ビラ、もしくは窓拭き

日本国 東京 丸の内駅前


「お願いします」太陽の輝く炎天下、汗が頬を伝い地面に落ちる。   


「お願いします」道行く人々は私達のことを無視するか、汚いものを見るようにな視線を送る。紙を受け取った人も、見せつけるように、目の前てゴミ箱に捨てる。自分のやっていることが、望まれるようなこととは思わない。だが、誰かがやらなければならないことだ。


「今、自衛隊は侵略を行っています。海外で多くの人を殺しているのです。しかし我々は今こそ憲法9条、そして平和だったあの頃を思い出し、原点に戻らなければいけません。自衛隊の違法な暴走を止められるのは我々、一人一人の意志なのです。どうか戦争に反対し、そして作り変えられてしまった9条を元に戻すため、署名にご協力ください!」無念のまま殺される人々の苦しみを想像しながら、魂を込めて叫ぶ。それが伝わったのか、一人の恰幅のいい会社員らしき男が向きを変えこちらに歩いてくる。


「署名にご協力…」


「やかましい!」突然、浴びせられた言葉に身体が硬直する。


「あの…」


「うるさい、黙れ!」わけも分からず口を開くと、また大声で怒鳴られる。こういう輩がいるから、日本がだめになるのだ。しかしこれからの未来のためにも、ここで折れるわけにはいかなかった。


「うるさいとは何ですか!私達はこの国のために…」


「本当に住民を皆殺しにするようなやつと仲良くなれると思ってるのか!なら、自分で行ってこい!」


「ちょっと、そういう言い方はないんじゃないですか?」振り向くと、俺と同じオレンジ色のチョッキを着た女性が立っていた。この会に誘ってくれた大学時代の先輩だ。大学でも、会でも頼りっぱなしで申し訳がない。


「お前は関係ないだろ、すっこんでろ!」


「まぁまぁ、少し落ち着いて…」先輩は怒りを溜めた男を嗜める。どちらが大人か自覚してほしい欲しいものだ。しかし先輩はめげずに、署名用の名簿を方手に男と話し続ける。あの人のことだ。任せておいて大丈夫そうだろう。心の中で礼を言うと、ビラ配りと署名集めに戻る。しかしそれはすぐに中断された。


「じゃかましぃ!」という叫び声がして先輩の方を振り返る。彼女は支えを失ったように、ゆっくりと地面に落ちていくところだった。ニュートン力学に逆らうことなく、彼女の頭は地面と激突し、打ちどころが悪かったのか動かなくなった。男が突き出した腕に拳を作っているのを見て始めて、こいつが先輩を殴ったのだと理解した。


「だれか、救急車を!」


「警察もだ!こんなことして、ただで済むと思うなよ!」チョッキを着たメンバーが慌ただしく動くのとは対照的に、それを遠巻きに取り囲む通勤客はスマホをこちらに向けるだけだ。人々の無感心をここでも実感させられた。


「この女がわけ分からんこと抜かすからだろうが!」男は静止しようとしている会のメンバーにも牙を剥こうとしている。そして平和のため、そして失われる命のため身を粉にして頑張ってきた彼女を殴るだなんて許せなかった。


「ふざけんな!」俺は男に飛びかかった。体力には自信がある方ではなかったが、相手は中年のおっさんだ。今度は男が地面に倒れる。


「自分だって、人を殴ってるくせになにが平和だ」


「うるさい!先に殴ったのはお前の方だろ!」僕は男に馬乗りになると頭を押さえつけ、反対の手で頬を思いっきり殴る。しばらくそうしていると人の輪が開き、野太い声が掛けられる。


