雨降って①

 街が泣いている。


 今にも落ちてきそうなくらい重く垂れ込めた黒い雲は、王都ダグリエルの各所から上がる戦火の煙を吸ったのかもしれない。"約束のイモータル"でのみ採れる石材をふんだんに使った白亜の街並みは、オーガ達が使ったという爆発する大岩の投射であちこちを粉砕され、焦げ跡と炎、それから巻き込まれたヒトビトの血肉の色に染まり、ひどく無惨な状態に仕上がっている。


 街のどこもかしこもが、嗚咽と慟哭にまみれていた。空気が黒くて濁っているのは、決して煙の所為だけではないだろう。


 いつもは美味しい炙り肉を出す出店が出ている大通りの端を、粉砕された尖塔の欠片が押し潰している。時々酔っ払いが寝っ転がっている往来の真ん中には、に縋り付く母親と子供達が、引き剥がそうとする兵士達に必死に抵抗していた。別の場所では半壊した家の残骸が轟々と燃えているし、また別の所では気絶しているのか死んでいるのか分からない兵士を、これまた半死半生の兵士が必死に何処かへ引き摺っていくのが見えた。


 "約束のイモータル"はかつて神々が暮らしていた神聖なる土地で、多種多様な種族が暮らしているこの世界では信仰も考え方も主義も主張も異なるが、"約束のイモータル"で血を流すのが禁忌である事だけは世界共通の認識だ。この地の所有権を主張し、人間やそれに与する種族連合と敵対しているオーガ達ですら、"約束のイモータル"に直接攻め込んで、血を流す事は無かったのである。


「……ひどい……」


 誰かが本気で泣き叫ぶ声は、聞いていると心が搔き乱されて悲惨な気分になる。たった一人だけでもそうなるのに、それが一〇、二〇、一〇〇、二〇〇と重なると、心と身体が分離して、目の前の悲劇にマトモに反応する事が出来なくなる。


 非道い光景だった。自分一人ではどうにも出来ない、圧倒的な量の悲劇と絶望が、そこら中を覆い尽くしていた。ともすれば何か出来る事はないかと一々立ち止まりそうになるけれど、今はそういう訳にはいかないのだった。


「──姉さま」


 街を埋め尽くす慟哭と怒号を刺し穿つように、柔らかくも冷たい声が耳朶に響く。


「今ので、停止回数が一◯に到達しました。目標を変えて救助活動に回りますか?」


「……」


 リオルは相変わらずの無表情だ。一歩先を進んでいたのにも関わらず、此方の様子に目敏く気付いて聞いてくるその様は、周囲の惨状に全く心動かされていないようにも見えた。


 その様に怒りにも似た感情が沸き上がり、衝動的にその感情をぶつけようと口を開き掛ける。が、すんでの所で思い留まる事が出来た。感情をあまり表に出さないリオルが冷淡に見えるのはいつもの事だ。それに、今のアネモネ達にはがある。彼女の問い掛けは、アネモネにそれを思い出させてくれた。


「……ううん。今は、ホムラを探すのを優先しよう」


「承知しました」


 王城の地下ダンジョンから帰還して直ぐ、アネモネ達は城の兵士達に保護され、逃げてきた城下町の人々が集まっている大広間に通された。そこで暫くは大人しくしていたのだが、やがていきなり、ホムラがこんな事を言い出したのだ。


『──助太刀してくる』


 驚くアネモネを余所に、彼は偶々近くを通り掛かった兵士に自身の希望を伝え、そしてあっさり連れて行かれてしまった。それならばとアネモネ達もそれに続こうとしたが、"子供を戦場に行かせられるか"と兵士に一蹴され、ホムラもそれに対して何も言ってくれなかった。アネモネ達は、またもやホムラに置いていかれたのである。


「でも、ホムラは何処に行ったんだろう? 街中がこうも滅茶苦茶だと……」


「正門、西門、東門、いずれかでしょう。オーガの街の中に入ってきていません。未だ門が破られていないという事です」


 勿論アネモネだって、一度や二度認めてもらえなかったからって諦めるような性格ではない。幸い大広間は人でごった返していて、兵士の方は人手不足だった。抜け出す事は造作も無く(クラウスとマリオンにも手伝って貰ったが)、まんまと街に出る事に成功して、そして今に至るという訳だ。


「そっか。じゃあ、門を一つ一つ回っていけば……!」


「西門から回りましょう、姉さま」


「えっ、どうして?」


「大広間で兵士達が会話しているのを聞きました。"西門にまでオーガ達が現れやがった"、"彼処にはもう兵力が全然残ってないのに"と。ホムラは直後に大広間から出ていきましたから、流れから察するに、西門に送られたと考えるのが妥当かと」


