血は固まらず①

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 ホムラには自身の記憶が無い。記憶は無いが、自分がどんな人間なのかは分かっている。


 多分、前線で敵と斬り結ぶ事を生業としていたのだと思う。難しい事を考えるのは全て上に任せ、ただただ敵と殺し合う消耗品。当たらずとも遠からず、と言った所だろう。世界に大きな影響を与える訳でもなく、ただその日を生き延びるのに必死な一個人。そんな感じだ。


 とは言え、消耗品には消耗品にしか見えない世界がある。消耗品だからこそ、よく目にする光景というものがある。


 親切な兵士からを聞いた時、本当の事を言えばホムラの心は波風を立てなかった。たまに起こる事だし、このような時にそんな事が起こるのは。一々目くじらを立てる程、聖人君子を気取るつもりも無い。


「……あー……」


 それでも思わず渋い顔をしてしまったのは、子供達アネモネとリオルが居たからだった。


 親切な兵士の後に続いて西門を潜り、想像していた通りの光景が広がっているのを見た時、ホムラは思わず、小さく呻いた。


(しかも割とタチが悪い方じゃねぇか……)


 広場の真ん中に、人集りが出来ていた。せいぜい十五人程度と絶対数が少ない為、密度はそんなに高くないが、兵士、神官、一般人、老若男女と、その種類は中々に豊富だ。周囲には彼等を尻目に真面目に働いている者、戸惑って彼等の輪の中に入れない者が多数居るが、彼等はそんな周囲の人々の視線を意に介さない。それくらい彼等は、彼等の中心に居るモノにしている。


 彼等の中心に居るモノ。彼等を熱中させるモノ。


 それは全身を雁字搦めに拘束された、一体のオーガだった。


「──このクソッタレの化物がァッ!!」


 ホムラがアネモネとリオルの視界を塞ぐ暇も無く、オーガの顔が真横に張られた。殴ったのは鎧を着た兵士の男で、その手には元々オーガの物らしい脊椎と頭蓋骨で出来た片手槌が握られている。遠慮の無い、剥き出しの殺意を形にした一撃だった。


 しかもそれは、兵士の男一人だけではないのだ。


 複数の男女が、手に手にそれぞれの得物を持って、倒れたオーガを執拗に殴り付けていた。鎖で雁字搦めに縛られている所為で、オーガは防御すらマトモに出来ない。無抵抗で倒れ込んだ所に、達男は執拗に追い打ちを仕掛ける。頭と言わず、身体と言わず、手にした得物を滅茶苦茶に振り下ろす。


「死ね! 死ね!! 死ね!! 死ね!!」 


「うぅぅぅ……ッ」 


「死に絶えろ!! お前等全員死に絶えろ!!」 


「お前等の所為で、お前等の所為でぇぇぇ……ッ!!」


 肉の飛沫が血に混じって周囲に飛び散る。灰色の広場の中に、濁った赤が妙に鮮烈に映える。アネモネがショックを受けた様子を息を呑み、ホムラは内心で嘆息しながら彼女達の前に出て、視界を遮る。


 男達は泣いていた。目を憎悪に血走らせ、狂気に近い暴力性に呑まれながらも、彼等は全員、泣いていた。


 肉が潰れる音も、骨が鳴る音も、男の怨嗟の慟哭の声に搔き消されて良く聞こえない。オーガの悲鳴が聞こえないのは、既に滅多打ちにされて声を上げる力も無いからだろう。


 実際に戦ったホムラも体感したが、オーガの皮膚は分厚くて固い。並の武器では刃が通らず、弾かれるだろう。ましてや人間の力で振るわれる鈍器など、大したダメージにならない筈だ。


 だからこそ、彼等は敢えてああしているのかもしれない。


 無抵抗に、ジワジワと嬲られる。一息に死ねず、かと言って抵抗も出来ず、されるがまま。やられる側は堪ったものでない。


「あの男の奥さん、西門の防衛に出てた重装兵だったんだ」


 まだ近くに居た親切な兵士が、呟くように言うのが聞こえた。


 あの男、と言うのは、片手槌でオーガを殴っている兵士の事だろう。


「喰い荒らされて、遺体の損傷が激しかったらしい。"遺灰"の回収も無理だったそうだ。ひでえ話さ。焦れったいカップルで、お互い漸く素直になれたばかりだったのに」


 そのまま行けば、兵士はオーガを文字通り嬲り殺しにしていただろう。見た限り既にオーガは虫の息で、あと四、五発も殴られたら事切れるように思われた。


 けれど、そうはならなかった。完全に暴走している兵士の腕を、掴んで止める者が居たからだ。


「──はい、ストップ」


 ずっと彼等の傍に控えていた、白い僧服を身に纏った男だった。兵士は凄まじい形相で彼を睨んだが、僧服の男はまるで意に介した様子が無い。


「それ以上やったら死んじまうよ。一旦落ち着いて。ね?」


「放せ! 俺は、俺はまだ……!」


 流石、僧服を身に纏うだけの事はある。兵士の気持ちは想像出来るが、止めて貰って助かった。


 ……そんな事を考えたホムラの安堵は、直後、ものの見事に裏切られる事になってしまった。


、って言ってんの」


 僧服の男が、周囲を見回す。その視線に触発されたように、彼等を取り囲んでいた集団の中から、またフラフラと数人が歩み出て来る。


「殺しちゃったら、勿体無いでしょ?」


 言いながら僧服の男は、猿轡を噛まされた口の端から血の泡を噴き全身を痙攣させているオーガに向けて、手を翳した。その手に銀色の燐光が灯り、オーガもまた同じ色の燐光に包まれるのを見て、ホムラはこの場で何が起こっているのか大体の所を理解した。