「なにをやってるんだ!」


「やめなさい!」目を上に上げると、汗ばんだ水色のカッターシャツに見を包んだ警官がいた。駅前ということもあり、警官が到着するのが早い。


「こっちです!」警官を手招きすると、あろうことか彼らはその手を掴んで手錠をかけた。


「17時43分、暴行の現行犯で逮捕する!」


「待ってください!俺じゃないです」


「皆そう言うよ。話は署で聞くから」必死に弁明するも無理やり立たされ、引っ張られる。


「なにやってるんですか、この人じゃありません!」


「彼は被害者です。逮捕すべきなのはあっちの男です」会のリーダー、原田さんは仰向けに倒れている中年を指差す。 


「少なくともあの場面を見た限り、私には危害を加えているのは彼だと思うのですが」


「権力の横暴だ。離しなさい!」原田さんは俺を解放しようと、警官の腕を掴む。


「職務執行妨害もつけましょうか」しかし警官に睨めつけられると、そっと手を放した。そのまま俺はパトカーに乗せられ、連行されていった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 無為な取り調べが終わり、ようやく解放されるともう日は沈んでいた。窓口にはシャッターが降りており、蛍光灯が並んだ長椅子を照らす。自動ドアを潜ると短いクラクションが響き、ビクりと身体を震わせた。


「お疲れ様」駐車場にはよく見慣れた青いカローラが停まっており、運転席の窓から先輩が身を乗り出していた。


「なんともないようで、よかったです」助手席に乗り込むと、元気そうな姿に安堵する。先輩は困ったように笑うと、頭を押さえた。


「心配しすぎよ。コブが治るのには一週間くらいはかかるみたいだけどね」


「それって、大丈夫なんですか?」


「大丈夫、大丈夫」先輩は慣れた手付きでギアを入れると、優秀な国産車は音もなく加速を始めた。


 夜も眠らぬ街であった東京は、電気料金の値上げによってすっかり寝静まっており、街灯も一つおきにしか点いていない。道路も自家用車はほとんど走っておらず、時折トラックが通り過ぎるだけだ。


「お疲れ様」


「何がですか?」むしろ、お大事にと言いたい。


「なんのために、来たとおもってるの?」


「そうでした」流れていた景色が止まる。節電を呼びかける中でも、ほとんど役に立っていない信号は二十四時間ぶっ通しで働いている。  


『次のニュースです。本日18時頃、東京、丸の内駅前で 反戦活動を行っていた活動家が通勤客とトラブルの末暴行をはたらき、駆けつけた警官が暴行罪で逮捕しました。被害者の男性は八丈島からの避難者で、配偶者と長女を亡くされており…』


 カーナビの画面が黒くなる。先輩が電源を切ったのだ。


 はぁ、と深いため息を前に置いて、彼女は口を開く。


「最近はどこもかしこもこの調子。唯一まともなのは調日新聞だけだけど、発行部数も落ちてきているみたいだし、時間の問題ね」


「少し前までは声高に戦争反対を唱えていたのに」


「所詮、金のために情報を売っている連中よ」


「そういや、あの男はどうなりました?」通勤客が彼女を殴ったことに、触れられてもなかったことを思い出す。


「鈴木くんが連行された5分後ぐらいに目が覚めて、救急車で運ばれてったわ」だから釈放されたのか。安心した反面、少し腹立たしくもある。


「向こうは、逮捕されたんですかね?」先に手を出したのは向こうのほうだ。こっちより重い処分が下されてもおかしくないだろう。


「多分されていないんじゃないかしら?」なんでそんなことが起こりうるんだ。不公平にすぎる。


「現行犯でもないし、被害者の私も寝てたから、なんの報いもなし。警察も捜査をして欲しいなら被害届を出せだって」


「このままじゃ、終わらせられませんよ!出しましょうよ、被害届」先輩をひどい目に合わせた犯罪者をこのまま許すだなんてありえない。


「私が被害届を出したら、向こうも対抗して鈴木くんに出すでしょ」


「そう…ですね」


「私は平気よ。来週も頑張りましょうね」車は料金所を通過すると速度をさらに上げる。静かだったモーターがうねり出し、外の景色は見えなくなった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る