牢獄

冷たい鉄が手首に触れる。体勢を変える度、肌に掠る手錠は不快だ。しかしこの感触は初めてではない。


まだ若く、ヤンチャだった頃に、一度逮捕されたことがあるのだ。


そのときはどうせ大丈夫だと思っており、実際その通りであった。だが今回は恐怖していることを、いつもより活発な心臓が自覚させる。


兵士が突きつけた銃は『抵抗すれば殺す』と雄弁に語っていた。そして俺達はそして手錠を掛けられ、連行され、今は牢屋に入れられている。ここは法律や世間の目に守られた日本ではない。申し訳程度の国際法すらない、虐殺が横行するような世界だ。明日、牢屋の隅に転がっているのは俺ではなく、俺だったモノかもしれない。


「船長、俺たちどうなるんすかね」


「知るか!」


「安全海域の外に出ることを決めたのは船長でしょう!責任取ってくださいよ」


「取れるなら取ってる」船員は俺に罵詈雑言を浴びせる。実際、悪いのは俺だし、不満のはけ口が必要なことも分かる。しかし理屈と感情は必ずしも一致しない。


「やかましいわ、このボケが!」その言葉に呼応するように、船員達の声量がより暴力的になる。それぞれの叫びは混じり合い、何も聞き取れない。しかしそんな状態でも、人間の中に僅かに残った野性的本能は、自らの生存に必要な音を識別する。革靴がコンクリートを叩く音だ。


カーキ色の服に身を包んだ女は、俺達の牢屋に向かって歩く。コンクリートに反響した足音が、胸に染み込む。看守は錠前に鍵を差し込み、それを回す。


「カチンッ」金属音に、何人かの船員が身を震わせた。 


「出ろ」このまま処刑される、ということはないだろうか。このまま奴隷にされる、ということはないだろうか。みんな考えていることは同じようで、誰一人前に出る者はいない。


女看守は手に持った鞭を床に叩きつける。


「出ろ」彼女の声音は手錠の比ではないほどに冷たい。変な所で不興を買って死ぬほど、馬鹿らしい死に方はない。仕方なく、俺は一歩を踏み出した。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


俺達は数珠繋ぎになり、狭い廊下を歩かされた。天井が空に変わると、安堵の息が漏れた。  


「乗れ」俺たちを待っていたのは、大型のバスだった。日本で見慣れた箱型のバスではなく、アメリカのスクールバスのように、エンジンがフロントにあるタイプだ。窓には鉄格子が設けられて、色は黒く塗られている。そして、その頭には青と黄色の回転灯が明滅していた。  


俺はステップに足を掛ける。長らく清掃されていないのか、車内は埃まみれだ。


「詰めろ」その言葉の通り、一番後ろの席に座る。全員が乗ると、バスのエンジンが起動し、動き出した。


これから、どこに行くのか。何をされるのか分からない。ケージに入れられ運ばれる、哀れな子犬の気分になった。


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網に覆われた窓の隙間から見えるのは、ナーロッパの大聖堂でも、姫騎士が住まう城でも、天を支える世界樹でもない。それはビル群、それも高層ビルの群れだった。


「テレビじゃ、この世界の街は、中世みたいな街並みだって言ってたきがするけどなぁ」


「そんなのピンきりでしょう。アメリカで高層ビルを建ててるときに、パリじゃ劇場作ってるんですから」


「そうか」


「でも、安心します。俺達とこの世界の住民は全く別のものではないって気がして」


「だといいんだがな」


バスは高速道路を降りると、渋滞に嵌まる。乗用車の角張ったフォルムと丸いライトが、古きよきアメ車を彷彿とさせる。


女看守がサイレンを鳴らすと、車の海が2つに裂ける。バスが速度を上げ、看板とネオンサインが線を作る。最終的にバスは、狭そうに並ぶビルを尻目に、広いスペースを専有する建物に入っていく。この場所こそ、共和国の政治を司る大統領公邸であることを、俺達はまだ知らなかった。


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「まずは、長旅ご苦労さまでした。お疲れでしょう。どうぞゆっくりなされてください」


「いえ、あの。ありがとうございます」湯気を燻らすティーカップからは、甘い香りがする。食器自体も綺麗だが、骨董には疎いので高そうという感想しか出てこない。


カップに口をつけると、久しぶりとなる糖分が口に広がる。一気に緊張が解け、空腹が押し寄せる。そして腹の虫が鳴った。


「食事も用意させましょう」向かいに座る、シルクハットに蝶ネクタイという、紳士の手本のような男は笑う。


「あの…。俺たちは故郷くにに帰れるんですか」


「ええ、勿論。しかしまずは、あなた達の話を聞かせてください」

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