クチカケ村にて

「雪山だよね、本当に」

「炎の剣は暖房器具じゃないんだが……」

「平和が一番だよ」


 ナナナカジノ復興作業の慰労のためのライブを済ませた神林が乗り気になり、チート異能を暖房に使われている木村が歩き、日下がのほほんとした調子で坂を上って行く。


(と言うか一体どこまで陽気なんだか……)


 雪深き道のりを一歩一歩進む神林と日下の目には、青い液体は映っていない。元々雪山と言う紛れやすい場所とは言え、かつて生命であったものの痕跡に対する態度としては正直あまりにも淡泊だった。


 魔物の血が青い事と「死体」を残さない事を、二人とも既に知っているはずだ。


 誰かが魔物を殺し、その血で山を染めている。


 いざとなれば私がその存在と相対しなければならない――そんな覚悟を抱いている事など露知らぬ二人の背中を蹴飛ばしてやりたい衝動に木村は駆られていた。


「おいこら、魔物がいるかもしれないんだぞ」


「ああいるって事はわかるよ。でも魔物だから恐ろしいだなんて事ないと思うけど」


 いや実際に不安をぶつけたのだが、帰ってきた言葉はそれだけだった。


 あまりにも危機感のない発言に思わず火力を上げてやったが、それで起きた変化は山道の雪が溶けて湿度を上げた事だけだった。



 もう少し強い魔物と対峙したい。そしてもう少し怖がってもらいたい。


 そんなあるいは不謹慎と言うそしりを免れ得ぬような思いを、木村はここ数日ずっと抱えていた。


「お前たち、赤井や上田は気にならないのか!」

「やっぱり赤井君ならば大丈夫だよね、僧侶でも力はあるみたいだしー」

「市村君が一緒なら大丈夫でしょ、なんだかよくわからないけど」

「本当に、本当に私はお前たちがうらやましい」


 せっかく赤井の名前を出してもこの調子である。赤井が既に何をして来たのかまったくわかっていない、ナナナカジノに寄ったはずなのに。


(赤井勇人はもうこの世界の一部なのよ。コボルド狩りもすれば人殺しもする。僧侶と言っても世の中のためには力を振るわなきゃいけないのはもうわかってるはずなのに)


 ナナナカジノ襲撃事件においてカジノを守ったのは、他ならぬ赤井たちだ。


 市村正樹・上田裕一と共にミーサンカジノにいた連中をなぎ倒し。八十人もの死者を作った。赤井勇人はもうそんな存在だと言う事を、木村は二人に伝えたくてしょうがなかった。


 その木村の願望に応えるかのように急に寒い風が吹く。炎を緩めているとすぐさま凍えそうなほどの白い壁が出来上がり、こちらの足を阻もうとしてくる。一歩一歩、ゆっくりと歩くしかない。


「ただ寒いだけじゃなく、こんな事態をラッキーだと思ってる奴がいるって事を忘れちゃダメって事を覚えておかないといけない」

「何それー」

「そんなのって絶対化け物だよ」

「だから言ってるだろ、魔物がこの世界にはいるのだと!例えばだな、この吹雪を糧とする氷の魔物や、あるいはこの環境でも生きていけるような野生の獣だってここにはいる!その事がなぜわからない!!」

