国境

ヒルメラーゼ共和国 海上警備隊


 船は船首を剣のようにしてに波を切り、その度に大きく揺れる。甲板の少し高くなった所に機関砲が一門だけ設置されており、ブリッジの上には不釣り合いなほど大きいマストが聳そびえ立っていた。


 斜めに貼られた窓からは、いつもより少し荒れた海が見える。いや、海しか見えないと言った方が正確だろう。絶賛鎖国中である帝国との国境付近に用がある船なんていない。その上、魔女の水域なんて、なんの捻りもないあだ名をつけられた危険海域が近いせいで、漁船すらも寄り付かない。


「んっ?」


「どうかしたか?」


「いや、無線にノイズが入ったような気がして」深く息を吐いて、耳に全神経を集中させる。しかし何も聞こえない。やはり、気のせいだろうか。


「船長、二時の方向に船舶です」


「珍しいな」船長は首に掛かった双眼鏡をその船へと向ける。一期一会の喜びで綻んでいた顔が、みるみる怪訝なものへと変わっていく。


「あれは、どこの船だ…」


「どうされましたか?」


「名前がヒルメラーゼ語表記ではないんだ」船長の言葉にハッとする。わざわざ魔女の水域を通る危険を侵す外国の船だ。密輸船か工作船に違いない。  


「速度を上げろ、アイツを逃がすな!」


ーーーーーーーーーーーーーーーー


 遠洋漁船ということもあって、備蓄の食糧は潤沢にあり、真水も海水から作り出すことができる。しかしいつ助けが来るか分からぬ極限状態で、船員たちには軋轢が生まれていた。最初こそは励まし合ったり、釣った魚を皆で食べたり、夜には麻雀をしたりしていたが、いつの間にか生まれた溝は修復不可能なまでになっていた。


「やっぱり、ここが一番落ち着くっすね」俺はボンヤリと海を見つめる。


「ルームメイトとは、上手くいってないのか?」船長も隣で同じようにしている。


「何だか気まずくて」


「そうか…」


「お前は気にしてないのか?」


「何がっすか?」船長は切り出しにくそうに、目をそらす。


「俺が安全海域から出るように命令したことだ」


「俺も賛成したっすよ。それに、こんなことになるなんて誰も予想できなかったっす」


「すまん」再び俺達は海を眺める作業に戻る。


 救助どころか無人島一つ見つからない、延々と変わらぬ見飽きた風景。それに白い棒のようなものが立ったのは、突然だった。


「船長、あれっ!」船長の双眼鏡と目の間から雫が溢れた。


「助けがきたぞぉ!」船長は甲板に飛び出し、釣りをしている乗組員に叫ぶ。それに対して歓声を上げたり、安堵のあまり泣き出したり、各々の反応は違ったが、船は再び一体となった。


「しかし、あれはどこの船なんだ?」少しずつ大きくなる輪郭は、巡視船のそれに似ているようで、少し違う。それに加え、艦名だと思われる文字が日本語ではなかった。


 その船は、こちらに向けに、機関砲を向けた。甲板の乗組員が銃を持っていることも分かり、乾燥した喉に、唾を押し込む。


 キーーンと割れた音が鼓膜をつく。そして拡声器は、命じる。 


『ただちに、機関を停止しなさい!さもないと発砲する』


「もう止まってるんだけどな」


 巡視船から分離されたカッターは、網を巻き取るため坂となっている船尾に接舷する。そして、それは銃で武装した男達を吐き出した。銃口を向けられながら、船長も俺も、他の乗組員も両手を上げ武器を持っていないことを示す。


「見ない人種だな、どこから来た」彼らは赤みがかった肌を持ち、白い髪を海風にたなびかせていた。テレビで見た帝国人のように。


「日本からです」制服に星が一番多くついている男は不思議そうな顔をして、知っているか、というように部下に目配せする。部下は首を横に振った。


「取り敢えず、この国の籍は持っていないということでいいな」


「はい」


「それでは、密入国で逮捕させてもらう」男はポケットから手錠を取り出す。ジャラジャラと金属が擦れる嫌な音がした。


「待ってください、我々は漁の途中に難破して…」


「我々は弁護士でも裁判官でもない。お前達の国ではどうか知らんが、ここでは外国人でも正当な裁判が受けられる。不服があるなら、そいつらに言え」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 電話のが鳴る。それを大統領補佐官、であるウィリアム・モーリアスがワンコールで持ち上げる。


「はい、大統領執務室です」


「はい…、はい。本当ですか!はい、分かりました。大統領にお伝えします」その剣幕は、異常事態が起きたことを明確に伝えた。


「貴方が慌てるなんて。らしくありませんね?」


「ニホンの漁船が我が国の領海に侵入し、国境警備隊がそれを捕えたようです」


「帝国と戦争をしているニホンのことですね」


「はい」


「今すぐ閣僚を集めてください。それと、国境警備隊には、難破民を厚遇するように伝えてくれますか?」


「了解しました」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る