ある少女達と少年

私はシチューの海で泳いでいた。遠くにはウエハースの陸地やゼリーの島が見える。美味しそうだ。私はそれに向かって泳ぎだそうとするが、下から何かに引っ張られる。


「よくも、同胞たちを。許さん!」私が食べてきた大量のおさかなクッキーの仲間達が、器用なことに小さな口で私を捕まえていた。私は為す術もなく海へと引きずり込まれる。薄れゆく意識の中で私は思う。お腹が空いたと。


 そこで目が覚める。薄目をゆっくり開くと、そこには知らない天井があった。それも手を伸ばせば(私にはないが仮定の話として)届きそうなほど近くに。


「えっ、あれ!ここどこだ!」


「なに寝ぼけてんのよ」下から不機嫌そうな声がする。


「えっ、誰!ドロボー?」


「はぁ?」私が混乱していると、扉がカチャカチャ音を立てる。


「マリエルちゃん、ミアちゃん、入るよー!」そうだ!マリエル様だ。そして朝っぱらから元気よく声をあげるのは、寮母のサシャさんだ。もう入ってます。


「ちゃんはやめてって言ってるでしょ」


「ごめんね、マリエルちゃ…じゃなくてさん」


「………。」


「食事持ってきたよ」ワゴン山積みにされたのは香ばしい匂いを漂わせるパンだ。生まれてこの先、片手で数えるほどしか食べたことはない。


「ギュルギュル〜〜」と私の腹の虫が鳴く。思えば、昨日の夜も抜いたのだ。ああ、意識したら余計にお腹が空いてきた。   


 サシャさんはニコッと眩しい笑顔で私に微笑むと、私を起こして、パンを小さく千切る。


「はい、口開けて」


「あ~~ん」口の中にパンの欠片が放り込まれる。バターの濃厚な味と、ふわっふわな食感で、私は幸せに包まれる。その味は昔食べた雑味だらけのパンの比ではない。そして気付くと、いつの間にか大きなパンはなくなっていた。


 じーーーーっと私は山積みになったパンを見つめる。


「ミアちゃん、ごめんね。パンは一人一つなの」


 じーーーー


「昨日、夜ご飯食べなかったものね。だから今日だけの特別よ」


「やったー!!」二つ目のパンも気が付けばなくなっていた。いつの間に食べたのだろうか。


 マリエル様の食事も終わると、サシャさんは急ぎ足で部屋から出ていった。他の人の食事もあるのだろう。私は長い長い廊下を思い出す。大変そうだなー。


「家畜」


「えっ?」ベッドの下より投げかけられた突然の言葉に、私は思わず聞き返す。


「この時間、餌付けされてる家畜みたいで嫌いなの」マリエル様はご立腹されておられるようだ。


「へぇ…、そうなんですか…」


「あなたは何も思わないの?」


「私は…」家でも食事のときは似たようなことをしてもらっていた。ただただ何もできず劣等感に苛まれる日々だった。だが今はもう違う。


  

「だから、その分働くんじゃないですか?」


「その日の食事のために?それこそ家畜か奴隷よ」


「そうなんですか?」働いて食べ物を貰うっていうのは、別に普通な気がするけどな。賢い人は考えることが違うのかもしれない。


「まぁ、いいわ…。あなたに言っても仕方ないことだし」これっきり、マリエル様は黙った。沈黙が苦痛だった。


ーーーーーーーーーーーーー


 マリエル様が仕事のためキュルキュル鳴く台車で運ばれていった1時間後くらい、再びサシャさんが来た。勿論、台車を携えて。


「ミアちゃん、お出かけするよ」


「どこに行くんですか?」天井を眺めるのには、とうに飽きていたので胸が弾む。私は行きで見た高い塔やお店の列を思い出す。


「ちょっとね」サシャさんは答えを濁す。でも顔はいつものような笑顔だ。


「分かりました」少し気がかりに思いながらも答える。私に選択権はないのだから。


ーーーーーーーー


 別になんということもなかった。連れて行かれたのは隣の建物だ。安心したと同時に少しがっかりした。寮のものより遥かに豪華なエレベーターは壁がガラス張りになっており、建物が小さくなっていくにつれて足が(ないけど)竦みそうになった。私は深く目を瞑る。  


「ここで何するんですか?」


「お医者さん見てもらうのよ」私は自慢ではないが生まれてこの方、医者にかかったことはない。(村八分されていたから熱が出ても診てもらえなかった。)


「私、どこも悪くないですよ?」


「お医者さんにゴーレムに乗れるように手術をしてもらうの」元々手足なくても必要なんだ。一体、何をされるのだろう。不安がないと言えば嘘になる。だが元々、愛着のないこの身体がどうなろうと、今更気にすることはないかもしれない。


 ベルが鳴り台車が再び動き出したことを確認すると、私は薄目を開ける。ヒビ割れたリノリウムの床に沢山の椅子が並んでいるが、誰も座っていない。いるのは受付係の看護婦さんだけだ。


「サシャさん、こんにちは」


「こんにちは。準備はできてる?」


「はい。先生も待ってます」


こんな簡単なやり取りがあると、私とサシャさんは小さな部屋へと案内される。


「いらっしゃい」そこに居たのは魔力が抜けて、髪が灰色になった老人だ。手も顔も皺皺で、目も少し濁っている。サシャさんにヒョイと持ち上げられると、ベッドの上に寝かされた。こんな医者に手術されて、大丈夫なのだろうか?手元が震えたりしないのだろうか?


 医者は私の不安を汲み取ったように、口を開く。


「大丈夫、大丈夫。痛くないよ」そう言いながらあろうことか、医者はケースから注射器を取り出す。銀色に輝く針が私を睨めつけると、恐怖で身体が震える。


 なんで手術されることに対しては何とも思わないのに、注射はこんなにも怖いのだろう。針の一本や二本くらい平気だ。今更何を。自分に言い聞かせようとするが、感情は私の言う事を聞いてくれない。


「嫌…、嫌だ…。嫌だ!!」私は身体を(首だけだが)ばたつかせる。


ああ、こんなことならば行かなければよかった。けれど時間は巻き戻らない。


 こんなことならば、いつまでも家にいておけばよかった。もう後悔するには遅すぎた。一日中寝ているだけで、決まった時間に食べ物が出て来る。今思えば、何に不満があったのだろう。元より動けない私は今から起こることに、なす術がない。できることといえば、声帯がはち切れんばかりに悲鳴を上げることくらいだ。だが無情にも鋭く尖ったそれは、私の肌に突き刺さる。


「ギャァァァァァーーーーーーー」体に激痛が走る。やはり痛くなどないという医者の説明は嘘だった。この医者は信用するには胡散臭すぎたのだ。目から熱い液体が零れ、頬を伝って行くのが分かった。医者は注射器を置いて立ち上がると、上から見下ろすようにして言った。


「注射くらいで、この世の終わりみたいな顔をしないでくれるかね?」私は薄れゆく意識の中で、逆恨みだと知りつつもひたすら医者を呪い続けた。


 目が覚めると、いつの間にか寮に戻っていた。私の腕は少し短くなっていて、代わりに銀色に輝く金属の蓋みたいなものが先端についている。元の腕よりはカッコいいかもしれない。新しい腕(肘までの半分くらいの長さ)にみとれていると、ドアの向こうからガチャガチャ音がする。


「夜ご飯の時間よ〜」


 芳しいが匂いとともに入って来るのはやはりサシャさんで、ワゴンの上に並べられた皿にはポタージュが並々一杯入ってる。


「おいしそう!」


「毎週おんなじメニューよ。一ヶ月もすれば飽きるわ」いつの間にかマリエル様は戻っていて、いつも通り愚痴を吐き出す。


「そんなこと言わないの」   


「なら、少しぐらいメニューを変えなさいよ」


「はーい、ミアちゃん、あ~~ん」


「もぐもぐ」


「……。」


「そうだ!明日、新しい子がこの部屋に来るよ」


「ゴホッ、ゴホ!」私はポタージュを吹き出す。サシャさんは私の口元を拭いてくれる。


「また増えるの?これ以上喧しくなるのはごめんよ」


 それに関しては私も同感だ。まだマリエル様とも、まともに話せないのにこれ以上人が増えるのは無理だ。それにマリエル様と新しい子が仲良くなって、私だけ除け者にされたらどうしよう。不安でたまらない。


「大丈夫よ、大人しい子だから」


 私の食事が終わると、マリエル様の食事が始まる。マリエル様は終始無言だった。


「じゃあ、皆おやすみ。ミアちゃん、明日から頑張ってね」サシャさんが魔導灯を落とすと部屋が墨のように黒くなる。今日はもう眠るだけ。だが、サシャさんは去り際に私達に爆弾を投げつけた。


「あっ、今度来るのは男の子だから仲間はずれにしないで、仲良くしてあげてね」


 ガチャンと扉が閉まる。


「男がが来るの?ムリムリムリムリ」マリエル様は珍しく狼狽えている。


 私もいじめられた記憶があるから、男の子は苦手だな。でも、女の子からもいじめられたから、そうでもないかも。人間皆が苦手なのか。絶望的だ。


「あんたは平気なの?」


「人間はみんな同じです」我ながら意味が分からない受け答えだ。


「いい、男は獣よ」いつもの強気な口調の中に、少しばかし別の感情が入っている気がした。


「獣、ですか?」


「そうよ、男を見るな、触れるな、信じるな!いい?」


「はい」私は疑問に思いつつもマリエル様に逆らえるはずもなく、とりあえず返事を返した。


ーーーーーーーーーーーーーーーーー


 緊張のせいか目が覚めてしまった。冬の朝は暗い上、雨まで降っている。まだ夜のように感じるが、時計は6時を指している。下からゴソゴソ音が聞こえた。マリエル様も起きているんだろう。はぶられないように、今のうちに少しでも仲良くなっておこう。


「いいお天気ですね」


「どこがよ!」ザーザーと降りしきる雨の音が思いっきり響いていた。


「いいお召し物ですね」


「みんな、一緒の服でしょ」


「えーーと?最近、肌寒くなってきましたがいかがお過ごしでしょうか」


「話すことないなら、無理に話さなくていいわ」


「ごめんなさい」何やってるんだろう、私。だめだ、共通の話題が思いつかない。


「今日、初めてゴーレムに乗るんでしょ」そうだ、なんでこれを忘れていたんだろう。共通の話題と言ったらこれしかないじゃないか。


「はい!」


「不安?」


「少し…。ゴーレム乗るのってどんな感じなんですか?やっぱり怖かったですか?」


「特になんの感慨もなかったわ。初めて乗ったときもね」


「へぇーーー…」やっぱりマリエル様はすごい人だな。


「まぁ、緊張するほどのことはないわ。気楽にやりなさい」


「ありがとうございます、マリエル様」


「なんでここにまともな呼び方できるやつがいないの?」


ーーーーーーーーーーー


 少し早いけど朝ごはんの時間かな?扉が開くと同時に芳しい香りを期待したが、残念ながらそれは来なかった。


「新しい仲間を紹介するね。今日から二人と相部屋になるレオンくん。仲良くしてあげてね」


「レオンです。お願いします」現れたのはおとなしそうな少年だ。昨日の事前情報がなけれは男の子か女の子かパッと見ただけでは分からなかっただろう。これが獣…のわけないか。


元気よく挨拶する少年にはまだ両手足ともついている。そのうち切断するのだろう。


「えっと、あ、うん。こちらこそよろしくお願いします」慌てながらも、噛むことなく挨拶できた。私だって成長しているんだ。マリエル様は黙ったままだった。


「じゃあ皆、ご飯ができるまでお喋りでもしててね」そう言うと、サシャさんは部屋を出て扉を閉める。しっかり鍵をかけて。


 レオンさん…、後輩だから君でいいのかな?はベッドサイドに腰を降ろす。もうすぐ出来なくなる動作だ。


 マリエルさんはだんまりだし、レオン君(私の方が先輩なんだからくんでいいだろう)も素っ気ないマリエルさんの態度に戸惑っている。男の子が嫌いそうなマリエルさんと、獣どころか子鹿のようなレオン君。一応私は先輩だし、二人が仲良くなれるように一肌脱ぎますか。


「二人はどうして、この仕事やろうとしたの?」


「簡単よ。娼館かゴーレムの御者か選べって言われて、こっちを選んだの。ここ来る連中の中で、この話を楽しいって思う奴はいないわよ」なんで私はこうも地雷を踏みに行くのが得意なんだろう。


「そんなことないよ、サシャさん。僕は弟と妹のためにここに働きに来たんだ!」早速、後輩に救われてしまった。自身が萎んでいく音が聞こえる。


「すっごい、家族思いなんだ!」それに手足を失ってまで家族に尽くせるなんて私にはできない。劣等感から逃れたい一心で、ゴーレムに乗る私とは違うな。心の中で、レオンくんからレオンさんに戻った。  


 それからレオンさんは、家族との思い出話を始めた。みんなでいっしょに釣りに行った話。山で魔導生物に追いかけられた話。弟が産まれたときの話。それは楽しくはあったが、私の知ってる世界がどれだけ小さいものか思い知らされた。   


「そんなに兄弟増やすから貧しくなるんでしょ。なんで貧乏人に限って子供を増やしたがるんだか」冷たい声が響く。いつも強い口調のマリエル様だけど、意地悪を言うのは見たことがなかったのに。


「そんなことないです!」


「だって、そうでしょ。育てられないなら産むなってはなしよ。弟がこんなにいなきゃ、あなたも体を失わずに済んだかもしれないのにね。どれだけ旺盛なんだか」


「黙れ!」ペシンッと乾いた音が響く。ベッドの死角になってマリエル様は見えなかったが、何をしたかは分かった。


「えっ…!」声から察するに、レオンさんは自分がしたことを受け入れられていない様子だ。


「ごめんなさい…」


「ほら、ミア。こいつも獣だったでしょ」私は手を上げたレオンさんよりも、マリエルさんの勝ち誇ったような声の方が怖かった。

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