雨降って②

 悪意。


 多分、ホムラはその言葉を意識的に強調したのだと思う。正直、あまり予想してなかった言葉をいきなり押し付けられて、アネモネは少し戸惑ってしまった。


 てっきり、経験とか判断力とか。ホムラが言うとしたら、そういう現実的で直接的な事だと思っていたのに。悪意という言葉の意味は勿論分かるが、抽象的過ぎて具体的には何も思い付かない。


 正直、あまりピンと来ていなかった。


「──だが、戦争これは駄目だ」


 けれど、ホムラの顔は真剣だった。


 多分、今まで見た中で最も真剣な顔で、ホムラはアネモネとリオルの顔を順々に見た。


「幾ら実力が有ろうと、手を借りないと負けそうな局面であっても、子供おまえ等は戦争に参加すべきじゃない」


「正統性がどうとか、守る為の戦いがどうとかってんじゃないんだ。大勢の人間が戦う現場は、問答無用で悲惨になる。憎悪も悪意も、あまりにも濃過ぎる」


「しかもそれは当人達からすれば"正義"だから、気付くのが難しい」


「気が付けば"自分とは違うから"って理由で他人を憎むようになっている。終いには"取り敢えず殺す"って発想になる。そうなったら、人間そいつはもう終わりだ」


 表情も真剣なら、話すその声も真剣だった。要所要所で途切れさせながらながら、それでも一生懸命話すその様には、口を挟む事を許さない何かがあった。


「……」


 アネモネは、ホムラに死んで欲しくないだけだ。子供という理由で肝心な時に認めて貰えないのは悲しいし、悔しいが、それは飽くまで二番目である。


 ホムラが戦いに行くなら、その背中を守りたい。ホムラが戦いに行かないなら、別にアネモネだって戦いに参加したい訳じゃない。


 ただ、それだけの話だったのだ。


 なのに気が付けば、ホムラはアネモネ達の目の前で両膝を突き、こうべまで垂れ始めていた。


「なぁ、頼む」


 どうしよう。


「どうか聞き分けてくれ」


 何だか、大事おおごとになってしまった。


「えー……っと……」


 困り果てて、アネモネは隣のリオルを見る。


 それを予め予測していたのだろう。既に彼女はアネモネの様子を窺っていて、目が合った途端、軽く頷いてホムラの方を見た。


「否定」


 ……いや、あの。


 確かに丸投げしたのはアネモネだし、リオルのやり方に文句なんか言える筈も無いのだが。


「それは不可能です、ホムラ」


 そんな、バッサリ切り捨てるの? 向こうは頭まで下げてるのに??


「あの、リオル──」


大人ホムラが過保護なくらいに子供ねえさまを大事にするように、子供ねえさまだって大人ホムラを心配しています。姉さまの性格は、今更言うまでもありませんね。ホムラが死地に赴けば、必ずそれについて行こうとするでしょう」


「……」


 いや、間違ってないけど。間違ってないけれど。


 流石にちょっと脚色し過ぎと言うか、アネモネだって我慢したり空気読んだりは出来ると言うか。


 気が付けば相当な我儘娘に仕立て上げられていて、ちょっぴり心外なアネモネだった。


「あの、リオル。私はその、ホムラを困らせたい訳じゃなくて……」


「では、姉さま。ホムラがある日戦場に出たとします。その日の夜、ヘボ神官が申し訳無さそうな顔をしてやって来て、"すいません、ホムラさんの蘇生に失敗しました"。納得出来ますか──」


「ごめん無理」


 言ってしまってから、ハッとする。リオルとホムラ、両方の視線に晒されて、自然と縮こまる結果となる。


「ね?」


 ね、ってなんだよぅ。


 恨みを込めてリオルを見るが、彼女にそんなものが効く筈も無いのだった。


「……こういうのは、大人とか子供とか関係無くて、でしょう。姉さまは出来ます。ですから、姉さまは止まりません。子供だからと心配する大人ホムラの心配なんて、姉さまには通用しませんよ」


「じゃあ、俺がこれ以上戦場に出なければ……──」


「否定。それも不可能です、ホムラ」


 言いながら、リオルは西門の方を振り返った。回収作業も少しは落ち着いてきたのか、動き回る神官や兵士達の数は少しずつまばらになってきている。が、彼処で相当な惨劇が繰り広げられたのは間違い無いだろう。


