玉座にて②
「否である」
今回は、その考えに甘んじてはならない。
「イレーネ、街の民は全て宮殿へ退避したか?」
「へっ!?」
まさか、自分が再び名指しされるとは思ってもいなかったようだ。
目を見開き、ひどく驚いている様は、ちょっとだけ間抜けだった。折角のエキゾチックな美貌が台無しであるが、彼女の場合はそれすらも愛嬌に変えてしまっている。
「あ、えっと……多分、その、ほぼ完了しているとは思いますが……」
「ほぼ?」
「……えっと……」
「農場区画のウィルトン夫妻はどうだ? 中央通りのタンブル商会の者達は? 他の有名どころだと、そうだな……ああ、正門広場の"墓守"のお婆ちゃんもそうだな」
自身の命よりも、先祖代々から受け継いだ土地や財産、役目に執着する者は確かに存在する。そのような者達は避難勧告を無視して、自らの家に閉じこもっているだろう。
「――この国の民は一つの例外も無く、余の、この国の富である」
彼等だけではない。全ての民が宮殿に避難出来たとはとても思えない。混乱する街の中に取り残されている者は大勢居るだろう。
民が此方の言葉を無視したり、自身の大事なものを優先するのは勝手だが、此方が彼らを無視する訳にはいかない。此方にとって何より優先するべきものは、彼等だからだ。
「だが彼等は通貨ではない。神ならぬ敵の悪意で不条理に奪われる事を、"損"の一言で見逃すのは一例たりとも赦す訳にはいかん」
静まり返った”玉座の間”の中、自分の声だけが朗々と響く。
有り難い事に、反論は出て来なかった。周囲を見回すと、皆一様に畏まり、項垂れて視線を落とすものだから、此方が「反論されやしないか」とドキドキしている事を悟る者は一人も居なかった。
「……黒狼騎士団、白凰騎士団は共に正門前に布陣させる」
緊張で声が震えないよう腹に力を込めつつ、ガルシアとアムラスに視線を据える。ガルシアは元より、今度はアムラスが反論して来る事はなかった。
「現場の裁量は彼等に一任する。我々が民の避難を完了させるまで、正門を死守させよ。その間、都市部の混乱の収束、並びに強制避難を急がせよ。人手が足りないなら近衛を投入しても構わん。ガルシア、アムラス、其方等が指揮を執れ。良いな?」
「はっ」
「陛下の御心のままに」
恭しく一礼し、彼等は広間から出て行った。
一拍遅れて、早速言い争う声が聞こえてきたが、それにはもう意識の外へと追いやった。あれが彼等のやり方だ。方針が決まれば、後は下手に口を出さない方が余程上手くやってのける。
小さく息を一つ。緊張に震え、ともすれば浮つきそうになる自らの精神を押さえ付けつつ、思考を無理矢理回転させる。
魔術障壁、正門、民の避難に関しての方針は決定した。対策を立て、その指揮を執る人物も決定した。だがまだだ。まだ懸念事項は残っている。
「西門」
そう、それだ。
駆け込んできた伝令達の声を思い返してみても、この門に関しての報告だけは聞いていない。
「西門の状況は?」
「――お、畏れながら……!」
幸い、西門からの伝令はこの場に居た。
慌てた様子で声を声を上げ、転がるように前に出てきた若い兵士の姿を見て、取り敢えずはホッと息を吐き、それから急いで気を引き締める。
取り敢えず、何の情報も届かないという最悪の事態は無くなった。けれど彼が持ってきた情報が、考えられる限り"最悪"である可能性も否めない。
実際そうだった。
「金獅子重装騎士団、壊滅! アリシア様は戦死致しました!」
「!? ば……っ」
喉元まで出掛かった罵声は、すんでの所で呑み込んだ。今はその一言を紡ぐ時間すら惜しい。素早く視線を走らせて、近衛長に防衛部隊の再編を命じる。苦戦の報告と援軍の要請に対し、近衛の部隊を各門に送るくらいの対処はしていたが、門を護る騎士団一つがまるまる壊滅したともなれば話は変わってくる。
門は当然突破されただろうし、そうなると次は街中での戦闘で彼等を押し返さねばならない。”どうして一も二も無く報告しなかった”とか、”事の重大さが分かっていないのか”とか、そう言った個人への叱責は全部後回しにして、先ずは作戦を練るのに必要な情報を集めようと口を開く。
「被害状況は? オーガ達は街の何処まで進入している!」
「そ、それが……――」
此方の切迫感とは裏腹に、伝令の口調は歯切れが悪く、ノンビリとしているように感じられた。
事の重大さが分かっていないのかと流石に苛立ち、一言叱責しようと息を吸う。
図らずも伝令の心境を理解してしまったのは、正にその瞬間の事だった。
「西門を襲撃していたオーガ達は、壊滅。増援の近衛が民兵の指揮を執り、現在は防衛体制の再編、遺体の収容、共に完了しております」
「……はぁ?」
「馬鹿な事を申すな! 防衛部隊が全滅していて、何故オーガ達が壊滅するのだ!?」
口を挟んでいたのは、傍に控えていた武官の一人だ。声を荒げる様は無駄に威圧的で宜しくないが、その言葉自体は至極当然である。
幸い、伝令は先程のイレーネのように小心者ではなかった。自分で自分の言っている事が信じられない様子ではあったものの、怒声に近い武官の声に対して即座に答える。
「オーガ達が金獅子重装騎士団の生き残りをいたぶっている最中、一人の男が戦場に乱入し――」
鋼のような頑強な肉体。他種族を生きたまま捕食出来る残虐性。単純な白兵能力なら、オーガはこの地上に措いて最強種と言って良いだろう。この王国は種族の閾値を遙かに超えた傑物の類を幾人も抱えているし、彼等のお陰で未だこの国は完全に落とされずに済んでいるが、それでも彼等の標準的な身体能力が他の種族を大幅に上回っている事実は変わり無い。
「たった一人で、それも剣一本で、西門のオーガを殲滅してのけたのです」
「……こんな非常時にそんな出鱈目を言うな!」
そんな奴等の大群を、たった一人で、しかも剣一本で殲滅してしまうなんて事は、はっきり言って夢物語に等しいのだ。
子供が夢見る英雄譚の主人公みたいなものだ。少なくとも今のこの場で、戦況の報告として聞くようなものでは無い。即座に声を上げた武官は、実はまだマシな反応だった方だろう。
「オーガの大群を、一人でだと!? 貴様まさか戦場で寝ていたか!? 話にならん!!!!」
「でも本当です! 私だけではありません! 西門に居た者は皆彼を見ました!! 彼はきっと……――!」
凄まじいまでの剣幕だった。自らの信仰を他者に踏みにじられたような、自身の夢を他者に侮辱されたような。およそ上官に向けるべきものではない、鬼気迫ると言っても過言ではない怒気に、彼と相対していた武官も思わずと言った様子で黙り込んだ。
しん、と静まり返った玉座の間の中。
目を爛々と輝かせ、頬を上気させた伝令の叫び声が響き渡ったのだった。
「――彼はきっと、神が我等に遣わした御使いに違いありません!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
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