葬列
日本国 東京
ビル群は灰色の雲に覆われ、その隙間から水が垂れ流される。異世界でも同じく、この時期の雨は嫌に肌にまとわりつく。雨に濡るのに任せ、私達はただ背筋を伸ばして立っていた。
自衛隊員と政府役人の織り成す列の前には、名前の分からない白い花と麻縄で飾られた箱が並ぶ。その優美さとは対照的に、その殆どがは空っぽだということを知っていた。戦死場所が帝国のため遺体を回収できなかった、というのもあるだろうが、多くの場合、遺族が遺体の引き渡しや貸し出しを拒否したのだ。アンゴラス帝国で共に戦い、散った同僚の遺体もここにはなかった。
さらにその向こう側には黒と白の布で包まれた台があり、政治家が何かを話している。マイクとカメラに囲まれ、大げさな身振りをしながら話しているが、内容は全く頭に入って来ない。
頬を雨粒が走る。比喩などではなく、文字通りの雨だ。涙は出ない。どうしてだろう。苦しい訓練も共に乗り越えてきたし、何度も飲みに行った。家に招かれたこともあり、料理を振る舞ってもらい、彼の家族と談笑した。なのに涙は出ず『ああ、死んだのだなぁ』という確かな実感だけがあった。
「私はそんな冷たい人間だっけな?」黒川ちゃんを見ているだけで元気が貰える、と小さい頃から言われ続けてきた気がする。良い意味でも悪い意味でも、天真爛漫な私はもういないのだ。
雨に降り止む気配はない。
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群馬県 長野原市
「本当にこっちで合ってます?」
「ああ、俺とカーナビを信じろ!」
「カーナビは動かないですし、隊長は信じられません」
荒れた山道を一台のミニバンが走る。険しく農業に不向きとされ、農地再生開発地区に指定されることもなかったこの地は荒れていた。木の枝々は剪定されることなく車道に飛び出し、握りこぶし大の石がゴロゴロとその下に居座っている。昔ならあり得なかった光景だろう。整備が行き届くことのありがたさが、今なら分かる。
車が石を踏み、少し音を立てて揺れた。
「前、こんな道通りましたっけ?」この道を通るのはこれで四度目だ。一度目は班のメンバーで温泉に行ったとき。隊長が旅館の予約日を間違え、繁盛期のため空き部屋がなかった。私は野宿でもよかったが、たまたま彼の実家が近いというので押し掛けることになったのだ。
「荒れ過ぎてて、同じに見えないだけじゃないのか?」
「そうかもです」
窓の外の風景に変化はなく、永遠と森が続くような感覚があったが、当然そんなことはなく唐突に終わりを迎える。
そこには光を受け緑に輝く棚田も、整備された日本庭園を誇らしげに顕示する邸宅もなく、ただ放棄された村がそこにはあった。
「何があったんでしょう?」
「このご時世じゃ、しょうがない」私は何がしょうがないのか分からなかった。それを察してくれたのか、隊長は続けてくれる。
「こういう田舎は買い物に行くのに車が必須だが、ガソリン代が馬鹿にならない。地方交付金が戦費に変わる中、自治体にも人のほとんど住んでいない場所を整備する体力がなんてないだろうしな」なるほど、なんとなく分かった
「分からないって顔、してるな」
「してませんよ!」
バンは崩れかけた石垣の隙間をすり抜ける。そして古びた家の前で停車した。
「ここのはずなんだがな」私はドアを開け、久しぶりに地に足をつける。陰鬱な雰囲気のせいで、山の空気は美味しくなかった。
「ごめんください」隊長がガラスの嵌った木扉を叩く。返事はない。
「ごめんください」しかし日頃の訓練の賜物か、中に人がいる気配は察せられる。
「あの、ごめんください」ピシャっと引き戸が開かれ、皺だらけの老婆が現れる。服は汚く、髪もボサボサ。山姥やまんばのような風貌であり、それが彼の母だと気付くのに時間がかかった。
「お久しぶりです。この度はご愁傷様でした。私達は…」
「帰れ…」
「しかし…」
「帰れ!!」か細い体のどこから、こんな大きい声が出るのだろう。しばらく耳鳴りが収まらなかった。その声量のまま、老婆は捲し立てる。
「なんで、あの子が死なんとだめじゃったんだ!」隊長は返す言葉がなく、口を噤む。
「自衛隊に誘ったのは、お前達やろがい!お前達があの子を殺したもんやようやないか!」そういや、自衛隊に入ったのは高校の先輩に誘われたからだと言っていたなと思い出す。私達はその先輩とは面識はないが、老婆にとっては同じなのだろう。
「あの子はなぁ、昔から泣き虫で悪ガキによう虐められちょった。でも、優しくてなぁ。今でも、わしを心配してよく帰えって来てくれるしなぁ、それに…」