「まんまと陽動に引っ掛かって落とされ掛けていたこの西門を、ホムラは一人で守り切りました。この偉業は国の耳に入るでしょうし、今後も協力する事を要求される筈です。受ける受けないはホムラの自由ですが、国だって馬鹿でも無能でもありません。そうですね……姉さまの夢の事くらいは調べ上げられて、それを人質に取るくらいの事はするでしょうか」


 淡々と刻み付けていくような言葉に、やがてホムラは耐えきれなくなったように項垂れて、頭を抱えた。


 彼は今、一体何を考えているのだろう。すごく気になるが、先程のリオルの説得で物凄く下げられたような気がするアネモネとしては、迂闊に声を掛け辛かった。


「……」


 ……もうコイツ等の相手するの嫌だな、とか思われていたらどうしよう。


 沈黙に耐えきれずにそんな事を考え始めるアネモネを他所に、ホムラはやがて、ゆっくりと息を吐いた。


「俺が、迂闊に戦場に出ようと思わなければ……」


「その時はこの西門がオーガ達に抜かれて、街中が戦場になっていたでしょう。姉さまは何処かのタイミングで誰かの為に魔術を使い、今度は姉さまが直接国から目を付けられる事態になります。冒険者どころか、兵器として国に一生飼い殺される事になりますね」


 リオルって、こういう知識や考え方を一体何処で勉強してくるんだろう。


 怒ったり不快に思ったりする前にただただ吃驚して、アネモネは淡々と話すリオルの横顔を見つめる。


 どうやら、ホムラも似たような事を考えたらしい。ふと思い付いた事に縋るように、彼は微かに苦笑わらいながら言った。


「まるで、見てきたように言うんだな?」


「……我ながら見事な推理だと自負しています」


 少しだけ決まりが悪そうに、リオルの声が萎む。


 が、それも一瞬の事で、リオルは直ぐに言葉を続けた。


「とにかくリオルが言いたいのは、戦う力と他人を放っておけない性格を持つ我々は巻き込まれるしか無いという事です。それを踏まえた上で改めて結論を述べると、ホムラの希望はどう頑張っても通りません」


「……」


 もしかしたらリオルはホムラが何か言い返してくる可能性を考えて、それで一旦言葉を切ったのかもしれない。


 けれど、暫くホムラは何も言わなかった。門の前で互いを急かす兵士や神官達の声に加え、遠くの方で雷が不機嫌そうに唸る声が聞こえてきた。どうやらもう直ぐ、雨が降ってくるらしい。