「分かった、行こう!」


 王都ダグリエルは広く、街壁の方からは鬨の声と轟音が聞こえてくる。悩む時間も勿体無くて、アネモネは即座に飛び出した。一々走るのももどかしかったので、手っ取り早く光翼を展開し、皆の頭上を飛んで行く形となった。


「姉さま、あまり高度を取り過ぎないで! あまり目立つとパニック状態の兵士から射たれる可能性があります!」


「分かった!」


 ダグリエルにはアネモネ達の他にも翼を持つ種族が多く居るが、幸い今はアネモネ達の他に見当たらなかった。翼を折り畳み、狂乱の最中で逃げ惑う人々の頭上を全速力で飛んでも、誰かに怒られたり、ぶつかったりする事は一度も無い。


 そんな訳で、西の街壁に辿り着くまでに大して時間は掛からなかった。


 近付くにつれ、道のが目に見えて激しくなっていった。その割合も、一般人より甲冑姿の兵士の方が多い。血塗れだったり身体の一部や半分が欠損しているボロボロの兵士を、比較的綺麗な別の兵士や法衣を纏った神官が搬送している。もっと近付いて、西門前の広場にまで辿り着くと、既に治療の意味を失った兵士達がぎゅうぎゅう詰めに寝かされて、その間を神官達が忙しそうに動き回っているのが見えた。まだ望みがある兵士を選別し、”遺灰”を回収しているのだろう。


 ただ、明らかにその数は異常だった。既に広場全体を覆い尽くしているのに、西門の向こう側からまだまだ運ばれて来ているのが見える。怪我人が一人運ばれて来る間に、死者が九人運ばれて来ている感じだ。


 ……西門の向こう側には、死者と怪我人しか居ないのではないか。無事なヒトなんて、一人も居ないんじゃないだろうか。


 一瞬、そんな事を考えてしまったアネモネだった。


「……っ」


 どうしようもなく不安な気持ちになって、アネモネは上空から西門前広場を見回した。鮮やかな赤色をした独特な衣服を探すが、その色は何処にも見つからない。どこもかしこもドス黒い血の色が広がっているばかりだ。途中、何人かの兵士や神官がアネモネに気付いた。彼らは周りと話しながら指差して来たり、降りてこいと叫びながら手招きしたりしていたが、従ってもこの場から追い払われるのは目に見えていたので、全部気付かなかったフリをする。


 そんな事より、ホムラ。ホムラだ。


 やっぱり、彼の姿は何処にも無い。この門には来ていないのか、それとも――


「姉さま」


 不意に、リオルの声が聞こえた。


 不安から顔を背けるように其方に目を遣ると、リオルはいつの間にか門の上に移動していた。其処は盛大に爆破された跡があって、幾筋もの黒煙が上がっている。ちょっと怖かった。


「此方へ」


 が、躊躇っている場合ではない。


 光翼を羽ばたかせ、アネモネは急いでリオルの所に向かう。近寄ったアネモネに、リオルは西門の外を指差した。


「居ました」


「!」


 リオルの言葉に一先ず安堵するのと並行して、視線を指差された方向へ滑らせる。


 その次の瞬間、


「——」


 刹那の間、呼吸を忘れた。


 灰色の地に赤黒い絵の具を乱雑にブチ撒けたような光景キャンバスの真ん中に、探していた”朱”が在った。


 門の前、アネモネから見て手前側で、救助に来た兵士や神官達が戦った兵士達のを搔き集め、回収作業を進めているその向こう側に、彼は独りきりで佇んでいた。門に背を向け、筋骨隆々としたオーガ達の死体の中に囲まれて、背後の人々を庇う様に立っていた。


 あの背中には、見覚えがある。


 ダンジョンで庇われた時、アネモネ達を置いて一人で魔物化したクラウスと戦いに行った時。


 いや、いや、


 それ以前に、


「オーガの生存個体、確認できません」


 背中を押すように、リオルが言った。


「知覚範囲内に敵性反応無し。噂の”投石器”とやらも確認できません。戦闘は完全に終了しているようです、姉さま。今近付いても、追い払われる事は無いでしょう」


「……~~~~ッ」


 堪らなくなって、アネモネはその場から急降下し、ホムラの下へ一直線に向かった。


 多分、気配で気が付いたのだろう。ホムラは振り返りこそしなかったが、アネモネが地面に降り立ったタイミングで溜息を吐いた。


「……困った奴らだ。こんな所にまで出て来てしまって――」


「こっちのセリフだよ! どうして一人で行っちゃうの!」


「大人だからだ。次代を守る義務と、恩人の国を守る義理がある」


 ホムラの返事は素っ気無い。視線をアネモネの方に寄越す事すらせずに地平線の果てを見つめているから、アネモネは脇から彼の顔を見上げるしかない。その向こう脛を思い切り蹴っ飛ばしてやりたい衝動に駆られながらもそれを実行しなかったのは、彼が背後で救助活動をする人々の為に警戒に当たっているのが分かっていたからだ。


