国際会議リターンズ2

ベラルーシェ教国 聖都メイナード 


 吸い込まれそうになる程に深い黒。それに抗うのは、今にも消えそうなランタンの灯りだけ。足元を見ることすら難しく、階段を踏み外しそうになる。


「司祭長殿。我々はどこに向かっているのですか?」階段は延々と続く。


「ここは神聖な場だ。黙ってついて来なさい」仕方なく、私は黙る。大聖堂にこんな地下があることすら知らなかった。一体、ここはどこなのだろうか。


 どれほど歩いたのか分からなくなった頃、なんの前触れもなく階段が終わる。思わずつんのめる。


「着いたぞ」


 司祭長が言うと同時に、照明が点く。闇に慣れていた目には酷だったが、その灯りは蠟燭とも魔導灯とも異なっていた。目が慣れてくるとそこが巨大な空洞になっていること、そしてその中央に何かがいることに気付く。


 大司教達はそれに跪き、私もそれに続く。


「偉大なる聖神ベラルーシェ。その預言者よ。今、世界は重大な岐路に立たされております。どうか、御心をお聞かせください」


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ゼイモス軍港


 湾を警備する門番のように、武骨な二本の塔が海を見下ろしている。その頂上には帝国旗が、この季節珍しい太陽に照らされはためいている。門番の後ろには100隻に及ぶ戦列艦が停泊しており、兵舎や造船所、そして司令部が並んでいた。


「ケニス外務大臣に捧杖」兵士は号令に合わせ杖を上げようとするが、その様子はてんでバラバラであり、お世辞にもきれいとは言えない。並ぶ兵士の壁の反対側から、卑しい笑顔を浮かべた男が靴音をわざと響かせながら向かってくる。


「ようこそいらっしゃいました。私、ゼイモス軍港基地司令のゲーターと申します。今後とも、よろしくお願いします」私は船に乗りに来ただけで、今後もなにもないだろうに。それとも、これ以上出世の見込みのない軍から、外務省に移籍したいのだろうか。ゲーターは皺とシミだらけの手を差し出す。正直、触れたくなかったが、そういうわけにもいかない。私は躊躇いながら彼の手を握る。


「帝都から遥々お越しなされたのです。お疲れでしょう。司令部にお部屋を用意しておりますのでそちらで…」


「皇帝陛下より拝命した案件です。悪いがですがすぐに出立したい」何らかの算段を立てていたのだろう。ゲーターの顔が一瞬曇る。しかしすぐに、慇懃無礼な笑顔に戻る。


「もしよければ、旅のお供にお土産でもどうぞ。この地方で取れるワインは最高なのですよ」


「荷物を運ぶ時間も惜しいのです」貴族社会において、物品の授受には細心の注意を払わなければならない。誰が誰に何を送ったかはすぐに広まり、それに対して筋を立てなければいけなくなってしまう。こういう物は受け取らないに限るのだ。


