講話への道のり

日本国 都内某所 料亭


「それでは皆さんの苦労を労いまして、乾杯!」


「乾杯!!」盃に波々注がれた液体が揺れる。それを口に含む男達の顔は綻んでいた。皆、いつもより酒の進みが早いことが少々心配だが、この場所ならば暴れたとて問題にはならない。たまに羽目を外すくらいいいだろう。国会議員、それも閣僚級となると報道のマイク、部下の目、そしてSPから開放される空間はここくらいにしか存在しないのだ。


「正直、帝国が交換に応じると思わんかったよ」掛け軸の前に座する男、竹内は最初の一杯を飲み干す。


「私もです。今まで思い通りにならなかった分、すんなりいくと逆に不気味です」


「株価は軒並み急上昇だ。なんの心配もいらんよ」どういう論理か理解できないが、いつもは文句ばかり垂れる経済産業大臣も上機嫌だ。


「返還される遺体の氏名は、もう判明しているのですか。戦争反対の報道が減った分、逆に加熱し過ぎているところがありまして」広報本部長の川野が頭を掻く。


「ああ。ドッグタグが回収されたらしい」代わりに答えるのは防衛大臣だ、原田だ。


「そうですか。ああ、すみません。こんなときに」死者の存在が明確に意識されて、酒の飲む手が止まる。経済産業大臣以外の。  


「この先まだまだ長いんだ。たまに羽目を外すのも仕事だと思っとけ」竹内総理は川野に酒を注ぎ、杯から溢れた酒が手を濡らす。酒瓶を持つ竹内の顔は、既に赤くなっていた。


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 赤い葉が空を覆い隠し、桃色の木の幹に小鳥が巣を作り、その足元でキノコがボンヤリ光る。頭の狂った帽子屋が茶会を開きそうなこの森は、既にたんまりと生き血を吸っている。


「そう、緊張するな」私は肩にのしかかった重みを払いのけた。


「女体に気安く触れないでもらえますか?最近そういうの、厳しいんですよ」


隊長は堂々と、そして真面目くさそうに言い放つ。


「心配するな。その隆々と引き締まった筋肉、精悍な眼差し、大きいのに性的魅力一つ感じさせない胸、お前は間違えなく男だ」


「訴えますよ。確か、妻子持ちでしたよね」


「すまん、それは勘弁してくれ」隊長は変面師のように、表情を付け替えた。普通科第四小隊の鬼が情けない、と思ったが家では尻に敷かれていると聞くので、案外こっちの方が素なのかもしれない。


割と本気で法廷案件にしようと思っていたが、緊張が解れたのは事実なので、やめてあげることにした。代わりに、内心を吐露するためのサンドバッグになってもらう。


「おかしいですよ。こっちが生きた人間を渡すのに、貰うのが死人だなんて」


「そう言うな。それでも、救われる人はいる」私は死んだ同僚と、彼の母親を思い出す。


「ですけど」胸の中に渦巻く感情を言語化しようとして、やめた。私にはそんなことできないし、できたとしても劣化した陳腐な言葉になってしまう。


「対象が接近中。いちゃつくのを止め、警戒に移れ」隊長は童話の狼のようにあんぐり口を開けたが、すぐに切り替え通信機のスイッチを押す。


「相手方は荷車6台。打ち合わせ通りの数です」


「把握した。警戒しつつも、あからさまな敵意は向けないように」


「了解」隊長は返事を返す。しかし民間人を虐殺し、同僚を殺した相手に敵意を向けないことは、私には難しいことだった。


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 戦闘用のものを先に見たからか、そのゴーレムはひどく小さく見えた。トラックより少し低い石人形は、歩みを止め幌車から白髪の男達を降ろす。彼らの口元は笑っているが、それは嘲りのようなニヤつきであり、仲間との再開を喜ぶものには見えない。兵士は数人がかりで丸まったレッドカーペットを取り出すと、それを転がした。


 染み一つない絨毯に降り立つ男は、服も、顔もつきも、雰囲気も、他の兵士とは異なっていた。そして彼は奇しくも、嵌っている乙女ゲームのキャラの推しにそっくりだった。


「ようこそ、蛮族の諸君。私はラインハルト=ラ=ラフォレ子爵だ」一瞬で冷めた。ナルシストはだらけの手で髪を払う。靡く髪は私のよりサラサラしていて、なんだかムカついた。


「始めまして外務省の天田です」


「普通科第4中隊の一堂です」


「では早速、哀れな虜囚達の姿を見せて貰おう」ラララ子爵(本名は忘れた)は差し出された手を無視するとバッッ、と効果音が出そうな勢いで、白くて細い指を隊長に向ける。自身の岩のような手と見比べた。


「降ろせ」隊長が呟く。輸送トラックの幌が開き、続々と人が降りてくる。捕虜達の拘束は既に解かれていて、自身の足で横一列に並ぶ。彼らは隣の者と握手したり、抱き合ったりして喜びを分かち合った。


