捕虜

日本国 奈良刑務所


蛮族に捕えられればどうなるか。


軍の関係者であっても、その問いに答えられる者は少ない。


首を刈られてネックレスにされるだとか、獣の餌にされるだとか言う者もいるだろうが、それは我々の蛮族に対する印象が作り出す幻影に過ぎない。だが、少なくとも丁重に扱われる、と答える者はいない。私もその一人だった。


「これは勝てぬわけだ」


レンガ造りの収容施設の一角。高い天井と採光窓が特徴の図書館で、私は本を読んでいた。


それに記されているのは、自慢の艦隊を打ち負かし、私を捕えた国の歴史、政治制度、そして技術だ。読み取れることは幾つもあるが、帝国とニホンの国力が隔絶していることは明白だった。


「もう、日が暮れていたのか」いつの間にか橙色になった光の筋が、ページに光を落とす。薄暗くなった部屋には、まだ幾つもの人影がある。


「相変わらず、凄まじい集中力で」おだてるのは私の総督補佐官だったファウストだ。勿論、彼の手には分厚い本が乗っている。


「この国について、どう思う」ファウストは僅かに逡巡した後、答えた


「悔しいですが、ニホンの技術水準は帝国どころかヒルメラーゼ共和国より上でしょう。我々はとんでもない貧乏クジを引き当ててしまったようです。不運としか言いようがありません」


「いや、召喚を続けていればいずれは起きることだった」なぜ、我々は召喚相手が自分より弱いものだと信じてこれたのだろう。今となっては、不思議なことだ。


「ところで、君はどんな本を読んでいるんだ?」


「"植民地主義の崩壊"という本を読んでいます


「地獄のような題名だな」帝国は魔石を輸入に頼っている。そして資源や食糧、そして奴隷が数少ない外貨の獲得手段になっている。つまり植民地制度の終焉は、国家の終焉だ


「彼らの世界では列強諸国が戦争をしたせいで、国力が低下し、植民地の独立を許してしまったようです」


「このまま戦争を続ければ、彼らと同じ運命を辿るのか。いや、もう棺桶に片足を突っ込んでいるのか」日本との戦争のため、植民地には申し訳程度の兵力しか残っていない。原住民の反乱が頻発するようになり、失陥した植民地すら既にあるという。


「早期講和は必須だな」だが、帝国政府がそれを許さないことは知っている。しかしそれ以外に道がないように思える。


「これらの本を真に受けて構わないものか、とも思います」


「一理はあるな」ここに並ぶのは、ニホンが我々に読ませたい本、もっと言えば我々に読ませるために出版された本かもしれない。偏った情報ばかりを頭に入れるのは危険であり、内容が真実である保証もない。


「だが、彼らの国力は本物だ」収容所へ移送される過程で目にした、百人以上を運搬可能な竜や、巨大建築物群。それが夢物語のような本に真実味を与えていた。


 鐘の音が鳴る。夕食を報せる音だ。私は本を閉じ、立ち上がった。集中の反動で頭が痛い。それにここの食事は、冷めることが惜しく感じてしまうほどに美味なのだ。


「ご相伴に預かっても?」


「勿論だ」たまには若い連中と議論を交わすことも必要だろう。ここでいくら討論を重ねたところで、その内容を本国に伝える術がないことは虚しいが。


「ガンジアスさん、ですね」いつの間にか、背後に看守が立っていた。基本的に彼らが話しかけてくることはない。脱走しようとすれば勿論阻止するだろうが、刑務作業どころか、タイムスケジュールもないので関わる機会がないのだ。


「面会希望の方がいらしています」


私とファウストは顔を見合わせた。


―――――――――――――――――――――――


 案内されたのは管理棟の小部屋だ。城のように豪奢な収容棟とは異なり、この部屋には壁紙すら貼られていない。面会相手は、几帳面そうに背筋を伸ばして待っていた。


「お久しぶりです。ガンジアス総督」彼が言うとおり、黒縁の眼鏡と、覇気のなさそうな顔には見覚えがある。私を質問攻めにした外交官だ。


「帝国について、話せることは全て話した。貴方達は我々を丁寧に扱ってくれてはいる。だが、話せることと話せないことがある」自分を僻地に追いやった帝国に、思うところがないと言えば嘘になる。それでも、私の祖国なのだ。


「今日は、その件ではありません。貴方達に手伝って貰いたいことがあるのです」取り繕った表面の裏側に、ごうごう燃える青い炎を垣間見えた。


「貴方から、こちらに講和の意思があることを呼びかけて欲しい。我々には魔法を用いた通信はできないし、彼らも電波を使えない」驚きはしなかった。来るべき日が来たのだ。


 渡された資料には、黒い靄もやを閉じ込めた宝石が載っていた。帝国の標準的な魔信だ。


「この型の魔信では、不可能だ。これは部隊間の連絡用で、通信距離が短い。貴方達はデザイル港を手中に収めたようだが、通信すべき相手は最前線の兵ではなく帝都に閉じこもる貴族だ」


「それについては問題ありません。既に帝都の制空権はこちら側にあります。飛行機械にこれを積み込む予定です」つまりは、帝都の竜騎士隊は壊滅したのだろう。そんなことを、誇るでもなく淡々と話す彼とこの国に、寒気を感じる。だが、そんな彼らにも分からないことはあるらしい。


「いや、それはだめだ。帝都で主戦論派が多数派を占めていることは分かりきっている。そんな状況で派手に動くわけにはいかん。行動を起こす前に多数派工作が必要だ」彼らの国にも派閥抗争があるのだろう。外交官は納得顔を浮かべる。


「そこでだ。捕虜の引き渡しをしてみてはどうだろう」


「引き渡しですか?」


「植民地や衛星国に飛ばされるのは下級貴族が主だが、それでも議会では票を持っている。それに数も多い。彼らを味方につけて、損はないだろう」


「検討してみます」


「貴方達と我々では価値観や利害が異なるだろうが、戦争の長期化を望まないのは同じだ」


「そう願いたいものです」彼は、看守が用意した茶を飲み干すと部屋から出て行った。色々なものを背負う背中は、印象より小さかった。

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