「ほらほら、そんな風に立ち止まって怒鳴ってると遭難するよー、まだ次の目的地の村ってもうちょいあるんだからさー」


 自分の思いのたけがむなしく流された現実に腹を立て、炎を引っ込めてやる。


 しかし神林と木村の歩調が変わる事はなく、ただ木村だけが重たい体を震えさせながら足を進める事しかできなくなる。



 それに合わせるかのように吹雪も急にやみ、空も青くなって行く。


「…………足元を確認しろ、滑って転倒して頭を打ったら一大事だぞ」

「大丈夫だって、まったく日下って自分の足を信用してないの?」

「私はお前たちがだな、もう少し危機感を持ってもらいたいだけのお話でな……」


 無力感が日下の体と足を重くする。この世界から戻る当てもないと言うのに浮かれている二人ものお荷物を抱えている自分が実に哀れな被害者に思えて来る。



「ほら見ろ、この青い液体を」


 そんな日下の涙を受け止めるかのように地面に落ちていた青い液体は、日下にとっては甘露の水だった。


「魔物の血?」

「そうだ、これこそこの地に魔物がいると言う証だ。いざとなれば私たちが自ら得物を取って立ち向かわねばならぬのだぞ」

「ものすごい血だまりだよね、でも赤いのもあるしさ、普通の」

「それとて十分に問題だと言っている!」

「キャーこわいー、って言うか赤井君強くてカッコいー」

「……………………」


 もっともその甘露の水さえもこの雪山の雪の結晶ひとつ分の価値もない事をすぐさま知らされた日下はすぐさま渇きを訴える事もしないまま、炎の剣を引っ込めたまんま進む事しかできなくなってしまったのだが。













「宿はありませんか……」

 

 やがてクチカケ村にたどりついた日下はひとり体を引きずりながら宿屋へと入り込み、三人分の予約を取るとベッドにぐったりと横たわってしまった。上から毛布を掛けられても何の反応もしない日下を一瞥しただけで神林と木村は村を歩き回り、ただ純粋に観光を楽しみ出した。


「ったくもう、本当に木村ってさ」

「元の世界戻ったら絶対親友になってあげないとね、ああ赤井君からいろいろ教えてあげれば少しは気が楽になるよ絶対」


 もっとも観光と言ってもどこかの建物に入る訳ではなく純粋に町を歩き回るばかりで、とくに何かをする訳でもない。


 ただ単純なおしゃべりであり、ついでに景色や建物を見るだけでも楽しかった。


「ログハウスって実際どうなのかなー」

「こういう場所にある分にはいいんじゃないの?って言うかかなりきれいだよこれ」

「って言うか数が多いよね」


 雪山らしく木材積みのログハウス風のそれが多いが、全体的には新しい。新しいと言っても文字通りの若木ではなくそれ相応に加工されてはいるが、いずれにせよ立派な木材だった。


 そして、やたらと数が多い。


 三人から四人ほどが住めそうなほどの大きさのそれが、十棟二十棟と並んでいる。


「でもさ、正直あんまりおしゃれじゃない感じで」

「ああわかる、大川とかが好きそうな感じで」

「しかしさ、仮にも昼間なのに静かすぎるよねー」


 だが正直、そのログハウスは無骨で飾りも少なく、観光施設と言うより住居だった。もちろんそのためにあるのはわかっていたが、どうにも興醒めだった。


 神林は大川弘美をよく思っていない。好きな男子を貶とされているのもさる事ながら、それ以上に大川がオタク属性を嫌っているように、神林も大川の体育会系気質を嫌っていた。

 赤井は赤井なりにきちんと勉学に励み、成績を上げている事を神林は藤井や米野崎と共によく知っている。その事を自分たちは大川に伝えているのにまったく耳を貸そうとしない大川に、神林は嫌気が差していたのである。


 もちろん木村はそこまで大川を嫌がっている訳でもないが、いずれにせよ期待に応えるそれでなかったのは間違いない。



 そして何より興醒めだったのは、生活臭が感じられなかった事である。


 建物ばかりが並び、住人の影がない。それどころか、一部破損しているのもある。



 クチカケ村の産業は林業と鉱業であり、いずれにせよ肉体労働だ。


 別にその手の男性に対するあこがれが木村になかったわけではないが、だとしても住人の気配のないハコモノ行政のなれの果てのような残骸たちに何の情を感じる事もできなかった。




「すみませんけど、この建物はどうしたんです?」

「ああ長老様の方針でね、乱伐をやめよう、自然を守ろうと方針に代わってね」

「私はカンバヤシミナミ、こちらがキムラムカエコ。冒険者です」

「俺は鍛冶屋のミミだ」


 やがてそんなハコモノを通り過ぎた二人は、武骨な手をした一人の男性と出くわした。鍛冶屋らしき筋骨隆々の姿を見せる男性に深々と頭を下げながら、ゆっくりと自己紹介した。

