処分

自衛官の仕事の一つに、寝ることがある。命のやりとりには途方もない集中力を使うが、それは根性ではどうにもないからだ。優秀な自衛官は、どこでも寝ることができるという。実際、隣に座る同僚は鼻提灯を作って眠りこけている。そして、私はその任務を果たせないでいた。窓の向こうに見える月の緑には、まだ慣れない。


「寝ないのか?」運転席から野太い声がする。


「疲れてはいますが、寝られないんです」


「お前がか」失礼な。私をなんだと思っているのだろう。


「今まで全然平気だっただろうに」


「私、デリケートなんです」鼻で笑われた。


アドレナリンが出ていたからか、相手が攻撃してきたからか、戦場独特の空気が現実味を失わせるのか、殺人の記憶は私を悩ますことはない。だが今日は自分で手を掛けたわけでもないのに、海にダンベルを投げ込んだような虚無感がある。


タイヤが石を踏み、車体が揺れる。隣で眠りこける同僚が唸ったが、再び深い眠りに戻る。


「昼間はすみませんでした」


「まったくだ」返事はそれだけだった。他部隊からも鬼と呼ばれ、恐れられる隊長だ。どんな言葉が投げつけられるかと思っていただけに、拍子抜けした。


「ここからは俺の独り言だが、よくやってくれたと思う。お前が殴らなければ、俺が殴っていたかもしれない」バックミラーは真っ黒で、隊長の表情を伺うことはできない。


「だが、処分は覚悟しておけ」


「はい」ありがとうございます、心の中で呟く。ねっとりしたまどろみが近づいてきた。


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ゴーレム車の幌は粗末で、風は遮られることなく車内に到達する。しかし晩秋の夜風も、冷え切った俺の心臓を冷やすには暖かすぎた。


「伯爵、私はどうなるのでしょうか」


「どうとは、どういうことだい?」


「処分をお伺いしたい」俺は正しい判断をしたと確信している。だが、身分というものはいかなる不条理も正当化できるのだ。


「そんなものないさ」俺の肝を冷凍状態にしている元凶は飄々と言ってのけた。


「ないとは…」


「君の方が正しかったよ。私とあろう者が取り乱してしまうとはね。多くの命を救ってくれてありがとう」ラララ伯爵は『ね』の部分でウインクする。


「自分の身を顧みず、自らの信念を貫き通す。認めよう。君こそが、真のナルシストだ!」命が助かったはずなのに、全く嬉しくなかった。


「それに、あの女性…」


「蔑むような目、芳醇な果実のような乳、そして岩のような拳。殺すには勿体なすぎるではないか」伯爵は頬のガーゼをさすり、石を踏むたび揺れる幌を、恍惚と眺める。


「必ずあの女性を私のものに、いや、あの人の家畜になってみせる」馬車は静まり返る。『帝都までの数時間こいつと一緒なのか』と全員が思った。


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デザイル駐屯地


幸いにも、私は今まで逮捕されたこともないし、もちろん法廷に立ったこともない。悪業を成せば裁かれるのは当然だが、今だけは彼らにニュースの中の被告人達に同情したい気持ちになった。  


「処分を言い渡す」


口内は、飲み込む唾すら枯れた。喉の奥がささくれ立ったように痛い。


「減給、三ヶ月だ」


「三ヶ月ですか!」私は思わず、叫んでしまった。


「そうだ。不満か?」パイプ椅子に座るのは小川監察官。寒いのだろうか。彼が貧乏ゆすりをするたび、椅子が不機嫌そうに鳴く。  


「いえ、むしろ軽すぎて驚いているくらいです」横で直立不動になっている隊長が、器用に目だけを動かし私を睨む。いらないことを言ってしまったと思った。


「八丈島、サマワ王国、そしてデザイル軍港。これだけ、経験を積んだ人員を遊ばせておく余裕はない。謝意があるなら、働きで示せ。期待している」


「ありがとうございます」私は頭を垂れ、一人行軍をするように、カクカクと扉に向かった。扉の取っ手は、ガチャガチャと必要以上の音が鳴る。最後に一礼すると、私は扉を閉めた。


「あー、緊張した」


私は止めていた息を、一気に吐いた。冷たい空気が肺になだれ込む。あれだけ人を殺してきたというのに、私はどうして事務官に怯えているのだろう。


「それは、こっちのセリフだ」隊長は熊の刺繍が入ったたハンカチで、汗を拭う。


「適当に頷いてればいいものを、なんでお前は余計なことばかり言うんだ!」耳が痛くなるくらいの声量が三半規管を襲う。その声はきっと薄い扉を突き抜けて、監察官にも聞かれている。いたたまれなくなり、私は隊長から視線を外す。


「あれ?」視界に、異物が映った気がした。そして私の勘はよく当たる。


「どうした?」


「いや、あれです。あれ!」私は玄関の外を指差す。ガラスの向こうには銀縁の眼鏡、真面目に固められた髪、そして融通がきかなそうな顔があった。


「副隊長!」私は駆け出した。不機嫌そうに結ばれた唇が、驚いたように開く。


「お怪我はもう大丈夫なんですか?」八丈島の戦いで火傷を負ったはずの肩には、もう包帯は巻かれていない。


「とっくに治ったが、医者がなかなか退院させてくれなくてな。それより自分の心配をしたらどうだ?監察官と面談があるんじゃないのか」


「さっき終わりました。無罪放免です」私は弁護士がするように、『減給三ヶ月』を広げた。


「それは無罪とは言えないだろ」副隊長は眼鏡の橋をクイッと押す。高い鼻に引っかかった眼鏡が、さらに上がる。


「病室のテレビで、お前のことを度々やっていた。随分なご活躍じゃないか」


国葬への参加のため日本に帰ったとき、広報に言われるがままに取材を受けた記憶がある。何を話したか、全く思い出せない。親や親戚も見てたのだろうか。急に恥ずかしくなってきた。


「軽い処分で済んだのは、マスコミに持て囃されていて、広報部もそれを利用していたからだろう。図に乗るんじゃないぞ」ガーン、と頭に季節外れの除夜の鐘が響く。私は救いを求めるように、隊長を見た。隊長は黙って頷く。『期待している』というのはリップサービスだったのだろうか。


私が傷心しているのを見てか、副隊長は荷物を漁りだした。鞄から取り出されたのは、黒猫が抱きついたUSBだ。


「なんですかこれ?」 


「放送を録画しておいた」私の顔が熱くなっていく実感があった。


「さすがエリート!隊員を集めるぞ」


「この、鬼畜メガネ!」


咳払いが聞こえた。私達は、恐る恐る振り返る。廊下の真ん中に、笑顔を浮かべた監察官が立っていた。




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