「では、遺体の引き渡しをお願いします」


 子爵は指を鳴らす。兵士達が待ってましたとばかりに、幌車の扉を開けた。


 ドサッ、と崩れ落ちてきた物が何か、一瞬分からなかった。無理矢理表現するならば溶けた蝋燭、もしくは腐ったパンといったところだろう。そして、それらが死体の欠片なのだと判別するためには、もっと時間を要した。死体は服を着ていなかった。身体は血だらけで、肌色の部分の方が少ない。幾筋もの痛々しい傷は、戦闘によるものではないことは明白だ。目に穿かれた虚空の闇は深く、腹筋の割れ目で裂かれた腹から腸が飛び出している。めくれ上がった皮膚は黄色い皮下組織が顔を出し、引き締まっていただろう筋肉はカビに食われている。


「なんなんですか、これは…」捻り出した声は掠れていて、自分でも聞き取れない。やがて感情が追いついて、濁流となった空気が気道を破裂させる勢いで流れた。


「こんなことが許されると思ってるんですか!」


 平然としているナルシストクソ野郎の手には、今日の空のように青い花が握られている。彼は花弁から、艶やかな唇をその離した。


「許される?おかしなことを言うものだ。蛮族に生きる価値はない。安らかに死ぬ権利もない。君たちは蛮族は魔法人種のために生きるのさ。当然だろう?」


「ざっけんなぁ!」気づけば、手が出ていた。子爵は二転三転して、頭から地面に激突する。昔から口より先に手が出る癖があり、その度に注意されてきたが、後悔を感じたのは今日が初めてだ。そして、堰を切った怒りは全ての破壊力を解放するまで止まらない。


私の体は、勝手に追撃に入る。細い腰に馬乗りになり、拳を優男の顔面に打ち付けた。鼻の骨が砕ける感触がグローブ越しに伝わる。顎が外れる鈍い音が響く。しかし、三発目を打つことはできなかった。兵士の一人が、私の首下に杖を突きつけたのだ。


「子爵から離れろ!」


だが、近接格闘は私の十八番だ。徒手格闘大会での優勝経験もある。どうやって制圧しようか、頭の中でイメージしてると、後ろから衝撃に襲われた。地面に衝突する前に、体を捻り受け身をとる。そして、ホルスターの拳銃に手をかけた。 


「あれ?」しかし結局、銃を抜くことはなかった。見下ろすのは敵兵ではなく、隊長だったのだ。そしてその筋肉質な脚が、万力のような力で私の腕を挟んだ。腕ひしぎが完璧に決まる。 


「ぎあああああぁぁぁぁ!ギブです、ギブです!降参します!」私の悲鳴を無視して、隊長は敵兵と睨み合う。


「武器を下ろせ。若い奴が先走っただけだ。こちらに戦闘の意思はない」


「先に手を出したのは、お前達だ」


「そうだ、文字通り手しか出していない」


後方で待機していた機動戦闘車が、軽装甲機動車が、そして自衛隊員を満載した輸送トラックがタイヤを鳴らして駆けつけてきた。帝国の兵士達に狼狽が広がる。


「わっ、私の美しい顔になんてことを!」いつの間にか立ち上がっていた子爵は、どこからか取り出した姿見を手に、わなわな震えている。


「君たち。あの女を殺したまえ!」鏡を放り出して、人差し指を私に向ける。何が起こるのかと身構えた。しかし何も起こらなかった。その代わりに一人の兵士が言った。


「子爵、ここでやり合っても勝ち目はありません」


「だからどうしたというんだい?私が命令をしているのだよ」


「部隊の指揮官は私です」


「もしかして、私に刃向かうつもりなのかい。貴族は敵に回さない方が賢明だよ」子爵は自身の首をツッとなぞる。


「戦いをなさるのなら、ご自由にどうぞ。私には、部下を犬死にさせない義務がありますので」彼はあんぐりと口を開ける。そして、そのまま後ろに倒れた。脳震盪を起こしたのだ。


「手当してやれ」兵士に担がれ、彼は乗ってきたゴーレム車に連れて行かれる。


「何をぼさっとしている?早く、仕事に戻れ」帝国兵が蜘蛛の子を散らすように、各自の幌車に戻って行く。


「お前達もだ。このままだと日が暮れるぞ」私も『荷物』の運搬作業を再開される。荷車からそれを降ろすのは帝国兵の仕事だが、トラックに載せるのは私たちの仕事だ。判別がつかなくなった臓器を手に包む。顔をしかめたり、陰鬱な表情を浮かべる者はいたが、嘔吐する者はいなかった。


作業が終わったのは、現地時間の午後5時頃。晩秋の夕方は、夜のように暗い。夕闇の中で帝国指揮官が仁王立ちして、私を睨んでいた。


「何か?」腰に手を当てる振りをして、いつでも銃を抜けるようにする。


「私はこの戦争が間違っているとは思わない。だが、蛮族であろうと戦士には最低限の敬意を払うべきだと思っている」それだけ言うと、彼は踵を返し幌車に乗り込んだ。軋むような唸り声をあげ、ゴーレムが歩き出す。


「何だったんでしょう?」


「さあな」僅かに残っていた空の橙が、水平線に消える。鳥の鳴き声は止み、得体のしれない獣声が響く。


「難しいことを考えるのは止めておけ。馬鹿がいくら考えても、堂々巡りになるだけだ」


「隊長なら分かるんですか?」


「俺が知的に見えるか?」


「見えません」


「もう一回、腕を固める必要がありそうだな」


「嘘です、嘘です。とっても知的で、かっこいい人だと思って、尊敬して、だから手を離し…ぎゃあああぁぁぁっ!」

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