漁船

遠洋漁船 若葉丸


 最初にこの船にを見たときは、若葉とは名ばかりのボロ船だと思ったものだ。しかし幾度に渡って改修され、最新式のレーダーや魚群探知機備えたそれに、いつまでも若々しい老人のような快活さを感じた。


 今日も早速、魚群探知機に赤い表示が現れる。前の世界も含め、今まで見たどの魚群より大きいそれを、ずっと追いかけている。


「船長、三時の方向に例の魚群です。探知機が真っ赤っす」


「三時か…」船長はいぶし銀の髪を隠すように、帽子を深くかぶる。


 船長が渋るのも当然だ。魚の群れを追いかけているうちに、政府が定める安全海域からとっくに出てしまっている。


「でも、このままじゃ大赤字っすよ」いくら政府から奨励金が出るからといって、漁に掛かる費用からすると微々たるものだ。この漁の成功に、俺達の給料とボーナスがかかっている。


「ここまで追いかけてきたんだ。もう少しくらいなら構わんだろう」


ーーーーーーーーーーーー


「よし、巻き始めるぞ!」操作盤のスイッチが押され、網が引き上げられる。。


 この瞬間は、どんなギャンブルより緊張感とスリルを与えてくれる。俺がパチンコから抜け出した理由も、ここにあるに違いない。


 勢いよく回ってっていたウィンチが突然動きを止め、鈍い悲鳴を上げる。


「大丈夫か、これ?」


「止めろ、止めろ!」スイッチがもう一度押されると、悲鳴は止んだ。


 ワイヤーが追加され、ゆっくり、ゆっくりと焦らすように網が引かれる。そしてとうとう、今回の獲物の姿が顕となった。


「何だこりゃ?」網に掛かっていたのは、甲板の端から端まである、大王イカすら逃げ出すような巨大な烏賊イカのような生物。イカならば胴体に当たる部分がパックリ裂け、内向きに牙が生えている。触手の先端には、器官のようなものがあり、鼓動に合わせて震えているのが半透明な身体を通して分かる。


「食えるのか、これ」


「食えないと、困る」巨大イカが捕れる、という話は聞いたことはなく、そこの調査から始まることになるかもしれない。


 網にかかったのはこれ一匹のようで、魚群探知機の反応もこいつのせいだったらしい。とんだ徒労だ。


「しょうがない、帰るか」研究機関か何かが買い取ってくれるかもしれないが、新種に溢れるこの世界では、値段は期待できない。


 船長はもの惜しげに網を眺め、肩を落とすと、諦めたように操舵室に戻る。俺もそれに続く。三列横並びに設置された席の前には、モニターが並んでおり、船の軌跡や、エンジン出力、そして魚群の存在を示している。魚群?


「船長、魚群探知機にまだ反応が…」すかさず船長を見ると、彼は前方を凝視するように硬直していた。


 海に浮かび上がる、不自然な波紋。それは悪魔を召喚する魔法陣を思わせる。そしてその中央から白い飛沫とを伴って、悪魔が顔を出した。


 海面から飛び出るミミズのような物体。その胴回りは、この漁船より遥かに太い。双眼鏡を覗くと、その表面にゴツゴツした吸盤が見える。


「まさか、こいつ!」


 船に衝撃が走る。エンジン出力を示すメーターがみるみる低下していき、やがて0になる。


 船が揺れたかと思うと、波飛沫がガラスに叩きつけられる。船の真横に触手が現れたのだ。それが船首に巻き付くと、船はみるみる傾いていく。甲高い、不安を煽るような金属音が船に反響した。


俺は操舵室から飛び出すと、イカが横たわる甲板に駆け出す。


「機関長、なんなんですあれは!」


「知るか、それよりこいつを海に返すんだ!」


「えっ、でも…」


「死にたくないなら、手伝え!」スイッチを押すと、クインチが逆回転を始める。ズルズル烏賊イカは引きずられていき、にゅるっと海に落ちた。   


「どうか、許してくれよ」手を合わせ、祈るように呟く。


それが通じるはずはないが、蔓つるのように巻き付いた触手は、海へと帰っていっく。


「助かったのか…」力が抜け、甲板に膝から崩れ落ちた。俺はしばらく、甲板に寝そべったまま動けなかった。


「さぁ、今度こそ帰るぞ!」船長は傷だらけになった船に呆然としていたが、そろそろ買い替えの時期だと自分を納得させていた。他の船員も命あっての物種だと、ボーナスのことなんて気にしていない。


「どうした?」船長は俺を覗き込む。 


「エンジンが、動きません」衝撃でやられたのだろう。かれこれ三年の付き合いになる相棒は、うんともすんとも言わない。


「取り敢えず、救難信号を…」と船長が言ったところで気づく。ここは安全海域の遥か外側であり、通りかかる船なんて存在しないことを。

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