「申し訳ありません」隊長が頭を下げる。私もそれに続く。
「本当にそう思っているなら、お前もくたばれ!」言いたいことを言うと、勢いよく戸が閉められる。鍵の閉まる音がした。
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雨は上がり、初夏の蒸し暑さが車を満たす。エアコンなんて贅沢品を使えば、一瞬でバッテリーが上がってしまう。
いつまでこうしていなければならないのだろう。それが正直な感想だった。
「気乗りしないか?」心臓が鷲掴みにされたような気になったが、すぐに呼吸を整える。
「そんなわけ、ないじゃないですか。同じ釜の飯を食った仲間ですよ!」どの口が言うか、と心の中で呟く。
「そうか…。俺は気乗りしない。」意外な言葉に、呆気にとられる。隊長はいつも強く、弱音など聞くいたたことがなかった。
「正直、このまま帰りたい。あいつの親とも顔を合わせたくない。責められるのが辛いんだ。だが、それと同時にあいつが死んだのは俺のせいだということも分かっいてる」
「隊長のせいではないですよ」これは優しさなどではなく、傷の舐め合いのようなものだろう。
「そうか」と一言呟くと、それきり私達の会話はとぎれた。
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「起きろ!」身体を乱暴に揺すられる。固定されていない頭がヘッドレストにぶつかる。
「話の途中で眠りやがって」私は眠い目を擦りながら、重い体を起こす。ラッパでの起床のときは、眠気などとは無縁なのに不思議なものだ。
「線香をあげさせてくれるらしい」
「へっ?」寝ぼけた頭は状況を飲み込めず、反射的にとぼけた声が出る。
「一旦、服を整えろ。あちこちよれてるぞ」
「おじゃまします」
おそるおそる、という風に老婆に案内され玄関をくぐる。以前、行ったときとは綺麗に整頓され、花が活けられていたが、今はあらゆるところにカップ麺やペットポトルが散乱していた。
「こっちじゃ」私は息を飲む。彼がこちらを見つめていた。恥ずかしそうに、しかし真っ直ぐな目で。高校の制服を着たその姿は、憔悴しきった帝国での任務のときとはまるで別人だが、顔立ちは同じだった。気まずくなって、彼から目をそらす。
家がゴミで溢れる中、仏間だけは綺麗に整頓されており、白い花が活けられていた。香炉には一本だけ線香が立っていて、線のように細い煙を跡切れ跡切れとぎれとぎれにたなびかせていた。
「失礼します」隊長は老婆に頭を下げると、蝋燭から火を線香に移し、香炉にそれをぶっ刺す。作法なんて知らなかったが、隊長が合掌するのを見てそれに続いた。
私は何を考えるべきなのだろう。何を彼に伝えるべきなのだろう。曖昧な答えすら出ないまま、鈴の音だけが小さくなっていき、私は目を開けた。
「ありがとうございました」隊長は再び、正座のまま一礼する。老婆は渦巻く感情を押し殺したような表情を浮かべながら、吐き捨てるように言った。
「来年も来い」
「はい?」
「来年だけじゃない。再来年も明後年も、儂が死んでからもだ!」戸惑っている私達をよそに、老婆は続ける。
「儂が死んだら、この子のことを覚えてる人がいなくなっちまう。国を護るために死んだっちゅうのに、それはあまりにも寂し過ぎる」
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『泊まっていけ』との老婆のを辞して、私達は山道を下っていた。あの家に7人の屈強な男達とグラマーな女性が寝るスペースなどあるはずもなく、あったとしても断っていただろう。
「約束、守れるんでしょうか?」来年も私達はここに来るだろう。再来年もだ。だが10年後、私達は今日と同じ道のりを走っているのだろうか。
「俺は行く」隊長は前を見据えたまま、ハンドルをきつく握りしめる。
「俺はこんな年なのに、子供どころか結婚すらしていない。母親も高齢で、友達も少ない。そんな中、人を守るために戦って死んだのに、誰からも忘れられるのは、やはり寂しい」
思わず笑いが溢れる。怪訝な顔をされた。
「隊長、思いの他、勝手ですね。上司としての責任とか、仲間を思う気持ちが出ると思ってました」
「勝手で悪いか」
「いいえ、私も勝手ですから。でも、取り敢えず来年は行くつもりです」
「そうか」バンは木々の眠りを起こしながら、街灯一つない夜の闇を切り裂いていった。
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