 

「それでだけどな。前の村長様が進めていた開拓計画が破綻してね、それでその置き土産がこれさ」

「長老?」

「よかったら来るか?」

 

 長老宅と言う言葉に魅かれた二人は村を見渡すが、ミミは一番大きそうな家をパスして小さな小屋へと入った。


「あの、この人が」

「長老のライドーである。大したもてなしもできんがな」

「長老様はこれでもぜいたくをしているんだよ。ついこないだまで山麓の洞窟に住んでいたというのに」


 山麓の洞窟からこの場所にと言う事は、何かがあったのかもしれない。


 こと事に至ってようやく二人は気を引き締め。背筋を伸ばして長老たちに迫った。


「これこれ、落ち着け。実は先の町長はロキシーと言ってな」

「俺の双子の姉だった」

「ロキシーって人なら知ってますけど……」



 ロキシーと言う名の女性を二人は知っていた。


 ナナナカジノ復興の際に、資材を数える役目を担っていたはずだった。確かにぱっと見それなりにしっかりしているように見えたが、それでも目の前の鍛冶屋と双子には見えなかった。どこかくたびれたというか尾花打ち枯らしたような四十路の女性、それがロキシーの印象だった。


「姉貴はこの村を大きくするために木も鉱石も派手に取りまくろうとした」

「あまりにも強引にな。従わぬ者にはゴーレムを差し向けてな」

「ゴーレム!」


 ゴーレムこそ、有名な強キャラモンスターである。木村ですらその名前を知っている存在を従えている女性と、ロキシーの顔がどうしても結びつかない。


「わしはやめよと言ったのだがな……」

「とにかく俺も姉さんを止めたかったから、旅人と手を組んでな」

「やっぱり赤井君の活躍があったんですよね!」

「アカイ……まああいつも活躍したけどな」

「一番はあのウエダとセブンスだな」


 上田裕一と、セブンス。その二つの名前もまた、神林と木村にはピンと来なかった。


 上田裕一は顔も成績もいいくせになぜか地味で、セブンスはペルエ市の酒場で派手に浮かれていた少女。そんな二人が何をしてそんな奇功を上げたのか、どうにもピンと来なかった。


「とにかく、彼らによりゴーレムを倒れ、ロキシーはこの村から放り出された」

「姉貴にはかわいそうな事をしたけどな、この山もここ数年かなり打撃を受けてたからな……俺が斧を打つのを渋ると、毒を湯に入れて来たんだよ」

「そんな!」

「自分のにだけどな、あんまり必死過ぎてなんだか逆らえなくなってな、それでも俺は抵抗したかったんだよ。ああ毒と言えばその」

「もう良い。それで鉱山も森も、採掘量・伐採量とも制限してな」


 それでその需要を当て込んでいた人間たちがいなくなったのが、あの結果だという訳らしい。


「私もその考えには賛同します。でも同時にロキシーさんのやっていた事も間違ってはいないと思います」

「まったくその通りだ。元からこの町は貧しく、南のペルエ市は無論東のエスタの町やさらにその東のシギョナツやサンタンセンのような華やかな産業もない。なんとかして富貴を得たいって姉貴の考えは全く正しかった」


 全てを理解した二人は、軽くため息を吐いた。


 正義の反対は悪ではなく別の正義とか言う言葉を、二人はこの時思い知った。


「で、どうするのだ、こんな町に」

「……もう二晩ほど滞在しようかなっと」

「そうか、ありがとう……」



 早速宿屋に戻って来た二人にその旨を告げられた日下に、民主主義に反発する気力は残っていなかった。


 二日目に歌と芸を披露しながらも宿代の値引きを求めなかった二人に対する気力も戻る事はないまま、日下はただ青と白と茶色の空を眺めていた。

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