「見なよ、この醜悪な面」


 あの僧服の男。止めるどころか、煽っている。オーガが死にかける度に回復し、あの暴力のループが途切れないように仕切っているのだ。


「勝手に攻めて来て、散々、散々殺しといてさぁ。何でまだ、のうのうと生きてるんだろうね? 何でアンタらの大切な人は死んで、コイツはまだ生き残ってるんだろうね?」


 一度は手を止めた兵士の男が、理性を振り切るように片手槌を振り上げた。それに触発されたように他の人々もそれぞれの得物を振り上げ、更にその周囲から進み出てきた人々までがその暴行に加わった。僧服の男は、今度は止めない。


 人々の怒号、慟哭。オーガのくぐもった咆哮に、僧服の男の陰鬱なケタケタ笑い。


 一つの地獄が、此処に在った。


「アンタ達はもう、行った方が良い」


 耐えきれなくなったように、親切な兵士がそう言った。


「皆、おかしくなっちまったんだ。あいつらは責められない。仕方無い事だ」


 血を吐くような声だった。もしかしたら彼もまた、大切な誰かを喪ったのかもしれない。そんな想像をさせる声だった。


「でも、その、何だ」


 けれど彼は、暴力の輪に加わるのを善しとはしなかった。


 自身が抱える憎悪よりも、子供達アネモネとリオルの視線を、気にしていた。


「これは、子供等に見せて良い光景じゃないだろう」


 もしもこの場に彼女達こどもが居なかったら、彼はあの私刑に参加していたのだろうか。それとも、上手く説明出来ない良心に苛まれて、やっぱりこの場から動く事が出来なかっただろうか。


 少なくとも、ホムラならきっと素通りしてた。


 彼等の怒りは尤もだ。傍から見れば醜悪でも、大切な誰かを喪った彼等の怒りは自然なもので、その復讐は正当なモノなのだろう。


 本来、ホムラに止める権利など有りはしない。首を突っ込むなんて有り得ない。仮にこの場にアネモネとリオルが居なかったら、きっとさっさとこの場から離れていた。否、もしもまだ間に合う状況だったら、アネモネとリオルを連れてこの場から離れる選択をしていたかも知れない。


「……もう、遅いだろ」


 だから、まぁ。


「コイツらは、もう見ちまったよ」


 きっと、のはお互い様だ。


 重たい腰を上げるように、ホムラは一歩、前に踏み出す。


「お、おい、アンタ……!」


「今さらその目を塞いでも、この光景は何だったのか、延々と考え続けるだろうさ」


 子供達かれらは見ている。


 周囲の大人達の背中を、大人達が考えている以上に見ている。


 無抵抗なヤツを集団で嬲り殺しにする大人達の背中も、それを止めずにただ見ているだけの大人達の背中も、子供達かれらは見ている。見て、やがて引き継ぐだろう。


 だからホムラは、止めに入る大人の背中を見せるのだ。大人達が掛かった呪いを、次の世代に引き継がせるべきではないと思うから。


「おい」


 所在なさそうに立っている”傍観組”を押し退け、掻き分け、ホムラは私刑が行われている現場に近付く。憎悪と呪詛を喚き散らしながら片手槌を滅茶苦茶に振り下ろしていた男の手を、後ろから掴んで止めた。


「もう、止せ」


 男は最初、自分に何が起こったのか把握出来なかったらしい。振り上げた片手槌を振り下ろそうと何度かグイグイと力を込め、それで漸く自分が誰かに腕を掴まれていると気付いたらしい。


 凄まじい勢いで、振り返って来た。その双眸は憎悪を煮詰めたように仄暗く、鼻に皺を寄せて犬歯を剥き出しにしたその表情は、おおよそヒトのものとは思えない。


 獣か、或いは鬼のような形相だった。


「……なんだ、おまえ?」


 必死に衝動を抑え付け、それでも尚震えているその声を聞いて、ホムラは思わず瞑目した。正直に言えば、自身の行動の方針を今からでも改めるべきではないかと、内心でかなりグラついた。