「ご心配なく、既に船に積み込んであります」


 やられたか。ケニスは笑顔を保ったまま、心の中で舌打ちする。しかし所詮はワインだ。返礼品は適当な物でいいだろう。


「それはありがとうございます。準備がよろしいことで」


「軍人たるとも、周到な準備は欠かせません。しかし見識を広めるため、そろそろ他の職を探したいところではありますが」ガハハと笑う声が妙に癪に触る。


「そうですか。ますますのご活躍をお祈りしております」それだけ言うと、私はゲーターの脇を通り過ぎる。後ろから不満気な鼻息が聞こえたが、聞こえなかったことにする。


 どの船に向かうべきかはすぐに分かった。外交旗がマストに括り付けられていたからだ。タラップを渡り甲板に足をつける。


「これは大臣閣下、もう出発されるのですか?」


「ああ、すぐに準備できるか?」


「勿論ですとも」艦長の帽子と制服を纏った人物は、操舵竿の横にある鐘を鳴らす。


「出港用意だーー!!」


 遠巻きにこちらを伺っていた水兵達がバタバタと動き始める。そのうち一人がマストによじ登り始めた。よく、こんな高い所に登れるものだ。怖くないのだろうか。


「こんな小さい船で申し訳ない」艦長は駄目な子供を紹介するように、手すりを叩く。


「いや、それは貴方の責任ではない」


 最新鋭艦の大型艦が配備される第一、第二艦隊とは異なり第三艦隊は沿岸での防衛や、航路の確保を主任務としている。それ故、見栄えの良い船はない。


「他の国の連中に、ローレンス級を見せたかったのですが、残念です」ケニスはそれが一昨年乗った船だということを思い出す。今は乗組員ともども海の藻屑だろう。


「ローレンス級だろうと、この船だろうと一緒だ。我々はドベを走り続けている」


「この国はどこで道を間違えたのでしょうね」


「まったくだ。一度でいいから、他国の外務大臣に大きい顔をしてみたいよ」かつて同列だった国々と国力、技術力において大きな差をたけられ、その差は開いていくばかり。おまけに、魔法の使えない野蛮人との戦争は負け続きだ。


「艦長、出港の準備ができました!」


「よし、本艦はこれよりベラルーシェ教国に向かう。魔導機関、始動!」


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ベラルーシェ教国 


「これは…驚きましたね」艦長が見つめる先には、ヒルメラーゼ共和国の戦艦があった。搭載された大砲は戦列艦のそれとは比べようもないほど大きく、薄い魔導装甲など容易く食い破られるだろう。だが、そんなの序の口でしかない。始めて会議に出席したとき、今まで養なわれてきた選民意識がどれだけ打ちのめされたことか。


「驚くのはまだ早い。上を見たまえ」


「なっ…」艦長は空を見上げたままフリーズしてしまう。雲よりも高いところに細く、巨大な塊が浮いていた。コングラー連邦の戦艦だ。


 艦長の驚きをよそに、船は進み始める。ぼやけていたヒルメラーゼの戦艦の輪郭がはっきりしてきて、その巨大さが鮮明に理解できるようになる。下から見るそれは圧巻で、海に浮かぶ要塞のように見える。  


 戦艦を通り過ぎると、影になっていたベラルーシェ教国の船が見えるようになる。いよいよ真打ちの登場だ。


「なんなのですか…あれは」共和国の船が城なら、教国の船は街ほどの大きさがある。白を基調とした流線型のデザインは優美で、芸術品のようだ。


「君等は貴族の文民は楽をしていると思っているのだろうが、あんなものを持つ奴らと交渉することの苦労を少しは分かってくれるかね」


「はい」


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 やがて船は港に着岸する。もっと大きな船が停泊することが想定されているのか、スペースが余っていて寂しい。ケニスは官僚を引き連れて、タラップを渡る。その先には既に、教国の役人がいた。全員が金の刺繍が施された白いフードを被り、表情が伺いしれない。溢れる銀色の髪から、女性であることだけは分かった。


「アンゴラス帝国、外務大臣、ケニス様。ベラルーシェ教国にようこそ。私は、案内係の、オリヴィアと申します。短い間ですが、お見知りおきを。ベラルーシェの加護があらんことを」


聖都メイナード


 メイナードの様子は外からは伺いしれない。巨大な壁で、街自体が覆われているからだ。何でできているのか分からない門扉が作業音を立てて開くと、街の姿が顕になった。


 初めて国際会議に参加した官僚が息を呑む。


 門の向こうは、聖堂で埋め尽くされていた。建築様式は同じながら、聖堂のデザインは異なり、それぞれが自己主張しながらも調和がとれている。


「なんと言いますか、凄いですね。教国は」


「いったい、食料や工業品の生産はどうしているのでしょう?」


「さあな」ケニスの乗る車は聖都の中でも一番大きい聖堂へと入っていく。

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