玉座にて①
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
"
嘗ては、この地に降り立った神々が住まう宮殿だったという。
人間のみならず他の種族までもがそれを事実として認める程に、この宮殿はこの世界の枠に収まらない。扉の開閉は施錠はヒトの意思次第だし、部屋の広さや硬さも可変式だ。内装の造形はコンパクトで曲線が多く、この世界のどの種族の文化にも当て嵌まらない。光源らしい光源は無いのに、これもまたヒトの意思に応じて適切な光度を保ってくれる。
あと、なんかやたら白い。
玉座の間と呼ばれるこの部屋も、その例に漏れなかった。
「東門より伝令! 鉄血公率いる赤竜騎士団の奮戦により、オーガ達は撤退! オーガ達は撤退しました!!」
「南門より連絡!! 狂嵐公率いる黒狼騎士団、閃塵公率いる白凰騎士団が正門前に布陣完了し、防備体勢の準備が整いました!! 至急、工兵を回して欲しいとの事です!!」
「宜しい! 直ぐに第三工兵部隊を――」
「第三工兵部隊はダメだ!! いざという時の為に王宮に残しておくべきだ!! それより南門に二部隊も要らん!! 至急閃塵公を王宮へ呼び戻せ!!」
「馬鹿な! 正門は防壁の要! 抜かれたら街は一溜まりも無いぞ!!」
「魔術協会、隻眼公より伝令!! 新しい魔術防壁の
「それより西門だ! 西門の状況はどうなっている!!?」
「王の居る王宮の防備を真っ先に固めるべきだろう!!」
「民の避難状況は!!?」
「東門より伝令! 直ちに東門へ工兵を――」
「南門より伝令!! 魔術防壁の
「
いつもは静かで厳かなこの
次から次へと駆け込んでくる伝令。それに受け答えし、やや暴走気味に指示を飛ばす重臣達。振り回される兵士。また駆け込んでくる伝令。
無理も無い。この国は現在、建国以来初めて攻撃を受けている。伝令も、兵士も、重臣達も、皆一様に不安な筈だ。こうして玉座に身を沈めているこの身ですらも、緊張と恐怖で吐きそうになっている始末なのだから。
「伝令! 西門より伝れ――」
「貴様! 先程から街を捨てるような事ばかり言いおって! 貴様が大事なのは民か、己が身か!!? この場で正直に言うてみよ!!」
「国に決まっておるわこの痴れ者が!! 避難が完了すれば街はもぬけの殻だ!! 貴様は形ばかりの街を守って兵に無駄に命を捨てよと申すか!!?」
「お止めください! 陛下の御前でありましょう! 兵達にも示しが付きませ――」
「「引っ込んでいろ、青二才が!!!!」」
とは言え、その恐怖た緊張にいつまでも甘んじている訳にもいかないのが、この玉座に座る者――この国の王の辛い所だった。例え成人してなかろうが、経験に紐付く
言い争う、重臣達の中でも古株な二人。彼等に一喝されて、唇を噛んで黙り込んでしまった若い武官が一人。彼等一人一人の想いは責められるものではないにしろ、彼等が産み出したこの流れは非常に良くない。
「あー」
声を出す。
幸い、その声は大騒ぎの間隙を縫って人々の耳に届いたらしい。蜂の巣を突いたような騒ぎが、水を打ったように静まり返った。
いい加減、個人的な感情など捨てて勤めを果たす頃合いだ。
息を呑んで此方を見つめてくる場の一同をグルリと見回して、躊躇いを振り切るように言葉を続けた。
「……魔女の大鍋から飛び出したものなんて、ロクなものではない。兵士達に振る舞った所で、混乱しか産み出さんだろうのは明白だ。此処は一つ、状況を整理しようじゃないか」
立ち上がる。
数段の階段を降りて、重臣達と同じ目線の床に立ち、彼等をぐるりと見回した。
「先ず……そうだ
「は……ははっ!」
名前を呼ばれた魔術協会からの伝令兵が、電流が走ったように背筋を正す。どうやら、自分の名前を呼ばれるとは思っていなかったらしい。彼は魔術協会に所属している割には大柄で筋肉質で鷹揚な人間だが、真面目すぎてこういう場では空回りする傾向にある。
あまり緊張させ過ぎないよう、なるべく柔らかい口調を意識した。
「魔術防壁の
「はっ!」