 彼は伴侶を喰い散らかされたという。愛した女がその臓物を晒し、脳髄をブチ撒かれ、正視に耐えない無残な残骸に成り果てていた時、残された者は何を想うのか。 


「じゃま、するな」


 その場の皆が、ホムラを見る。手に鍬を持った獣人の老婆、今まさに剣を振り下ろそうとしていた人間の女、髪を振り乱した人間の老人、皆一様に空虚と狂気を綯い交ぜにしたような表情でホムラを見る。


 言葉を紡ぐどころか、視線を外さないようにするのでさえ、結構な胆力が必要だった。


「もう、止めてく――」


 最後まで言えなかった。言い終わるか否かのタイミングで、兵士の男の手が閃いたのを確かに見て、ホムラは即座に歯を喰い縛った。


 視界が揺れる。鈍い音が頭の中を反響する。


 兵士の男が、片手槌でホムラの横っ面を殴りつけたのだ。即座に片足を踏み直し、倒れるのを耐えたホムラに向かって、兵士の男は皹割れた声で言った。


「半分もなかった」


 ひしゃげた甲冑の残骸と、皮膚が破れた胴体と、漏れた腸。皮で繋がった両足と、それから薬指に指輪が嵌まった左腕の一部。


 その指輪でしか、本人だと分からなかった。それ以外は見付からなくて、せめて痛みも無く死ねたのか、苦悶の内に死んだのかすら分からなかった。


「半分もなかったんだよ……!」


 ドロリと、その両目から血が零れ落ちる。何度も何度も擦ったらしい目元が赤く腫れ上がっていたから、ホムラを殴った反動でとうとう皮膚が破れたのかもしれない。


 でも、或いはもっと単純に、枯れ果てた涙の代わりなのかも知れなかった。


「おれはとめない。このバケモノはころす」


 兵士の男が、オーガの方を振り返る。ホムラを見ていた他の面子も、それに倣う。


「ころす。ころす。ころす。ころす……――!」


 武器を振り上げ、殴りつける。一撃毎に呪詛を込めて、その身体に叩き込む。


 血が飛び散り、猿轡を噛まされたオーガがくぐもった叫び声を漏らす。只の叫びではなく、明らかに呪詛が籠ったその獣声を受けて、けれど彼等は虚ろに、凄惨に嗤うのだ。


「しね」


 地獄だ。


 この世の地獄、その一つが此処に在る。


 呪いに呑まれた集団は、最早ホムラの事など忘れたように武器を振るい続ける。骨を打つ音、肉が千切れる音が響き渡り、縛られたオーガの身体が不規則に跳ねた。彼等の背中を見るホムラを、神官の男が見ていた。


 憐れむように、嗤った。参加する方法が違うだけで、彼もまた呪いに捕まったのだと何となく悟った。


「……」


 結構、良い一撃だった。指先で触れてみると、ヌルリと生暖かい感触がその指を舐める。


 全く、損な役回りだと思う。結局は好きでやっているのだから文句は決して言えないけれど。


「おい」


 声を掛けた瞬間、兵士の男は弾かれたように反応した。武器を振り上げた手はそのままに、グルリと身体を反転させて独楽のように一回転。十分な弾みと勢いを付けて、再びホムラの横っ面をブン殴りに掛かって来る。


 けれど今度は、ホムラも殴られてはやらなかった。


「止めろ、と言ってるんだ」


 武器を持っていた手を思い切り振り抜いて、少し後に漸く兵士の男はその異常に気付いたらしい。何も握っていない掌を一拍の間空虚に見つめて、それからホムラの手に握られたオーガの片手槌を見る。


「じゃま、するなと、言ったぞ」


 兵士の男の声に熱が籠る。黒く濁った彼の思考が、邪魔者ホムラへの怒りで徐々に熱されていくのが目に見えるようだった。


「お前から殺――」


 彼等の憎悪は、正当だ。どちらかと言えば、無理を通そうとしているのはホムラの方だ。


 分かっている。そんなこと事は十分過ぎる程分かっている。


 だからホムラは、彼の言葉を最後まで聞かなかった。その胸倉を掴んで頭突きする勢いで引き寄せる。逆切れの要領で一瞬だけ相手の思考の空白を生み、その隙に囁き声を潜り込ませた。


「……殺すなとは言わねぇ。間違ってるとも言わねぇ。だがこれは違う。こればかりは、俺は黙って見過ごす訳にはいかねぇ」


「ちがう、だと」


 ホムラの"逆切れ"に驚いたのか、それとも単純に"頭突き"の衝撃に意識が吹っ飛び掛けたのか。


 何にせよ、彼の憎悪と怒りはそんなものでは消え失せたりしなかった。ほんの一瞬で火が付いて、噴火しようとするのが目に見えた。


「何様のつもりだ、おま――」


 そのタイミングで、ホムラは核心に踏み込んだ。



「……!」


 男の時間が、止まった。


 身体と本能で先に理解して、けれど意識が追い付いていない様子の相手に見せ付けるように、ホムラは背後を振り返る。


 アネモネとリオルが、其処に居た。


 大人達が紡ぐ凄惨な光景を見せ付けられて、凍り付いたように其処に立っていた。


「今のアンタ等、


「……」

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