エスタの町はこわい?
クチカケ村を出立した三人は、ゆっくりと山道を下っていた。
「って言うか怖いよ日下」
「二人とも相変わらず悠長すぎる……」
「何の話?」
「エスタの町の評判を知らないのか!?」
エスタの町は怖い。それがクチカケ村住人の共通の認識になっていた。
「エスタってのは、マフィアの町。それこそ銃弾を放つような」
「日下こそおかしいよ、こんな世界にそんなのがあるの?」
「物の例えだ。話を聞いていないのか?」
日下がどんなに頭を抱えようとしても、二人とも朗らかに前を向く事をやめようとしない。まるでアクセサリーでも買いに行くような気軽さで、決して楽でもないはずの山下りを楽しんでいる。
(話を本当に聞いていないな、この連中は……)
「相当な殺し合いがあったらしい」
「それにこの町に来てたウエダって人たちもかなり関与してたらしい」
悩むだけ損とか言うフレーズもあるが、この二人の悠長さを見ているといい加減見捨てたくなって来る。
日下はこの時、そこまで思い詰めそうになっていた。
(上田たち……本当に恐ろしい事をしてくれたな。戦争に関わったらどうなるかわかるだろうが……)
ナナナカジノは犯罪者集団からの自衛の戦いだったし、クチカケ村の戦いも村長が呼び出したとは言え魔物との戦いだと言う言い訳が効いた。
だがエスタの町で上田たちがなした行いは、まさしく戦争に両足を突っ込んだ行いでしかなかった。
「エスタの町には俺も刀剣甲冑などをかなり卸してた。言い方こそ悪いけど」
「木材だけじゃなくですか」
「木材だけでなんとかなる訳もない」
鍛冶屋兼副村長とでも言うべきミミの言う通り、確かに木材の取引だけでクチカケ村の住民を養い切るのは難しい。南のペルエ市やナナナカジノ、シンミ王国などにいくら卸した所で額は知れている。そうなれば抗争地と言う名の市場に卸した方が金も入ると言う訳だ。
そんなお話を聞いておいてここまで余裕ぶれる才能の一端でもあればいいのに……とか言うないものねだりをしながら、日下はエスタの町の西門を叩こうとした。
「お嬢さんたち、何の用ですかい?」
そこに出て来たのは、腰に剣を差した粗雑な服を着た男二人だった。
少しばかり怪しい目つきをしたその存在を認めた日下は無言で剣を抜き、二人に突き付けた。
「あ、あの、もしもし!」
「あのお嬢さん、この町に何か御用で……」
「ただ少しお世話になりたいなーって、」
「私の歌もお聞かせ出来たらなって!」
「いや、その……………………」
たったそれだけの事で体を震えさせながら急に低姿勢になった目の前の二人の男性と、能天気にしゃべりだす二人の女性。
合わせて四人の男女により、日下はバツが悪そうに口ごもるしかなくなってしまった。
「あのもしもし、そんなにいきり立ってどうしたんですか?俺ら、いやうちらとしてはその……」
「私たちの身の安全は保障されるんでしょうね!」
「そりゃもちろん、親分様が許す訳ないじゃございませんか、ええその……」
それでも引っ込みも付かないと言わんばかりに吠える日下にすっかりおびえてしまった二人は、手を震えさせながら門を開ける。
そしてどうか受け取ってくださいと言いながら、三枚のカードを恐る恐る日下に渡した。
「ほらほら、笑って笑って!」
「う、うむ……」
町に入るだけで疲れてしまった日下を引きずりながら、神林と木村は門をくぐり抜けた。
「しかしさ、この町ってどんな町なの?」
「この町はリオン親分様の町だ。親分様は弱いもんに優しくしてくれるお方だからよ、あんたらもゆっくりしなよ」
多数の男たちが、資材を運んでいる。クチカケ村から来たそれなのかはわからないが大量の木材を運び、槌の音を響かせながら建物を組んでいる。
「それでお嬢ちゃん、吟遊詩人なんだろ?一曲頼むわ」
「でも」
「大丈夫だって、金は払うから!」