 ここで感情に任せた子供っぽい行動を取って邪魔をしてしまえば、彼の言外の差別的な発言を、自ら証明してしまう事になってしまう。


 ”ここは大人の領域だ”。”子供は大人しく後ろに下がって、守られていろ”、と。


「”投石器”への警戒ですか? 対人ではなく戦略兵器への対策が狙いなら、魔術師ねえさまの力を用いるのが効果的だと思われますが」


「必要無い。多分あいつらは、使よ」


 当然のようにアネモネの後に続いて、助け舟を出してくれたリオルの言葉をも、ホムラはあっさりと一蹴する。


 その言葉が余りにも自信満々だったので、アネモネは思わず素直に訊いてしまった。


「どうして?」


「剣を合わせて分かった。アイツ等この戦に、誇りと尊厳を懸けてやがる」

 

 曰く。


 オーガ達がこの国に攻めてきた目的は、この土地自体が目的ではないと言う。この国に住む人々を打ち負かす事。自らの尊厳を取り戻す事。それ自体が目的だと言うのだ。


 "過去にコイツら、この国の奴らに負けて、この土地から追い出されるなり何なりしただろう"。


 楽しくは無さそうだが軽い調子で言って、ホムラは空気みたいな短い笑いを漏らした。ヒト側の歴史にそのような記述は一切無いが、オーガ達がそのように主張している、と言う話はアネモネも聞いた事がある。


「……酷い話だ。どいつもこいつも人間おれを捩じ伏せる事に躍起になるもんだから、結果的に俺一人でも防衛出来ちまった。遠くから、俺じゃなくて壁を狙って"投石機"とやらをバンバン使えば、此処は潰せてたかもしれないのにな」


 国として戦略的に戦うべき局面で、種としてホムラを潰す事を優先した。オーガ達はそういう奴らだ。だからホムラが此処に立っている限り、オーガ達の敵意はホムラ一人に集約される。


 つまり、ホムラが言いたいのはそういう事らしい。


「だからまぁ、俺が此処に居る間は魔術師アネモネの出番は無いだろう。分かったら大人しく城に戻ってろ」


 そういう事だった。


 話が元の軌道に戻ってきた事で、どっかに行き掛けていたアネモネの怒りも慌てて戻ってくる。


 さて、どうやってこの分からず屋に認めさせよう。


 リオルが口を開いたのは、アネモネがそんな事を考え始めた矢先の事だった。


「つまり、ホムラはホムラの感じた事を頼りに、此処に立っているという事ですね?」


「ああ」


「論理的な根拠は何一つ無いという解釈で良いですか?」


「……カンも結構、馬鹿にしたもんじゃないぞ」


「肯定。ホムラのそれを信頼に値する事は、リオルも承知しています。しかし、今のホムラが自主的に行っている役目の観点から見て、ホムラの行動は"完璧"であると言えますか?」


「……それは」


「オーガの中に合理的な思考を持つ個体が居ないと絶対に言い切れますか? 今は撤退しているようですが、その個体が"投石機"部隊を率いて戻ってきたら、どうですか? ホムラ一人生き残るならともかく、背後で救助活動を行なう人々を、今のホムラの剣技で守りきれますか?」


「……ぅぐ……」


 庭球、というスポーツがある。二人、若しくは二組のプレイヤーがネット越しにラケットでボールを打ち合うという内容で、この打ち合いが連続で続く事をラリーというのだが、ホムラとリオルの会話はこのラリーにちょっと似ていた。


 リオルの方が、圧倒的に優勢であるが。


「ホムラに守られる姉さまが対処を行えば、守りきれます。そうですね、姉さま?」


「……えっ? あ……っ、うん……」


 静かだが凄い勢いでズラズラと並べられる意見に、何だかアネモネが圧倒されてしまっていた。


 慌ててリオルの言葉に頷いて、改めてホムラの横顔を見上げると、彼は僅かな間の後に瞑目し、小さく溜息を吐いた。


「……そうだろうな」


 其処で初めて、ホムラは視線を動かしてアネモネを見た。


「そうだろうとも」


 最初、アネモネは彼が怒っているのだと思った。凪いだ表情も、固い声も、アネモネの怒りの熱を吹き飛ばすには十分だったから。


「もしこれが仮に──」


 でも、少し違うみたいだと直ぐに思い直した。


 観念したようにアネモネとリオルの方に向き直り、それどころかその場にしゃがみ込んで目線まで合わせて来た彼は、何処と無く力が無いように感じられた。


 ……怒っている、と言うよりは。


 何だか、落ち込んでいるように見えた。


「──仮に、旅の途中に野盗やら何やらに襲われたとかだったら、俺は遠慮無く力を借りただろう。お前達は子供だが背中を預けられるだけの実力があるし、何よりアネモネ、お前の旅路だ。降り掛かる火の粉を払える程度には、に慣れておくべきだ」

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