「アシュレイ、それから、リヒターも居るな? 其方ら魔術部隊の伝令はアレクサンダーについて此処を出て、外でコードを配布して貰え。此処は騒々しい。其方らの作業する環境には向かないだろうからな」
「ははっ! 承知いたしました!」
「宜しい。では行け」
数人の兵士が敬礼し、玉座の間から飛び出していく。キビキビと行動する頼もしい背中を見送って、ゆっくりと次の言葉を吐き出した。
「ところで、イレーネ」
「……えっ、はっ、はい!?」
先程、重鎮二人に怒鳴られてショボくれていた若い武官。ゴツい男達の中では嫌でも目立つダークエルフの若い女は、やや素頓狂な声で返してきた。
「なな、なん、何でありましょうか!?」
「敵の兵器が魔術障壁を透過してきた所為で、我が国の防衛陣は一気に劣勢に陥ったと私は認識している。これに相違無いか?」
「は……ははっ! その通りでございます!」
王都の守りは、高い城壁、門を守護する軍隊だけに限らない。国お抱えの魔術師達が百人掛かりで練り上げる、いかなる攻撃をも通さない障壁が、敵の攻撃を遮断する筈だったのだ。
ところがオーガ達が用いた投石器は、この障壁を素通りしてきたのである。如何なる手段を用いたかは不明だが、オーガ達は最高機密の一つである筈の魔術障壁を解析し、自分達の攻撃が通るようにしてしまった。結果として城壁は大損害を受け、前線は混乱している間に、オーガ達の突撃を喰らった。
様々な問題を孕んだ重要な案件だったが、今回は敢えて一つの問題に的を絞る事にした。
「……と言う事は、防衛態勢に関しては、一先ず問題は解決したと言うことで相違無いか?」
「え?」
「新しい
「そ……れは……」
チラリ、と窺うような視線を投げ掛けてくる。大きく頷いてみせると、彼女はそれに誘われるように、そっと首を横に振った。
「……いえ、その……状況は、未だ予断を許さないかと……」
ざわ、と周囲の空気が微かに身動ぎした。
”ダークエルフ如きが”。
”陛下の意見を否定するなど”。
無知と浅慮、積み重なった歴史からもたらされる無邪気な差別が口々に囁き交わされ、目の前の彼女は、微かに身を竦ませた。
「ひ、ひぇ……」
すかさず、周囲に視線を走らせて、ざわめいた広間全体を黙らせる。
周りが静かになった所で、改めて目の前の彼女に視線を向けた。
「続けて」
「で、でも……」
無理に発言させたくはないが、彼女のペースを見守ってやる時間は無い。そうかと言って今の彼女を取り巻く環境を見逃していれば、今の良くない雰囲気はこれからも続く。
「続けて。何故其方はそう思うのだ?」
そういう訳で、多少強引に行かせて貰った。
他人の顔色ばかりを窺いがちな彼女にとって、それは相当なプレッシャーだったろうが、それが却って今の彼女にはプラスに働いたらしい。
「ま、魔術防壁を透過された理由が不明だから……です」
躊躇いがちに、けれどハッキリと、イレーネは言葉を紡いだ。ダークエルフはエルフの一種とされているが、極稀に現れる稀少種”冬の仔”とは違う。過去に森を裏切ったエルフの子孫と言われていて、黒い髪と褐色の肌はその烙印とされている。森の加護の証である魔力を失って尚、その眼がエルフと同じ新緑の光を湛えているのは、未だに森に憧れ、赦しを乞うている証なのだと。
言い伝えが事実かどうかはともかくとして、種族的な特徴として陰鬱、卑屈、偏屈な性格をしているのは事実である。荒野や沼地に隠れ潜む彼等は基本的に自らのコミュニティに引き籠もり、多種族と積極的に関わる事は無い。そういう意味で、イレーネは相当は変わり種なのだろう。
変わり種で、それ故に度胸と根性を持っている。一度言葉を絞り出せば、後は周囲の視線に負ける事は無かった。
「た、単純に
「アイツ、言うに事欠いて――」
「静かに」
気色ばんだのは連絡役として魔術協会から出張って来ている人間族の若い男、それを止めたのはその相方にして上役でもエルフ族の女である。普段から王宮に詰めているとは言え、魔術協会の所属である彼等からすれば、イレーネの推論は面白くない筈だ。
「しかし、アイツ、我々の術がオーガ如きに完全解析された等と……!」