そんな建てられかけの建物の側で、神林はさっそく「本職」をこなす事になった。
「ちょっと待ってくれよお嬢ちゃん」
「あのちょっと、ブサイクなんですけど」
だがさあいつものように歌おうかと大口を開けた所でストップがかかってしまい、可憐な歌姫は口を開けた無様な姿を衆目にさらしてしまった。
「いやいや、なんで後ろのお姉ちゃんは怖い顔してるんだ?」
「ちょっと日下!」
木村が日下をチート異能で少しだけ持ち上げると、より一層神林の醜態の原因がエスタの町の住人に明らかになる。
「おいおい日下」
「おいおいはこっちのセリフだよ、本当に日下ってわがままだよねー」
自分がわがままである事は、認めたくないが事実だった。だがそれでも、素性怪しき人間の前であまりにも戦闘力のない少女がそんな真似をする事が、どうしても不安で仕方がない。
神林にしてみればナナナカジノだけではなくあちこちでやって来たことだが、そのいつもの行いに対し日下はその度眉をひそめていた。
「おいおいおいひどいな剣士のお姉ちゃん、ほらもう少しいい笑顔してくれよ、なあ」
「あ、ああ……ああ…………」
この上なくぎこちない笑顔が、拍手と歓声をもたらした。自分が何もしない内にスタンディングオベーションを受けている日下を神林はにらみつけたが、そのにらみに送られたのは困惑ではなく声援だった。
「銀貨四三枚に銅貨三一七枚……」
「本当、どうしてこうも」
「大丈夫だって、ほらさっきの人たちもテキパキ的確にやってるし、なんかテキパキ的確にって面白いね、アハハハ!」
日下はまたこの世界に足元をすくわれた気分になった。まるで自分だけが勝手に真剣に振る舞って、それでピエロを演じまくっているようなお話だ。
「正直言うけどつまんないわよ、そんなダジャレ」
「もう日下って本当にノリが悪いんだから。もう少し仏頂面をやめてさ、さあ笑って笑って!」
「ごめん、ちょっと無理……」
自分たちがこんな悠長なことをやっている間にも、上田たちは壮絶な戦いに巻き込まれているのだろう。あの時自分たちが同行を断ったのは、赤井や市村がたどったような血まみれの道を一緒に歩きたくなかったからだった。
「それにしてもさ、ずいぶんとたくさんお墓があるね」
「私たちだっていつかはこうして土に還るんだからな、死者に対して最大の敬意を払わないと」
「悪いけどさ、そういうとこだよ。深刻になればなるだけいきいきするのってさ」
「でもさ…………」
そして実際問題、エスタの町にはこれと言った売り物はない。
目立つのはせいぜいやけに新しい墓ばかりで、ペルエ市のような規模もなければナナナカジノのような遊興施設もなく、クチカケ村のような産業もない。
「この町って何をしてるんだろうね」
「クチカケにもシギョナツにもサンタンセンにも、いろいろ問題は多いからな。今はまだシギョナツとかに人をやるぐらいしかしてないけど、しばらくは傭兵とかで給料を得てるんだよ。まあ傭兵って言うか人手をあっせんしてるようなもんだけどな」
「親分様の名にかけて、真面目にやらなきゃいけねえからな」
「親分様ってどんな人?」
そんなはずなのに、独り相撲していた日下を除けばとりあえず町を回している親分様と言う人間の事を知りたい。
そんな木村の無邪気な好奇心を止める気もしない日下が首を縦に振ると、その男に釣られるかのように町の中で一番大きな屋敷からひとりの小男が出て来た。
「お前さんたち、ウエダの仲間か?」
「ああ、はい、そうですけど……」
「ウエダの仲間だって、それを先に言ってくれよ。そうすりゃそんなに背筋を伸ばす事もなかったのによ、あいつの仲間ならさ」
上田の事を知った上でやけになれなれしいその振る舞いに、日下はまたしても警戒心を高めた。神林と木村を目線だけで制し、うかつに近づくなとその子男に詰め寄って行った。
