救いの手

逃亡した奴隷に行き場などあるはずもなく、皆、途方に暮れていた。放棄された廃村を見つけたのは、そんなときだ。逃げ出してきた奴隷の中にはちゃっかり、食料も持ってきている者もいた。


「おい、それ寄越せ!」だが、命の危機に瀕した状況でそれができた者は少なく、大半は帝国人用の食糧で、俺達が食えるものはより少ない。それをめぐる争いが起こるのは必然だ。


「ふざけんな!これは全部俺のだ。俺が持ってきたんだ…。ゴフッ!」


「ざけんじゃねぇ!」


「おい、やめろ。お前ら!」俺は声を張り上げるが、誰も聞く耳を持たない。  


 仕方なく、争っている男の一人の顎を殴る。先端を狙いすました拳は、大きく脳を振動させ、容易に男を失神させる。


「てめぇ!グホッ!」そしてもう一人は締め上げて一丁上がりだ。


「こんなときに、争ってる場合か!」静まった部屋の中で、俺の声が響く。


「あんたが言えることじゃ、ないでしょう」レオナはどこか愉快そうに言う。


「とりあえずこれからどうすればいいか、考えるべきだ」


「まぁ、それは一理あるな」遠巻きにしていた者も、賛同してくれる。


「でも、どうするっていってもよぉ…」だが、皆この状況に困惑していた。当たり前だ。奴隷に物事を決める権利など今までなかったのだから。


「俺は故郷に戻りてぇ」


「そんなの無理に決まってるだろっ!」



「俺は帝国の奴等のところに戻るぞ」


「せっかく、自由になれたのに奴隷の生活に戻るのか?」無意味な言い争いが続く。


「自由?馬鹿言うな。俺たちの鎖は、帝国人に持たれたままだ」


「何が言いたい」俺はその意味が分からず聞き返す。男は簡単なことだというように、口を開く。


「帝国には、食いもんがねぇ。辺りに生えてる植物も、その辺の動物も、俺達の腹を満たしてくれねぇ。お前も知ってるだろ」


「いや、ある」  


「適当なこというなや」


「いや、集団農場に行けばいくらでも手に入るさ」意表返しとばかりに、俺は得意げに言ったが男は鼻で嘲笑うだけだった。


「どうやら、おめぇは根っからの馬鹿のようだな。返り討ちに合うだけだ」その言葉に周囲が息を呑む音が聞こえた。それを呼び水として、また各々が話し始める。


「付き合いきれるか。俺は帝国人のところに戻る」


「俺もだ。帝国人に殺されるのはまっぴらだ」


「でもよう、戻ったとして、また空飛ぶ化け物に追い回されるだけじゃねぇのか」誰かが歯をガタガタ震わせている音が聞こえる。


「俺はやるぞ!あの化け物に比べたら、帝国人のほうがまだマシだ!」


「ふざけんな、馬鹿がっ!」


「こいつと一緒の意見のやつは出ていきやがれ!」男は俺を指差して言う。


「出ていくのはそっちの方よ」よく澄んだ力強い声が響く。振り向くと、レオナが男を睨めつけていた。


「人数的にこっちの方が多いんだ。お前らが出ていくのが当然だろ!」男の主張は全くだが、レオナにはそんな理屈が通用しないことはよく知っている。


「そうね、そっちの方が多いわね。けれど、強いのはどっちかしら?」 


「はぁ?」


鈍い音が響いた。


ーーーーーーーーーーーーーー


 ようやく起きた火に、朽ち果てた家から持ってきた材木を焚べる。その日を囲む人数は、決して多くない。結局、残ったのは3分の1程度。雪は時間とともに激しくなっており、夜も近い。外に出て行った者達が運良くまた廃村を見つけられなければ、凍死することになるだろう。


「なぜだ、レオナ。全員で暖を取る選択肢もあっただろうに」暖炉に干された服から雫が落ちる。


「あいつらはもう、心が死んでる。今さらよ」レオナが濡れた髪を掻き上げると、水滴が舞った。


「だけど」


「私たちが考えなきゃいけないことは、どうやって食糧を得るかでしょう」これはさっき俺が言った言葉だった。


「そう…だな。なら、早速農場へ…」俺が話しだすと、くすりと笑われる。おかしなことでも言ったか?