国の防備の要である魔術障壁は、魔術協会の秘術の粋を集めた傑作の一つだ。対してオーガは文明の"ぶ"の字すら知らない野蛮な化物で、そんな奴等に自分達の秘術が解析されたなんて、まだ若い男……ブリアンには喩え推論でも認めがたい事なのだろう。
気持ちは、まぁ分からんでもない。
「国の大事だ。個人の感情を優先していい局面ではない」
一方で、エルフの女……アリエルの反応は理性的だった。長寿からもたらされる確かな経験と高い知性を持ち合わせ、純度も絶対量も高水準な魔力を持つ”森林の森人《エルフ》”達は、良い意味で誇り高いが、時にはその性質が反転して高慢な態度や反応を見せる事がある。
「彼女の考えには一考の余地がある。恥じるべきは未熟ではない。未熟で満足しようとする怠惰こそを恥じるべきだ」
そういう意味で、彼女は非常に立派だった。いつもに比べればやや硬い表情を、理性と道理で必死に覆っているのが見て取れた。視線を遣った此方と目が合うと、私語を詫びたつもりか、微かに目線を下げて目礼をしてくる。
勿論、目くじらを立てるつもりは無かった。軽く頷き、イレーネに視線を戻して、魔術協会の会話に震え上がっていた彼女を促すように口を開いた。
「では、其方は街の護りは未だ盤石でないと言うのだな?」
「あ、あの、私如きが大変失礼致しましたやっぱりさっきのは忘れて下さい何でもありませ――」
「魔術障壁は復旧したが、全幅の信頼は寄せるべきではない。であれば――」
完全に臆病風に吹かれているイレーネの言葉は無視し、何なら自らの言葉を被せて塗り潰しつつ、敢えて此処まで後回しにしていた重鎮二人に目を遣った。
灰色の髪と褐色の肌を持つ人間族の壮年の男、ガルシア。若く見えるが実年齢はガルシアと同じ、金髪を三つ編みに編んだハーフエルフの男、アムラス。街そのものを護るのか、街を棄てて民を優先するのか、言い争っていた二人組である。
「護りの要となるのは、壁ではなくヒトである。其方ら、これに異論は無いか?」
「異論ありませぬ」
「陛下の仰る通りです」
ホッと、内心で息を吐いた。
ともすれば、此方よりも長く国の運営に携わってきた大先輩の二人組である。下手な事を言えば容赦無く突き上げを喰らうから、その緊張も
「では、此処は正門前に黒狼と白鳳の両方の騎士団を配置しておくべきだと余は考える。強敵には一つよりは二つを以て当たらせる。単純な計算であろう?」
「――恐れながら!!」
やや語気を強くして、割り込んできたのはハーフエルフのアムラスだ。街を放棄し、民を護る方に重きを置いていた方である。
「戦力を一つに固めるのは危険かと考えます! もしも正門が抜かれた時、宮殿に押し寄せる敵を押し留める戦力が居なければ、民が逃げる時間を稼ぐ事すら出来ないでしょう!」
「正門が抜かれる事が前提に考えるなら、確かにそうだ。しかし余は、正門を抜かせない為に騎士団を二つ配置しておくべきだと考える」
「しかし――」
「二つで勝てぬモノに、一つで勝てる道理は無い。戦力を小分けにするのは却って兵を死に追いやる愚策だ。違うか?」
「恐れながら、平原で正面からぶつかり合うのと、複雑な地形を利用しながら戦うのとでは根本的に条件が異なります!」
アムラスは冷静で、合理的な考え方をする。相方のガルシアとは異なり、名より実を取る考え方をする彼は、ヒトの命ですら損得勘定で計算し、"最適解"を求める傾向にある。それ故に、時に冷酷で卑怯に見える事もあるので、そこをよくガルシアに攻撃される事もしばしばだ。
けれどその考え方のお陰で、この国は何度か最悪の事態を免れてきたのも事実なのだ。
「陛下、どうかご再考を! 国を、その民を護る為には、街を捨てる他ありません! 一部、いえ、全ての騎士団を呼び戻し、街中で迎撃するよう防衛策を考えるべきです!」
綺麗事だけでは、国は守れない。
事実であり、金言である。それは間違いない。
だが――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます