復帰

ドラゴンの刺繍ななされた赤い絨毯、職人が芸を凝らしてたであろう装飾入の机、装丁に金があしらわれた書物が並ぶ本棚。これだけ見れば、貴族の屋敷の一室に見えるだろう。だが、窓には鉄格子が嵌っており、扉も内側から開かないようになっている。そんな異質な空間の中、炎が灯る暖炉の前でロッキングチェアを揺らしながら本を読んでいる老人が一人。いや、本は開いているがまるで上の空だ。    


 扉からノックが響くと、宙をさまよっていた意識が戻る。私は本を閉じると、コーヒーテーブルにそれを置く。栞を挟み直す必要はない。1ページたりとも進んでいないからだ。 


「朝食をお持ちしました」チェスター付きのワゴンに載せられたのはオムレツにクロワッサン。そして一般人が一生に一度味わう機会があるかすら分からない、高級な茶葉を用いた紅茶だ。この食事は軍部内に慕ってくれている者がまだいることの証左だろうが、まともに味を感じられない今の私にはまったく無駄なことだ。私はいつも通りにワゴンの隅に置かれた新聞を手に取る。


「ランベルト将軍、知識を摂るのも結構ですが食事もとっていただかねば困ります」そう言うのは無骨な軍服を着た青年だ。彼の態度や話し方を見れば、その服装とは裏腹に、知性と教養を持っていることが分かる。    


「生憎、腹は減ってはおらん。君が食べたまえ。それと私はもう将軍ではない」   


「そういうわけにはいきません。体調管理も仕事のうちですので」青年はそう言うと、食器をワゴンからテーブルに移し始める。


「仕方がない。だが、先にこれを読ませてくれ」新聞を開く必要すらない。見たい記事はいつも一面にあるからだ。


「心配なされすぎですよ。帝国が野蛮人に遅れをとるはずありません」彼も毎日、新聞を読んでいるのだろう。若いにしては勤勉なことだが、どうやら情報元を疑うことを知らないようだ。それとも内務省がいい仕事をしすぎているのだろうか。


 書かれているのは豪華絢爛な戦勝報告。だが、私はそれが嘘であることを実体験から知っている。こんなもの読んでも仕方がないことは分かっているが、それから真実の一片でも読み取れないか毎日試している。できた試しはないのだが。


「おやっ?」今日は珍しく二面に渡り戦争の記事があった。それも勝利を称える記事ではない。 


『ザカリー将軍、野蛮人の襲撃に会い戦死される』


 戦勝報告だけでは、市民がそれに慣れて陳腐化してしまう。たまに現れる悲報がスパイスとなり、戦闘意欲を湧き立てることを期待しているのだろう。ランベルトはそのま読みすすめる。


『デザイル包囲網の総司令官であり、敵の残党処理の指揮を執っていたザカリー・ムードリッヒ少将が前線視察中に野蛮人のゲリラ部隊の襲撃を受け殺害された。敵の主軍は壊滅したがその後ゲリラ戦法をとっており、戦いが長引く要因となっている。だが敵の抵抗は弱体化しており、今回の襲撃も苦肉の策だろう。だがこのような卑怯な手段を講じても、我々帝国臣民の怒りを買うのみで、自らの死期を早めるだけに過ぎない。再びデザイルに民間人が足を踏み入れられる日が来るのは時間の問題だ。後日、国葬パレードが予定されており、そのルートは終日通行止めに…』


「戦死か…」ランベルトは何か引っかかるものを感じた。その違和感の正体を探るため、新聞を置いて深く考え込む。あの、口ばかりのザカリーが、前線で指揮を執るなどあり得るのだろうか。私は思わず唸り声を出す。それが青年には死を悼むように見えたのだろう。


「お知り合いですか?」と声をかけてくる。


「知り合いか…。ああ、そうだな」自分を牢に打ち込んだ張本人だ。忘れるはずがない。


「心中、ご察しします」青年は口だけでなく、本当に悲しそうな目を浮かべこちらを見てくる。なにか、悪いことをした気になった。


「さて、貴官にいつまでも時間を取らせるわけにはいかないな。朝食をとろう。どうせ私にはいくらでも時間はある」ランベルトはオムレツにナイフを入れると、半熟の卵が溢れ出す。再びノックがなったのは、口にそれを運ばんとする時だった。


「お食事中失礼します。面会を希望する方がおられまして、ご足労頂きたく」 


「面会?私にか」同僚どころか家族との面会も禁止されているこの身に、誰があいにきたのだろう。それを怪訝に思いながらも案内されるまま、久しぶりに部屋の外に出た。 


 この城は大戦よりも遥か昔から、貴族の幽閉場所として用いられていた。為政者の力を示さんと綺羅びやかであったであろう内装は、今やその面影はない。柱を支える悪魔の像はひび割れており、カーペットはすすきれている。辺り一面に積もる埃を見て、部屋を出てから誰ともすれ違わなかったことに気付く。ここに配置されている看守は多くはないのだろう。これだけ大規模な城だ。管理が行き届かないのも当然だ。


「こちらです」案内されたのは蹴るどころか肩が当たった程度で破れそうなボロボロの扉、ではなく木製の扉は鮮やかなピンク色の扉だ。見るからに新しい。もしかすると、この城はニホンとの戦争で失敗した者を投獄するためだけに、改修されたのかもしれない。看守が扉を開けると、ランベルトもそれに続く。


「これはランベルト将軍。久しぶりだ」慇懃無礼に手を差し出すのは軍務省の幹部、おそらく公爵家の者だっただろう。名前は思い出せない。私ははその手を無視すると、わざと勢いをつけてソファに腰を下ろす。


「貴方達が私をここに閉じ込めたせいでな」


「そう言いうな。この、国難の時期だ。過去のことは水に流そうじゃないか。」名無しはいけしゃあしゃあとこのようなことを言う。この男に改めて名前を聞いて覚えるほどの価値はないだろう。


「喜び給え。復職の許可が出た。本来、たかだか子爵家の者がこのような地位につくのは難しいが、特例として認められることに…」


「ふん、よく言う。ザカリーが死んだせいで、やりたがる貴族がおらんだけだろう」貴族とは基本、名誉欲に固執する生き物だ。だが、職場は綺麗で安全なところという条件がつく。本当の死が訪れるかもしれない場所に行きたがる貴族など、ほとんどいない。


「言っておくが、拒否権はないぞ」そう言って放られた書類には、ランベルトの復権とその配属先が記されており、帝室の判まで押してある。


「表にゴーレムを待たせてある。準備ができ次第、出立するように」


「お前に命令される覚えなどないわ!」私が怒りに任せて扉を開けると、すでに先程の青年憲兵が荷物一式を持って扉前で待っていた。


「短い間でしたが、ありがとうございました。正門までお送りいたします」その丁寧な対応は、先程まで話していた品性のない猿とはまるで別だった。


「構わんよ。憲兵はホテルマンではないのだから」


「しかし将軍はおそらく、正門までの順路をご存知ありません」


「………。」


 増築が繰り返され迷路のように入り組んだ廊下を進む。とてもじゃないが一度は通ったからといって、覚えられるものではない。昔はよほど収監者が多かったのだろうか?ようやく木製の扉が見えてきて、私は胸を撫で下ろす。


 久しぶりの朝日が目に染みる。私はを伸びしようとしたが、すぐに自分が五十肩であることを思い出した。


 青年はその間もせっせとゴーレム車に荷物を詰め込んでいる。本当にホテルマンのようだ。


「ありがとう。世話になったな」


「こちらこそ、ありがとうございました」僅かな別れの言葉を交わすと、軍務省の紋章入りのキャリッジに乗り込む。足元に階段が置いてあったが、もう年だと言われている気がした。


「それでは出発いたします」ゴーレムの中の御者が言うと、ゆっくりとゴーレムは歩き出す。高官用のゴーレム車とはいえ、単に塗装が豪華なだけなので乗り心地は非常に悪い。道が舗装されていないことも相まって、車体は大きく揺れる。どのような高級なクッションであったとしても、それに打ち勝つことは不可能に思えた。


 山道が終わると揺れもマシになり、酔いと格闘しながらであれば、なんとか報告書を読めるようになっていた。帝国軍には要点を纏めるという発想はないようで、無意味な情報や、重複したそればかりであった。膨大な量のそれは目を通すだけでも時間がかかりそうだ。ようやく2割を頭に叩き込んだくらいで、ゴーレム車が停止した。距離的にまだ着くはずはない。どうしたのだろうかと訝っていると、兵士が窓を叩いて言う。