「──……一つだけ、解決策の提案があります。ホムラ」


 ややあって、リオルがそんな事を言い出した。


「姉さまの希望もホムラの希望も両方通せる、至極簡単な方法です」


「……聞こうか」


 多分、ホムラはそんなに期待していなかったのだと思う。一応会話は出来ているけれど、声も態度も何処かうわの空で、明らかに別の事を考えている様子だった。


 きっと、彼は彼で今後どうするべきか考えていたのではないか。そして話しているリオルにも、それくらいの事はちゃんとお見通しだったらしい。


 会話の流れを見守るアネモネの前で、リオルはおもむろに、その両腕を大きく広げた。


「では、失礼」


 バチン、と。


 肝を潰すような乾いた音が、灰色の戦場跡に響き渡った。


「ホムラ」


 リオルである。


 彼女は大きく広げた両腕を勢い良く閉じて、ホムラの顔を挟み込んでいた。


「!?」


 アネモネは驚いた。多分ホムラも、度肝を抜かれていた。


 リオルだけが通常運転だ。彼女は”自分はおかしな事など何もしていません”と言わんばかりの表情で、自らが掌で挟んだホムラの顔を至近距離から覗き込んでいた。



 顔と顔の距離が、すっごく近い。


 何故だかちょっとドキドキしてしまったアネモネの前で、けれど二人の雰囲気は真剣だ。ホムラはリオルの言葉を聞いた瞬間、驚いたように目を見開いていた。


 そんなホムラに刻み付けようとしているみたいに、リオルはややゆっくり、はっきりと言葉を紡いでいく。


「敵からだけじゃなく、刃や魔術からだけでもなく。姉さまに降りかかる、悪意や欲望、理不尽や不条理、絶望、慟哭、全部、全部、全部から――」


 彼女の掌が、ホムラの頬から滑り落ちる。その手はホムラの服を掴んで、まるで仇のように力一杯握り締める。


「護って下さい」


 祈るような声だった。


 けれどアネモネの位置からは、まるでリオルが、ホムラの首を絞めているように見えた。


「――ホムラが、姉さまを、護って下さい」


 ハッとする。


 慌てて近寄って、リオルをホムラから引き剥がす。何を言えば良いのか分からず、いきなり割って入るような形になってしまったが、リオルはあっさりと引き剥がされてくれた。


 彼女が語った内容は目の覚めるような鮮やかな解決方法ではなかったと言うか、寧ろ根性論に近いような内容だった気がする。結局ホムラに全ての負担を押し付ける事になるし、アネモネとしては反対だ。


「あの、ホムラ――」


 けれどその言葉は、ホムラにとっては結構な衝撃だったらしい。


 気にしなくていいから、と言おうとしたアネモネの言葉は、他ならぬホムラによって押し留められた。彼が何かしたという訳じゃなく、彼の表情を見たアネモネが咄嗟にその言葉を呑み込んでしまったのである。


「……そうだな」


 視線を切ったほんの一瞬の間に、何処かに行っていたホムラの魂は戻って来ていた。


 焦点を合わせ、真っ直ぐに此方を見据えてくる、彼の目。


 一瞬、火傷したかと思った。


「そうだった。何も難しい話じゃない。いつも通りに、いつも通りの事をやればいい」


 穏やかに言いながら、ホムラはゆっくりと立ち上がる。今の一瞬で何が起こったのか良く分からず、ポカンとするアネモネやその隣のリオルを見て、ホムラはゆっくりと言葉を続けた。


「すまん、日和った」


「肯定」


 今ので納得しちゃうんだ。ホムラも。リオルも。


 アネモネだけが全然ついて行けてない。


「しっかりして下さい。前衛が逃腰だったら、姉さまは誰に頼れば良いのですか」


「面目無い」


 リオルが身内以外のヒトに対して、積極的に交流を図る事は殆ど無い。リオルにとって、既にホムラは身内らしい。けれどそもそも、彼女が他人をこんなに早く身内認定する事自体、非常に珍しい。


 珍しいと言うか、多分初めての事ではないだろうか。


「改めて、お前達を護る。アネモネも、それからお前もな、リオル。自分は付属品、みたいな考え方が染み付いてんなら今すぐ改めろ。そういうのはアネモネが一番嫌う行動だろ」


「あ、うん。それずっと私言ってるの。ホムラもっと言ってやって!」


 自分で言うのも何だが、リオルはずっとアネモネを中心に据えるみたいな所があって、言動は勿論、他人との交流ですらアネモネ準拠だった。アネモネもそれは異常だと思っていて、全然改めてくれない彼女にやきもきしていた。


 今回、ホムラが現れたのは、リオルにとっても間違い無く良い事だと思う。彼女がアネモネ以外の誰かと仲良くなるのは良い事だ。普段は過保護な親みたいにアネモネと他人の交流に厳しい彼女が、ホムラの存在を好意的に受け止めてくれているのは、アネモネとしても凄く嬉しい。


 嬉しい、のだが……――


(私、なんか、ヤなヤツだな……)


 何だか置いて行かれているみたいで、今の状況はちょっと面白くないアネモネだった。そんな事を思ってしまう自分自身がまた嫌で、自然と口数が少なくなってしまう。


「――よぉ、アンタ等」


 だから、正直助かった。


 やや遠慮がちに割り込んで来た、第三者の声。アネモネを含めた三人が其方を見遣ると、そこには血と土と疲労で鎧や顔を汚した兵士が立っていた。


「回収作業が終わった。これから門を閉じる。アンタも戻って来てくれ」


「ああ、そうか。わざわざ教えに来て頂き、感謝する」


「なんのなんの。礼を言わねばならんのは此方の方だ」


 そうやって、ホムラがやって来た兵士と”大人同士の会話”を始めたものだから、心の何処かで油断していたのかも知れない。だから、”助かった”なんて思ってしまったのだ。


 ぼす、と頭に何か被せられる。あったかくて、ゴツゴツした感触のそれは、丁度アネモネの隣に立つ形になっていたホムラの掌だった。別に褒められる事は何もしてないのにと驚いて、ホムラの顔を見上げようとする。


 が、それよりもホムラがアネモネの髪をクシャクシャにする方が早い。


「んみゃ」


 何するの、と抗議しようとした所で、ふと”心の内をなんとなく見透かされていたのではないか”と言う事に思い至った。ホムラがそう言った訳ではないし、これと言った確信が在る訳でもない。


 でも何となく、アネモネの想像はそんなに間違ってないような気がした。


「あまり見ない格好だな。アンタ、”黄金の国の民ジパング”か?」


「ああ。今は故あって、この子達と冒険者を目指している」


 何と言うか。


 上手く言えないけれど。


 ズルい、と思った。


 こっちは全然、上手く出来ないのに。


 向こうは上から全部見下ろして、見透かして。


 こっちは割と必死で足掻いているのに、向こうは事ある毎に、”大人だから”の一言で片付けて。


「そ、そうか。中々大変そうだが、?」


「ん? ああ、すまん。せっかくの綺麗な髪だったのにな」


 なんで一番触れられたくない部分はサラリと見抜くクセに、そういう所は頓珍漢な所を踏み抜くんだ。ええい止めろ、髪を整えようとするな。子供扱いするな。


 なんかもう、全てが憎たらしい。指に噛み付いてやろうかと、普段なら思い付きもしないような凶暴な衝動に駆られ、その事に自分自身で驚きながらも、アネモネはホムラに向かって威嚇した。 


「がるる」


「ん、あれ? なんで怒ってんだ?」


「ホムラ、そろそろ手を放して下さい。さもなければ実力行使に踏み切ります」


「こっちもか!?」


 ホムラの身体を挟んだ向こう側で、リオルはリオルで何かの被害に遭っていたらしい。珍しく狼狽えるホムラの姿を見て、兵士の人はちょっと笑った。


「大変そうだな。同情するよ」


「否定。それはどういう意味ですか? 上から目線で大変不快です訂正と謝罪を要求します」


「おぉっと、しまった」


 リオルの静かな剣幕に、兵士は怒られた子供のように首を竦める。が、その口元には変わらず淡い笑みが湛えられていて、彼が変わらずアネモネやリオルを子供としてしか見ていないのは容易に想像出来た。


 ……やっぱり、彼にそう扱われてもそんなに腹は立たない。


 であれば、ホムラがアネモネにとって特別なんだろう。恐らくは、リオルにとっても。


「ま、とにかく、早く戻ってくれ。街を護ってくれた英雄を閉め出す訳にはいかないからな」


「承知した。改めて御礼申し上げる」


「ははは、アンタ変なヤツだな。英雄ってヤツはもっと偉そうなモンだと思っていたが」


 頭を下げたホムラに対して兵士は困ったように笑い、踵を返す。一拍置いて顔を上げたホムラがそれに続くように一歩踏み出し、アネモネがそれに続こうとした所で、不意に兵士が「あ」と声を上げて立ち止まった。


「今、門前広場はちょっとしたお祭り騒ぎになっている。人によって好き嫌いが分かれると思うから、もし気に喰わないなら、さっさと離れる事をオススメするぜ」


「……」


 明らかにホムラに話し掛けている様子だったのに、ホムラは応えなかった。不思議に思ってその顔を見上げると、彼は不意打ちで酸っぱい実を食べさせられたように渋い顔をしていた。


「……?」


 ホムラには、その”お祭り騒ぎ”とやらが何なのか分かったのだろうか。


 アネモネには分からない。”お祭り騒ぎ”って何だろう。こんな状況なのに、お祭り……?


「あの……」


 分からなかったから、素直に訊いてみる事にした。実際にはちゃんと言葉には出来なかったけど、兵士はアネモネの顔を見て訊きたい事を察したらしい。気まずそうな顔をしてホムラの顔を窺い、それから言いにくそうに言葉を紡いだのだった。


「まだ生きているオーガが居たのさ」



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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