引き上げ

海にそびえる鉄柱の群れは、クラーケンの足のように太く、力強い。その頂上から吊り下りるロープは、一艘の船を持ち上げる。帝国が誇るローレンス級戦列艦が、抱きかかえられた赤子のようだ。


「あれは何をしている?」船はゆっくり、四角い埋立地に降ろされる。船体は穴だらけで、マストには海草が纏わりついている。その姿はさながら幽霊船だった。


「魔導通信機は重く、人力での回収が行えませんでしたので船ごと引き上げました」


「どこかの総督府の魔信設備でも事足りただろうに」船を引き上げるためだけに、わざわざ大がかりなクレーンを組み、埋立地を用意したのだろうか。


「残念ながら、破壊処置がなされておりましたので」


「変なところで、几帳面だな」士気が低いとは言っても、軍人達が最低限の手順を守っていることに安堵した。


「一応、他の捕虜から使用できる状態であることは確認済みですが、搬送前に確認を行って頂きたく」


「分かった」私を載せた小舟は、クレーンが立つ角張った地面に接岸する。船の縁をまたいで、小島に足を踏み入れた。


「おっと」バランスを崩して転びそうになるのを、補佐官、ファウストが受け止めてくれる。地面はしっかりしていたが、謎の浮遊感があった。


「もしかして、ここは」ファウストと目が合う。彼も私と同じことを考えているようだった。


「ああ、船の上なのだろう」足元が波に合わせて揺れる。こんなに巨大で、珍妙な形の船は見たことがなかった。速度は出ないだろうが、クレーンを装備した船の有用さは理解できる。


 アームに見入っていると、外交官は黄色い兜を押し付けた。それに取り付けられた魔導灯は、目に痛みを感じさせるほど眩しい。


「崩壊の可能性はないようですが、念の為」外交官は船体に大きく空いた穴から、その腹の中に入る。私達もそれに続いた。


魔導灯の出力は闇を視界から追い出すほどに、凄まじい。だが、水の滴る音とボロボロの船体が生み出す不気味さは打ち負かすことはできない。打ち破られた隔壁の向こうから、紫の光が見えたときは悲鳴を上げそうだった。それが魔石が生み出す光だということに気づくのに、数秒かかった。


「こちらです」


 魔石の紫は妖艶に透き通り、その中に蠢く黒い煙は夜闇よりも黒い。大きさも十分で、何より通信暗号化装置もついている。


「いい石だ。これなら、デザイルから帝都まで連絡できる」戦争終結への道のりは長いだろう。だが、確かに一歩を踏み出したのだと実感した。


ーーーーーーーーーー


アンゴラス帝国 港湾都市 デザイル


石畳の感触、というものを意識したことはあるだろうか。私は特に意識したことはなかったが、それは確かに土とは違うのだ。勿論、ニホンの舗装された道路とも違う。  


「再び、帝国の土を踏める日が来るとは思わなかった」


 私は指の一本一本で、懐かしい感触を確かめた。同乗してきた部下たちも、故郷への帰還に顔をほころばせる。そんな中、補佐官ファウストだけは浮かない表情を浮かべている。


「どうした?」


「いえ、あれが私の実家でして」彼が指差すのは、消し炭になった瓦礫だ。廃墟となったこの街は、無傷の建物の方が少ない。塔は根本から崩れ落ち、壮麗だっただろう劇場には穴が穿かれ、向こうの空が見える。一度、デザイルに出張で来たことがあるが、観光地であった頃の面影はない。


「政府は市民を避難させたと聞いた。きっと家族は無事だ。気をしっかり持て」


「はい」


「帝国全土がこうなる前に、戦争を終わらせなければならんな」


「全くです」外交官と案内役の兵士は、コンクリートの建物に向かって歩いていく。白いその建築物は、煤だらけの黒い街で、それはよく目立った。


ーーーーーーーーーーーー


「誰に連絡するかはこちらで決めていいのか」見たことのないツルツルした材質の床は、天井の灯を鈍く反射させる。清潔感はあるものの、どうも無機質的で苦手だ。


「他の捕虜の方たちからも聞き取りを行い、候補者をリストに纏めました。そちらから選んでもらうこととなるかと思います。皆さんと相談しながら、決めてください」


「皆さん?」


 外交官は金属製の扉を開ける。そこには先日の魔石と、見知った顔があった。


「久しぶりだな、ガンジアス」剣のように尖った眉、短く刈り込まれた口髭、そして胸ポケットからぶら下がる幾つもの勲章。彼が軍人ではなく文官だと知って、驚かない人間は稀だろう。  


「コンラッドか。まだくたばってなかったのか。悪運が強い奴め」   


「それはお互い様だろう」部屋の中には日本の外交官もいる。軽くだけ悪態をつき合うと、本題に入ることにした。


「お前は、誰と連絡すべきか考えてあるのか?」


「内務次官のリジーはどうだ?」


「あの、青二才か。今は大臣のようだが…。正直、気に入らん」目の皺が、渓谷のように深くなる。


「あいつは優秀だし、人脈も広い。特に、下級貴族に対して顔が利く。それとも、他に候補がいるのか」


「いや、思いつかん。それでいくしかないか」コルラッドは腕を組むと、息と一緒に葛藤を吐き出す。


「なら、早速連絡するぞ」私はニホンの外交官に目を遣った。彼は黙って頷く。


 魔石に手をかざす。魔法陣が浮かび上がる。魔力の込め方を強め、そして弱め宛先を認証させる。

 眩い紫の光が、部屋を埋め尽くした。


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アンゴラス帝国 帝都キャルツ 


 敵のユニコーンが突進し、こちらの歩兵が死ぬ。敵将は"どうだ"と言わんばかりの不敵に笑う。それに私も微笑みを返す。


 内務大臣としての職務、悪辣な魔法大臣、そして無能な皇帝から解放され、私は久々の休日を謳歌していた。愛娘、アリシアの手元には、チェスの駒が死屍累々と積み重なっている。午後からは、ゴルフにカードゲーム、そして模擬決闘と予定が盛りだくさんだ。だが、そんな金より貴重な一時は、砂上の塔より容易く崩れ去る。