「先走りすぎ。まずは食糧を確保しないと。雪も激しくなるし」


「なら、どうすれば」


「さっきの道に、食糧の入った箱が転がっているはずよ。雪がやんだら取りにいきましょう」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 猛威を振るっていた雪も、とうとう粉雪がチラつく程度になっていた。しかし大人数がその道を通ってきたという痕跡は、雪の平原からちらほら顔を出した木箱だけだ。その多くは埋もれてしまっている。


 食糧の入った木箱の発掘作業を始めて3時間。15個目の木箱を掘り出すと、中を開ける。


「くそ、またハズレかよ」中に入っていたのはピンク色の乾いたパンだ。当然、帝国人用のものであることは、字を読めなくてもひと目で分かる。


「ほんと、運がないわね。一番たくさん、箱を見つけてるのに」ちなみにレオナは13個掘り出して3つ当たっている。他のやつらも数は少ないが、そのくらいの割合で当たりをだしている。


「ったく!なんでだよ」廃屋からくすねたスコップを柔らかな雪に差し込む。


『ゴンッ!』と鈍い音とともに腕に痺れが広がる。一発目で木箱に当たるなんて幸先がいい。次こそ中身は食料だ。箱を取り出すために、その周りを掘り始めるが、そこで作業は中断となる。


「帝国軍が来たぞ、どこかに隠れろ!」俺はその木箱を名残惜しく感じながらも、みんなと一緒にそこを離れた。


「さすがに、この距離はばれないか?」木の陰に隠れながら、様子を伺う。視界の少し先には荷物を引いて進む奴隷達と、後ろからついていく帝国兵の姿があった。


「大丈夫よ。むしろ、今動くほうが目立つわ」


「この距離、動物だったら気づかれるってのに、人間ってだいぶ鈍感だな」故郷で狩猟をしていたときのことを思い出す。あの頃は幸せだった。


「しかしいつまでこの列は続くんだ?」ろくな防寒着もないまま、雪に寝そべっているんだ。いい加減、身体が痛くなってくる。


 そんなときだ。


『バサァ!』と雪が落ちる。そしてあの音が聞こえてきた。


「おっ!あいつは!」空を見上げるとやはり、不思議なモノが浮かんでいた。帝国軍を為す術なく蹂躙したモノだ。




「帝国の奴らにぶちかましてやってくれ!」それを合図にしたように、それは攻撃を始める。




近くでは何が起こったのか分からなかったが、遠くからだとその凄さが分かる。


あっという間に統率していた帝国兵の部隊は壊滅した。いままで、恐怖の象徴だったものがこうもあっけなく死ぬのは胸がすく思いだ。それと同時に空に浮かぶモノが、我々を救うために現れた救いの神のように思えた。


だが、そこから異変が起き始める。奴隷達は逃げようともせず、むしろ目的地に走り始めたのだ。もう帝国兵はいないし、奴らに忠義を尽くす義理なんてないだろうに。


それに、それだけでは終わらない。空に浮かんだアレが荷物を運んでいる奴隷達にまで攻撃を始めた。帝国兵すら手も足も出ない代物に、奴隷がなにかできるはずもない。またたく間に死体が築かれていく。


「やめろ!」俺は思わず影から体を出してしまうが、手を引かれて地面に倒れ込む。


「シーーっ!」レオナは出来の悪い子供に言い聞かせるように、人差し指を唇に当てた。


 死体の焦げた匂いが充満する中、俺はなんとか吐き気をこらえる。


「なんでだよ…。なんでこいつらまで殺しちまうんだよ!!」感情の整理が追いつかず、絞り出したような声になる。


 蹂躙はまだ続く。光の線を浴びた者は、身体の破片が飛び散り、白い煙を描いて襲いかかる筒は跡形なく人を消し飛ばす。そこでいよいよ、奴隷達の潰走が始まる。もっとも、煙のせいでどちらが正しい道が分からなくなっているのかもしれないが。そんな奴隷のうちの一人が、こちらに向かって走ってきた。


「うわぁ!」そいつの腕を掴むと、組み伏せる。そして一つ質問をした。


「なんで、逃げねぇんだ」


「なにすんだ!」男が怒り混じりに言うが、聞きたい答えはそれじゃない。


「なんで、逃げねぇのか聞いてるんだよ!」感情のやり場に困ったからか、自然と語気が荒くなる。


「そんなもん、家族を人質に取られてるからに決まってんだろ!お前は違うのか?」俺は男の言葉に動けなくなった。


「荷物を運べずおめおめ、帰ってきてみろ!家族もろとも殺されるぞ!さぁ、分かったら離せ!」男は強引に俺の腕を振りほどくと、雪の中を再び進む。光の雨が降り注いだ。


 食糧の確保は簡単になった。発掘をしなくてもよくなったからだ。主を失った荷車にこれ以上乗り切らないほどの木箱を載せて、雪の森を進む。だが、その足取りは重かった。


「普通に逃げてくれれば、仲間も増やせたのにね」レオナは残念そうだが、少し感性がずれているように感じる。


「お前、冷たすぎないか?」


「帝国に来てどれだけ経ったか知らないけど、他人の生死にいちいち悲しんでるようじゃ、心が持たないわよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る