新生活

アンゴラス帝国 帝都 キャルツ


「ハァ…」休日の昼時、賑わうレストランを見て思わずため息が落ちる。心が惨めな気持ちで満ちてゆく。私だって少し前まで、あんな店より洒落た店を持っていたのだ。避難命令によりデザイルから追い出されてもう半年が経つ。当初、抱いていたすぐに戻ってこられるだろうという淡い期待は脆く崩れ去り、半年経った今でも帰れる気配はない。帝国政府からの支援金も間もなく打ち切られる予定だが、まだ次の就職先も決まっていない。親類を頼って田舎に引っ越す者もいたが、頼れる人がいない者の殆どは職を求めて帝都に集まった。おかげで働き口が全く見つからない。


 楽しそうな子供のはしゃぎ声を疎ましく思いつつ、重い足取りのまま向かうのは、ピンクの蔦が生い茂った古ぼけた不気味なアパート。今月追い出される予定の公営住宅だ。今にも抜けそうな階段を上り、蹴れば簡単に壊れそうな扉を開ける。そして散乱したゴミを避けて、そのままベッドに倒れ込む。今日も不採用だった。私は手足をばたつかせて硬いマットレスに怒りをぶつける。求人に片っ端から応募していたが、どれもこれも不採用続きだ。これからどう生きればいいのだろう。いや、片っ端からというのは正直なところ嘘だ。当然の帰結のように存在している答えから目を背けているだけだということは自分でも分かっていた。


 職業案内局で貰った冊子の最後の方のページにそれはあった。やけに凝った装飾文字で書かれている内容は、それとは対象的に野蛮で下品なものだ。頬に何か感触があり、触れてみると手が濡れた。そこで初めて、自分が泣いているのだと気づいた。一旦そうと気づいてしまうと、堰を切ったように涙と嗚咽が止まらなくなった。本気で泣くのはいつぶりだろう?夫が戦死したと聞いたとき以来かもしれない。結構、最近だ。


 そこで今日が夫の誕生日だったことを思い出す。忙しさにかまけてすっかり忘れていた。罪悪感もあったがそれよりも、もう夫がいない日々が当たり前になりつつあることが怖かった。


 奴らがいなければ、私達は今頃当たり前に笑い合っていたのだろう。将来、子供もできたかもしれない。そしてお金を貯めて家族旅行に行ったり、たまに夫婦喧嘩もしたり…。そして子供の結婚式を見守って…想像の虚像は涙で歪み、ゴミだらけの誰もいない部屋が現れる。


「奴らさえいなければ」私から当たり前の生活を奪ったニホンがただただ憎かった。


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日本国 首都 東京


「はぁ」私はがらんどうになった部屋を見て、ため息を吐く。家具の無くやった部屋は、いつもより広く感じられた。いつか子供が産まれたときのため、無理して買った一軒家だが、それはもう泡沫の夢。夫は貿易会社の会社員だった。だが不幸にも出張と日本がこの世界に飛ばされた時期が重なり、もう二度と会うことが叶わなくなった。いつか全て元通りになり、何事もなかったように彼が帰ってくることを期待して朝早くから夜遅くまで働き、それでも稼ぎが足りず、貯金も切り崩しながら家だけは残してきたがとうとう限界が来た。結局、私に残ったのは不眠症だけだ。


「奴らさえいなければ」私から当たり前の生活を奪った帝国がただただ憎かった。


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アンゴラス帝国 首都キャルツ


 上層階が張り出した独特の形状が特徴的な、帝都でも一位、ニ位を争う高級ホテル、ルージェラ。確かにそこからの眺めは最高ではあるが、そんなものがどうでもよくなるくらい、美しいものが目の前にある。


「ここに来るのも久しぶりだな」内務相に就任して早5年。なかなか休みがとれず、娘と食事なんて久しぶりだ。


「私、甘いものが食べたい!」一人娘のアリシアは、陶器のような白い足をばたつかせる。


「アリシア、ケーキの前にご飯を食べようね。」


「えーー」うっすら赤みを帯びた頬が膨らんだ。ご機嫌ななめのアリシアも最高だ。うっとり、その表情に見入っていて、横に人が立っていることに気づかなかった。


「リジー様、アリシア様、ご無沙汰しております。コック長のムールズです。本日はご来店有難うございます」顔なじみの料理人は流れるような所作で一礼する。割と上位の貴族である私から見ても、それは美しいものだった。


「こちらこそお久しぶりだ。早速で悪いが、アリシアになにか甘い物をお願いしたい」注意しながらも結局は甘やかしてしまう。いつものことだ。


「申し訳ありません。現在、デザート類は当店では取り扱っておりません。」アリシアはフォークを握りしめたまま固まる。


「どういうことだ?」


「ルザールやサンドールといった果物の名産地からの輸入が軒並みストップし、材料がないのです」ムールズは目を伏せる。


「帝国産では駄目なのか」


「太陽の日をめいいっぱい浴びるからこそ、深く、芳醇ない甘みが出るのです。あの味は帝国では到底作れません」


「なんとかならないものか」


「中途半端なものはお出しできません。これはたとえ、リジー様の頼みであったとしても、料理人として譲れないものです」ムールズは申し訳無さそうに、しかし芯の通った声で言う。  


「そうか、分かった。ないものは仕方がないが…」


 私はアリシアに目を戻す。目がうるうるしている。


「デザートの他にも色々あるよ、ほら、これなんてどうだ」


 丸々三日の間、アリシアの機嫌が治ることはなかった。



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