「リジー様。魔信が届いております」ノックとともに入ってきたのは、執事のエイブラハムだ。今日のために一日あたりの業務を増やし、関係部署との調整を行い、あちこちに今日は休むと触れこんでおいた。そんな状況での魔信だ。碌でもない内容であるのは、聞かずとも分かる。


「相手は誰だ?」部下が四人、頭に浮かんだ。八つ当たりであるのは分かっているが、文句の一つは言ってやりたい。


「それが大陸軍第一艦隊、通信艦となっているのです」


「通信艦?」軍務大臣を推薦できるほどに軍には影響力を持っているし、当然知り合いも大勢いる。だがそれは、貴族社会においての話だ。軍艦そのものから連絡が来る心当たりなどない。


「分かった。行こう」椅子から腰を上げたところで、前につんのめる。アリシアが服の裾を掴んだのだ。


「すまない、アリシア」


 柔らかい髪の上から、彼女の頭を撫でる。顔の鼻には不機嫌そうな皺が寄ったままだが、細い指はそっと離れた。  


「すぐに戻るからな」その約束は果たせない、ということは直感的に分かった。 


 部屋をまるまる一つ占拠する巨大な魔法通信機。紫に輝くそれに手を当てる。魔法陣が浮かび、回転し、通信が始まる。


「ガンジアス・ソルベートだ。リジー君、久しぶりだな」誰だったか、と脳内を検索する。すぐに、答えは出た。内務調整官時代にお世話になった子爵だ。優秀な老人ではあったが、今は植民地に左遷されたはずだ。そして、その植民地は今…。   


「ご無事でなによりです。てっきり、戦死されたかニホンに捕われたものと思っていました」本当は今の今まで一瞬たりとも、彼を気にかけてはいない。


「その通りだ。残念なことに虜囚となり、生き長らえている。そして今では、ニホンの言葉を帝国に伝えるだけの存在だ」彼は言葉をいったん止める。


「君はこの戦争についてどう思う」そうして吐き出された問いは、脈絡がないものだった。


「どうとは?」


「この戦争に勝ち目はあると思うか」単純な問だが、それゆえ慎重にならざるを得ない質問だ。魔法陣を一つ増やし、盗聴防止機能が正常に作動していることを確認する。


「国土を灰にすることを代償とすれば、負けないことは可能かもしれません。しかし、勝つことはできないでしょう」魔信越しに息が聞こえた。ため息ではない。これからなにかを成し遂げようとする息だ。


「ニホンは講和を望んでいる。そして、それに先立ち捕虜の交換を行うように助言した」


「交換、ですか」捕虜交換は交換であるから成り立つのだ。哀れな敵兵は魔法省の実験体にされるか、尋問という拷問で命を意味なく散らしていた。


「残念ですが、こちらに捕虜はいません」ガンジアスの後ろで、風が吹くときのようなざわめきが起きる。


「少し待ってくれ」それは波紋のように広がり、ピタリと止んだ。


「遺体の引き渡しでも良いそうだ」


「分かりました。皇帝陛下にお伝えします」戦争終結までの道は遠い。だが、これは講和への第一歩となるに違いない。私は淡い期待を抱いていた。


ーーーーーーーーーーーー


「登城ですか」エイブラハムは既に準備したコートを手渡す。


「ああ」駒を積み重ねて遊んでいたアリシアは、私を振り向く。その目は睨むでも、笑うでもなく、私をただ見つめている。


「すまない、アリシ…」


「手加減したでしょ」吸い込まれるように赤い虹彩から、目が離せなくなった。


「帰ってきたらもう一回、やるからね。手加減したら許さない」


「勿論だ」

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アンゴラス帝国 帝都キャルツ 帝城


「断じてありえん!」皇帝、バイルの怒号が帝間に響き渡る。磨き込まれた黒い壁が、それを何重にも反響させる。


「蛮族に屈した者に、帝国の土を踏む資格はない!」まずは捕虜交換の、次に講和を切り出そうという流れであったが、早速頓挫した。


「そうは思わんか?」皇帝は大げさにマントを翻し、魔法大臣であり主戦論派の筆頭であるアイルに目に向き直る。


「よいではありませんか」彼女がそう言うのは意外だった。腐っても大臣は大臣なのだろう。合理的な選択をできる理性と知能は持っているようだ。


「バラバラに切り刻んだ奴らの死体を送りつけてやりましょう!!」だめだ。倫理が欠落していた。それが生まれ持ってのものなのか、魔法省での実験生活がそうさせたのかは分からない。彼女が笑う度、血のように紅い宝石が胸元で踊る。


「そうと決まれば、準備しろ。リジー、交換には応じると伝えておけ。奴らの悔しがる顔が目に浮かぶ。誇り高き帝国に、土足で踏み入った罰だ」


「了解しました」と答える以外の選択肢は、リジーには与えられていなかった。

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