「お前らは私が守る!」
無駄かもしれないとわかっていても、つい啖呵を切ってしまいたくなる。さっきはたまたままともだっただけで、今度こそ本物なのかもしれない。かもしれない運転がどれほどまでに安全と言うか必須であるか、車に関わる仕事をした人間が身内にいないのにも関わらず、自動車事故に遭った人間もいないのにも関わらず、なんとなく記憶していたそのフレーズを脳内で連呼していた。
「お前さんらもウエダの仲間なら持ってるんだろ?チート異能ってのを」
「それがどうした!」
「そいつはちーっとばっかしずりぃよなあ、アッハッハッハ……」
「そんなのに騙されるか……!」
沈黙が町を覆った。今日一日で三度も意気込みをすかされた日下は意固地になって剣を握り続け、神林と木村はそんな日下に笑ってしまった。
「あのさ……お前さんたち、あまり思い詰めるもんじゃねえぞ」
「はあ……」
「納得行ってねえな。って言うか絶望してるな」
「そんな大げさな!」
「いや何、お前さんはどうしても危ない危ないって思ってもらいたくてしょうがねえんだろ?」
「はい!」
危機感を得たいという言葉にようやく快活に反応した日下の剣が、いきなり弾き飛びそうになった。
「おわっと!」
「何これ凄い、何にも反応できてない!」
「って言うか汗ひとつかいてない、全然桁が違うよ!」
「ああ親分、そのお方があのウエダさんの仲間って方でヤンスか?」
そんな目の前の強者に対して剣を強く握り直した日下であるが、その小男に続いて出て来た第二の小男の緊張感のない喋り方にますます気が抜けそうになった。
「あんたは!」
「あっしはこのリオン様の小間使いのアビカポでヤンス、一応炎魔法使いでヤンス」
「こらこらアビカポ、今のお前はもう小間使いじゃねえだろ。一応数名の部下がいるだろ」
「でもあっしはこの町を仕切るリオン様が狙われてるかと思うとつい……」
そして全てを悟ると同時に、日下の下半身の力が消え失せた。
「お前さん、本当に大変な思いをしたんだな」
「……………………」
自分が守って来たはずの二人に肩を貸されながら、リオン様のお屋敷へと入った日下は真っ白に燃え尽きていた。
「こうしてやっと平和を手に入れたんだ。お前さんにゃ悪いけどあんまりピリピリした所を見せつけるのは迷惑だぜ」
「ええ……」
「いったいどれほど怖い思いをして来たんだ、俺とラブリに言えよ」
「……実は……」
すり減り切った心で、日下はすべてを話した。完全にやけくそであり、もうどうなってもいいとさえも思えるほどに。
自分の身の上、自分の力、自分の所業、全てを話した。
「なーんだ、やっぱりウエダの仲間なんだな」
「ああ、そうですか…………」
その自分にしてみれば決死の行いだったはずなのに、また流された事に対して反駁するだけの気力すら、日下には残っていなかった。
「悪いけどね、あなたのようなのをええかっこしいって言うのよ」
「はぁ!?」
「二人を守っている自分はカッコイイ、悪いけどそんなのはうぬぼれよ。カンバヤシとキムラ、確かに二人は弱いかもしれないけど、あなただって同じかそれ以上に弱いんだから」
ペルエ市の時もしょい込みすぎの烙印を押されたのに、まったく治っていないどころかむしろ悪化している。
「あなたたち三人はしょせん三分の一。責任も三分の一。そういう事」
「そうだよ本当、はしゃぎすぎ、ダメ、ゼッタイ。」
神林にそう言われながら頭を撫でられ、日下はようやく目の吊り上がりをなくす事ができた。
「頼むからさ、信じてくれよ、なあ……」
「はい……」
上田が寝泊まりした部屋に入れられた無力な少女は、置かれた手鏡を見ながらずっと笑顔の練習をして今日一日の残りの時間を過ごした。
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