、言葉を続けた。
「だが、西門広場の騒ぎ。あれは英雄像からは外れた行為だったな」
「見ていたのか」
「偶々だが」
広場の一角で、半壊した建物がミシミシと致命的な音を立てたのはその時だった。オーガの投石器の直撃を喰らって半壊し、奇跡のバランスで保っていたその建物は、とうとう自分で自分の重さに耐えきれなくなったらしい。瓦解するように広場の方へ崩れていて、其処に人々を容赦無く呑み込み、圧し潰していく。
「――”Τοππ ψο”」
否。
呑み込み、圧し潰していくかのように見えた。
「――Арё!!」
時が止まる。
正確には、瞬時に反応したアネモネの魔力が崩れ行く建物の瓦礫を捕らえて絡め取り、その動きを纏めて止めていく。瞳に核融合の煌きを宿し、同じ色の翼を展開したアネモネは、その瓦礫の全てが自らの掌中に納まったのを確認すると、それらを全て握り潰さんとするように翳していた掌を力いっぱい握り締める。
乾いた破裂音と共に、瓦礫の悉くが粉々に砕け散ったのは直後の事だった。文字通り砂塵と化した瓦礫は風に巻き上げられて、広場に降り注ぐ事無く曇天に向けて旅立って行った。
「怖いな」
ちっとも怖くなさそうな調子で、アング。ホムラもまた、飛び出し掛けていた体勢から壁にもたれ直しつつ、それに応える。
「そうか?」
広場一帯から歓声が上がったのは、それから一拍置いた後の事だった。
「今あの子は人を救ったじゃねぇか。何処が怖いんだ?」
「そう思えるのはアンタが強者だからだ。全てのニンゲンがそうやって鷹揚に構えられる訳じゃない」
せせら笑う訳ではない。呆れている訳でもないし、かと言って怒っている訳でもない。そもそもアングは、ホムラの方を見てすらいなかった。
彼は、アネモネを見ていた。広場の賞賛を受けて吃驚したように肩を縮めつつも、何処か嬉しそうにはにかんでいるアネモネを、真っ直ぐに見ていた。その目は何処までも何処までも、さながら闇の吹き溜まりのように、昏い。
「少しでも、あの子がアイツらの意にそぐわない事をしてみろ。とても恐ろしい事が起こるぞ」
「恐ろしい事?」
「……」
アングは答えない。けれど時に、沈黙は下手な言葉よりも雄弁だ。
ホムラは何を言う気も起きなかったし、それは向こうも同様だったらしい。二人の男はそのまま暫く黙り込み、気まずい沈黙がやって来る。
二人の少女を称えるお祭り騒ぎのような歓声も、少なくともホムラには遠く聞こえた。
「……異国出身のアンタは知らないかも知れないが」
小さく息を吐くように、アングが再び口を開いたのは、それから少し経ってからの事だ。
「この石の箱庭だって、最初から今の奴らが所有していた訳じゃない。複数の群れが乱立していた中で一番狡猾で、一番強欲で、一番残忍だった奴らが、他の奴らを排斥して手に入れた」
「……」
「どう思う?」
「どう、とは?」
「アンタはこの戦争に割り込んだ。だが根源まで遡ってみれば、そもそもこの戦争は此処に居る奴らの自業自得だ。……ああ、昔の奴らがやった事だ、今の奴らは関係無い、とか言うは無しな。時間の無駄だ」
昔の奴らが勝ち取ったこの地で、なに不自由無く息をして、美味い飯を喰らい、自由に恋愛し、幸福に漬かりながらちっぽけな不幸に浸っている。その時点で同罪だ。壁の向こうで飢えていた連中からすれば、な。連綿と紡いでいた悪行に変わりない。
そう言った彼は、
ただ、淡々と。
淡々と、鬱々と、言葉を紡ぐ。
「最初はアンタを、英雄気取りのお調子者かと思った。だが西門広場の一件で、アンタの事が分からなくなった」
だからこそ、訊きたいんだ。
「アンタにはこの戦争がどう見える?」
「……」
少しだけ、返事に困った。
そもそも学が無いホムラには、歴史がどうだとか善悪の根源だとか、そんな大層な事を普段から考えている訳ではない。自分の価値観や生き様を改めて言語化するには、やっぱり時間が必要だった。
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