「失礼します。ここで乗り換えです」


「乗り換えだと?」民間交通のゴーレム車ではないのだ。そんなものがあるのは明らかにおかしい。


 ステップを用意しようとする兵士を制しで、私は地面に降りる。膝をやったかもしれない。無駄な見栄を張るものではなかった。だが、外に出たおかげで乗り換えが必要な理由は分かった。橋があった場所に、水車が組まれていたのだ。建築に関する書物で見たことがある。石橋を作るための装置だったはずだ。そして周辺には放置されたゴーレムと行き場を失った荷物で溢れかえっている。この状況がどれほど兵站に悪影響を及ぼしているのだろうか。考えただけで悪夢である。


「川が氾濫でもしたのか?」タラシア川の氾濫は、帝国を長年苦しめてきた。だが、悲願だった石橋の完成以降は橋が落ちた例は無かったはずだった。


「いえ、敵の攻撃です。一週間程前だったでしょうか。見た者によると、空から落ちて来た光が橋を木っ端微塵にしたようです」


 数度、ニホンと鉾を交えたランベルトにはその様子は容易に想像できた。あの化物たちにとってそんなことをするくらい造作もないことだろう。私は膝を抑えながらヨロヨロと進もうとするが、先程のゴーレムに目が留まる。


「どうされましたか、痛み止めであれば見張り小屋に…」


「どうしてこんなところに子供がいるんだ?民間人は立ち入り禁止のはずだろう」兵士はなぜこんなことを聞くのかと言いたげだったが、私にそれを聞く勇気はないようだ。


「輸送ゴーレムの御者です。最近は豊かになったせいで、なかなか人が集まらなくて孤児や貧しい家庭の子供を活用しているようです。民間のことなんで、詳しくはは知りませんけど」彼が言うには、ゴーレムに子どもが乗るのは珍しいことではないらしい。だが、乗り合いゴーレムを利用したことのない私は、そのことに衝撃を受けた。


「あんな子供をか?」自らの怠惰で身を落とした貧民が、糧を求めてゴーレムに乗ることを選択するのは構わない。だが、未来ある子供がそれに乗ることが許されるとは。


「子供だからこそ、じゃないですか?」


「孤児の保護制度があったはずだが…。どうなってるんだ」貧困がないと言えば嘘になることぐらいは知っている。だが、植民地からの物資のおかげでかつてないほど帝国は豊かなはずだ。そして、それはもちろん臣民にも還元される。


「失礼ながら申し上げますが、救われるのはごく一部です。市井の民でそれが上手く行っていると信じている者などおりません」


 私は軍人なので本分ではないが、帝国は結構な額を孤児支援に出資していたはずだ。資金還流でもされているのかと不信を懐きながらも、それは帝都に帰って来たとき、帰って来れたときに追及すればいい。私は兵士の手を借りて、タラシア川の河川敷に降りる。水の流れは国立劇場のバレエ団のように優雅で、氾濫とは無縁であることを実感した。この流水には文字通り荷が重いのか、真っ黒な橋の残骸が水面から顔を出していた。


 私と兵士は小さなボートに乗り込むと、兵士は櫂かいを漕ぎ始める。倒れないか心配になりそうなほど大きい水車は、ゴトゴト音を立てながら水を汲み出している。だが、その速度は非常に緩慢で、橋が再び架けられる日が、遠く感じられた。


 今度は装飾が張り巡らされたゴーレム車ではなく、軍の輸送用のゴーレム車だ。あのけばけばしいデザインが苦手だったが、私がいかに贅沢をしていたかよく分かった。率直に言うと尻が痛いのだ。尋常じゃないほどに。今から戦争に行こうという者が何を言うかと自分でも思うが、車が揺れるたび坐骨がクッション一つない椅子に叩きつけられる。一度や二度ならまだしも、それが数時間ともなれば拷問に等しい。だが尻が痛いという理由でゴーレム車を止め、指揮官不在という危機的状況を長引かせるのはありえないことだ。私は意識をそらすため、窓の外を見る。


 草の芽があぜ道だったはずの地面から草が芽を出している。その交通量が道を道あらしめていたことにはかとない虚しさが…。だめだ、集中できん。待ち望んでいた知らせが聞こえたのはその時だった。


「将軍、間もなく中央防衛線に到着いたします」


「そうか、できるだけ急いでくれ」


「了解!」ゴーレム車の速度が上がり、車体の揺れもそれに伴い大きくなる。もちろん、痛みも。余計なことを言ってしまったことに後悔した。

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