第一章

呪いの再誕①

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 かつてはこの世界の創造主たる神々が住まっていたとされる"約束の地イモータル"。神々からその地を託された人間族の王が統べるサンクトゥス神聖王国。その中心たる王都を守る兵士ともなれば、精鋭揃いの強兵である。


 ……けれど同時に、彼等は一つだけ、致命的な弱点を抱えているのも事実だ。


 神々の地たる"約束の地《イモータル》"は神聖な土地だ。そのような地で軍と軍がぶつかり合うような惨事を引き起こす事は神に対する冒涜で、それはこの世界に住まう全ての種族の共通認識なのである。


 つまりこの地では、長らく戦争など起こっていない。故にこの地を守る兵士達は、実戦を経験した事が無い。


 要するに、彼等には"経験"が圧倒的に不足しているのだった。



「……リズ……――」



 兜の下で縋るように呟いた彼女の名前は、狂乱怒涛の戦場音楽に掻き消された。


 鉄と火薬。血と脂。興奮と狂気。


 様々なモノを混ぜ込んで、戦場の熱で煮込まれた空気は、その粘性を増してドロリとしていた。幾ら吸っても酸素が肺に届かないクセに、胸の奥に抑え込んだ恐怖が、その熱気に反応する。


「……ぉえ……!」


 セオは王都を守る兵士の一人である。重装兵であり、重く固い鎧に身を包んで堅固な盾を構え、仲間と隊列を組み、防衛対象の前に仁王立ちして壁になるのが主な仕事である。只でさえ堅固な作りなのに加え、魔術文字を刻んで強化している鎧や盾は、滅多な事では敵の攻撃をを通さない。そうして敵の攻勢を凌ぎ続けて、やがて疲労した敵が隙を見せれば、ドワーフとゴブリンの技術の結晶である火薬鉄槌ガンハンマーが火を噴くだろう。


 防衛においては世界最強と言えるような、そんなエリート集団の一人だった。けれどそんなセオの肩書きと自負を、戦場は慈悲も憐憫も無く粉々に吹き飛ばした。



 ――GuuuuuuOOOOOoooooooooooOOOOOooooooooooooOOOooooOOO!!!!!




 怪物そのものの咆哮と共に、セオと同じ重装兵達が木っ端の如く吹き飛ばされていく。無造作な一撃で、無敵である筈の鎧がチーズのように呆気なく陥没し、ひしゃげた鋼鉄の隙間から鮮血が噴き出す。


 成人した大人の男の胴体程もある太い腕が、セオと同じ隊だったアルミオの頭と腰をそれぞれ掴み、力任せに引き千切るのが見えた。中程から割れて中身が零れ出したワイン瓶のようになったアルミオの血と臓物を、は大口を開けて行儀悪く呑み下す。途中で飽きたのか、両手の残骸を勢い良く地面に叩き付け、その頭を投げ遣りに踏み潰した。アルミオが最後に叫び、そして頭を潰されて途切れた声は、子供のように母に助けを求める泣き声だった。


「…………」


 王都街壁、西門前。


 死体の山に半ば埋もれて動けないセオの目に映るのは、沢山の怪物達だった。鉄と見紛わんばかりの分厚い皮膚に、その下で躍動する盛り上がった筋肉。派手な飾り羽や獣の爪牙を編み込んだ針金のような鬚や髪に、セオの同僚達の血で染まった大きな口。


 大鬼オーガ。獰猛で野蛮、残忍で自己中心的な、


 奴等は今日、突如としてこの"約束の地イモータル"に大挙して押し寄せて来た。


 始めは馬鹿正直に正門側から、次に西門と東門側から。


 幾ら単体では強いとは言え、戦略の"せ"の字も知らないようなな種族だ。城壁に備え付けてある防衛兵器や魔術師達の援護を以てすれば、たちまちの内に殲滅出来る。


 そんな風に自らの不安を上塗りしてセオ達の傲慢は、オーガ達が持ち出して来たによって打ち砕かれた。爆発する岩を投射する、巨大な投石機。最初の一投目が運悪く街壁の上に待機していた魔術師の一団に直撃し、大損害を引き起こしてしまった。街壁側の援護が途絶えた事により、街壁の外側に展開していた防衛陣は、直後、地鳴りと共に押し寄せて来た共と正面から殴り合う事になったのだ。


 そうして苦戦を強いられた正門が、西門と東門から増援を吸い上げた後。


 今度はその西門と東門を狙ったように、新たなオーガ達が現れたのである。正門を大混乱に叩き込んだ投石機を、彼等は当たり前のように西門にも持ち出してきた。当然セオ達は苦戦を強いられ、そこから先は、セオには何も分からない。オーガ達が押し寄せて来て、戦場と言うよりは狩場と言った方が相応しいような地獄の中を逃げ回り、生き延びるのに必死だったからだ。


