血は固まらず③

 しん、とその場が静まり返る。


 彼等の憎悪と熱狂を上回る容赦の無さと、を以て、ホムラはオーガの若者を殺した。頭頂から股間に至るまで真っ二つ。少し身を乗り出せば、遠目にも彼の中身が覗けるだろう。


 脳が破壊されると、生き返る可能性は極端に低くなるとリオルから聞いた。彼はもう死に様を辱められる事は無いだろうし、この場に居る殆どはそんな気も失っているだろう。遊んでいた玩具を目の前で叩き割られたような顔をしている彼等を見回すと、逃げるように視線を逸らしたり、負けじと睨み返してきたり、ホムラの代わりにオーガの死体を空虚な視線で眺めていたりと、様々な反応を見る事ができた。


 憎悪に呑まれるのが人間なら、それを善しとせず、抵抗するのもまた人間だ。


 特別でも何でもない、光景の一つだった。


「アネモネ。リオル」


 ひとしきり彼等の視線を受け止めてから、ホムラは二人の名前を呼んだ。アネモネが驚いたように肩を跳ねさせ、リオルがそんな彼女の手を引いて、ホムラの方へ歩いてくる。


「行こう」


 目の前にまでやって来た二人に、短く言った。リオルは頷き、アネモネは顔を俯かせたまま反応を返さない。最後にもう一度だけ視線を上げ、広場のヒトビトを軽く見回してからホムラは踵を返して歩き出した。リオルと、それに手を引かれたアネモネが付いて来るのが、気配で分かった。


「――偽善者!!」


 不意に、誰かの叫び声が聞こえた。声から察するに、オーガを延々と蘇生し続けていたあの若い神官だ。糾弾すると言うよりはグチャグチャになった感情を適当な言葉に置き換えてぶつけてきたような罵倒は、直ぐに支離滅裂な言葉の羅列になり、意味を成さなくなった。


「偽善者! 偽善者!! 偽善者!! 偽善者!! 逃げんな、卑怯者!! 気色悪いんだよ!! 死ね!! 糞野郎が、待ちやがれ――」


 多分、彼は周囲の者達から制止され、取り押さえられたのだろう。アネモネやリオルに危害が及ぶ事は無さそうで、だからホムラは振り返らない。足も止めない。背後の騒動の声はどんどん遠くなっていき、直ぐに聞こえなくなった。


「……ふー……」


 歩き出したのは良いが、実は目的地は無く、今歩いている道が何処に向かっているかも分からない。何処かで二人に先導役を代わって貰わねば、などと考えながら、取り敢えず舗装された広い道を歩いていると、不意にアネモネが、ホムラの名前を呼んだ。


「ホムラ……」


「うん?」


 立ち止まってアネモネを見下ろしたのは、そうしないといけないような気がしたからだ。アネモネは最初、顔を俯かせたままだったが、やがて意を決したように顔を上げ、ホムラの顔を見上げて来た。


 その顔はまだ青白く、その肩は微かに震えていた。


「……なんで……」


 肩と同じく、声も微かに震えていた。言葉が喉に詰まったように彼女は一旦黙り込み、リオルがそんな彼女の背中を撫でる。ホムラは何も言わず、黙ってアネモネの言葉の続きを待つ。


 幸い、そんなに時間は掛からなかった。


「なんで、殺したの……?」


 助けてあげて、それで終わりで善かった筈だ。助けてあげたのに、なんでわざわざ殺したのか。


 そんな彼女の心の声が、聞こえてくるような気がした。


 或いはそれは全部ホムラの思い込みで、実際はもっと別の意味で訊かれていたのかも知れない。そうかもしれなかったが、どのみちホムラの答えは一つだった。


「俺には、あれが限界だったからだ」


 子供に見せるべきではないと思ったから、私刑を止めた。その一方で、彼女達の前で若いオーガを容赦無く殺した。


 殺す、殺さないが善悪の基準ではない。命の有無が、最上の価値ではない。少なくともホムラの価値観はそうで、ホムラが教えられる事もそれに準じたものである。


 けれどそれが、この国の常識に、そこに暮らすアネモネにとって価値のあるものになるかは分からないのだ。命を助けるような事をやっておいて、結局その命を奪う。この国の常識や文化は知らないが、彼女の目には、ホムラの行動は奇妙なものに映ったかもしれない。


「俺にとっての”救い”が、相手にとっては”侮辱”である事もある。相手を救いたいなら、先ず相手を知って、その上で責任を負えるだけの力も持っとかないといけない。それでも善かれと思った行動が、裏目に出る事なんてザラにある」


「分かんない……分かんないよ……」


 アネモネは、ホムラの言葉を拒絶するように頭を振った。その声は嗚咽が混じって半ば掠っていて、ホムラはそんなつもりは無かったのに少しだけ笑ってしまった。


 世の中の親というのは、或いはこういう経験を毎日毎日積んでいるのかも知れない。


 成程。


 どいつもこいつも、子を持つ親というのはやたらめったらつよい訳だ。


「別に俺の言う事を信じる必要は無いさ」


「え……?」


 びっくりしたように顔を上げたアネモネを迎え撃つように、ホムラは彼女の頭に手を置いた。敢えて少し強めに、髪を乱すようにグシャグシャと撫でる。ガラではない事をしている自覚はずっとあって、そろそろ限界だったのだ。


「俺はお前達の礎だ。踏み越えて、もっと先へ至ってくれ」


 アネモネ達が導き出す答えは、また違ったものになるだろう。ホムラの考え方を見て学び、私刑を行っていたヒトビトの心情や事情を見て学び、やがて前世代ホムラとは異なる、前世代ホムラより良い”最善”に辿り着く。そうであったら良いなと願う。


 リオルの方に一瞬だけ視線を寄越す。此方を見据える真っ直ぐな視線は透明で、何を考えて居るかは分からない。下手をすれば、彼女はとっくにホムラの遙か先を進んでいるのではないかもしれない。そんな気がして、ホムラはまた少し苦笑わらってしまった。


 子供の頃、何事においても大人は正解を知っていると思っていたが、そんな事は無かった。分からないものは分からないまま、自信が無いものは自信がないまま、それでもこれまで自分が歩んできた道を信じて、澄ました顔をするしかない。

 

「そうすりゃ世の中、もっと善くなるだろ」


 最後の一言は、ちょっと格好付け過ぎたかもしれない。ちょっと悦に入りすぎたかも? いや、でもこれは言わば核心だし――

 

 あれやこれやと心に浮かぶ葛藤を振り切るように、ホムラはその場から再び歩き出したのだった。






 

 




















躡足附耳じょうそくふじ。ホムラ、王城はあっちですよ」


「……すまん、道案内頼む」



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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