 誰かが増援を求めて叫んでいた。また別の誰かが、増援は望めないから踏ん張れと叫んでいた。大鬼オーガ達の咆哮がそれらを纏めて塗り潰し、ヒトの声はやがて啜り泣きや命乞いの声に代わって、等しく消えた。


 セオもまた、動かない。動けない。折り重なる死体の上に倒れたまま、仲間達が殺され、喰われいくのを息を詰めて見守るだけだ。


 動こうにも動けなかったのだ。


 盾を吹き飛ばされた時に、頭から身体の動かし方のマニュアルまで飛んでいってしまったらしい。


 ……否。否だ。


 本当は動けたのに、動きたくなかったのだ。


 だって動けるのなら、目の前の地獄に戻らなくてはならない。兵士としての義務とか責任とか矜持とか、そういったものは恐怖の前には無力だった。誰だって、生きたまま頭から喰われたくはない。虫けらのように踏み潰されたくない。死にたくない。


 息を潜めて、吐き気を噛み殺し、セオは仲間達が殺されていくのを只見ていた。オーガ達は城門を破る事よりもヒトを皆殺しにする事に固執しているかのようで、永遠にも届くかのような長い間、虐殺と食事は延々と続いた。


 それでも、はいずれ尽きるものだ。戦うモノも殆ど居なくなり、やがてオーガ達はぞろぞろと何処かに向かって移動し始めた。


 言うまでもなく西門の方だ。抵抗が無くなった西門を悠々とぶち破り、王都の中に侵入し、彼等は、彼等は、其処で何をするだろう……――?


「……!」


 決まっている。食事の続きだ。


 王都の中のヒトビトは、セオと違って頑強な鎧など着ていないし、そもそも戦えない。きっと彼等は、セオ達よりも遥かに呆気なく死ぬ。呆気なく殺され、呆気なく喰われる。


 それはきっと、


「リズ……」


 だって例外じゃない。セオが並み居るライバル達を抑え、紆余曲折の末に漸く婚約まで取り付けた彼女も、呆気なく喰われて、奴らの尻から糞としてり出される事になるだろう。


「……はは」


 兵士としての義務とか責任とか矜持とか、そういったものは恐怖の前には無力だった。だからセオは動かないまま、仲間達が喰われていくのを黙って見ていた。


 惨たらしく殺されたくない。自分の命が一番大事だ。


 だからセオは動かない。婚約者が喰われようとどうなろうと、セオ自身が死んでしまえばそれで終わりだ。彼女がどうなろうと知った事か。


 ……


 



「――……ッッと待てこの筋肉達磨共がぁぁぁぁぁぁッ!!!!」



 嗚呼。


 化物達が、一斉に反応した。視線を巡らせ、一人立ち上がったセオを見た。打ち捨てられた死体の山の一部だと思って捨て置いたセオを認識し、まだ獲物が居たとばかりにニタリと嗤う。


 もう退けない。もう逃げられない。これからセオは死ぬだろう。殺され、喰われ、間違いなく死ぬだろう。


 けれど、嗚呼、その間に一匹でも道連れに出来ればと思ったのだ。殺される迄に一匹でも殺す事が出来れば、その一匹分の空白が、王都の中の誰かを生き延びさせるかもしれない。もしかしたら、あわよくば、あわよくば、その生き延びる人物はリズかもしれない。


「かか、かっ、掛かって来いやぁッ!!!!」


 妄想だ。仮に一匹殺した程度で、何かが変わるとは思えない。


 でも、でも、そんな妄想でも思い付いてしまったのだ。


 声は震えているし、涙は溢れて止まらない。腰は退けて、膝は激しく揺れてマトモに立つことすら儘ならない。向こうは只此方を見ただけなのに、此方はもう恐くて恐くて堪らない。胯間に生暖かい感覚が広がったのは、もしかしなくても失禁したからか。


『✕✕✕✕✕✕――!』


『✕✕✕✕✕✕――!!』


 一匹のオーガが、セオを指差して他のオーガに何事かを言った。何かを言われたオーガが嗤い、そこから細波のように嗤い声が広がっていく。


 そりゃあ嗤いもするだろう。傍から見たセオの、きっとなんと無様な事か。腰は退けて、足は震えて、オマケに漏らして、国を守る兵士らしさなんて何処にも無い。命欲しさに死んだフリをし、仲間を見捨てたセオには、そもそも兵士を名乗る資格すら無いのかも知れない。


 けれど、背後に誰が居るのか思い出してしまったセオは、例え嘘でも兵士のフリをするしかないのだった。死にたくない。喰われたくない。けれど国民リズが同じ目に遇うのは、もっと耐え難い。


「――ぅぅぅううううううおおおああああぁぁぁぁぁぁあああああッッ!!!!」


 雄叫びと共に、敵に向かって走り始める。


 鎧が重い。火薬鉄槌ガンハンマーも同様だ。兵種的に、敵に自ら走り寄る状況は殆ど想定されていないのだ。盾が無い分まだマシだったが、片腕が無いのは思った以上にバランスが取り辛かった。


 オーガ達がゲラゲラ嗤い、その内から一際大きな一匹が前に進み出た。分厚く、黒っぽい鉄皮は湯気を噴き、その口元は長い顎鬚の先に至るまで血で濡れそぼっている。その腕に携えた身の丈程も棍棒には、誰かの鎧が肉ごと引っ掛かり、貼り付いたままだった。よりによって、何であんな見るからに強敵が出てくるのか。


(リズ――!)


 俺は、此処で死ぬけれど。どうか君には、生きて欲しい。


 心の中で別れを告げたセオの視線の先で、黒いオーガも走り始めていた。煽るように拳を突き上げるオーガ達の歓声の中、セオと黒オーガの距離はみるみる埋まっていく。


 間合いに入るまで、あと三歩。


 セオが火薬鉄槌ガンハンマーを握り直すのと同時に、黒オーガが得物の棍棒を大きく振り上げるのが見えた。


 あと二歩。


 黒オーガに踏み荒さられるセオの仲間達の遺体が、その振動の余波で僅かに揺れる。彼等がやられるのをセオは見た。きっと次は、セオの番である。


 ――……と。


 セオも、直前までそう思っていたのだが。


 黒オーガが走るその足元に倒れていた仲間の死体が、突如動いた。下半身を失い、上半身だけになったフーゴのおっさんが、上体のバネだけで黒オーガの駆け足に飛び付く。左肩を中心に身体の左側を失ったカフー先輩が、残った片腕で黒オーガの腰を抱きすくめる。トールが、プルトが、アーニャが、その場で死に体になっていた兵士達が、一斉に黒オーガに襲い掛かり、その動きを止めに掛かる。まるでヒトで出来たトラバサミのようだった。


『セオぉッ!!!!』


 あと、一歩。


 歯を喰い縛り、最後の一歩を踏み出しながら火薬鉄槌ガンハンマーを振り上げたセオの耳に、フーゴのおっさんの咆哮が届いた。


 否、フーゴのおっさんだけじゃない。カフー先輩、トール、プルト、アーニャ、皆の声も重なって聞こえた。



『――



「うおおおらああああああああああああああああッッッ!!!!」


 セオは、火薬鉄槌ガンハンマーを、振り下ろした。


 セオ自身の膂力に、第一トリガーを引いた時に炸裂する炸火薬の推進力が加わったそれが、兵士達に纏い付かれて動けない黒オーガの頭蓋に突き刺さる。


 骨を穿たれ、血と脳漿の一部を撒き散らした黒オーガは、けれどそれでも倒れなかった。目に憎悪を燃やし、口から憤怒と生存渇望の咆哮を上げながら、セオに向かって棍棒を薙ぎ払おうとしてくる。


 だが、それでもセオの方が早かった。向こうは棍棒を薙ぎ払う前に振りかぶらなくてはならないが、此方は第二トリガーを引くだけで良いからだ。


「死ぃぃぃねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえ!!!!」


 心からの敵意と憎悪を口にしながら、セオは第二トリガーを力一杯引いた。


 爆発音。くぐもった湿った音がそれに続く。推進力を生み出すものとは、また異なる機構。一撃で仕留め損なった敵を確実に葬り去る為に、鉄の杭を炸火薬で撃ち出す"炸火式射出機構パイルバンカー"。ゼロ距離から敵の装甲を撃ち抜く事を目的としたその機構は、一切の支障無くその機能を果たして見せた。頭蓋を完全に貫かれ、頭部の大部分を破壊された黒オーガは、どうと軽い地響きを立てながら地面に沈んだ。


「はぁっ、はっ、はぁ……ッ」


 息が荒い。言葉が出てこない。胸がいっぱいで、思考がぐちゃぐちゃで、何から取りかかれば良いのか分からない。


 みんな。そうだ、みんなは。


 黒オーガを倒す為に、大きく貢献してくれた彼等。フーゴ、カフー、トール、プルト、アーニャ。死んでいるようにしか見えなかったのに、生きていたのか。


「はっ――」


 みんな。


 多分、そんな感じの言葉を吐こうとして、けれどセオは、その先を継げなかった。みんな動かない。最初からずっとそうであったかのように、無惨な死に様を晒している。最近生まれた子供の話しかしなかったフーゴのおっさんも、沢山の兄弟の面倒を見ていたカフー先輩も。冒険者に憧れていたトールも、男に対してやたら対抗意識を燃やして鬱陶しかったアーニャも、実はそんなアーニャの事が好きだったプルトも、みんな、みんな、血と泥と他の死体に埋もれて動かない。


 皆、最期の力を使い果たして逝ってしまったのか。それとも皆が動いたのは幻で、黒オーガは偶々死体に足を取られて前のめりに崩れただけなのか。


 分からない。


 分からないけれど、少なくとも今のセオは一人きりだ。

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